上 下
36 / 62
第肆念珠

#034『泥林檎』

しおりを挟む
 いわゆる、『又聞き』というものである。

 前年公開した実話怪談小品集、『魔性黒電話』の第24報『目血鼻血』を伺った暁美さんという女性から、「最近知り合いの若いママさんからこんな話を聞きました」と、教えて頂いたお話。


「八千代さんは、私の遠い親戚でしてね。有名な女子大を出てて、すごく穏やかでステキな女性なんですけれど。まさかあんなコト言い出すなんて、思いもよらなかった――」


  ※   ※   ※   ※


 2015~2017年くらいに起きた出来事だろうという。

 ある日(おそらく日曜日)の朝。八千代さんは 保育園に通う息子の俊平しゅんぺいくんを連れて、自宅近くの公園に出かけた。

 子供を遊ばせてやるのは勿論、ママ友との井戸端会議も兼ねたいつもの日課だったというが、何故かその日は公園にまったく人気ひとけがなかった。
 当然、知り合いのママ友も、その子供達の姿もない。

 あら、皆さんどうなされたのかしら。この時間帯に誰も居ないなんてヘンねぇ・・・ 
 八千代さんは不思議に思いつつ、このまま帰るにしても俊平くんが可哀想だと思ったので、ママと一緒に何か遊ぼうか?と俊平くんに尋ねてみた。

 すると俊平くん、「いや、いい」「ぼくひとりであそびたい」と素っ気なく返してくる。

 へぇ、一人遊びをしたい年頃になったんだ。じゃあ何で遊ぶの?と訊くと、「すなば」との即答。

 ここでも少し、八千代さんは面食らった。
 自分譲りで潔癖症なところのある俊平くんは、砂場遊びがむしろニガテだったのである。
 友達が「お城をつくろう」「トンネルをつくろう」と誘っても、「きたないから、いい」と手や服が汚れるのを毛嫌いするようなところがあった筈なのだが・・・

 何か心境の変化みたいなものがあったのかな。
 いやいや。そんな深刻に考えずとも。子供って基本、気まぐれだから・・・ 

 とにかく一人で砂場遊びをしたいというので、黙ってやらせてあげることにした。

 あまりお洋服を汚しちゃいけませんよ、と最低限の釘を刺し。俊平くんが砂場に座り込むのを確認すると、自分は近くのベンチに腰掛け、スマホを使って時間を潰すことにしたのである。


 ――どれだけ時間が経ったのかはわからない。


 不意に俊平くんが、「ママ、りんごあげる」と言ってきた。

 あら、砂でリンゴを作ったのかしら? そう合点がてんした八千代さんは、「わぁ、嬉しい!」「美味しそうなリンゴかなぁ?」と笑顔を浮かべたが、すぐにその微笑みはぎこちなく凝固することになる。

 彼女の目の前には、両手で大事そうに泥まみれのリンゴを掲げた俊平くんが立っていた。

 その手とリンゴからは、ボタボタと真っ黒な泥水が滴っている。


「ママ、りんご」

「ちょ、ちょっと待ちなさい。俊ちゃん、このリンゴ、何処から・・・」

「りんご、すなばから、いっぱいとるあそび」


 屈託なく言う俊平くんに導かれるように、八千代さんは砂場へ向かった。
 すると、砂場のちょうど中心部、直径一メートルあまりが、明らかに他の部分とは違って真っ黒に変色している。

 ここは、りんごばたけだよ・・・そう言って変色した部分に腕を突っ込む俊平くん。
 すると 腕は、ぬらぁぁっと滑らかな様子でそこへ埋まり込んでいった。

 ・・・・・・これ、砂じゃない。
 ・・・・・・?!

 まるで諫早湾の干潟みたい―― 長崎県民なら誰しもが思い浮かべるたとえを、八千代さんも考えたという。しかし、どちらかと言えば灰色がかった干潟の泥と違い、その砂場中心部のドロドロは、まるでタールのような底知れぬ漆黒をたたえていたのである。


「やめなさい俊平!!汚いわ、汚いっっ!!」


 と、八千代さんが叫んだ時だった。
 ずっぷりと差し抜かれた、俊平くんの両腕。
 その手には、
 真っ黒な泥まみれのリンゴが、また。


「ふたつめ。うふふふふ」


 もっとたくさんあるんだよ、と言って
 俊平くんはまた、泥の中へ腕を突っ込んでいった――


  ※   ※   ※   ※


「それでですね。結局、5個もあったんです、砂場のリンゴ・・・」


 ――神妙な表情の八千代さんから、暁美さんがその話を唐突に打ち明けられたのは 昨年2020年、9月末の残暑激しい頃だった。
 何となく気の合う二人が、定期的に楽しんでいたお茶会の席で。その『泥林檎』の話はまったく何の脈絡もなくいきなり語られ、暁美さんを大いに驚かせたのである。

「え、えーっと。念の為に確認したいんだけど・・・ 八千代さんが今話してくれたの、いわゆる心霊体験とかいうやつかな?ほん怖とか、世にも奇妙なナントカみたいな」

 実は暁美さんご本人も、実話怪談を嗜まれる怪談愛好者であったのだが。流石に不意打ち的に語られた先のお話に、思わずそう確認せざるをえないほど戸惑ってしまったらしい。
 そして、「うん、多分そうです」と帰ってきた答えに、なお戸惑ってしまわれた。

「ふ、ふぅん。そりゃ気持ち悪かったでしょ。それで、そのリンゴはどうしたの?」

「はい、家に持って帰って、家族みんなで食べました」

「た、食べ――」


 食べたの?!と。少しテンパり気味になりつつ、訊ねた。
 食べたみたいです。 小首を傾げながら、八千代さんは答える。


「やっぱヘンですよねぇ・・・嫌だわ、何であんな汚らしいリンゴを持って帰ったり、あまつさえ食べたりなんかしたのかしら。おかしなことを言うようですけど、今でもよくわからないんです・・・」

「そ、そう・・・ どんな風にして食べたの?アップルパイにしたとか、そのまま剥いて食べたとか・・・」

「たぶん、そのまま食べました」

「・・・・・・洗って?」

「・・・・・・たぶん・・・・・・」


 どうやら、この一件に関して八千代さんの記憶はかなり曖昧になっているようであったという。自分が異常なことを述べているという自覚を持ちつつ、八千代さんは一生懸命、当時のことを思い出しながら言葉を繰っていたらしい。

「そもそも、砂場の真ん中の真っ黒なものは泥だったのか。そこから出てきたのが本当にリンゴだったのか。ぶっちゃけ、そこのところもフワフワしててわかりません。もしかしたら、まったく別のものだったのかも・・・・・・」


 ――え、何この話、まじ怖っっ!!

 暁美さんは、淡々と展開されるシュールでダークな思い出話に、切実な戦慄を覚えた。
 八千代さんがすべてを思い出してしまったら何か恐ろしいことが起こりそうにも感じたので、「もうこの話は止め、止め!!」と ムリヤリ別の話題にすり替えてしまった。

 対する八千代さんも、「そうですね」「気持ちの悪い話をしてしまってスミマセン」と苦笑まじりに頭を下げられ、暁美さんが新たに持ち上げた無難な話題に、やんわりと乗っかってくれたという。


  ※   ※   ※   ※


 八千代さんは、周囲に細やかな気遣いの出来る大人の女性である。

 その為か、後に何度も暁美さんとお茶会を共にしたにも関わらず、『泥林檎』の混沌とした話を蒸し返したことは一度も無かった。むしろ、この話をしたこと自体を無かったことにして振る舞っているようでもあったらしい。


 だから余計に―― 暁美さんはこの物語を初めて耳にした時のことを思い出すたび、得体の知れないモヤモヤと薄ら寒さに襲われるのだという。


しおりを挟む

処理中です...