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#080 『精』

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 畑と木々に囲まれた農道の中にポツンとあるコンビニで深夜勤務をしている、榎下さんという男性と お話をした時のこと。
 そんなところに深夜、お客様があるのですか?と尋ねた私に、「農道はショートカット目的で使用するドライバーが多いから、意外に夜もお客さんが来ますよ」と彼は答えた。
 想像もよらないお客さんもね、と。

  ※   ※   ※   ※

 今から4年前のことだという。
 7月初旬。ことのほか蒸し暑く、エアコンの効いた店内ですら何となく不快な気分を感じる深夜0時過ぎ。
 榎下さんが一人夜勤を勤めるコンビニの自動ドアが、不意にヴィーンと開いた。
 いらっしゃいませ―― 反射的に入口の方へ向き直り お客様に声をかけたは良いものの、 直後 榎下さんは心中で「うっ」と詰まった声を漏らしたという。

「えへへ、へへ」

 お客は、六十代はじめと思しき、ガリガリに痩せた男性。
 薄汚れたツナギのような作業服と作業帽を着込み、にやにやと笑っている。
 目がぎょろりと大きく、その下には不健康なまでに濃い隅が出来ている。
 針のような無精ひげが、零落した野武士のように見えたという。

 その汚れた野武士は、始終榎本さんから視線を逸らすことなくへらへらと笑いつつ、店の奥にあるトイレの中に入っていった。
 ――何だ、不審者の模範生みたいなオッサンだな・・・と思っていると、5分ほどして彼はトイレから出てきて、入ってきた時と同じくへらへら視線を逸らすことなく、店の外の暗闇の中へ消えていった。

 えっ、何にも買わないんだ?!
 ていうか徒歩で来たの、あの人??
 いつまで経ってもエンジン音が聞こえないことから、榎下さんは尚のことビックリしてしまった。そう言えば、入ってきた時にも車の音はまったく聞こえなかったことを思い出す。

 トイレは大丈夫だろうな・・・と心配になった。
 あまりにもおかしなおじさんだ。汚されていたら洒落にもならんぞ、と思って おそるおそる入ってみると、

「うっ、やられた・・・!!」

 何と、便器とその周辺が茶色い付着物でベタベタに汚されている。
 くそ。誰が掃除すると思ってんだ・・・ 泣きそうな気分になって掃除道具を手に便器へ向かった時 妙なことに気付く。

 ――これは排泄物ではない。
 ――土??

 むせ返るような濃厚な臭いを放つ泥土である。
 山奥の、粘土層の土壌を掘り起こして そこから持ってきたかのようだった。

(あの人、こんなもの持って来たような様子は無かったけど・・・服の中にでも ごっそり隠していたのかな・・・?)

 そう思うと、ゾックリ身が冷え切る思いがした。
 真性の不審者じゃないか。

「次 来たら、勇気を出して注意しないとな・・・」

 深夜の人気の無いコンビニというロケーションを考えるとゾッとしない話だったが、トイレを汚されることはかなわないので 決意は固かったという。

  ※   ※   ※   ※

 だが、野武士はそれから毎日やって来た。
 榎下さんは毎日勇気を振り絞り、「あのー、お客さん。この前のようなことがあると困るんですけどねぇ!」と注意をし続けた。
 野武士は深夜、特に0時から午前2時の間頃、突然来店しては こちらを見つめてにやにや笑いつつ、真っ直ぐにトイレへ向かっていく。
 しかし不思議なことに、榎下さんが強い口調で注意をすると、途中で脚を止め、やはりにやにや笑ったまま出入り口へと引き返し、外へ出て行くのである。
 注意をすれば出て行くのだから、大事にするほどのものでもない。
 だが放置しておけば、何処ぞへ仕込んだ土で以て、またトイレを汚されるのであろう。
 一夜のうちに2回、3回来ることもある。警察を頼ってもみたが、どうしてか お巡りさんが張っている時に限って、野武士は店に現れない。
 
 参ってしまったという。

  ※   ※   ※   ※

 そんなある日のこと。
 榎下さんがシフトに入って直ぐの午後6時過ぎ、「いつも暑いねぇ」と額の汗を拭いながら、常連のお爺さんが店にやって来た。近くの畑でタマネギを作っている農家の方だ。

「そう言えば今日テレビで、若い女を殺して遺体をバラした犯人が逮捕されたって言っとったよ・・・ まったく、都会は頭のおかしいヤツばっかりじゃなぁ」

 そういう話題を振られたので、「いや、田舎にもおかしな人は居ますよ」と深夜の野武士のことを打ち明けてしまった。今から思えば、職業倫理的にどうかと思える経卒な行動だったと榎下さんも仰られているが・・・この時は相当、心に堪えていたのであろう。

「へぇへぇ、そんな客が?夜中?」

 お爺さんは殊の外 興味をそそられたらしく、大きく目を見張って「うーん」と唸った。
 もしかして あの野武士を知っているのだろうか。榎下さんは思わず「何か心当たりが?」と尋ねた。

「心当たりも何も、そりゃアンタ、人でないよ。〝精〟だ」
「セイ?!」
自然薯じねんじょだよ」
「ジネンジョ??」

 ジネンジョって何ですか、と聞き返すと、「最近の若いのは自然薯も知らねぇのか!山芋だよ!」と大笑いされる。

「いいかい。山の中で自然薯がでっかく育って人そっくりの形になると、そいつは化けて夜な夜な歩くようになる。行き当たりばったりに明かりのついた家を訪ねて、いろいろおかしな事をしでかすんだ」

 あんたはそれに出会っている。最近じゃ珍しいこった、と言われた。
 そんなアホな、と思った。
 ただでさえオカルト関連のことには懐疑的な榎下さん。その上、山芋が人間に化けて夜中コンビニにトイレを汚しに現れるだなんて、非科学を通り越して昔話の世界だ。
 だが。
 毎日、そんなのに来られるのは困る。
 どうしたらいいでしょうか、とお爺さんの知恵袋に縋った。

「何のこたぁ無ぇよ。白い紙に墨で『白木』って書いて、入口に外から見えるように貼っておけば来なくなる」

 どういう意味があるかは知らんが昔の人の知恵だよ、と笑いながら、お爺さんは指定銘柄の煙草が入った小さな買い物袋を下げてコンビニを出て行った。

  ※   ※   ※   ※

「それで・・・お爺さんの言う通りにしたら、来なくなったです。野武士」

 本当に不思議な話ですが、本当です。身を乗り出すようにして榎下さんは言う。
 正直、でっかい山芋が人に化けるなんていまだに信じられないけれど、あの野武士の異様な風体を見なくて済むだけでホッとしているという。

「あれからお爺さんにお礼を言って、煙草を一箱 ポケットマネーからサービスしてあげたんですけどね――」

 昔は、〝精〟が出たら若者が大挙して山奥に自然薯掘りに繰り出したもんだがなぁ、と思い出話をされた。
 それは時代ですねぇ、と適当に相づちを打つと、

「うん。昔の話だからよぉ・・・しかし何でか、でっかい自然薯なんぞ幾ら探しても見つからない上に 探しに行った若者はやたらに怪我をしたなぁ。死んだヤツもおったなぁ」

 でも、探しに行くとパッタリ出なくなるんだよなぁ。

 不思議よ、不思議。そう言ってお爺さんは サービスした煙草を大きく掲げるようにし、「ありがとよ」と店を出て行ったという。

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