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パート7:罪

第147話 パニック

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「クソォ ! どけどけー!!」

 クラクションを鳴らしながらタルマンが叫び、デーモンやそれに蹂躙される人々で溢れかえっている道路を装甲車で疾走する。蛇行しながら進む中、あまり想像したくない何かをタイヤが踏んづけたかのような衝撃が車内にも伝わり、それがたまらなく不快な気分にさせた。助手席にはジョージが、後部座席には震えたままの大家が乗っている。

「待て、塞がれてる !」

 タルマンがアクセルをべた踏みにしていた矢先、ジョージが無理矢理速度を緩めさせた。横転したトレーラーと大量の死体、そしてそれらを骨の髄まで食い荒らしているインプやスプリンターの群れが屯してたのである。慌ててブレーキを踏んだはいいが、ヘッドライトとブレーキの際に舞い上がった砂、そして騒音によって敵の存在に気づいたデーモン達は、一斉に車の方を凝視した。

「バックさせろ !」

 ショットガンを握りしめながらジョージが叫んだ。タルマンが慌ててバックギアに入れるより先に複数体のスプリンターが飛び掛かるが、何か大きな影が上空から現れて彼らを着地と同時に踏みつぶした。

「何だ⁉」

 目の前に立ち塞がった何かを前に、ジョージが狼狽える。

「アイツら…‼」

 そんな彼とは対照的に、タルマンは歓喜していた。彼らの目の前に立ち塞がっていたのは、どこか見覚えのある三つ首を持つ巨大な獣である。そしてその背中からリーラが飛び降りて来た事で、獣の正体がケルベロスである事が分かった。

「無事だった…って訳でも無さそうだな」

 こちらへ駆け寄って来たリーラに対し、車の窓を開けてからタルマンが言った。一時は安堵したものの、よく見れば口や頬に傷や痣が出来ている。息もだいぶ荒かった。

「営業と、ケツ持ちしている店の従業員を片っ端から避難させてた。ひとまずハイドリートに出ましょう…ファイ、ドイラー、ティカール ! あなた達も急いで !」

 そう説明してからリーラは魔方陣を車の背後に出現させる。そして車に乗り込む前にケルベロスに呼びかけた。血みどろのまま振り向いて走り出したケルベロスの背後には援軍と思わしき雑魚の群れが集まっており、こちらを目がけて一目散に追いかけて来た。

「後方確認頼むぜ !」

 タルマンがリーラに言ってから勢いよくバックして魔方陣を通過する。ケルベロスもその後に続いた。そして車が停まった事を確認した後にリーラは降りてから魔方陣をすぐに閉じる。

「よし大丈夫…ひとまずは」

 深呼吸をして肩の力を抜いてからリーラが言った。タルマン達も急いで降りてみると、どうやら以前にも訪れたホテルの従業員専用駐車場である。フロウが警護に囲まれながら自分達の元に現れ、リーラを見るや否や彼女と抱擁を交わした。

「無事やったか、ホンマ良かった…アンタが連れてきた子らも無事や。今はホテルの中に入れとる。問題はこれからやな。ノースナイツがそんな状況なら、間違いなく避難者がハイドリートにも押し寄せてくる。ひとまずはセドリックにも頼んで、他所から物資やらを買いこませてるわ…周りの連中に配ってやれるだけの備蓄はある筈や。こういう時こそ助け合わんとな。ところで他の四人はどしたんや ?」

 フロウは説明をしながら歩いてホテルへと入って行くが、不意にベクター達がいない事に気づいた。

「あいつらは運が良かった。丁度用事でノースナイツを離れててな…この状況を知ってると良いが」

 タルマンが事情を話す傍ら、リーラは少し暗い顔をしながら空を見上げる。彼らを外に出す様な真似をしなければこんな事態にはならなかったのだろうか。そう考えながら視線をフロウの背中に戻し、彼女に続いてホテルへと入って行った。



 ――――ラジオによる最初の報道から三時間後

 ノースナイツの状況など知りもしないベクターは、トラックの助手席で窓の外を眺めていた。アルは運転をしながらラジオを触るが、ガタが来ているせいでまともに動作しない。

「ダメか。ラジオ一つまともに修理する余裕もないんだよ…ハハ。というか瞳の色変わってるけど、前は緑だったよね ? 確か」

 気を紛らわせるために話かけるアルだが、ベクターは物思いに耽ってばかりで答えようとしない。背後の寝台にはザガンが胡坐をかいて座っている。

「なあ…なあ !」
「ん、ああ…どうした ?」

 少し強めに話し掛けると、ベクターがボンヤリとした様子で答える。この間までの調子はどこへ行ってしまったというのだろうか。

「何かあったのか ? こないだの友達を連れてないし、随分考え込んでるみたいだけど…まさか喧嘩 ? 良かったら相談乗ろうか ?」
「まあ、そんな所だ…」

 心配になったアルは彼に話題を振ると、ベクターも少し怠そうに返事をした。まずは元気にしなければと、アルは少し考えてからホルダーに置いてた缶ジュースを渡す。ついでにザガンにも一本渡した。

「マウンテンデュー、好物なんだ」
「お、おう…何か悪いな」

 アルに渡されたベクターはお礼を言ってから飲み始める。なぜだか懐かしい味がした。

「その、事情は知らないけど…喧嘩って言うんならちゃんと話し合う事も大切なんじゃないかな。まあ事前にそういう事した上で決裂したんなら仕方ないけど」
「いや、速攻で殴りかかった方だと思う」
「だろうね……じゃなくて、確かにそういう方法って手っ取り早いかもしれないさ。でも必ず後悔する。ちゃんと時と場合で使い分けないといけない。人って信頼を失うのは一瞬なんだ。そこから取り戻すのにどれだけ苦労するか…」
「まるで経験談みたいに語るんだな」

 攻撃よりもちゃんと話し合うべきだという事をアルは伝えるが、どうもその言い方からして彼自身も苦い思い出があるらしい。それを見抜いたベクターはすぐに指摘した。

「当り前さ。アンタと別れた後、周りの奴らに散々責められたんだ。仲間を見捨てて逃げ出そうとしたクソ野郎だってさ。『じゃああの場にいたとして、自分と同じ行動をしないって言いきれるか』って聞いても綺麗事や理想論ばっかり言われて…サヴィーノとローマン、それとウィンディだけは何だかんだで庇ってくれたよ。その後も肝心な時に役に立たなそうだからって、全然仕事を任せてくれなくなってさ。頭に来て何度もシェルターを出たいと思った。でも出来なかったんだ」

 アルは前を向きながら話をし続ける。よく見れば彼の薬指に指輪がはめられていた。

「リスクにビビらず、後先考えずにやってみる事が大事って意見は沢山あるが、それによって失う物ってのもあるだろ ? 俺にとっては失う物の方が大きかったんだ。だから耐えた。その甲斐あって、今はだいぶ周りも見直してくれたよ。確かにあんたは強いさ。だから今までもきっとひたすら突き進んできたんだろ ? でも物事ってのは、力さえあれば解決できるわけじゃない。たまには立ち止まってみるのも良いんじゃないか ? 周りや、今まで来た道を振り返って…自分が間違った方向に向かってるんじゃないかって疑う事も大事なんだと思う。喧嘩した事、後悔してるんだろ ?」
「…多少はな」
「後悔してるって事は、アンタ自身にも後ろめたさがあるって事さ。頭を冷やして、原因を考えてみる時間が必要だよ。その上でどうするのか落ち着いて決めれば良い」

 アルがベクターを諭している内に、ようやく彼が拠点にしているシェルターへと辿り着いた。以前に比べて人が増えており、施設なども少しではあるが修繕が進んでいる様子だった。

「ん…お前、ベクターか !」

 遠くからサヴィーノが走り寄って来た。再会を喜んでいるにしては、何か焦燥感に駆られたような顔をしている。

「久しぶりだな。そんなに慌ててどうした ?」
「どうしたって…お前無事だったのか⁉てっきり俺は…」
「待て…何の話をしてる ? 無事ってどういう事だ ? 」
「ラジオ聞いて無かったのか⁉来い、こっちだ」

 サヴィーノが焦りながらベクターを連れて行った先は、出来たばかりらしいチンケな居酒屋であった。シェルターに一台しかないというテレビが置かれており、ウィンディとローマンを始めとした住民達が釘付けになっている。彼らを掻き分けながらベクターはテレビの方へ向かい、そして映像を目にして呆然とした。

「先程報じられたニュースですが、新たな情報が届きました。ノースナイツだけではなく、周辺地帯における空気中の魔力の濃度が急激に上昇し始めているとの事です。デーモンの襲撃と関りがあると見て、現在シアルド・インダストリーズが調査を続けています。さらに、本社が位置するノースナイツが壊滅した事を受けて、シアルド・インダストリーズは新設したハイドリート支社に機能を移し、対策本部を設置した模様です。間もなく、避難を完了した代表取締役社長のルキナ・シアルドより緊急記者会見が行われます。現在、確認されている生存者の数から推測した情報によりますと死傷者は住民の八割以上を占めるとして、歴史上でも類を見ないデーモンによる災害として――」

 ベクターはふと店の外にいるザガンの方を見た。気まずそうな顔で遠くから彼を見ていた彼女は、そのまま目を背けて街灯にもたれ掛かる。ベクターはすぐさま外に出ると、そのまま彼女の方へ向かった。

「今、何が起きている… ?」

 ベクターが尋ねてみるが、ザガンは黙ったまま動こうともしない。たまらずベクターは彼女の胸倉を掴んで自分の方に顔を近づけさせた。

「知ってんだろ…何とか言え !」

 こんな事をした所で仕方がない。分かってはいたが怒鳴らずにはいられなかった。
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