怨嗟の誓約

シノヤン

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4章:果てなき焔

第140話 悪魔の取引 ③

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 それからというもの、村では暫しの間ではあったが天国のような日々が続いた。大袈裟な言い方ではあるが、村人たちにとってはそう思えても仕方がない程度には日常に変化がもたらされたのである。

 老朽化した家屋があると分かればすぐに取り壊し、どこからか仕入れた材料で新しく立て直して贈与してくれる。納屋も、村長の家も、村人たちの家も、みな同様である。そんな事を勝手にされても金なんて無いと、最初こそ慌てて苦言を呈したが、リミグロン兵達は大声で笑って金などいらないと言ってのけた。食料を無料で配給してくれるだけでなく、作物の効率のいい生産方法を教授してくれた時もある。兵糧として使う目的もあったのだろうが、余剰分については全てを村に寄付してくれるのだ。

「我らは同志だ。助け合うのは当然だろう」

 村人が礼を言うと、リミグロン兵達は決まってこの言葉を返してくる。勿論だが食料の生産、軍事訓練の準備、彼ら兵士達の私物の管理を村人たちは代行して行っていたため、ギブアンドテイクが成立していると言えばそれまでである。だが、村の人々は苦にも思わなかった。働いた分だけ満足な食料と金にありつける。何より、感謝をされるのが嬉しかった。

「いつもありがとう」
「手を煩わせて申し訳ない」
「心より感謝する」

 ジェトワ人にこき使われて仕事をしている時は絶対に投げかけてもらえなかったであろう言葉が、彼らの心を温かくしてくれた。時折、休憩時間にかつてのノルコア王国の文化や歴史を教えた時もそうだった。リミグロン兵は興味深そうに耳を傾け、あまつさえ「素晴らしい」と褒めてくれたのだ。同時に、それほどの歴史を積み重ねてきた国と社会が身勝手な侵略によって破壊され、忌まわしく下劣な物として蔑まれている事実に呆れを見せて、ジェトワ皇国のやり方は間違っていると口々に非難をしていた。

 心地が良かった。無条件に肯定してくれ、自分達を労わってくれるこの環境がたまらない。そんな調子であったため、必然的にジェトワ皇国へ出稼ぎに行く者も減り、なけなしの作物による交易も行わなくなっていた。不思議に思った役人や商人たちが来訪する事もあったが、事前に見張りを用意してリミグロン兵たちを匿えるようにもしていた。「助け合うのは当然」という、彼らの言葉に応えたまでである。リミグロンに従えば幸せになれる。そんな考えを疑う者は、誰一人として村に残っていなかった。この時までは。

「皆ー ! 大変だー !」

 ある日の事だった。監督官として仲介役を担うようになっていた少年が、汗を流しながら村中を走り回って人々に呼びかける。

「魔物の群れが近づいてる ! リミグロンの伝令さんが言ってたんだ ! 子供や年寄りは納屋に避難させて、残ってる人たちは幕舎に来て !」
「何だって⁉そんな事、今まで無かったじゃないか⁉」
「皇国の連中が差し向けたに違いないって言ってたよ ! もしかしたらバレたのかも」
「何だと、あの野郎共…こういう時だけは仕事が早えな… !」

 村人たちと少年はすぐに動き、子供や一部を除いた年寄り達をまだ使われていなかった新品の納屋へ入れた。残りの大人たちについては、幕舎へと集合してリミグロン兵達と待機をする。村人たちは皆、基礎的な軍人訓練に参加をさせてもらっていたため、いざという時は共に戦って欲しいと頼まれたのだ。幕舎には若い男や年寄りの中でも比較的動ける者達が集められており、少年もそこで待っていた。

「このような事態になってしまい、申し訳ない」

 キユロが頭を下げる。

「何を言ってるんですか。寧ろ報せてくれてよかった」
「ああ、全くだ。こうしていち早く動けたんだ。ジェトワの連中ならこうはいかなかった」

 村人たちはリミグロンを責めようともせず、起きてしまった事態は仕方がないとして割り切っている。完全に懐柔され、リミグロンが判断を間違えるわけがないと信じ切ってしまっていた。

「…ありがとう。事態が収束するまで、我々は尽力させてもらう。そうだ ! 君、来てくれ」

 キユロは人々に礼を伝えたが、すぐに少年を呼び寄せてある物を手渡した。金属で出来ている、大きめな長方形の箱であった。四つある。

「納屋にいる者達も空腹を感じるかもしれん。箱の中には携帯食料が入っている。最近になって開発された新型だ。この村のために、特別に融通してくれたんだ。持って行って渡してやってくれ」
「うん !」

 キユロの指示に少年は嬉々として応じ、村を巡回している兵士達の横を通り過ぎながら納屋へ向かう。

「…少しの間、この場を頼む。手筈通りに」
「了解」

 一人の兵士にそう言って、キユロもまた少年の後をゆっくりと追う。その頃、少年は木箱を扉の前に置いてから、足場代わりによじ登る。そして納屋の扉に備えられた小さな板戸を開けて、金属の箱を中に投げ入れた。扉の閂を外して中に入ろうとも考えたが、かなり重いため一人では難しい。かといってこの状況では、兵士達の手を借りるのも申し訳ない。

「食料が中に入ってるらしいから、皆で分けて !」

  少年はそう伝えたが、どんな食料なのだろうかと気になって仕方がない。そこで鉄格子で遮られて見づらい窓から、中の様子を窺ってみる事にした。

「どれどれ、開けてみよう」
「あーっ、一人で食べる気でしょ」
「大丈夫だ、ちゃんと分けるよ。どれどれ…」

 子供達と仲睦まじい会話をしてから、一人の老人が箱を開けようと試みる。どこが蓋なのかが分からず、開け方が分からないためひとまず床に置いた直後だった。箱の表面に切れ目が入り、音を立てながら自動的に開いていく。白い冷気に包まれている箱の中には、赤黒いとぐろを巻いている物体があった。鱗も無く、てかてかとした光沢を帯びている皮膚を持っている生物だった。とぐろの先には頭部があり、口が六つの牙で器用に閉じられている。目はどこにあるか分からない。

「え… ?」

 これのどこが食料なのか。困惑を露にした次の瞬間だった。その物体は蛇の様に立ち、即座に老人へ狙いを定めて飛び掛かる。しゃがんでのぞき込んでいたせいか、反応も遅れてしまった上に飛び掛かられた場所も最悪である。喉仏であった。口を開いて牙で嚙り付き、老人に血を噴かせながらその生物は体内へと侵入していく。痙攣し、苦しみもだえながらうつ伏せになって動かなくなった老人を前に、納屋にいた者達はたちまちパニックに陥った。

 その騒ぎの中、誰かが蹴ってしまった事でもう残りの箱も開いてしまう。そちらのも同様の生物が格納されており、騒ぎの中で気付かれなかったが、近くにいた子供や女性が標的にされた。やがて、この珍妙な生物が体内に潜り込んだ死体たちにも異変が出て来る。背中が急速に膨らみ、そこから背中の肉を裂いて奇怪な化け物が姿を現した。小さな小鬼の様な、ぎらついた巨大な目を持つその化け物は、ブサイクな歯並びをした牙のある口でニタニタ笑い、次々と村人へ襲い掛かって行く。

「いやああああああああああ!!」
「だれか!!ねえ ! だれかきて!!うわあああああ!!」
「助けてえええええ ! いたいよおおおおおお !」

 逃げ場も無く、唯一の出入り口すら閂で塞がれている中で納屋では殺戮が繰り広げられていた。殺された者達は、たちまち同じような化け物へと変異を始め、理性をかなぐり捨てて視界で動く生物を食い殺そうとする。その光景から目を背けようとした少年は、慌ててしまったせいで足場から落ちて尻もちをつく。逃げようと必死になっているのか、扉が叩かれて必死に動いていた。閂があるお陰で無駄だというのに。

「いたいよおおおおおおお!」
「頼む、呼べ ! 誰か呼べ ! ぎゃああああああ !」

 鉄格子の間から手を出して救いを求める者達もすぐに引きずり込まれ、やがて悲鳴が聞こえなくなっていく。代わりに聞いた事も無い気色の悪い呻き声と金切り声が増していくばかりだった。もはや、納屋の中に人間は残っていないのだ。

「どうしたんだね」

 キユロの声が後ろから聞こえた。

「み、皆が…皆が…」

 気が動転している少年は振り向くが、そんな彼を見るキユロの顔は冷めきっていた。いや、この冷酷な表情こそが本性だと言っても良い。彼はすぐに少年の頭を両手で抑え、再び揺れ動く納屋の扉へと向けさせる。

「よーく見たまえ。君がやったんだよ。君のせいで皆死んだ。いや、生きてるかもな。人間と呼べるかは知らんが」

 乱暴に少年から手を放して立ち上がり、キユロは正面に回って彼を見下ろす。

「これで君は晴れて、私達のお仲間…共犯者というわけだ。ジェトワに助けを求めても良いが、我々を匿っていた裏切り者として磔にされ、侮辱にまみれて死ぬだけだろうな」

 キユロの言葉を聞きながら、少年は背後に感じた気配を確認するために恐る恐る振り向く。村人たちが、リミグロン達から銃を突き付けられながら立っていた。「とんでもない事をしてくれたな」と、そう言いたげな悲しみ、失望、怒りを孕んだ表情を例外なく皆が浮かべていた。

「我々が勝つまで、共にいるしかないんだよ君は」

 キユロはしゃがみ、少年に更なる言葉を浴びせる。

「勝てば肯定されるさ。君に今、恨みを向けている者たちの事だってどうとでも出来る。君が作った犠牲のお陰で勝利が出来たと、後世の歴史が語り継いでくれるからだ。そのためには我々に従え。それとも…この場で撤退してしまった方が良いかね ? まあ、そうなれば村はジェトワによって潰されるだろうな。尤も…彼らの様子を見るに、君はそれより早く死ぬことになるだろうが」

 村人と少年を交互に見てから、キユロは嘲笑代わりに鼻を鳴らした。そして優しく少年の肩を叩く。

「明日からも仕事を頑張ってくれたまえよ。今以上に、な ?」

 キユロの言葉が、あの日の晩餐の時よりも更に重く圧し掛かって来た。思えば疑うべきだったのだ。何から何までよく出来すぎていると。少年は自分が置かれている状況をようやく悟り、同時に目先の餌に釣られた己の甘さに後悔した。そう、嵌められたのだ。
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