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第肆念珠

#032『炙り出し』

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 今から40年ほども前。1980年代初頭のことである。

 当時小学生だった正太さんは、大分県の小さな小さな集落で、至極のびのびとした少年時代を送っていた。

 誰もが認める『ワリガネ(方言で、わんぱく坊主の意)』だった彼は、同じく負けず劣らずのワリガネだった克典くん、茂男くんとトリオを組んで、イタズラの限りを尽くして周囲の人々を困らせまくっていた。

 あだ名は 正ちゃん、カッツン、しげちん。
 悪名高き三バカトリオだったという。



 そんな三人が小学四年生の時の、夏休みであった。

 ある日いきなり、カッツンが消えた。

 午前中に「遊びに行ってくる!」と言って家を飛び出していって、それきり三日も帰って来なかったのである。

 集落では青年団が中心となった捜索隊が組織され、虱潰しという言葉がふさわしい大捜索が行われたが、その成果はまったく上がらず。

 カッツンの家の人々は 誰もが流す涙も涸れ果てたといった様子で憔悴し、子供ながらに見てはいられなかったと正太さんは言う。


 だが、正太さんとしげちんは 親友が必ず何処かで生きていると信じていた。
 今から思えば、万が一にでも カッツンが自分たちの与り知らぬ所で冷たくなっているのではないかと考えること自体を、心が拒絶していたのではないか という。
 明日にでも、いやもしかすると今日にでも。カッツンは何食わぬ顔でみんなの前に姿を現し、「腹減った!メシ!!」とでも抜かしてみせるんではないだろうか。

 少なくとも正太さんとしげちんは、そんな漫画のような展開を信じていた。
 信じることが、友達だと思っていたのだった。


  ※   ※   ※   ※


 カッツン失踪から五日後。

 正太さんの家に、泡を食った様子でしげちんが駆け込んできた。


「正ちゃん、これを見ろ!カッツンからのSOSだぜ!!」

「えっ。どういうことだ、しげちん?!」


 ――しげちんによると。 その日、彼が勉強机として親から与えられた古いお膳の上に、一枚の見慣れぬ紙切れが乗っていたのだという。

 不自然にヨレヨレなその紙を見て、しげちんは首を傾げたというが。直ぐにハッと思い当たり、お父さんのライターでその紙を下から炙ってみた。

 すると、それに文字が浮かび上がってきたのである。

 炙り出し、というものだ。果物などの汁を使って紙に文字や絵を書くと、直ぐに乾いて書いたものは見えなくなってしまうが。後で火によって炙ってやると、汁が沁みた部分が焦げ茶色に変色し、たちまち浮かび上がってくるのである。

 正太さん、カッツン、しげちんの三人は、最近この『炙り出し』遊びにハマっていた。他愛の無いこと、バカバカしいことを柑橘の果汁でノートの切れっ端などに書き、それを勿体付けて炙り出しては、ゲラゲラ笑い合っていたのだ。
 だからしげちんは、汁の染みこんでヨレヨレになった様子の紙を見て、ピンと来たのである。

「ほら、見てくれよ正ちゃん!カッツンたら大変だぜ!!」


 紙には、炙り出された文字で こうしたためてあった。


『正ちゃん、 しげちん、 あん心してくれ、オレは生きている。 でも、悪いやつにつかまってしまって、 にげだせない。 学校のうらの池でまってる。 二人で たすけにきてくれ。 たのむ  克典』

 
 確かにカッツンの筆跡。
 心臓が止まるほど驚いたという。

 こりゃ一大事だ、早く助けに行かなければ!学校の裏の池だな?! 興奮に、胸が高鳴る。

 しかし、『悪いやつ』とは誰なんだろう?二人だけで来るように紙には書かれているが、やはり大人を頼った方が心強いのではないだろうか。

 そう思った正太さんは、カッツンからのSOSが書かれた紙を、青年団に所属している年の離れたお兄さんに見せてみた。

 畑で農作業をしていたお兄さんは最初、弟とその友達が差し出したヨレヨレの紙に面倒くさそうな仕草で目を通していたが、
 やがて表情を強ばらせ、顔面蒼白となった。


「おい・・・ お前ら、この紙見て 少しでもヤバイと思わなかったのか?」

「え? なに、どういうこと?」

「克典が何者かに捕まって身動きが取れないってんならよ、じゃあこの紙を茂男の家に持って来たのは誰だよ?何で捕まってるところが池なんだよ?! ――それに何より。こんな長い文章、お前ら炙り出しで書けるか? んだぞ?!」


 二人で、顔を見合わせた。
 確かにそうだ。その通りだ。
 兄ちゃんはやっぱり頭がいいな、と感心した。
 直後、お兄さんから「バカタレー!!」と一喝されたという。


  ※   ※   ※   ※


 カッツンの遺体は、正太さんとしげちんの代わりに学校裏の池へ向かった青年団により発見された。

 正確に言えば―― カッツンと、が、池に駆け付けた青年団により発見されたのだった。

 男性の方は、身元不明。
 しかし、溺死してかなりの時間が経過していると見え、全身がブクブクに膨れあがって物凄い悪臭を放っていたそうだ。
 そのブクブクの遺体は、 まるであの世への道連れにするかのように、カッツンの小さな身体をガッシリと抱きしめ、その頭に齧り付くような恰好になって 水面にプッカリと浮かび上がっていたのである。

 カッツンの遺体の表情も、それはそれは凄まじかった。
 おそらく死の直前、想像を絶するような恐怖を味わったのであろう。
 筋肉が引きつり、顔面全体が歪んで見えたらしい。

 ――池は、捜索初日に青年団が底を浚うようにして隅々まで調べ尽くした筈の場所であった。



「・・・・・・かわいそうにな、カッツンのやつ、ホントに死んじまったんだなぁ・・・・・・」

「ああ。でも、何でカッツンは俺達だけに助けを求めたんだろうな?しげちん」

「そりゃー正ちゃん、友達だからだよ」

「あー、そうだな。友達だからだな・・・」



 そんな会話を交わした直後、二人は青年団の団長さんから「お前ら、本当に察しが悪いな!!」と大目玉を食わされた。


「いいかお前ら。克典は、この池で入水じゅすいしたヨソ者に引っ張られて溺れ死んだんだ。そして同じような死に神になって、友達だったお前らも冥土の道連れにしようとしたんだぞ?! 本当に危ないところだったんだ。ちゃんとそこんとこ理解して、お世話になったみんなに頭ァ下げんかいっっ!!」


「えっ」
「そうなの?」


 ――そこで初めて、心の底から怖くなり
 二人で声を上げて泣いたという。


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