怨嗟の誓約

シノヤン

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5章:鐘は泣いている

第170話 想定外の出来事

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風の鎌ブライ・パルザ

 指で横一線をなぞるように、ロウルが間髪入れず呪文を唱えた。その声こそ聞こえなかったが、僅かに空気の流れが変わった事でルーファンはすぐに攻撃を察知する。問題はどう来るのか…彼にとって自分達が見える位置にいる以上、各個撃破する意味はない。つまり同時に仕留めるようにするだろう。何よりわずかに見えた指の動きからして、恐らく横薙ぎにするような形で攻撃が来る。

大地の盾ラスア・シルバリ!」

 ほぼ同時とも言えるタイミングでルーファンが即座に唱えると、床の一部が勝手に剥がれて壁の様に立ち塞がってくれる。その壁には横一線に鋭い切れ込みが入ったが、もしそのまま食らえば上体と下体が切り離されていただろう。辛うじて壁がサラザールと自分を完全に遮ってくれた以上、態勢を整え直す機会が生まれる。その筈だった。

風の砲撃ブライ・カラストゥ

 ロウルは素早く両手を銃の様に見立て、二人がおおそよいるであろう方角に指先を向ける。風が吹き荒れ、凝縮し、そのまま壁の向こうにいる標的へ突撃する。<風の流派>は魔力によって小さく濃縮すればするほど、威力は強力になっていくのだ。それこそ、家屋の床で作った脆い壁程度ならば容易く砕ける。

 二人の目の前の壁が砕け、突風が衝撃となって腹を貫いた。怪我こそないが、さながら砲弾がぶつかったような勢いであり、口にこれから吐き出す予定の吐しゃ物をこみ上げさせながら、ルーファンは壁を突き破って外に放り出される。地面と激突し一度バウンドしてから少し転がってうつ伏せになると、呼吸を整えるためにようやく口の中の汚物を吐き出した。口内がとにかく酸っぱい。

 この時、ルーファン達は気づかなかったのだが、遠くの茂みから望遠鏡と共にそれを窺う者がいた。リミグロン兵である。しかし加勢をすることなく移動用の光の壁を出現させ、その中へと消えていった。

「時間が無い」

 空中で翼をはためかせ、ルーファンの元へ飛来したサラザールが呟いた。あのロウルとかいう男は想像以上に実戦慣れしている。

「…ああ。やろう」

 ルーファンも疑おうとすらせず、迅速に仕留めるための切り札を出す事にした。すぐさまサラザールが片手で彼を引き起こし、首筋に噛みついてくる。その直後にロウルも姿を現した。自分の周辺に突風を巻き起こし、空を飛行する<風の流派>特有の移動技術によってそのまま外に飛び出すが、黒い靄が嵐の如く吹き荒れる光景に嫌な予感がしたのか、すぐに高度を上昇させる。

風の砲撃ブライ・カラストゥ !」

 そして呪文を唱えると、先程の狙撃とは違って風による衝撃波を雨あられのように降り注いだ。地面は抉れ、邸宅の一部は損壊し、黒い靄も衝撃によって吹き飛ばされた。

「いや…」

 撃ち尽くしたロウルは油断をしなかった。これで終わりな訳が無い。既に分かっていたのだ。この程度で死ぬような者なら、今日まで生きて来られるわけがない。何より、あのカニユス・リピダがわざわざ”あのような話”を自分に持ち掛けたりはしない。案の定、その不安はすぐに的中した。黒い靄を腫らしたと思った直後、闇夜の中でも分かるほどに漆黒な影がこちらに迫ってくる。<バハムート>であった。

「チィッ」

 舌打ちをし、飛行しながら突撃を躱すのだが<バハムート>はすぐに態勢を変えて、再びこちらへ翼をはためかせて突進をしてきた。手には漆黒に染まった巨大な剣を持ち、それを一度振りかざすと黒い靄が放たれた。皮肉にも”風の鎌”が放つかまいたちの様に剣から放たれた靄は、たちまち巨大な刃となってロウルへ襲い掛かる。これもまたギリギリで躱しこそすれど、避けた先にあった邸宅に靄が直撃し、信じられない事に建物を一刀両断してしまっていた。

 そこからさらに、<バハムート>は間髪を入れずに黒い靄を斬撃として次々に放ってくる。避けるので精一杯の巨大さと、触れた瞬間に自分の体が取り返しのつかない事になるという直感的な恐怖がロウルに回避を徹底させた。

「バカな…聞いていないぞ…⁉」

 攻撃が止む直前、ロウルは森の中に飛び込んで木陰に隠れた。ルーファン・ディルクロという男が使う力の話は断片的には耳にしていたが、これほどの強大さがあるとは思っていなかった。

「グルゥ…グアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 月夜に照らされ、今度はルーファンが宣戦布告の様に叫びを轟かせる。その姿には、邪悪な殺意があると同時にこの世の物とはおもえない神々しさがあった。



 ――――その戦いが起きるより少し前、ホフマン夫人は自宅の見回りをしていた。いつもなら手伝い達に任せるのだが、この日だけは自分がやると言い聞かせていた。どうにも落ち着かないのだ。その彼女の動悸を速める出来事がすぐに起き始める。

 話し声が聞こえた。談笑といった微笑ましい物とは違う、可能な限り声を潜めているが決して隠すつもりの無い、ある種の覚悟を感じる声が漏れ合っていた。

「…あいつらも…間もな…るだろうな」
「防衛…場…他の…どうする ?」
「そこは皆…任せ…」

 何を話し合っているのだろうか。夫人が恐る恐る声がする部屋の扉を叩くと、ジョナサンからの「どうぞ」という声を耳にする。新聞記者である以上、夜遅くまで情報収集かと思ったのだが、部屋の中には思っていたものとは違う景色が広がっていた。皆がいたのだ。今日の襲撃で出払う予定の筈であったフォルトやアトゥーイがそこに佇んでいる。ルーファンとサラザールはいないが、その代わりにガロステルとタナがベッドに座ってこちらを不思議そうに見ていた。

「えっと…」
「ああ夫人、これは失敬だった。ベッドにいる二人は我々の仲間でね。怪しむ必要は無い。ホフマン殿には許可を取ってある」
「わ、分かりました。ただ、今晩は確か襲撃が…」
「それについてなんですが、土壇場で予定が変更になりましてな。我々はこうして町に残って待機してくれと。全く…あの男の無茶ぶりには困ったものです」

 ジョナサンが事前に考え付いていた言い訳を捲し立てる間、夫人は呆然としたように頷くだけであった。

「そ…そうだわ。せっかくだし、お茶でも淹れておきましょうか」
「おお。それは有り難い。丁度口が寂しいと思っていた頃ですから」

 夫人は尋ねてからそそくさと出て行くが、それを見送ってから一同は視線を合わせて静かに頷く。再び、一同は他愛も無い会合を始めるが、ジョナサンはそこには混ざろうとしない。

「出番だぜ~」

 忍び足で暖炉に灯っている橙色の炎へジョナサンは近づいてから、一際小さくした声でそっと囁く。それに呼応するかのように、炎が音を立てて煌めいた。
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