怨嗟の誓約

シノヤン

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4章:果てなき焔

第115話 動かざる者達

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 絨毯や壁面などが紅く染められ、金の意匠を施されている広間があった。その空間の最奥に待ち構える玉座には、生きた年数を表すかのように皺が刻まれた老体が物々しく座っている。ジェトワ皇国を統治する指導者、チヨ厶・ジメイ皇王その人であった。とは言っても老体に鞭を打ってありとあらゆる行政に携わらせる事など出来ない。近年はもっぱら議会によって提案された政策や結論に対し承認か却下を行う決定権を行使する事が主な仕事になりつつある。

「―――以上が、今回議会によって提案された国府の今後の外交及び軍備への施策となっております。つきましては皇王陛下、その可否をお聞かせ願えますでしょうか」

 皇王の玉座の前、小さな階段の前で跪いているのは幾重にも重ねられた明るい採食の着物たちに身を包んだキシャラ・タナトゥだった。防衛大臣が別の任に当たっている事から、彼女がまとめて皇王へ提案をする形となっていたのだ。

「ふむ、軍備の更なる補充、戦線への支援と兵の派遣の続行、そして外国への連携の呼びかけと支援要請か…予算もかなりの物になる。一刻を争う事態とはいえ、中々思い切ったものだ」
「承知しております。リミグロンとの交戦が国の各地で激化し、長期化しているせいで産業にも影響が出始めております。まことしやかではありますが、民はおろか議会の中にも降ってしまうべきではないかという声が上がり始める始末です」
「民はまだしも、国家とそこに住む者達の未来を預かる国府がその様な事では、更なる不穏を人々に抱かせてしまうだろう」
「仰る通りです。リミグロンの目的が領土の拡大や略奪ではなく、徹底的な殲滅である事など、パージット王国の末路を見れば分かる筈だというのに…」

 キシャラはそこまで言うと、自分が余計な事を言ってしまったのではないかと慌てて顔を上げる。古くから交友のあったパージットの話題を出してしまったのは不謹慎であり、軽率だったかもしれないと感じたのだ。だが、皇王は咎める事も無く深く頷いていた。辛い事実ではあるが、彼なりに受け止めてはいる様だ。

「助太刀をしてやれなかったことは今でも後悔している。澱が私の心全てを満たしてしまいそうな程にだ」
「まさかルーファン・ディルクロの派遣を承諾したのも… ?」
「生存者が今も戦い続けているとは半信半疑だったがな。スアリウス共和国から入った難民たちの証言からして嘘ではないと確信し、パージット王国の弔い合戦と分かったのだ。もはや手をこまねいている場合ではない。そして何よりこの紹介状だ」

 皇王は自分が携え、眺めていたスアリウス共和国、その属領であるリゴト砂漠、そしてリガウェール王国からの紹介状と報告書へ改めて目を落とす。

「”創世録に記された<幻神>の力を操り、神を顕現させる事が出来る戦士”…彼が訪れた全ての国からその様な情報が伝えられ、我らにとって切り札になってくれるとお墨付きまで頂いているほどの男だ。引き換え条件があるとはいえ、リミグロンに滅ぼされるよりはマシだろう」
「やはり、彼も前線へ派遣をするのですか」
「ああ。戦場にいる者達は、猫の手も借りたい気分だろう。選り好みをしている場合ではない。国府に公布の準備をさせなさい。今回の提案において、皇王は全面的に承認をなさった…それで構わない」

 皇王からの承認を得られたキシャラは、「ただちに」と応じて広間を後にする。従者たちによって開けられた扉を出て、議会へ向かうために廊下を歩きだした直後、遠くでこちらを立ったまま見つめている黒髪の女性がいた。若く、日に焼けた浅黒い肌をしている。そして青い瞳を持っており、ジェトワ人特有のとんがった耳を持っていなかった。キシャラが近づくと、即座に敬礼のポーズを女性は取る。

「歩きながらにしましょう。メア・イェリツァー大尉」

 キシャラがそう言って素通りすると、彼女も後に続く。だがその歩き方は少し強張っており、憤りが含まれている様だった。

「”護獣義士団”の前線への派兵を決めたと聞きました。それも全員だなんて、どういうおつもりですか ?」

 護獣義士団。近年、軍事力の不足に悩まされていた国府が設立したジェトワ皇国軍に属する外国人部隊である。移民の増加とそれによる地元民との衝突、更に就職難といった彼らの問題を改善すべく雇用の創出ために作られた側面もある故か、国民感情は決していい物ではない。ましてや中々実戦投入されないという事もあってか、いつしか「ジェトワ人の金と血を貪る寄生虫」とまで揶揄されるほどに忌み嫌う者が現れる始末であった。

 下手に犠牲者を出せば人権団体や移民保護を唱える活動家たちに批判をされかねないという国府側の懸念もあっての事であり、メア自身もまたその点については苦悩を理解しているつもりだったが、やはり苛立ちを抑えるには不十分だった。なぜ戦況が悪化する前に経験を積ませることをしなかったのか。護獣義士団の団長としての怒りであった。

「国府の決定です。兵士になった時点で覚悟はしていたでしょう」
「していましたよ、その結果どうです。まともに戦いにも赴かせてもらえない。やらされることはいつも領土の見回りか役に立つかどうかさえ分からない訓練だけ。戦場を見た事も無い素人同然なのに、なぜこんな土壇場で―――」
「既に聞いているでしょう。皇国軍本体の戦力を温存したいという国府側の考えもある。何より国民も義士団に対して要望をし始めているのです。「いつまで移民ごとき相手にただ飯を食らわせる気なのか」と」

 キシャラの厳しい口調による反論を浴びたメアは口を噤む。兵士としての覚悟が足りなかったと言えばそれまでだが、自分が負っている責任の重大さもあってか簡単には納得できない。ただの木っ端であれば命令に従っていたかもしれないが、大勢の人間の命を預かり、同時に使役する立場である。無闇に犬死させようものならばその報いを受けるのは自分なのだ。

「…スアリウス共和国とリガウェール王国の力添えもあって、近い内に”鴉”と彼が率いる一味がこちらへ到着します。護獣義士団の加勢として」
「そ…それだけですか ? たったの ?」
「侮らない方がいいですよ。少なくとも、戦士としては義士団よりも遥かに高い練度を持っています。学べることも多い筈…とにかく決定は絶対です。嫌なら軍を抜けてまた従者としての生活に戻るべきでしょうね」

 自分達の応援として寄越すのがテロリストを殺し回ってるだけの義賊集団という、自分達の扱いの悪さにメアが立ち止まって呆然とする中、彼女の視線を背に浴びながらキシャラは廊下を歩き続ける。やがて曲がり角で姿を消した。

「…今に見てろよ」

 メアは彼女とは正反対の方向へ歩き出す。そしてやり場のない怒りを握り拳に込めながら呟くしかなかった。
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