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パート4:浸食

第73話 胸騒ぎ

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 銃声が数回響く度に、無様な悲鳴が上がった。拳を固めた腕が警備員の胴体に貫通し、悶え苦しむ姿を嘲りながらリリスは腕を引っこ抜く。汚らしいかのように腕を振って血を払うと、背後でこちらに拳銃を構えている別の警備員へ目を付けた。周囲には既に大量の犠牲者たちが横たわっている。

「…聞いてねえぞこんなの…何なんだよてめぇは… !」
「酒と煙草と、その他諸々が大好きな只のニート」

 狼狽える彼に向かってリリスが自虐気味に挨拶をしながら近づいていく。必死に発砲するが、銃撃は悉く躱されてしまった。必要最小限の動きのみで拳銃の弾道から体を避けるその動きは、まるでどこへ弾丸が来るかお見通しと言わんばかりである。そんな彼女の眼は普段の様子から大きく変貌しており、瞳だけではなく眼球全体が濃い紅に染まっていた。多量の魔力を使用している間にのみ発生する現象だが、そんな中でも瞳孔だけは獲物を見据えており、笑みを浮かべながら近づいて来る彼女の異常さをさらに増長させる。

「ァガッ…!!」

 撃ち尽くした弾倉を落とし、予備を装填する前にリリスの腕が警備員の体に食い込む。一瞬の出来事を前に警備員は怯み、痛みより先に思わず奇妙な呻きを上げた。

「分かる ? 今、背骨触ってるよ」

 リリスの言う通り脊髄が弄ばれているらしい。僅かに背中の方で異物と骨がぶつかる小さな震動がある。それを自覚し、彼女の腕が自分の体に突き刺さっている事を知った警備員の喘ぎは、間もなく苦痛による悲鳴へと変わった。すかさず彼女はもう一方の腕も突っ込み、しまいには内側から肉体を真っ二つに引き裂く。

「畜生‼」

 遠くから声が聞こえた。すぐさま声のする方を見ると、その先にはライフルを構えている兵士がいる。リリスは床に手を当てると、砂でも掴むかのようにコンクリートの床を毟り取る。そして破片を軽く手の中で砕くと、すぐにでも撃って来そうな兵士の方へ手加減をしつつ投げた。

 全力で投げてしまった場合に起こる”二次災害”を警戒しての事だが、それを差し引いても尚、人間にとっては脅威とも言える攻撃であった。言うなれば、一つ一つが大口径のライフル弾に匹敵する威力を持つ破片。それらが散弾のように散らばって襲い掛かる。支給された防弾チョッキ程度で防げるわけも無く、顔や体の肉を破片が抉り、四肢を細切れにした。

「正当防衛だよね、たぶん」

 先に仕掛けたのは向こうだからとリリスは考え、言い訳紛いのつぶやきをして血の海と化した試合会場を尻目にする。そして残りの二人はどうなっているかと暇そうな足取りで探索へと出かけた。



 ――――コンピュータを弄りながら、ジョージは遠くで響く銃声や騒ぎ声を警戒していた。

「なあ、君の姉さん――」
「ここで死んでくれるんなら俺にとっても有難い。まあ不可能だろうが」

 君の姉は無事だろうか。そう聞く前にイフリートが答えた。強さという点に関しては絶対的な信頼を寄せている事が窺えるが、それと同時に彼女を酷く嫌っているらしい。

「アンタが嫌うってよっぽどヤバいんだろうな。腕っぷしの方が」

 ジョージがUSBを取り出しながらぼやく。

「何もかもが俺の上だ。良い意味でも悪い意味でもな」

 イフリートも賛同しながら取り押さえているオーナーの様子を見ていたが、少しすると軽やかな足音と共にリリスがひょっこりと顔を出して来た。

「おっす、捗ってる~ ?」

 手をヒラヒラと振ってリリスが二人へ呼びかけた。

「察しがつくから何してたかは聞かない。それよりこっちに…見せたい物がある」

 彼女の服や腕、そして口元に付いてる血痕にゾッとしながらジョージは呼び寄せる。そのまま彼の背後へリリスは近づき、肩に寄りかかりながらモニターを見つめた。電子メールや堅苦しい文体で書かれている報告書なるものが表示されており、内容としては選手が何やら物騒な実験の被検体にされたらしく、その過程や結果が添付されている。

「選手達のデータも入ってたが、ハイドリート以外の地域から集められた連中ばかりだった。無理矢理か、或いは報酬で釣ってここへ来させたんだ。興味深いのは…この画像と報告」

 説明をしながらジョージが指し示した画像には、片方の眼がエメラルド色に変色している被検体と、黄金色に変色している被検体の二通りが映し出されている。『今の所確認できたのは、この二つのパターンのみ』というメッセージも付いており、屈強な体を持つことを前提に人種や性別、身長などの細かい指定をした上で新しい被検体を寄越すよう催促がされていた。

「この黄色の瞳…ムラセちゃんのと同じじゃないか ? 色によって肉体に保有できる魔力がどうとかも書いてる」
「うん、間違いない」

 ジョージが軽く流し読みをして問いかけると、リリスも恐らくそうだろうと同意する。

「瞳の色がどう魔力と関係あるんだ ?」
「簡単に言うなら肉体に保有できる魔力の量とその強さが分かる。そして、相手の力量をそこからある程度は予測も出来ちゃう。下から順に緑、黄色、赤…本当はもう一つあるらしいけど、それは異例中の異例だし。私も見た事ない」
「じゃあムラセちゃんは…」
「同じ色同士でも格差はあるけど、まあ真ん中ぐらいだよね。だけどあの子まだ若いし、伸びしろは十分」

 ジョージが目の色と魔力の関連性について尋ねると、リリスは大雑把に答えながら離れて壁の方へもたれ掛かる。少し考えていたジョージだったが、やがてデータを写し終わったUSBを抜いて机の上に腰を掛けた。

「半魔を作ってるのか… ? だから見込みのありそうな人間を集めて…」

 ジョージは頭を指で掻いてから呟く。そして取り押さえられているオーナーの方を見た。完全に意気消沈しており、殺意しか感じられないイフリート達に囲まれている事で緊張しているのか脂汗が滲んでいた。

「このメールと報告書は誰から送られて来たんだ ?」

 オーナーの方を見ながらジョージは強めの語調で質問をする。

「そ、それは言えない…言ってしまったら…」
「じゃあこうしよう。答えるか、玉潰されるか、一本ずつ歯を抜かれるか。二秒やるから選んで」

 何かを恐れているらしいオーナーは必死に拒否する。しかし、リリスが目の前に立って彼の顔を掴みながら脅しをかけると、歯をガチガチと言わせて震え上がった。

「う… ! ぐぅ…っ!!」

 その時、突然オーナーが呻き始める。様子がおかしいと気づいたリリスが少し距離を置くと、いきなり床へ血を吐き出し始めた。そのまま苦しそうに悶え続ける。

「おい何したんだ⁉」
「いや、何もしてないけど…」

 混乱するジョージがリリスへ怒鳴るが、当の本人もキョトンとした様子で眺め続ける。やがて項垂れて倒れ伏したオーナーの背中を、奇妙な生物が食い破りながら這い出て来た。ゲジゲジを彷彿とさせる脚の多さだが、よく見ればそれらは全てか細い人間の手足で構成されていた。薄っぺらい胴体を含めてごつごつとしたイボに覆われ、伸びた触角の先にはぎょろりとした目が付いている。

「キャアアアアアア‼」

 胴体に付いている昆虫の顎にも似た口を広げ、甲高い鳴き声を上げてから動き出したその奇怪な生物は、間もなくイフリートが口から放った火炎弾によってオーナーの死体ごと滅却された。イフリートは頬が裂ける程にまで口を広げており、喉の奥から黒い煙が少しだけ上がっている。

「あ、ありがとう…今のは一体 ?」

 拳銃を抜いてはいたものの、ジョージは腰を抜かしそうになっていた。そのまま裂けてしまった口を閉じようとしているイフリートに礼を述べ、続けてリリスへ先程の生物について尋ねる。

「ウェジバグって呼んでる」
「デーモンか ?」
「その通り。雑魚ではあるけど…何で体の中にいたのやら」

 リリスも少し驚いているらしく、ジョージの質問に答えて首を傾げた

「…とにかく、一回戻ろう。一通り情報も整理したい」

 そう言ってからジョージが拳銃を仕舞うと、同意するかの如くイフリート達も動き出す。そして死体だらけとなった帰路の中で腹が減ったと雑談をし始めていた。



 ――――二手に分かれて活動を開始した頃にまで話は遡る。早めに店に向かっておこうと、ドレスを纏ったムラセとベクターはマッドオウルの前で開店を待ち続けていた。

「いいかムラセ…ああ、違う。ゴホン…いいかしら、ムラセちゃん ? 設定忘れてないわよね ? 私が最近、このお店の話を聞きつけてあなたを誘った。片方の耳にガーゼを当てているのは怪我をしたから。良いわね ?」

 レクイエムの存在がバレないようにと、両手に手袋をはめているベクターが気持ちを切り替えてから話しかけてくる。バッグの持ち方や身振りまでなり切ろうとしていたが、そのシュールさのあまりムラセは出来る限り距離を置きたいとさえ願った。

 因みにベクターの片耳に当てられているガーゼには、タルマンと連絡を取るためのイヤホンが仕込まれており、二人の服の中にもそれぞれ盗聴器が供えられていた。タルマンは遠くからそれで状況を確認しつつ、ベクターへ指示や報告をするという魂胆である。

「分かってますって…」

 不安を抱えつつ、ムラセは眼帯で隠している目の心配をしていた。次第に背後には行列が出来始めていたが、やはり全員ベクターの事が気になるのか少しざわついている。店の前で待機するために出て来たスタッフも面食らったかのように硬直していた。

「先輩…あれ、どうします ?」 

 新人が思わず隣に立っていた相方へと話しかける。視線の先に立っているのは勿論ベクターであった。

「ああ、まあ別にいいんじゃないか ? そういう趣味の人もいるだろ」
「そうじゃなくて、あれ話に聞いてた奴らじゃないですか ?」
「…マジで ? 思ってたのとだいぶ違うな」
「念のため、荷物検査した方が…何か企んでるかも」
「だな。やるしかないか」

 話し終わった二人の従業員は頷き合って列の方へと向かう。こちらへ向かって来る彼らの様子を見たムラセは、早速怪しまれたかと焦り始めていた。

「皆様、間もなく開店ですがその前に手荷物検査とボディーチェックをさせていただきます ! 専用の係が行いますので少々お待ちください !」

 声が聞こえるや否や、突然の催促に対して列からは愚痴が聞こえてくる。そしてムラセは動揺した様にベクターの方を見た。盗聴器の存在がバレてしまえば、確実に店側も対応を変えて来る筈である。

「よし、ゴネ得作戦だ…ねえ、お兄さーん ! ちょっと良いかしら ?」

 ベクターはコッソリと呟き、手を上げてから大きな声で従業員たちを呼び始める。

「い、如何なさいましたか ?」
「如何したも何も…この間までこんなチェックやってなかったじゃない。何で急に?」
「えっと…セキュリティに関する事情がございまして、ご協力をいただければ幸いです」

 手荷物検査を始めとたチェックが無い事や店の営業時間など、下調べをしておいてよかったとベクターは安堵し、相変わらず大げさな態度で話をしていた。従業員も目を泳がせつつ対応するが、こんな不審者であろうと接客をしなければならない彼らの境遇を前に、ムラセは思わず同情してしまう。

「だから、そのセキュリティの事情とやらを話して欲しいの、包み隠さずよ。どんな理由があって普段はやっても無い客の体を弄るなんて破廉恥な行為がまかり通るわけ ?  ここにいる私たちの何がマズいのかしら?」

 淡々と、しかし怒りのボルテージを上げていくような物言いを続けるベクターを見たムラセは、こんなクレーマーたまにいるなと既視感を抱いていた。

「…ああ、それとも何 ? 私が原因だとでも言いたいの ? 体中が傷だらけで筋肉質な女装した男が、女の子ばっかりいる店に入ったら何しでかすか分からないと ?」
「いえ、そういうわけでは――」
「じゃあ説明しなさいよ。今日という日に限って何でボディチェックをやろうなんて言い出したわけ ? 」

 列の後ろにいる客だけではなく、近くを通る通行人にも口論が聞こえて来たのか足を止める人が増え始めた。野次馬がチラホラと現れ、退くに引けない状況になりつつあるのを従業員とベクターはヒシヒシと感じ取る。

「も、もうやめません ? …それぐらいにしとかないと…」

 演技なのか、それとも本気で止めるつもりなのかは分からないが、ムラセも仲裁に入ろうとする。

「ダメよムラセちゃん。こういう時こそ退いたらおしまいなの。意外な拍子に差別って始まるんだから…ねえ、皆さん聞いてください ! このお店はわざわざ体中を弄らせて、プライバシーも何もかも大っぴらにしないと中にすら入れてもらえないんですって ! 差別よ差別 !」
「お、お客様 ! どうか落ち着いて――」

 ベクターがさらに大声を張り上げ、野次馬へ聞こえる様に店の対応が酷いと主張し始める。明らかに語弊がある物言いであり、このままでは風評被害に繋がりかねないと従業員たちも動き出そうとした時、入口から黒いスーツに身を包んだ若い男性が現れる。金髪の凛々しい顔つきをした眼鏡の男性だった。

「失礼、騒ぎが起きていると聞きつけたもので」

 男性は静かな口調で割って入る。

「もしかして責任者の方かしら ?」
「恥ずかしながら、当店で支配人をさせて頂いてるジャクソンと申します」

 ベクターが尋ねると、男性はお辞儀をしながら自己紹介をして始めた。

「支配人さん、どうか聞いて頂戴。この間までやってなかった筈なのに、いきなりボディチェックをやるだなんて彼らが言い出して…もし、事情があるのなら説明していただけないかしら。筋の通る理由が無いのに、他人に体を触られるなんてあり得ないわ」

 ベクターが相変わらずのわざとらしい口調で経緯を話すと、ジャクソンは一度だけムラセの方を見た。目が合った瞬間、僅かに口角が上がった事をムラセは不審に思うが、そんな事を知る由もない彼はすぐに従業員たちの方へ睨みを利かせてベクターへ深く頭を下げた。

「…お客様、誠に申し訳ございませんでした。このような事を無許可で行った点につきましては、後で私の方からも厳重に注意をしますので何卒お許しください。ボディチェックは行いませんので、皆様もどうかご安心を」

 ジャクソンは周囲に詫びを入れ、「さあ、待ちくたびれた事でしょう」と付け加えながら店のドアを開けて招き入れようとする。ホッとした様子のベクターは、微塵にも思ってない謝辞の数々を述べながらムラセと共に歩き出す。

「いつの時代も被害者面が出来る奴って得するんだよな」
「一回地獄堕ちた方が良いですよ。ホントに」

 上手く行った事を小声で喜ぶベクターだが、ムラセはそんな様子を失望や軽蔑的な眼差しで見つめ、初めて彼に毒づいて店へと入って行った。
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