怨嗟の誓約

シノヤン

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4章:果てなき焔

第120話 格差

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 ルーファンは団員達を一瞥したが、やがて近くに置いてあった使い込まれている木刀を手に取った。軽く、それでいて確かな硬さのある得物だった。打ち合いの訓練でもしていたのだろう。麻の胴着に身を包んでいる団員たちの肌に出来た小さな痣や、僅かな擦り傷からすぐに分かった。だらけているような連中だったら戦力には期待できなさそうだと見限るつもりだったが、練度についてはひとまず及第点程度にはあるかもしれない。

「いつもこれで訓練を ?」
「ええ。今日は丁度、実戦に近い形で打ち合いを行っていた。試合形式で」
「そうか…試合か。それについてはまあ、仕方が無いな」

 メアの回答にルーファンは納得こそしているものの、少しだけ落胆している様だった。心情を勘づく事は出来たが、メアにはそれが何に起因するものかが理解できない。まだまだ兵士としては経験不足であった。

「魔法の訓練は ?」

 木刀を桶の近くにそっと置き直したルーファンが再び質問をする。

「この後する予定。何せ新しく魔法使い…要は兵士になるための儀式を執り行う手筈になってるから、そこで迎え入れられた新兵達に手本を見せる必要がある。でもその前に―――」
「我々との試合がある、だろ ?」

 メアが振り向いた先には、ラクサ中尉と彼が引き連れている部下と思わしき兵士達がいた。全員が乗り気では無さそうな態度であり、護獣義士団が同じ皇国軍から見ても嫌悪されている事が見て取れる。

「随分と早い到着ね」
「面倒な用事はさっさと済ませるに限るってわけだ。ウチの兵士達も奇遇な事に同じ考えでな。安心しろ。手加減くらいしてやる」
「何ですって… ?」
「下手に怪我させて”本軍の連中から迫害を受けた”だの、”どさくさに紛れて体を触られた”だの、後で因縁付けられて賠償を要求されても困るんだ。国府や裁判所の連中も、お前らの事は随分と甘やかす。部下というよりは、ペットみたいだな」

 ラクサの挑発を耳にしたメアのこめかみに青筋が走りかけた頃、見かねていたフォルトが少しだけ前に出る。

「あ…あの…本軍の方々はこの後、一緒に戦うんですよね ?」
「ああ、我々が一応同行するようになっている」

 遠慮がちなフォルトに対するラクサの態度は、比較的ではあるが穏やかであった。

「じゃあ、その、喧嘩するのやめましょうよ。この後も協力して戦うんですから…今、大変な時期だって聞いてますし」
「お嬢さん、気持ちはわかりますが我々としても事情がある。ましてやこの護獣義士団は…」

 だがフォルトにラクサが言い分を語ろうとした時、尖った何かが刺さるかのような衝撃が彼女の心に入り込んできた。ふと耳に入ってしまったのである。ラクサの背後にいた兵士の一声が。

「へ、犬みてぇな顔した土人が何か言ってるよ」
「おい、止せ… !」

 小声での会話ではあったが、彼女の聴力を以てすれば容易に聞こえる侮辱であった。だがフォルトが思わず声のする方向を見ようとした時、それよりも早く動いた影があった。

「あ――」
来たれカ・トゥーレ…」

 自身を真顔で凝視してくるルーファンの視線に兵士が気付いた頃には、引き寄せの呪文によって彼の下へ吸い寄せられていた。顔面…それも下あごを手で掴まれており、次第に圧が強まってくる。苦痛と共に無理やり口が開かれ、顎が外れそうになってもまだ力は弱まらない。兵士達はどよめくが、誰一人として助けに入ろうとはしない。

「がが…すいま…せ…」
「謝るぐらいならなぜ言ったんだ ?」
「ねえ、ルーファン落ち着いて ! 大丈夫 ! 私気にしてないから ! ねえ !」

 許しを乞おうとした結果、ルーファンは更に力を込めだす。どちらかと言えば被害者であるフォルトが仲裁に入る始末だった。ようやく事の大きさが分かってきた兵士達も慌てふためき、止めに入ろうとする。

「…俺の友人の、器の大きさに感謝するといい」

 だが少ししてルーファンは投げ捨てるように彼を解放し、ラクサの方を睨んだ。流石にこれについては同情の余地も無いのか、逃げ帰って来る兵士に対して蔑みを帯びた眼差しを送る。ルーファンは本気だった。フォルトが止めに入るのが少しでも遅れていれば、奥歯が折られていた上に顎も外されていただろう。兵士は震えながら悟り、怖気づいたまま同胞達の中へと潜って行く。

「あなたの飼い犬は、随分と躾がなっていないようだ」
「気を悪くしたのなら申し訳ない。あの男については後で厳しく処罰しよう」
「分かった…話を変える。おたくの兵士達についてだが、あの程度の事態を前に反応の一つも出来ないとは驚いた。本軍を名乗ってはいるが、所詮この程度というわけか」
「…何か言いたい事があるようだな ?」
 
 ルーファンに対してラクサの態度が強張って来た。先程までのどよめきは静まり、息が詰まる様な殺気が立ち込め出す。

「いや…随分と護獣義士団を見下しているようだが、傍から見ればあまり大差は無いと思っただけだ。あんなあからさまな挑発にも耐えられる分、忍耐力に関しては彼らの方が上手だろうが」
「あまり侮らない方が良い。我々は少なくとも、前線での戦闘経験がある」
「そんな猛者の割に、随分と呆気に取られていた様だが…戦場では何をやっていた ? 給仕か ?」

 気が付けば、ルーファンがラクサの間合いに入っていた。大丈夫、余計な問題など起こすはずがない。そう思いたいのは山々だが、ルーファンの事だから何をしでかすか分からない。ジョナサンは焦っていた。

「売り言葉に買い言葉…などと良く言われるが、君のは売り言葉と捉えて良いのかね ? それも言葉では済まない事態を望んでいるかのような…どうだね、ルーファン・ディルクロ」
「あんたは戦う時も、いちいち他人に同意を求めるのか ? …それとも、試合みたいに始まりの号令が欲し――」

 ルーファンが言い終える前にラクサが動いていた。殺すつもりはない。少し武勇を立てて得意げになっている若造相手に、格の違いを見せつけるだけだ。そう思いながら彼が目を離した隙に腰の短刀を逆手で引き抜き、腹に目がけて軽く当てようとする。だが、ルーファンも同じタイミングで自身の胸部に備えていたナイフを、流れるような所作で迅速に引き抜いていた。話の最中に仕掛けてくるだろうと読んでいたのだ。

「うおっ…」
「同時…⁉」

 決着を見た兵士達が慄いた。ルーファンの腹部にはラクサの短刀の刃が当てられ、ルーファンのナイフの刃は、ラクサの喉に軽く当てられていたのだ。そして互いに、空いていた手で辛うじて得物を持った相手の腕を抑えている。僅かに両者の腹、もしくは首から血が流れていた。

「想像以上に速いな…伊達じゃないらしい」

 ゆっくりとルーファンは離れ、距離を取ってから彼の手を放す。ラクサも同様であった。

「面子は保たれた、といった所か…試すような真似をして申し訳ない。あなたとは今後も仲良くできそうだ」
「…ああ」
「それでは失礼…この後の予定の確認をしないといけないので。今後は隊の皆様も含め、お手柔らかに頼む」

 少し青ざめているラクサにルーファンは一礼し、仲間達を引き連れて宿舎へ向かう。フォルトだけは一瞬振り返ってラクサの方を見ると、憐れんだような表情を浮かべたまま再びルーファンを追いかける。

「ディルクロ…あなたもだけど、中尉もやはりイカれてるわ。いくらなんでも無謀すぎる」

 あの場で殺し合いに発展していた可能性を覚悟していたメアが苦言を呈する。

「いや、彼はたぶん正気だ」

 だがルーファンは即座に否定した。

「少なくとも事後とはいえ、自分の実力とあの瞬間に何が起きたかを把握できている。無謀とは程遠い人だ」

 そんなやり取りを遠くでしているルーファン達を見送っていた護獣義士団の団員と兵士達は思い思いに感想を述べていた。

「すご、ほぼ同時だった…」
「どっちも良く反応できたよな」
「互角だなんて…やっぱ違うんだな…戦場帰りは」

 そんな畏怖と称賛が混じった声を背に、ラクサは部下に試合の準備をしろと指示を出して厠へ向かう。だが、誰にも見られない様に歯ぎしりをしていた。

「何が互角なものか…」

 あの瞬間、すぐに分かった。こちらが仕掛けて来ると読んでいたルーファンの刃は、明らかに自分の攻撃よりも速かったのだ。恐らく普通なら喉笛を裂かれて終わっていた筈である。現にラクサが短刀を引き抜いて刃を当てようとした時には、既にルーファンは彼の腕を抑えようとしていたのだ。

 だがルーファンはそこからラクサの腕を自身の方へ引っ張った。そう、わざとラクサの攻撃を自分の腹に当てさせたのだ。「面子は保たれた」という言葉も、当事者にしか分からない明確な煽りである。お前の顔を潰さないために仕方なく気を遣ってやったぞと、年下の若造から遠回しにおちょくられたのだ。それが分かるだけラクサは優秀ではあったのだろうが、だからこそ屈辱に打ちひしがれるしかない。

 今となっては「お手柔らかに頼む」という言葉も自身への脅迫に思えてしまう。また懲りずに強気に出るなら次は間違いなく殺し合い…それも一方的なものにしてやる。そんな忠告が彼の言葉に含まれていたのだと、手練れ故にラクサは理解してしまった。
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