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第弐念珠

#017 『幻聴』

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 某そうめん工場に勤務している四十台半ばの男性・真鍋さんは、少年時代 日常的に幻聴が聞こえた時期があった。

「幼稚園の年長さんくらいからだったかな? ハハ、そう大して気にもしなかったですよ。普通の人だって、空耳ってのがあるじゃないですか。それと同じレベルですわ」

 どのような幻聴だったのですか?と尋ねると、

「んー、いろいろです。通学途中にジジイが詩吟を唸るような声がずっと頭の上から聞こえたり。女の笑い声が夜道にこだましたり。そうそう!朝礼の時、校長の挨拶にコラボして三味線の音がずっと鳴り響いてたこともあったなァ」

 ――どう考えても空耳レベルではない事態だと思うが・・・

「ま、根っから明るい性分なんで、あんま気にはしなかったですよ。何時だったか、幻聴は狂気の前触れ、とか書いてあるのを本で読んだけど、『そっかー、ふーん、俺、狂っちゃうのか~』って。実感無かったというか、今が良ければどーでもいーか、とか思ってたので」

 何が幻聴で何が普通の音声か、わからなくなったことはないのだろうか。そう質問してみたのだが、「幻聴はトーンが違うので直ぐにわかったです」「現実の音声より、幻聴の方がリアルにビビッと聞こえるんですよね。不思議な話だけど」とのこと。

 自分は普通とは違うかも知れないと薄々感じてはいたが、「誰だって普通じゃないことの一つや二つあるもんだ」「気にしない、気にしない」・・・などと前向きに考えて、特に悩みもなく日々を暮らしていたという。

  ※   ※   ※   ※

 そんな真鍋さんが、高校一年生くらいの時のこと。

 ある昼下がり、学校の男子トイレの個室で頑張っていると、不意に直ぐ側から「うらやまでまってる」と若い女の声が聞こえた。

 ん? また変なのが聞こえたな、とぼんやり思う。声のトーンは、もちろん『幻聴の方』だ。

(うらやまでまってる・・・裏山で待ってる・・・?)

 小首を傾げる。

 今まで、意味のある言葉で幻聴を聞いたことは数限りない。しかしこの時ばかりは、何とも言えず心に引っかかる感覚を覚えたそうだ。

(・・・シオリちゃんの声に似てたなぁ)

 ――当時ハマっていた恋愛シミュレーションゲームのヒロインの声に似てたせいかも知れない、とも付け加えられたが。

 とにかくうら若き女性の声で「待ってる」と言われたのだ。思春期の男子の心に、妙なスイッチが入ってしまったのかも知れない。
 当時、真鍋さんには『幻聴の言うことは気にしないようにする』という自分自身で決めたルールがあった。しかしこの時ばかりは、このルールを破る決心をしたという。

 裏山、と言えば学校の裏手にある小高い丘のような山しか心当たりがない。

 ひとたび気になるとそれが頭の中を支配し、ソワソワしすぎてその日の授業はまったく頭に入らなかった。放課後を迎えると、家が近い友人に「ソレ俺ん家に届けといて!」と通学鞄を押しつけ、罵声を背中に受けながら学校の裏山に向かって駆けだした。


 さて、この『裏山』であるが、本当に小さくて何も無い山――ほとんど丘の上へ藪と林が申し訳程度に乗っかったようなものなのである。
 この山の何処で「待ってる」のかはわからないが、よくエッチな本が落ちているというので有名なスポットであった。だから何となく、「前にエロ本を発見したポイント」を目指して脚を進めたのだという。

 ――10分ほど、木々と草っ原の中を散策した。
 何もない。

 だんだんアホらしくなってくる。やっぱり幻聴で聞こえたことなど、何の意味も無いものなんだなぁと思い始めた矢先、藪の中に白い車が止まっているのを見つけた。

(え、 車??)

 妙な具合、だったという。

 そもそも、この山道は車の走行を想定したものではないので、乗用車が通れるほどの路幅が無い。よしんば強引に通ってきたとしても、車は低木などに擦れて傷だらけの筈だ。
 それが、ない。
 きれいな車体だったのである。

 エンジンはかかっていなかった。車種は、よくわからない。車に興味のある少年ではなかったそうだが、今思えば某社が生産している普通車だったのではないかという。

 それが、前述のごとく藪の中にポツンと存在している。
 不思議なことに、周囲の草などを倒した形跡がない。
 ずっと前からこんな調子で放置されているようにも見えるのだが、

「あ、ありゃ何だ」

 車の後部座席のドア――おそらく右側だったと記憶されているそうだが。



 それが、勝手に開いては勝手に閉まる、という動作を繰り返している。



 キュゥゥ、バタム! キュゥゥ、バタム! キュゥゥ、バタム・・・

 擬音に直せば、そんな音が動作と共にひたすら繰り返されていた。
 しかもその音、

(こ、これ・・・『幻聴のトーン』じゃねぇか??!)

 ・・・脳に直接響くような、幻聴のトーン。
 いま現在、自分の目の前で確かに展開されている現象が、その『幻聴の音』を伴っている。

 わけがわからない。

 わけがわからないが、とにかく全身が冷え切るほど怖くなった。

 転がるように逃げた。


 無事に家に帰って自分の部屋に入った瞬間。「はああああああ」と大きな安堵の息が出て、そのまま倒れるが如くベッドへダイブ。気絶するように眠ってしまったという。


  ※   ※   ※   ※

 それから二日が経った。

 真鍋さんの心は晴れなかった。あの小さな山の中で見た光景と音が、頭の中にこびり付いて離れなかった。

 一番懸念していたことが、

「とうとう幻聴ではなく、幻覚まで見始めるようになったんではなかろうか??」

 ――狂気が、近いのではなかろうか。


 その一方、もしかしてああいう自動開閉機能の付いた車が単に駐車していただけなのではないか、という楽観的な考えをしたくもあった。発する音が『幻覚のトーン』に聞こえたのは、ただの勘違いだったんじゃないか、とも。


 だから、確かめることにした。
 思い立った当日の放課後、また裏山にのぼってみた。
 むろん怖くはあったが、このまま不安を引きずるのはもっと厭だったのだ。


 確かここらへんだったな、と目星をつけて歩く。

 すると首尾良く、あの藪の中の乗用車を見つけることが出来た。後部座席のドアも、もう開閉運動をしていない。

 ――よし、真実を確かめるぞ。 もっと近づいてよく見てみなくちゃ、と 真鍋さんが意を決して一歩を踏み出したその時、



『かれしの くるま』



 すぐ耳元で、あの女の声が聞こえた。

 目の前が一瞬、 真っ暗になった。

 赤児のように泣きながら、逃げ帰った。


  ※   ※   ※   ※

「いやぁ・・・あの後は本当に怖かった。 ――やっぱりこれは狂気の前兆だ、俺、いつ狂うんだろう。明日か。明後日か。それとも今日なのか!って」

 しばらくは、食事も喉を通らないほどだったらしい。

 しかし一週間が過ぎたあたりで、真鍋さんはふと、一つの事実に気づいたのである。


 あ。 そういえば俺、 あれから幻聴、聞いてない。


「・・・・・・それから四十を超える今まで、一度も変な音や声を聞いてはいません。あれは狂気をもたらすものじゃ無かったんです。幻聴が改善する、前駆現象だったんじゃないかと今では思っています」


 何とも奇妙なお話である。

 真鍋さんは、この思い出を心霊現象だとは考えていないらしい。本人が仰ることには、長年見えていた幻覚が収まる前に一時的に症状が悪化し、存在しない白い車の幻も見えてしまっていたのではないか――とのことだ。

「そもそも自分、心霊否定派なんです。でも、この話・・・どう考えても怪談的ですよねぇ。だから松岡さんの求めるニーズに一致するんじゃないかなぁと思って取材をOKしたわけで」


 なるほど。本人はまったくお化けや幽霊の存在を信じていないわけか。
 それならば。


「真鍋さん・・・この後、お暇ですか?良かったら、その思い出の現場を案内しては頂けませんでしょうか。実際に目で見てみれば、よりリアルな文章として顕せると思うんです」

「おお!いいっすねぇ。あの時は怖かったけれど、今となっては青春の思い出のひとつ。私も長年、母校やその裏山に脚を向けたことすら無かったですからねぇ」


 これは面白い展開になってきた。
 『真事の怪談』シリーズ初。怪異の現場、体験者様ご本人同伴で突撃取材!というオイシイ一話が成立するかも知れない!!



 ――だが取材終了直後、真鍋さんは「小学生の息子との約束を思い出したので」と言い残し、すぐに帰ってしまわれた。



 やっぱりなぁ、と思った。

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