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第弐念珠

#018『金属』

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 現在、コーヒーショップを経営されている水野さんという男性には、何ともしっくり来ない 奇妙で厭な思い出があるという。


 以前、某商社の営業マンとして汗水垂らして頑張っていた時。

 出先あまりに忙しかったので、昼食を偶然通りかかったコンビニで購入した。

 今のようにコンビニの中にフードコートスペースが無かった時代なので、仕方なしに近くの公園に行き、ベンチに座ってモシャモシャとサンドイッチを頬張っていると、いきなり服の袖をクィッ、クィッと引っ張られた。

 ん? 目をやれば。小学校低学年くらいの男の子が、口を一文字に結んだ神妙な顔で立っている。

「どうしたの。君。何か用?」
「・・・・・・・・・・・・」
「黙ってちゃわからないなぁ。お父さんかお母さんはいないの?」
「・・・・・・・・・・・・」

 男の子は、黙ったまま水野さんの右手側の方をゆっくりと指さしてみせる。
 おいおい何だよ、とそちらへ視線をやってみると、5メートルほど離れた場所に背の高い3人の男性の姿が見えた。

 ギョッとする。

 警官だったのだ。

 いつの間にか3人もの警官が自分の直ぐ近くに居て、自分を見ている。
 いや。 を見ている。


 ――あ、あのぅ。お巡りさん?この子が、何かしたんですか?


 ・・・と、尋ねてみようと思ったのだが、何故か男の子と警官の間には妙な緊張感のようなものが出来上がっており、どうしても声を出すことが出来ない。

 男の子は相変わらず年齢に不相応ともいえるほど神妙な表情を呈しているし、対する警官らもまったく無表情のまま、ほんとうに微動だにせず、ただただ視線で責めるように男の子を見つめているのだ。

(・・・・・・こいつら、本当に警官なのか?)

 しばしその空気に呑まれていた水野さんは、不意にそんなことを考えた。
 一言も発さず、固まったように動かず。
 小さな男の子に対して、公明正大たる警察官がとるような態度ではない気がした。


 ――どの程度の時間、そうやっていたかはわからない。
 やがて男の子は、観念したようなトボトボとした足取りで、3人の警官の近くへ歩いていった。

 そして、チャリチャリと音を立てながらポケットの中より数枚のコインのようなものを取り出し、申し訳なさそうに警官達へと手渡した。
 ――と、直後。クルリときびすを返し、別人のようなキビキビした動作、行進のような歩き方で公園を出て行く。

(な、何だあの子。ちょっとおかしいんじゃ・・・)

 ベンチに座ったまま唖然と男の子の後ろ姿を見つめていると、不意に肩を叩かれた。
 ギクッとしながらまた視線をやると、あの3人組警官の一人だ。
 先ほどのコインのようなものを、一枚つまんで水野さんの目の前に提示している。

 有無を言わさない沈黙のプレッシャーがあったので、思わず受け取ってしまった。
 よくよく確かめてみると、それは文字も数字も彫り込まれていない硬貨状の金属だった。形を整える以上に意匠を凝らした部分が無く、何となくコインというよりゲームセンターの景品のメダルとでも言った方がいいような代物だった。

「え、あ、あの。これは?」
「・・・・・・・・・・・・」
「これ、くれるってことですか?どうして・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

 『口止め料』という言葉が脳裏をかすめた。
 警官らは、そのままズイズイと奇妙なほどの早歩きで公園を後にしていった。

 ・・・再び唖然となっていた水野さんであったが、直ぐに「あ、仕事!」と我に返る。
 何かおかしなモン見ちゃった。早くメシ食って、外回りに戻らなきゃ――とサンドイッチの残りを引っ掴んだ瞬間、それはドロッと溶けて崩れた。

(え。 うそ――)


 サンドイッチは、先ほどのやりとりの間に 何故かグズグズに腐敗していた。

  ※   ※   ※   ※

 翌日。狐に抓まれたような心持ちのまま出社した水野さんは、疲れのせいにされるのを覚悟の上で営業部の同僚の一人に昨日のすべてを打ち明けてみた。すると、

「はぁ~?何言ってるんだお前。ちょっと頑張りすぎじゃないの。有給とったら?本気のハナシ」

 本当にあっさりと、疲れのせいにされてしまった。
 面白くなかったので「証拠があるから疲労やストレスのせいじゃない」と例のメダル状金属を見せてみると、同僚はそちらに対しては非常に興味をそそられた様子で、

「ほほぅ、大きさは100円玉くらいだな」
「えらく軽いな。材質は何なんだ?」
「チョイ気味悪くなってきたぜ。話に変な信憑性出ちゃうじゃんかよぉ」
「これ持ってて大丈夫?俺だったらヤだなぁ。誰かにやっちゃうかもなぁ~」

 何やかやとボヤきつつも、どうやら心底欲しがっているような口ぶりをみせる。
 やろうか?と訊くと、「いいのか?くれ」との即答。
 物好きにも程があると思ったが、確かに自分で所持しているのも厭だったので、喜んで差し上げることにした。「実はこういうの集めるの好きなんだ」と笑う同僚に、「こういうのってどういうのなんだよ」と呆れた。



 翌日、その同僚は自宅マンションの風呂場で首を吊った。


  ※   ※   ※   ※

 いちおう遺書のようなものは机の上から見つかったらしいが、その内容は支離滅裂で、何故かやたらに水野さんの名前が出てきたため、水野さんは警察に任意同行を求められるハメとなった。

 遺書に、例の金属についての記述があったかどうかは定かでない。

 だがしかし、本物の警官と差し向かいで対話しながら、「やっぱりあの時の警官達は偽物だったに違いない」と水野さんは確信したのだという。



「・・・結局、あれが何だったのかは未だにわかりません。同僚の死について色々と思い悩んだ時期もありましたが・・・今となってはもう、全部・・・ ね」

 淹れ立てのトアルコトラジャ・コーヒーを差し出しながら、水野さんは苦い微笑を零された。

 この話に限らず営業時代には忘れたいような思い出が多いので、自主退社の後にコーヒーショップをはじめて本当に良かった、と語られる。

 ――もし残りの人生の中で、もう一度あの金属を手にするようなことがあったら。同僚への償いの意も込めて、が自分に降りかかるまで 肌身離さず持ち歩きたい、という。
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