怨嗟の誓約

シノヤン

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4章:果てなき焔

第118話 誰でもいい

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 ジェトワ皇国の首都、ベイキョウ。その中心街には馬術の訓練にも用いられる街道があった。道沿いに進むとやがて見えて来るのは赤く塗られた門、そしてその奥には黒い瓦作りの屋根に覆われている荘厳とした佇まいの屋敷が待ち構えている。コの字になっているその屋敷の中庭には馬小屋や武器庫、弓術の訓練に持ち入る的が備えられており、広場では護獣義士団の団員たちが刀とナイフを用いた白兵戦の訓練を行っている最中であった。魔法を使えるとはいえ、やはり戦場で必要になってくるのは五体を用いた技術なのだ。

 メアは重い足取りで赤い門にまで近づき、自分には不相応なくらいに威風堂々とした門を少し眺めた後に、そのまま中に入って行く。中は石垣や生垣によってちょっとした小道のようになっており、侵入者がすぐに屋敷…もとい護獣義士団の宿舎へと直行できないよう少々入り組んでいた。

「これはこれは…団長様がお出かけ・・・・から帰って来たようだ」

 小道を抜け、屋敷へと入ろうとした時だった。玄関で待ち構えていた若い男が彼女に声をかける。心底人を嘗めているかのような下卑たにやけ顔をしているジェトワ人である。頬には刃物による一本傷があった。

「ラクサ中尉…皇国軍の本宿舎はここじゃない筈よ」
「知ってるとも。本軍の宿舎よりだいぶ豪華だな。流石は新築だ。たっぷり金もかけてもらったんだろうなあ、俺達とは違って」
「そんな嫌味をわざわざ言いに来たの ?」

 眉間に皺が寄っているメアの不機嫌そうな物言いに、男は首を横に振って笑う。

「勘違いしないでくれ。いつかは泊めてもらいたいと思っているが、これでも一応用事があるんだ。義士団の皆様が、ちゃんと金を突っ込んだ分の働きをしてくれてるか様子見に来たんだよ。兵士たるもの遊び惚けられちゃ困るからな。すると、どうだ ? 汗水垂らして訓練に勤しんでいる団員達を余所に、その頭領たる誰かさんは呑気に皇室へと出向いていたそうじゃないか…出兵が近いというのに、随分と余裕なんだな」

 始めこそ笑っていたラクサだが、低く僅かに枯れている彼の語気には苛立ちが垣間見えた。

「実戦経験がない団員達をいきなり前線に投入するのは待って欲しいと言いに行っただけ…ダメだったけど」
「当たり前だ。戦いもせずに経験なんざ身に付かない。そんなバカげた文句を言いに行くためにわざわざサボったのか ? 戦いたくないってんなら、一番いい方法を教えてやるよ。さっさと軍服を脱いで平民に戻る事だ」
「私達”ノルコア人”に頼らないとまともに戦力も整えられない癖に ?」

 屋敷の中に入りながら会話をしている途中、メアの噛みつき方が癪に障ったラクサは舌打ちをした。彼が自分達の事を好いていない事は分かり切っていたが、今回に関しては特に憤っているようだ。メアはそう思いつつ、少し早まっている心臓の鼓動を感じながら彼の言葉を待つ。

「…兵士としての責務を果たせと言ってるんだ。金を寄越せ、仕事を寄越せ、地位を寄越せという癖に、都合の悪い時だけは逃げる気か。金食い虫の移民集団と呼ばれていた事を知った時は同情もしたが、こりゃ納得だ。駄々をこねるバカどもを養うために、本軍に回る筈だった金と設備が全部ムダになってるんだからな」

 殴り掛かりたい気分をメアは抑え、彼の言葉に黙って耐えていた。巷の評判など分かり切っている。だが、そんな言葉はどこまでいこうが責任を持たない傍観者の理想論に過ぎない。自分と同じ立場に立たされた人間の内、何人が思考を停止したまま死に場所に突撃をして殉死できるというのか。

「何なら好機とみて欲しいくらいだ。戦果次第では、ようやく汚名を返上出来るかもしれないんだぞ。これを逃せば護獣義士団は一生軍のお飾り扱いだ。まあ今もそうだが」
「…お飾り?」

 その最中、彼から放たれた言葉がメアの心に刺さった。薄々感じてはいたが、堂々と言われたのはこれが初めてである。

「お前のオツムが羨ましいよ。人生が気楽そうだ…何も気づかないのか ? 護獣義士団の存在だけじゃない。お前がなぜ大尉という立場を貰えて、護獣義士団の団長という職に就けたのか。座学においても戦闘訓練においても、お前より優秀な奴は大勢いた。でもお前が選ばれた…なぜか分かるか ?」

 ラクサはメアの肩を叩く。彼が何を言おうとしているのか、彼女はとうに悟っていたのか拳を握り締めている。

「本当にシンプルだよ。偶然だ。お前が偶然、”軍服”を着ている”移民”の”女”だったからにすぎん。逆に言えばそれさえ満たしてればお前じゃなくてもいい。看板なんだよ、お前は。『我が国家はどんな人種や性別であろうと分け隔てなく対応をしている』…その建前を成立させるための材料だ」

 殴りたかった。でもメアは出来なかった。背景には、ただでさえ自分の同胞による犯罪や迷惑行為が国内で問題になっている現状がある。その中で自分がこの男といざこざを起こしては火に油を注ぎかねない。軍部だけではない。この国において自分達の味方をしてくれる者など限られている以上、全てをかなぐり捨てるだけの覚悟を持てないのは至極当然であった。

「せいぜい頑張れ。ただの看板から英雄になれると良いな」

 ラクサはそう言い残して気だるげに帰って行く。不穏な空気が引っ込み、静まり返った屋敷の玄関で突っ立っていたメアは、やがて戸口付近の壁を力いっぱい殴った。

「だ…団長…」

 少ししてから、柱の陰から気弱そうな眼鏡を掛けた伝令兵が顔をのぞかせる。彼は怯えていた。

「…ごめん」
「いえいえ。お怒りは尤もですから…そうだ、本軍から伝達がありまして、援軍である”鴉”の一味が到着するそうです。出迎えの準備をと」
「分かった…」

 伝令兵の言葉を聞いたメアは、仄かに赤くなった自分の拳を擦る。そして微かに皮が剥け、出血していた箇所をハンカチで拭ってから支度に取り掛かった。
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