怨嗟の誓約

シノヤン

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5章:鐘は泣いている

第165話 異常なし

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 <障壁>の向こう側には、のどかな草原が広がっていた。嵐が運んでくる湿気によって草木にはほんのりと水滴が纏わりつき、日の光によって煌めいている。その雑草を踏みながら数組の家族連れが、長銃を持ったまま指導員に引きつられれて散策をしていた。彼らは軍の士官候補であり、野外への外出という事もあって一人残らずはしゃいでいた。その彼らの背後には、どこかの国から仕入れたらしいかなり大型のガヨレルがおり、背中に大きな台座と複数の椅子が備えている。

 一人の男がふんぞり返るようにそこに居座っていた。隣に座っている愛人の服に手を突っ込み、乳房を弄りながら下品に瓶の酒を呷っている。既に初老にも近い筈の男だが、髪は艶のある黒で慎重に整えられており、老け込み方もさほど酷くはない。ストレスも無く、何不自由なく生活している事がありありと見て取れた。顔は…狸のような印象を受ける穏やかな顔だがさほど良くも無く、その割には自信ありげな笑みを浮かべているダサい眼鏡が特徴の気持ち悪い男であった。

「しかし、何とも光栄な事だろうか ! 我が子の射撃訓練に、まさか同志ターリナーが見物に来てくださるとは !」

 家族連れの一人が背後を見てにこやかに言った。

「はっはっは ! 未来ある子供たちの元気な姿を見るのは、私の楽しみでね ! 国の指導者たるもの、こうして休みの日に元気に過ごす民を見る事で実感するのだよ。私の進んできた道が間違っていないという事に」
「流石ですね、ターリナー様」
「おいおい、”様”はよしてくれ。今日の私はただの一政治家であり、見物者だ。諸君らも気を遣うことなく存分に学び、同時に楽しみ給え !」

 愛人に褒められると、いかにも民を気遣わせる事の無い気さくな主君を演じるかのようにターリナーが大声で言った。人々が感謝を述べ、「やはりターリナー様は器の大きい方だ」と口々に褒める度に彼は勃起でもしてしまうのではないかというくらいに高揚する。皆が自分を讃え、注目し、神の如く立て祀ってくれる。これほど心地いい快楽など、愛人との性の営みでも味わえまい。何より手軽だ。民衆というのは、ほんの少しこうして庶民派だと演出してしまえば簡単に騙される愚図しかいない。

「今の所異常は無し…か」

 遠くから彼らの後を付け、周辺の警戒をしている二人組の兵士の内の一人が言った。

「そうですね。所で質問なんですが…ターリナー様の隣に居る方は一体 ? 奥方は―――」
「しーっ、ありゃ四人いる愛人の内の一人だよ…だが言っちゃ悪いが、今じゃカミさんの方より溺愛してる。議会や会合に無許可で招いて傍聴席に座らせたり、そのうち議員として選挙に立候補させるつもりらしい。自分の反論してきた連中相手に取り巻きと一緒に、ヤジを飛ばして罵倒してくれるから都合が良いんだろうな。ああいうイエスマンってのは。本人は”妻は許してくれてる”なんて言ってるが、どこまでが真実やら…「被害者から許しを貰った」なんて言葉を加害者が言ったとして、お前は信用できるか ?」
「いえ全く」
「だろ ? ここ最近は夫婦で一緒にいる姿すら見なくなってるのが答えってわけだ…誰にも言うなよ ? 思想の自由ってやつだ。後でビール飲ませてやる」
「はいはい、分かってますよ」

 ヒソヒソとした声で鬱憤を晴らす兵士達だが、列が歩みを止めた事に気付いて背筋を直し、辺りの警戒に再び神経を研ぎ澄ませる。一方で、列の前にいた指導官が威勢よく振り返り、子供達に笑いかけた。

「よし皆 ! ここまでよく頑張ったな ! 遠足とは言ったがこれも立派な訓練だ。なぜなら…いよいよ本格的な射撃訓練に入るからだ !」
「わーい !」
「やったー !」

 子供達は意気揚々と飛び跳ね、その親たちは彼らの姿を見て微笑んでいたのだが、どこかぎこちなかった。

「気持ちは分かるぞ ! 的を撃つだけの練習では飽きが来るからな。しかし、同志ターリナー様のお陰で、我々は”標本”使って本格的な練習が出来る。皆、同志ターリナーに感謝をするんだ !」
「はい ! ターリナー様 ! ありがとうございます !」

 指導官の合図によって、子供たちはかしこまってから背後にいるターリナーへ深々と一礼をする。何度も練習した甲斐あって息はぴったりと合っており、ターリナーはこれまた満足げに手を振り返す。

「指導官、質問があります !」
「どうしたんだ ? 言ってみてくれ」
「はい ! ”標本”たちは、元々は人権を保有していたこの国の民という事は前の授業で聞きましたが、撃ち殺しても大丈夫なのでしょうか ?」
「ああ。戸籍が無い上に、この国の法律上”標本”には人権が適用されない。勿論事前に許可を取っている…いや、それどころか自ら名乗り出てきてくれたんだ。既に年を取り、先の短い人生だからこそ子供たちの役に立ちたいとね。だからこそ我々は”標本”たちに感謝しなければならない。そして、この国…更には民を信じて助けようとしてくださっているターリナー様にいつか報いなければならないんだよ」

 子供達は指導官の教えに深く思慮をせずに頷く。そして異論が出てこない事を指導官は確認し終えてから、仕切り直すために手を一度叩いた。

「さあ、それじゃあいよいよ射撃訓練を始めよう ! 今並んでいる順番で一人ずつ、”標本”を撃ってもらうぞ。さあ前に来て…そうそう。あそこの距離を置いて並んでいる岩と岩が見えるかい ? 私が笛を吹くと、その間を標本が走り抜けるから落ち着いて、練習を思い出しながら撃つんだ。大丈夫さ。君なら絶対にできる !」

 前に出てきた最初の少年に対し、指導官は優しく励まして銃を構えさせる。体の各部位における余計な力みを捨て、その一方でぶれが生じない様にしっかりと握り締める。そして肩に銃床を押し当ててその瞬間を待つのだ。準備が出来た少年に機会が訪れたのは、指導官による甲高い笛の音が響いた直後だった。

 右端の岩の影から”標本”の姿が見えた。目の部分だけ開けたずだ袋を頭部に被せられ、裸のまま惨めに、無様に、弱々しく左端の岩陰に向かって走っている。しかしその速さは歩き慣れてない子供の家畜に毛が生えた程度である。簡単に狙える。少年は小さく息を吐いて呼吸を止めた。

 やがて引き金が引かれ、火薬の破裂音が響いた頃には”標本”が倒れていた。岩陰から別の兵士が現れ、”標本”の姿を確認する。弾丸は脇腹に命中していた。まだ悶えているその標本のずだ袋を剥ぎ、発砲音が聞こえない様に鼓膜を破った上で耳栓を付けている頭部を露にしたが、やがて躊躇いなく兵士は喉を掻っ切ってとどめを刺し、赤い旗を振り上げて左端の方へと引き摺って行った。

「命中だ!!」

 指導官は嬉々として叫び、子供達は少年へ歓声を上げる。顔を引きつらせ、本音をひた隠しにしている大人たちも拍手によって成功を讃えた。その後も同じ様に、笛を吹くたびに”標本”たちが姿を見せ、子供達は順番を守りながらも興奮した様子で弾丸を飛ばし続ける。頭を吹き飛ばした時に至っては、仕留めた者に全員で駆け寄って抱擁して喜んで見せるなど、さながらスポーツの試合にも似た微笑ましさである。ただ兵士達はそれを喜んではいなかった。頭を吹き飛ばすと、脳髄や頭蓋骨が余計に飛び散るせいで片づけが面倒なのだ。

 なんて事は無い。ターリナーへ支持を表明した上級国民達による、他愛も無いこの国の日常の一幕であった。
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