怨嗟の誓約

シノヤン

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5章:鐘は泣いている

第157話 望む者、望まぬ者

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「席に着かせてもらおうか。ああ”鴉”…いや、ルーファン・ディルクロ殿。お目に掛かれて光栄だ」

 肩を叩き、皇帝はルーファンの横を通り過ぎた。自分に余裕が無くなっている事を、怒りのあまりに力んでしまっている体に気付いたお陰で自覚出来たルーファンは、すぐに一呼吸を入れて精神を宥めた。初めて会った時からそうだ。奴は自分のペースに持ち込もうとしている。それに呑まれてはいけない。

 他の者達も冷たく重厚な石の椅子に座り、会合を始める準備が整っているかのように互いの顔を見合う。卓を囲んではいるが、よりにもよってパージット王国とシーエンティナ帝国の席は向かい合っていた。

「ここ最近は互いの情勢や貿易協定の見直しと言った定例通りの議題すら話せない状況だが…やはり、当分お預けといった所ですな」

 陽気なお喋り屋であるスロントが、誰も言い出さないならと会話を切り出した。しかし、声とは裏腹にその表情は固いままである。向かい合っている二人…禍々しい黒い鎧の男と、上品さが漂うまばゆい白銀の鎧の男。彼らが見合っている姿を前に気圧されていたのだ。

「兜を取れ」

 頭部全体を覆う兜を付けたままの皇帝を相手に、睨みつけながらルーファンが言った。

「すまないな。諸事情からあまり人に顔を見せたくないのだ」
「腹を割って話をする気は無いと、そういう解釈で良いんだな ?」
「腹を割って話をするのと顔を見せる必要性においては何の因果関係も無い事だと私は思っているが…君は証明できるのかね ? ルーファン・ディルクロ。それに顔を見せてしまえば、誰とは言わないが・・・・・・・・必死に居所を探って殺しに来るかもしれない。私はそれを、非常に危惧している」
「殺されそうになる原因を作ったのがお前自身でなければ、きっと同情していただろう。お前に原因さえなければ」

 二人の間に立ち込める空気は殺伐としていた。自分の中にある疑惑を確定的な物としている鴉と、彼をしきりに挑発するかのような物言いをしているシーエンティナ帝国の支配者。その場にいた者達は、護衛も議論も忘れて二人をただ見守っていた。唯一、フルーメルだけはしきりに皇帝の顔色を窺っているのか、彼の顔を見てソワソワしている。不安が隠せていなかった。

「原因……ああ、リミグロンか」

 ここからが話の本題だというのは、誰の目にも明らかである。問題はこの”鴉”からの挑戦に、疑惑の中心にいる男がどう応えるかであった。

「それについては迷惑をかけたな」

 だが、皇帝から放たれた言葉はあまりにも呆気なかった。濡れ衣を着せられた事への憤怒でも無く、白を切る様なわざとらしい否定でも無く、ましてや誠心誠意の謝罪でもない。儀礼的に詫びは入れてやるが、自分の行いに一切の誤りはない。そう開き直っていると取られても仕方がない傲慢さが確かにあった。ルーファンを含めた一同は呆然とし、フルーメルに関しては皇帝とルーファンを交互に見返していた。このタイミングでなぜそれを言ったのかと、皇帝へ問いただしているかのような焦りが見える。

「何だと… ?」
「リミグロンは我が帝国が武器装備の供給をしている。それは認めよう。だが、何か問題があるのか ? 」
「それは諦めか ? それとも釈明か ?」
「単純な好奇心による質問だよ。外敵となり得る存在を排除するための防衛措置として、各地の同志に協力して先手を打っている。それの何が問題なのかを教えてくれたまえ。国家を守るというのは事が起きてからでは遅いんだ。君も大人なら分かるだろう ?」
「戦地で虐殺や人体実験を行っておいて何が防衛だ。ふざけるな !」

 ルーファンは声を荒げるが、皇帝は意に介していなかった。

「抑止力にはなっているだろ ? 現に…」

 皇帝は小さく手を広げ、兜越しの視線で周囲を舐め回すかのように見た。

「<光の流派>を使うのが我が国以外に無いと分かっていながら…誰も手出しをしてこないでは無いか。偉そうに口先だけで、使い古された愛と平和を盾に批判はするが…皆、分かっているのだよ。敵とみなされれば負けると。そしてそのお陰で、我が国の民は犠牲にならずに済んでいる。兵士諸君には悪いと思っているが、彼らも本望だろう。覚悟を決めた上で取った選択なのだから」
「その下らん利己的な理由で、俺の故郷を焼いたのか ?」
「ハハハ…利己的、か。どの口がそれを言っている ? それとも、自分はお前とは違うと、本気でそう思っているのかね ?」
「俺は少なくとも、世間や仲間達から正当性を認められている。じゃなければこの場に来れていない」
「君のその愉快な仲間たちの正しさを保証する者はいるのか ? 何の関係も無い第三者が見て、君が正しいとお墨付きを頂ける状況にあるのか ? 君の普段の行いは、それ程までに高潔なものなのか ?」

 和平を進める事すらままならない会話の応酬であった。それらの会話の傍、ジョナサンは不安か興奮か分からない動悸を感じながら記録用の筆の速度を速めていく。だが一方で、そのコミュニケーションの中に違和感があるのを見逃していなかった。皇帝の態度がルーファンとの議論に躍起になっているようには見えず、まるでルーファンが怒り狂うのを望んでいるかのように次々と捲し立てている。でなければこれほど支離滅裂な侵略行為の正当化を行うはずがない。

 それが目的なのだろうか。ルーファンを怒らせてこの場で手を出させ、あたかも一方的に殴られたかのように振舞って各地に報道させる…それも考えたのだが、まずありえない。この一連のやり取りを見ている者達がいる。何より自分がいる。故に偏った情報の伝搬が起こるとは思えないのだ。なぜわざわざこの場にいる各国の要人たちにすら周知されるように振舞っているのか ? 帝国にとって危険な存在とされている男と、それに加担する人間たちに反感を買うような真似をするのが、果たして為政者のすべき事なのか ?

「…まさか…」

 誰にも聞こえないほど小さな声で、ジョナサンは呟いた。一つだけ、僅か一瞬ではあるが恐ろしい想像が頭をよぎったのだ。絶対にあり得る筈がない可能だとは分かっているが、好奇心が思考をやめさせてくれない。もしルーファンと彼に加勢するコミュニティ全体に反感を抱かせ、戦争への感情を更に煽るのが目的だとしたら ? もしそうならば、ただの口論だけではない。感情を起爆するための別の何かをあの男は仕込んでいる。

 ジョナサンは周りに悟られない様にして震えを抑える。強烈な悪寒だった。ただの恐怖心によるものでは無い。それは長年の勘であり、初めての体験ではない。オニマとかいうリミグロンの兵士に殺されかけたあの瞬間を思い出す。自分に敵意と殺意を抱く者が向ける気配。それを感じた時と酷く酷似している体の異変であった。何かがいる。皇帝でもルーファンでもない、ましてや他の要人や護衛とは関係の無い何かが、この場に入り込んでいるような気がしてならなかった。
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