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パート6:嵐

第106話 差異

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「わぁ~美味しそう !」

 リゾートで起きた騒動からすっかり平穏を取り戻したつもりらしいジェシーという名の少女と、その両親がとあるレストランで食事を取っていた。楽しみにしていたパンケーキが運ばれてくると、湯気の立っている好物を目の前にしてはしゃいでいる。

「さあ、冷めないうちに食べなさい」

 父親も優しく彼女へ語り掛けた。

「うん ! でもハゲのおじさんとお姉さんどうしてるかな~」
「もう、この子ったらずっとその話ばかり…」
「だってホントに凄かったんだよ ! トリックだって言ってたけど絶対嘘。魔法だよ ! 絶対に !」

 興奮気味に語るジェシーを前に、母親も苦笑いをする。しかし人生経験の少ない少女にとってはあまりに驚きとも言える光景であった。吹き飛んでしまうかもしれないと思ってしまう程の風が吹き荒れたかと思えば、先程まで一緒にいてくれたジャケット姿の女性がその場から忽然と姿を消す。ハゲ…もといスキンヘッドの男はジェシーに向かって「自分達は手品師で、あれはトリックの一種だ」などと言っていたが、商人である父の取引や交渉を見て育った彼女は人を見る目は確かだという自負があった。

 大事な話をしている時に他人と目を合わせようとしない、もしくはしきりに瞬きをする人は”ほぼ”隠し事をしている。経験で培った人間観察における基本中の基本に則り、ジェシーは言い訳をするその男が嘘をついていると一方的に決めつけていたのである。

「じゃあ何でそう思うのか、ちゃんと理由を説明しないといけないね」
「ええ~ ! もうしたでしょ、何回も !」
「だけど魔法だという証拠も無いだろう ? お父さんは納得いかないなあ」
「だって私、吹き飛びそうになったんだよ ? 見た事ないでしょ ! そんな大きな風を出す扇風機」

 揶揄うように父親もジェシーに話しかけるが、若干不貞腐れ始めた様に彼女も言い返してくる。あんな出来事は忘れてしまった方が精神衛生上としては良いのだが、何日も経っているというのに興奮が冷める様子もない。一体娘は何を見たのだろうか、それが気になって仕方がないという思いがあったのも確かだった。

「よし、じゃあ今日はとことん付き合ってやるぞ。まずはパンケーキを食べてからだ」
「は~い。いただきま――」

 白熱しそうな予感がしてこれは長くなりそうだと思ったのか、父親は話を切り上げる。そして渋々ながらジェシーも応じ、フォークとナイフを手に取った瞬間にそれは起こった。道路が見渡せるほどに広い店の窓へ何か大きな影が飛来し、やがて激突して大きな音を立てた。ガラスを割って入り込んできたそれはテーブルや仕切りを巻き込むようにして壊し、ドリンクバーへと激突してから複数の飲料が混じった汚らしい液体で床を濡らす。

「何見てんだ貴様ら。見せもんじゃねえぞ」

 後を追いかけるようにして服についた汚れを払いながらイフリートが店に入り、理解が追い付いていないせいで固まったまま自分を凝視する店内の客へ怒鳴った。そしてドリンクバーの近くで起き上がろうとしているフロストに目をやった事で、ようやく只事ではないと理解する。

 誰かの甲高い叫びを皮切りに人々は統率が取れなくなった蟻のように散り散りにバラけ、もみくちゃになり、そして怒号と悲鳴が入り交じる中で逃げ出そうと躍起になる。ジェシーとその両親も思わず後に続こうとしたが、フロストが起き上がって自分たちへ狙いを付けていた事で動けなくなる。蛇に睨まれた蛙のような状態であった。

 直後、室内であるにも拘わらず強烈な吹雪が襲いかかる。ジェシーは思わず小さな腕で顔を覆ってしゃがむものの、彼女を庇った両親は瞬く間に凍りつく。顔を上げた頃には、氷細工へと変貌してしまった親の姿を目の当たりにし、彼女は受け止めきれない現実の処理が追い付かないなのか、脅威が迫っている事も無視して呆然としていた。

 フロストは生き残っている一匹の子供を喰らおうと、凍りついた床をパキパキと踏みしめて接近する。強者が弱者から奪い、食らい尽くすのは何ら不思議ではない。人間以外の生物達、ましてや強さこそが絶対的な序列であるデーモンという生き物にとっては、当然の感覚であり摂理だった。

 その時、ジェシーの前を横切るようにして炎の波が現れ、フロストを呑み込んでいく。肉体を構成していた氷や雪がたちまち溶けて蒸発していき、焼失した後にイフリートが彼女の前に立った。弱肉強食は残酷であるが、同時に平等なシステムでもある。幼いながらにして、全ての生物が組み込まれている巨大なピラミッド状のカースト制度というものをジェシーはようやく学習した。

「お前は…ん ?」

 見覚えのある顔にイフリートは反応するが、ジェシーの隣に佇んでいる二つの氷塊に目をやる。彼女を庇う様に立っているそれらの正体に勘付き、何が起こったのかを理解したように溜息をついた。

「どいてろ」

 いつ他の個体が自分の居所に気づくか分からない状況であるにも拘らず、イフリートは面倒くさがりながらではあるがジェシーを優しく押しのけた。二つの氷塊に手を当て、腕の表面にうっすらと炎を纏わせる。小さく音を立てながら湯気が立ち、少しづつ氷が溶けだしていくと次第に人の形が露になる。不思議な事に熱くは無いらしい。溶けた氷でびしょ濡れになりながら、ジェシーの両親は不思議そうに辺りを見回していた。

「ア、アンタは確か… !」
「質問は受け付けん。さっさと逃げろ、まだ来るぞ」

 父親が想像していなかった状況下での再会に驚いていたが、ごちゃごちゃと話をしたくなかったイフリートは断固とした態度で逃走を促す。そうこうしている内に、割れた窓から二体目が入り込もうとしていた。

「裏口があるだろ。機会を無駄にするな」
「待って、どういう事⁉それにあなたも逃げないと… 」
「どうせ追われる。殺した方が手っ取り早い」

 ジェシーの母親も目の前で起きている事態を把握する事に必死だったが、目の前にいる男が囮になろうとしている事は分かったらしい。だが心配ご無用だとイフリートは忠告に耳を貸さず、警戒するように低く構えて唸っているフロストの方へ体を向けた。彼の背中にジェシー達が隠れた頃、フロストが空気中の水分を凍らせて巨大な矢の形をした氷柱を作り出す。そして凄まじい速度で発射した。しかしイフリートは指を鳴らして炎で出来た壁を作り出し、氷柱をあっさりと溶かしてしまう。

「うわあ !」
「手伝うつもりがないならさっさと行け。邪魔になるだけだ」

 突然出現した炎の熱にジェシーが驚くが、いつまでも突っ立っていられることを煩わしく感じたイフリートが再び彼らを急かした。慌てて逃げ出す両親に引っ張られるジェシーが振り返った瞬間、ちょうど様子を見ようとしたイフリートと目が合う。そのまま何を言う事も無く逃げ去った彼らを尻目に、なぜ変な情が湧いてしまったのかとイフリートは顔には出さず自嘲した。

 自分や姉を始めとしたデーモン達と違い、良好な関係を築く事が出来る人間達の家族形態に対する羨望や興味深さもあったのかもしれない。才能と力こそが全てであり、親殺しや子殺しも平然と行われる魔界で育った彼にとっては、力の有無に関係なく養い、愛してくれる存在がいる事がどうも信じられなかった。

 自分より先に生まれたにも拘らず、才能が無いと判断された姉を手にかけるよう命じられた事を未だに覚えている。血だらけでボロ雑巾の様になりながら、必死に足へ縋りついて命乞いをするリリスの姿を憐れんだイフリートは親に背いて彼女を見逃した。結果として追われる身となったものの、こうして無事に生き延びる事が出来ている。

「…見殺しにすると色々うるせえからな」

 子供好きなリリスの事をふと思い出し、あくまで見捨て後が怖いから助けるのであって本意ではないと、自分に言い聞かせるように彼は口に出して確認する。そのまま襲い掛かって来るフロストへ逆に掴みかかり、腕に炎を纏わせて溶かし始めた。このまま熱によって殺される事を悟って藻掻き苦しむフロストだったが、抵抗も虚しく蒸発してしまう。

 もう一体残っていた事を思い出したイフリートはそのまま店を出るが、ハイドリート保安機構からの回し者と思わしき兵士達が辺りを包囲していた。いかに首根っこをコウジロウに抑えられているとはいえ、流石にこれ以上事態を放置するのはマズいと彼らは判断していた。

「抵抗せず、ただちに両手を上げろ !」

  拡声器を使って叫んでくる兵士と、こちらへ効く筈も無い武器を構えて待っている有象無象を前にしたイフリートは無視して元いたホテルへと戻ろうとする。すぐさま射撃が始まるが、痒そうに搔きながら立ち去る彼を見て兵士達は立ち尽くしていた。
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