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パート1:ようこそ掃き溜めへ

第6話 血も涙もない

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「いらっしゃ…チッ、お前らかよ」
「俺達が来なかったら、誰もてめえのクソ不味いラーメンなんか食わねえだろ」

 うっすらと頭皮が見える程度に禿げた亭主が屋台で仕込みをしている最中に、ベクター達はのれんをくぐって席に着いた。また面倒な常連がやって来たと愚痴をこぼす彼に向かって、タルマンは冗談代わりに暴言を吐く。初対面であれば確実に叩き出されていただろうが、顔見知りの特権によって許された。

「二人共いつもので良いか ?」
「おう」
「ああ。俺のはチャーシュー四枚にしてくれ」

 亭主は面倒くさそうに注文を取り、ベクターはそこにトッピングをして欲しいと頼むが逆に怪訝そうな顔をされてしまう。

「…どうせまたツケにするんだろ ?」
「バレたか」
「しょうがねえなあ…いい加減これまでの分も払ってくれよ。八万だぞ、八万ギトル」

 いつもの事ながら、亭主はこの後に二人が何を言い出すかを心得ていた。ベクターも観念していたが、亭主は支払いの催促をするだけで大人しく調理に取り掛かり始める。ひとまずはオーケーが出たと二人は喜んだ。因みにギトルとはこの世界における通貨である。

 しばらくして用意されたのは胡椒の香りが強く、大変薄味なラーメンだった。二人は割り箸のささくれを取ってから幸せそうに手を付ける。非動物性の安っぽい成型肉で作られたチャーシューも乗っており、値段以外には特段褒められる要素の無い料理である。二人は当然だがビールも頼んでいた。

「前金!?そんな物があるなら払ってくれれば良いだろ !せめて今日の分くらいはよお !」

 暫く食べ進めた頃、仕事の近況についてベクター達が話していたのを聞いた亭主が大声で問い詰めた。

「色々払わないといけない物があるんだよ」
「何ぃ ?じゃあ、俺の店は払わなくてもいいって思ってんのか!?」

 ベクターが一応説明をするが、亭主は増々機嫌を悪くする。

「優先順位ってやつだ…大体、金があればお前の店になんか来ねえよ。俺達以外に客いんのか ?この店」
「クッソ~黙って聞いてれば… !今日という今日は我慢ならねえ !」

 ビールですっかり気分の良くなったタルマンが割って入り、亭主をさらに煽る。当然それで引っ込むほど亭主もヤワでは無かった。タルマンへ掴みかかりながら彼を罵り、タルマンもそれに応戦する。毎度こんな調子であるため、ベクターは止めようともせず二人を見ていた。

 その時、背後にある路地裏から騒がしくなる。何か重い物が地面に倒れ、水たまりによって飛沫を上げた様な音も聞こえた。振り返ってみれば厳つい二人の男によって、一人の貧弱そうな少年が地面を這いずり回っている。

「そ、そんな…持ってないですよ」
「またまた~…俺達ぁ見たんだぜ ?お前が本屋から出てくる所」
「どうせ漫画以外買うもんねえだろ 。ちょっとくらい分けてくれよ ?な ?」

 そんな調子でチンピラ達に絡まれているのは眼鏡を掛け、いかにもひ弱そうな青年だった。通行人や周囲にたむろしている人々は当然助けてくれる訳が無い。暫くすると無理やり起こされてから、路地の壁へ押しやられていた。

「…すぐ戻る」

 飲み終わったビール瓶を片手にベクターは席を立ち、そのまま彼らの元へ向かう。タルマンはそれをニヤけながら観戦し始めた。

「はいごめんよ」
「な、なんだてめえ!?」

 ”わざと”千鳥足気味に歩き寄ったベクターは、チンピラの兄貴分と思われる巨漢を制止した。相手側も当然ながら乱入者に驚きを隠さない。

「お兄さん。ダメだね~カツアゲしてるんだろ ?」
「それがどうしたってんだ !兄貴の邪魔をするってんなら痛い目見てもらうぜ ?」

 ベクターが彼らの目的を言い当てると、舎弟らしき腰巾着男が凄んでくる。そんな彼を無視してベクターは話を続けた。

「てんでダメ…俺が言いたいのは、やり方が下手すぎって所なんだよ」
「何だと?」
「いいか…こういうので大事なのは自己紹介だ。まずは自分が何者なのか、どういう奴なのかをアピールしなきゃならない。いきなり現れたセールスマンが会社の名前も教えようとせずに商品を買えと頼んできた所で、そいつの話を聞く気になるか ?」
「た、確かに…」

 ベクターは彼らへ淡々とカツアゲの極意を語る。時たま青年に睨みを利かせて逃亡を牽制している彼を見る内に、チンピラ達も味方だと思うようになったのか素直に話を聞いていた。

「まだある。アピールするにしても言葉数を減らす。行動で示せ…『弱い犬ほどよく吠える』だ。どれだけ口で言った所で、何もしてこなきゃ次第に恐怖心は薄れてしまう。カツアゲは一発勝負…どれだけ自分が逆らったらマズい奴なのかを相手に教えてやれるかどうかで決まる。俺だったら例えば――」

 ベクターは説明を中断すると、そっと持っていたビール瓶を青年の顔の横へと持っていく。そして彼の頬をトントンと軽く叩いた。

「まず顔面に一発入れる」

 青年が震えている姿を少し見てから、ベクターは瓶を持ち替えて巨漢の男へそれを差し出す。

「さ、試してみろよ」

 ベクターがそう言うと、巨漢の男はやたらと自分の顔へ近い場所に差し向けられている瓶を恐る恐る掴んだ。

「…バーカ」

 次の瞬間、ベクターがコッソリとそう呟く。直後に瓶の底を強烈な勢いで叩き、巨漢の男の口へと押し入れようとする。さほど力を込めてなかったせいか、瓶は男の手をすっぽ抜け、前歯を破壊しながら口の中へぶち込まれた。

「おごぉっ!!」

 えずいてしまう男だったが、間髪入れずにベクターは彼の顎へ拳を打ち込んだ。アッパーカットによって顎と奥歯、そして口に入っていた瓶が砕ける。まもなく男は地面に手をついてそれらの残骸や血が混じった唾液を吐き出し始めた。ベクターはトドメの一押しに足で彼の後頭部を踏みつける。勢いあまって地面に顔が叩きつけられ、やがて男は動かなくなった。

「あ、兄貴… ?」

 呆気に取られた様子で一部始終を見ていた舎弟は、ようやく状況を飲み込んでから自分の兄貴分の元へ駆け寄る。一度ベクターを睨んだものの、彼が放っていた殺気に気圧されてしまい、必死に巨漢を引き摺りながら逃げて行った。

「ありがとうございました !ホント、どうなるかと――」
「あー、いやいや。そういうのは良いんだ。ちょっとお願いしたい事があってな」

 青年が泣きそうな顔で礼を言いかけるが、ベクターはそれを遮って彼の肩に手を置いた。

「金くれない ?三千ギトルぐらいで良いんだ。「今日の分くらいは払え」ってラーメン屋がうるさくてさ…」

 へりくだった態度を取るベクターから聞いた瞬間に、青年はようやく理解した。自分は助かったのではなく、カツアゲをしてくる相手が変わっただけなのだと。彼がわざわざ暴漢たちを痛めつけたのも「言う事を聞かなければお前もこうなるぞ」と脅す目的があったからの様にさえ思えてしまった。

「け、結局カツアゲするんですか…!?」
「何だと!?お前、俺が来なかったら身ぐるみ剥がされてたんだぞ !それぐらい貰ったって罰は当たらないだろ !」

 青年が怯えながらも反論すると、ベクターは服の襟首を掴んで彼を揺すりながら怒った。遠目で見ていたタルマンは相変わらずだと笑っていたが、屋台へ近づいて来る人影に気づくとその顔が一気に凍り付いてしまう。

「マスター、ごめんね。後で弁償するから」

 屋台へ近づいて来たのはエプロンを纏った金髪の女性だった。一言だけ亭主に詫びを入れてから近くにあったフライパンを掴み取ると、そのまま青年と問答を繰り広げるベクターの方へ向かう。彼は気づいていない様子だった。

 次の瞬間、女性はフライパンを使って全力で彼の後頭部を殴った。悲鳴を上げながら目の前で倒れるベクターに青年は驚き、とんでもない事をしでかした女性と彼を交互に見た。

「クッソ…何しやが…あ」

 憎しみが籠った目と共に背後を振り返ったベクターだったが、そこにいた女性を見るや否や血相を変えた。

「やっほー」
「…ご、ご無沙汰でーす」

 笑顔ではあるものの、明らかに目が笑っていない女性からの挨拶に対して、ベクターは腰を低くしながら返事をする。

「すんげえタフだなあ。俺のフライパンが凹んでやがる」
「ビックリだろ ?あれぐらいしないと痛がらねえんだよアイツ」

 亭主とタルマンが呑気にそんな話をしている一方で、耳を引っ張られながらベクターは立ち上がらせられてしまった。

「何で俺の場所が分かったんだ ?」
「窓から仕事道具が見えたのよ。あんなデカい剣をリビングに置かれてれば誰だって帰って来た事に気づくわ。どうせこの辺りで食事してると思ったけど…来て正解だったみたいね」

 頭を擦りながらベクターが尋ねると彼女は呆れた様に説明をする。何を隠そう、彼女が大家であった。

「それより家賃は ?仕事行って来たんでしょ ?話を聞いたわよ。また密輸船を拿捕したって」
「ええ… もう少し待ってくれないか… ?今回はあんまり金にならなくてさ…報酬だって、いつ支払われるかも――」
「前金を貰ってるでしょ ?出して」
「何でそこまで知ってんだよ…」

 家賃の催促をして来る大家に対して、ベクターはどうにか誤魔化そうとするが何の意味も無かった。

「答えて。貰った前金はどこ ?」

 大家は一度ベクターに尋ねた後にタルマンの方も睨んだ。

「…ズボンの後ろポケットにある」
「おいジジイ。お前、後で殺すからな」

 彼女を敵に回したくない一心でタルマンは告発し、ベクターは彼へ憎しみを募らせた。しかし結局は、フライパンをチラつかせる彼女へ諦めた様に手に入れた前金を差し出す。

「ま、こんなもんか。今月はこれで良いけど、あと一年分くらい滞納してるのは忘れないでね」
「…はい」

 金額を数えた大家は釘を刺してから立ち去る。彼女に対してベクターは、ただ顔を俯かせて頷くしかなかった。

「…一応、四千ギトル。置いときますね」

 なぜか憐れみに近い情が湧いたらしく、青年は屋台のカウンターへお金を置いてどこかへ行ってしまう。ベクターは静かに席へ戻り、ビールを一気に呷った。

「何が一年残ってるだ…あの強欲女 !」
「いや、お前らが悪いだろ」

 落ち込むベクターが大声で怒鳴ったが、亭主はゴミを見るような目で彼に冷たく言い返す。結局、彼らが帰宅するのは夜が明ける頃であった。
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