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パート8:ホープ

第162話 彼の名は

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 ――――ムラセ達がノースナイツへの侵入に成功する五分前、ベクターはオルディウスと行動を共にしていた。

「何だここ…」

 遭遇した後、彼女が作り出した魔方陣によって瞬間的に別の地点へと連れて行かれたベクターだが、辿り着いた場所の異様さに戸惑うしか無かった。湖のように広がっているドロドロとした血が靴を濡らし、血によって作られた水平線以外にはポツンと玉座が置かれているのみである。髑髏や怪物たちの四肢によって彩られた不気味な椅子は、目の前にいる人間態のオルディウスの体躯とはあまりにも不釣り合いなデカさである。

 そして空にはブラックホールの様な巨大な穴がぽっかりと空いていた。どこに続くのか見当もつかないが、少なくとも簡単には現世に戻れなさそうな場所に来てしまっているのだという事が良く分かる。だが奇妙な事に、ベクターは居心地の悪さや慣れない環境故の不快さというものを一切感じていなかった。どこか懐かしいとさえ思ってしまう程の快適さ、それこそが自分がこの場所で生まれた証なのだとすぐに悟った。

「生きていると聞いた時は正直驚いていたが、こうして成長した姿が見れるとはな…」

 暫く玉座を眺めていたオルディウスが振り向き、微笑みかけながらベクター話を振る。

「何が成長した姿だ。最初に殺そうとしたのはてめえだろ。全部話は聞いたぜ」
「ああ、したよ。何か問題があるのか ?」
「あ ?」

 実の息子に問い詰められたものの、オルディウスは不思議そうに言い返す。言い訳でもして来るかと思っていのだが、予想外の反応を前にベクターは再び困惑した。

「獅子が子供を千尋の谷に突き落とすように、私もお前に試練を与えてやりたかったんだ。赤子とはいえ殺そうとして来る私に歯向かい、一矢報いてくれるかと思いきや…お前は泣き喚くばかりでな。正直に言えば失望したが、今まで生んできた者達に比べれば比較的上等だった。だからせめて魔具として利用してやろうと思ったまで。私なりの敬意というやつだ」

 常軌を逸した発言であるが、オルディウス自身はこれを別段誇っているわけではない。彼女は子供に対するしつけや教育として、これが至極当然だと認識していたのである。

 生まれて間もなく彼女は両親を殺し、立ちはだかるものをすべて排除し続ける生涯を辿っていた。追いかけるべき背中も無く、尊敬する思想や目標がある訳でもない。生き残った奴が偉いという至極単純かつ野性的な経験則のみを頼りにして魔界でのし上がった。何より質が悪かったのは、そんな彼女を誰一人として止める事が出来なかったという点だろう。

 類稀なる戦闘能力と底知れぬ支配欲、そして野心を抑えぬまま今日まで生きてしまった彼女は、教育者としてはあまりに不適であった。それがベクターを含む自分の子供に対する殺しに繋がっていたのである。自分の血を引く子ならば、同じような状況だろうと出し抜いてくれるに決まっているという身勝手な根拠だった。

「最近になってお前が生きていると知った時も、もう少し泳がせてみようと思っていた。アモンの情報網を使い、穏健派の連中を焚き付けさせただけではない。私の後釜を狙う他の連中にもお前の存在を知らせてやった。するとどうだ ? お前は穏健派の中でも有力だったイフリートやリリスを味方に付けるばかりか、立ちはだかるデーモン達を軒並み殺し…遂にはベルゼブブさえも倒してみせた。その若さで」

 四十歳も視野に入って来た男が若いと言えるかは悩む部分だが、デーモンの基準で考えれば十分なのだろう。ベクターはそう思いながらもオルディウスの話に引き続き耳を傾ける。

「私は初めて屈辱を覚えたと同時に感動した。お前に対する評価が見事に間違っていたのだと…だから、こうして現れたというわけだ。是非話がしてみたくてな」
「こんだけ派手にやらかしといて話がしたかっただけだと ? 嘗めてんのかお前」
「現世はどの道侵攻する予定だった。お前に会うついでにな…ここまで予定通りに進むとは思って無かったが」

 オルディウスは現れるまでの経緯と目的を喋るが、その内容は現世に住む人間達を見下し、馬鹿にしていると捉えられてもおかしくないものであった。無論そのつもりなのだろうが。

「てめえのせいで何人死んだと思ってる…⁉」
「死にたくないのなら足掻けばいい。それが出来なかった馬鹿が死んだだけの事。違うか ?」
「何だと…」
「つくづく人間とは無様な連中だ。口ばかりで自ら動こうともしない怠惰な性根の癖に、奪われ搾取をされるや否や文句を言い出す。他人が優しさを見せてくれる事を前提にし、善性や思いやりなどという歪な情を当てにする間抜け共…そんな彼らに対し、現実から逃げるなとお灸を据えてやっただけだ。人間達も少しは目が覚めるだろう。弱肉強食という生物としての在り方を否定し、弱者にも生きる権利を寄越せとほざく自分達の考えがどれだけ甘い物なのかをな」

 まさに優生思想とも言えるオルディウスの言い分に不快感を抱かない者がいたとすれば、それは独裁者や悪徳政治家…或いはプライドだけは高い自称知識人の様な、自らが奪われる側になるとは思っていない様な連中だろう。少なくともベクターは違っていた。

「つくづく腐ってやがる…」

 こんな奴から生まれて来た自分が恥ずかしくて仕方ない。ベクターはそう思いながら恨み言をぶつける。

「人間の哀れ且つ卑しい価値基準に当て嵌めればそうなるんだろう。だが、我々にとっては当然の事だ。それに勘違いしてるようだが…お前やお前の仲間達は寧ろ奪う側になれる可能性を持っているんだぞ」
「どういう事だ ?」
「私は強者を抑圧し、弱者ばかりを保護しようとする人間の考え方が大嫌いだ。しかし一方で、その考え方を捨てる事が出来、尚且つ優秀な者であれば人間だろうがデーモンだろうが選り好みはしない。私はただ、優れた力を持つ物が相応の権利を受けられる様にしたい。それだけの事だ」
「弱者を食い物にして、自分達だけぶくぶくと肥えろってか ?」
「餓死するよりはマシだろう ? 自分よりも劣っている筈の無能にペコペコと媚びへつらって生きる…今のお前がそれだ。惨めにならないのか ? 強者として生きるべき才能を持っているにも拘らず、虫けらの様な連中に怯えて暮らしている自分の境遇が」

 オルディウスは懐柔しようとしているのか、ベクターを取り巻く世界の現状を嘆く。彼からすれば知った事では無い上に、話に乗る気も無いのだがなぜか話を途切れさせる気にはなれなかった。少なくとも心当たりが無いわけでない。それ故の動揺が彼の体と思考を硬直させていた。

「お前の様に不遇な立場へ追いやられてる者を救いたい。それに親として、お前に償いをしてやりたいんだ。私の下に来ればお前を右腕にしてやろう…我々に仇成す者達を始末する狩人として、同時に群衆から崇められる英雄として君臨する。お前にはその素質があるんだ。そしてこの世界だけには終わらん…ガミジンが見つけた異次元へと向かう魔法を利用し、私は別の世界…或いは宇宙さえも手中に収めるつもりだ。来るべき時になれば私とお前で扇動し、軍勢を率いる…どうだ ? 悪くないだろう。私と来い。何も不自由はさせん」

 オルディウスはそうしてベクターを誘うが、当の本人は暫く黙ったまま俯いていた。やがて顔を上げるが、直後に背負っていたオベリスクを手にした上で彼女の方を改めて見る。

「真意がどうであれ、多少なりとも俺を思ってくれてる事は正直嬉しいよ。だけどな…強い奴だからって他人を蹴落とし続けて、行き着く先が誰も信用できずに孤独に王様気取る事しか出来ないんなら、俺は御免だね」

 手にしたオベリスクを肩に担ぎつつ、ベクターは彼女の誘いを断る。そしてレクイエムの指先を少し動かし、バチバチと赤い稲妻を迸らせた。

「アンタは分からないだろうけど、人に囲まれてバカみたいに騒いだり、目まぐるしく人付き合いして毎日四苦八苦する。そうしてダラダラしてる自分が少し好きなんだ。これが意外と楽しいもんでさ…だから、ごめんな」
「そうか。残念だ」

 ベクターは胸中を語った上で意志を伝えるが、それに対してオルディウスはあっさりと返事をする。怒るわけでも無く、悲しむわけでも無く、ましてや失望しているわけでもない。寧ろ、こうなる事は想定の範囲内とでも思っていたかのように速い切り返しだった。

「相容れないと分かった以上、私にとってお前は敵という事になるが…後悔はないか ?」
「出来ればもう少し早めに誘って欲しかった。それぐらいだ」
「時計の針は戻せないんだ。すまない」

 改めて忠告をするが、ベクターは既に覚悟を決めているようだった。これ以上は不毛だとオルディウスも感じたのか、首と指を鳴らしてベクターの方を見つめる。ベクターがオベリスクのエンジンを起動した後、暫く互いに様子を窺っていたが、間もなくベクターが飛び出して彼女に向けて武器を振りかざした。オルディウスはすぐさま魔法による障壁を作り出し、火花を散らしながらオベリスクをぶつけて障壁に押し当てているベクターを睨む。

「始めようか我が子よ…それとも、今こそ名前を言ってやるべきだろうか ? なあ…"バルバトス”」

 オルディウスはベクターに聞こえる様に話しかける。そして試練を乗り越えた暁にくれてやるつもりだった彼の名前を思い出し、逞しく成長した事に対する賛辞として静かにそう呼んだ。
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