怨嗟の誓約

シノヤン

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5章:鐘は泣いている

第164話 これが現実

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 誰もが死んだように黙っていた。いや、言葉を見つける事が出来なかった。目の前で起きた惨劇を受け止めきれずにいた。その惨さ自体に恐れをなしたのではない。これが為政者によって、あたかも正当且つ崇高なものとして扱われているという事実が、一同を混乱と不愉快感の沼に沈めてしまったのだ。

「…これは、いつからこんな事に… ?」

 窓から距離を置き、壁に背を預けたフォルトがサンナウスを見た。

「数か月は経過しています。まともな財源も見つけられないまま税収を無くせば、行政や福祉に支障が出る事など分かり切っていたというのに…しかし奴らは、それを認めたくないが故に次の行動に出ました。税収によって賄うなんて事はしないが、金は必要…そこで始まったのがこの施策です。この国に住む者達の戸籍情報を基に、齢が七十を迎えた者達を切り捨てに掛かり出しました。七十を越えれば最後、全ての人権と資産の所有権を国に剥奪され、あのターリナーの支持者たちによってどこかへ連行される。どうなってしまうのかは、一部の人間にしか知らされていない。だが微かに残った情報筋によれば、少なくとも人道に則した待遇が待っているわけがないとだけ」
「そんな…」
「そして悲惨な事に、この施策を支持して協力する者達は皆成人になった若い世代です。この国の福祉と行政が窮地に陥っているのは年寄り達のせいであり、彼らを処罰せねば未来は無いとターリナー達が喧伝するや否や、熱狂して大喜びで老人狩りを行う自警部隊に加わり始めました。外での光景を見たでしょう。対立を煽り、何の罪も無い民同士で協力をする事が出来ない様にしてみせたのです。自分の権力の維持のためだけに」

 フォルトへ淡々と語るサンナウスだったが、その表情は暗かった。こんな物を嬉々として語るような人間がいてたまるかと思いたいところだが、少なくともネゾールには行動に移して見せる人間が腐るほどいるというのが現実である。ジョナサンはその言葉と感情を読み取り、ペンを走らせて簡潔に記録を済ませ、一息つくために窓の外を見る。民衆が殺された母子を、すまないと謝罪しながら吊るしている真っ只中であった。

「確かに高齢者の扱いをどうするのかというのは、国家において幾度となく論争になっている物だ。我が国もそうでね…国を維持するための費用か人権か、その二つを天秤にかけた上で口喧嘩を始めるのは、インテリ気取の凡人どもの十八番だ。実際…支持する人間がいる理由についても、否定し辛い部分がある」
「ほう、ならあなたはターリナーの行いに一定の理解があると。今の発言はそう捉えられてしまう可能性がありますよ、ジョナサン」
「自分の好感度を上げるためにこの話題を利用する。その着眼点を僕は褒めただけだ。アトゥーイ、どうか誤解しないでくれ。こんな事が許されるのは、文明社会の敗北と言ってもいい」
「…ええ…金銭へのがめつさはともかく、あなたはそこを見誤る様な男ではない。失礼しました」
「罵倒が混じってると感じたのは気のせいでいいのか ?」

 少し気の抜けた会話をアトゥーイとジョナサンが繰り広げる傍ら、ヨヒーコトスは街の様子を見ながら道中の案内人をしてくれた男の方を向く。

「亡命を企てようとする者はいないのか ? これほどの状況だ。国外に活路を見出す者がいてもおかしくはないだろう」

 だが案内人だった男は首を横に振り、諦めているかのように笑った。

「無理だよ。さっき説明したが、魔物や危険な植物が蔓延っている危険地帯がある。丸腰じゃ逃げ出すのは不可能だし、まともに護衛を付けるなら出国許可を国に貰って軍の兵士を帯同させる必要がある。だが、亡命の意図がバレた者は売国奴として連行されるのがオチだ。軍人も役人も、ほとんどはターリナーとその腐れ信者どもにビビってる始末だぜ。この隠し通路を使わせてやりたいのは山々だが、危険地帯以外にも道中は安全とは言い難いからな…何より万が一嗅ぎつけられて、俺達までしょっ引かれるのは避けたい。抵抗勢力が削られることになるのは避けたい」

 その説明を聞き、一同は更に納得するしかなかった。詰みなのだ。逃げる事すら出来ず、服従をするか早死にするかを選ぶ以外に無い。あんな男を国の元首に選んだ国民側の悪因悪果としても、あまりにも惨い仕打ちである。

「支持者…ああ、いや。もう信者って言い方の方が正しいかもしれんな。あの連中は、どういう気持ちでこんな状況を過ごしてんだ ? まさか自分達は正義の味方だから、何やっても許されるなんて思ってるわけじゃあるまい」

 ガロステルもまた、珍しく苦悶の表情を浮かべている。ジョナサンはそんな彼に向かって、落ち着いた様子で首を向けた。

「それもあるかもしれんが…たぶん、彼らを駆り立ててるのは”現実逃避”だ」
「逃避 ?」
「ターリナーを支持した者達は皆、現状に不満を抱いて権力者や資産家相手に改革を起こしたいと考えていた層だろ ? 言っちゃ悪いが、そういう連中は得てしてプライドが高いものさ…つまり認めたくないんだよ。自分達が救世主と持ち上げていた男が、ただの権力欲しさに民を利用してただけの、偽善者ですらない詐欺師だったなんて。そんな男を崇拝し、信じ切っていた自分の無様さと向き合う羽目になるなんて嫌に決まってる。ましてや彼が失脚すれば、”あんな男を祀り上げたバカどもも同罪”だと言われ、迫害されかねない。だからせめて、ターリナーとその政権が安泰でいてくれないと困るんだ。自分達が嫌っていた権力者や、既得権益の保有者と同じことをする羽目になるとは…皮肉なものだよな」

 部屋の中を練り歩きながら、ジョナサンは自説を垂れ流して続ける。いつもなら臭い説教が始まったと笑う所だが、この場においては誰一人として水を差さなかった。以前彼が酒場で言っていた”構造は変わらず、支配者が変わるのみである”という言葉が脳内でこだまし、その実例をありありと見せつけられてしまった。この男が持つ情報が正しかったと、認める他なかったのだ。

 しかしそんな憂慮、絶望、戦慄の輪に加わっていない者が一人だけいた。窓から慎重にカーテンを動かし、覗き見るように外の観察を黙々と続けていたルーファンだが、その睨む先には巨大な暴風で形成された<障壁>があり、その事しか彼の頭の中にはなかった。

「…ターリナーはあの<障壁>の向こうか ?」

 仲間やサンナウスの方へ視線を向けることなく、ルーファンは尋ねてきた。

「え、ええ…今は<障壁>付近でクーデターを起こそうとしている同志達により、奇襲などを仕掛けながら突破口を探しています。そしてチャンスがあるとするなら、あの<障壁>が開く時に他ならない」
「いつ開く ?」
「老人狩りは一定の期間の間、方々の地区を回って数度行われる物です…ある程度頭数が揃った後に、<障壁>を開いてまとめて連行する事になっている。それを仕切っているのが、あのシボークという男です」
「そうなれば、<障壁>の外で奴や仲間が活動するための拠点がある可能性が高い…いちいち<障壁>を開いてこまめにをするよりも手間が省けるだろう。場所は分かるか ?」

 すぐにでも動き、かの忌々しい暴虐の化身を取り除く必要がある。そう考えていたルーファンは、ゆっくりと詰め寄って問いかける。しかしサンナウスは回答に迷っているのか、少し俯いてしまっていた。それが出来れば苦労はしない。そう無言で訴えかけるかのように。

「…しかし、かなり防御は手厚い物になっています。何より警戒すべきは、そこに魔法使いがいるという事です。この国に残された実戦経験のある最後の魔法使い一族…カモリ家の戦士が待ち構えています」
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