怨嗟の誓約

シノヤン

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4章:果てなき焔

第113話 彷徨い

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 オースティンが働いている酒場は貸し切りとなっていた。店の関係者とオースティン、そしてルーファン達以外いない店の中は、彼らが食事をする時に建てる咀嚼や食器のぶつかる音だけがこだましており、何とも言えない虚しさが漂っている。貸しきりにした分の費用はジョナサンが持ってくれたとはいえ、このような贅沢な使い方をしてしまう事にルーファンは申し訳なさを感じた。

 向かいではサラザールが酒樽をいくつも空にしながらハムを骨ごと齧り、ソーセージを十本ごと纏めて丸呑みにし、更には面倒くさくなったのかシチューを鍋ごと飲みだした。他の面々も負けじと旺盛に料理をかっ込んではいたが、はっきり言って彼女は群を抜いている。

「その体のどこに入ってくんだよホント…」

 チーズを齧っていたガロステルが慄いた。

「さあね。それより食べないの ? 冷めるわよ」

 一息つきながら自分の体の謎を特に怪しむこともしなかったサラザールだが、向かいに座っているルーファンへ食事を急かした。新聞を読みふけっている彼の前には炒めたソーセージと玉ねぎ、豆のスープが置かれているが、食器に痕跡が無い事から一切手を付けられていないというのが見て取れた。

「……後で食べるよ」

 神妙な面持ちで新聞を見ていたルーファンは顔を向けることなく言った。

「ダ、ダメですよ。しっかり食べねば命にかかわります」
「タナの言う事は大袈裟だけど、確かに食べる事は大事だよ。次も長い旅になるんでしょ ?」
「それは分かるんだが、満たされすぎると鈍るんだ。思考が特に」

 隣に座っていたタナとフォルトも彼に栄養の摂取を促す。考え事が多い立場だという事は承知だが、そうであれば猶更英気を養っておかなければならない。だがルーファンも彼なりの考えがあった。満腹になりすぎると集中力が削がれてしまうので、なるべくなら余計な事をしていたくないのだ。せっかくの食事を冷ましてしまうのは悪いと思っていたが、食えれば問題ない。

「ふぅ、やっと着いた。手伝ってくれてありがとうアトゥーイ」
「いえ、誘っていただいたおかげで私も買い物が出来ました。飛び出すように国を出た身ですから」
「気にするな。そうだ、今度うちに夕飯でも食べに来るといい。キャサリンに君の事を話したら随分と興味を持ってくれてね」
「お気持ちは嬉しいのですが、私の食事を考えると…その…」
「ああ、その辺は気にしないでくれ。たまにはヘルシーフードで行くのも悪くない。僕も妻も最近肉付きが良くなって困っていたところだ」

 丁度その時、ジョナサンとアトゥーイも酒場のドアを開けて中へ入って来た。外は小雨が降っていたのか、外套に付いた水滴をジョナサンは軽くはたき落としてから手に携えてテーブルへ向かう。アトゥーイに関してはずぶ濡れであった。肌で水を感じる事にある種の快感を覚えるという生態が半魚人にはあるらしいが、流石に席に着くときはフォルトから手渡された布で体やズボンの水気を取っていた。

「彼の向かいに座っても良いか ?」
「ええどうぞ」

 ジョナサンに対して今日は珍しく従順な態度でサラザールは席を譲る。奢ってもらった事で気分が良くなっていたのだ。

「お、新聞を読んだか ? 感想は ?」
「もっと厳しめな批判でも良かった気がする。ツジモ以外にいた捕虜へ俺がした仕打ちについては ? その辺りを知りたい者もいるはずだ」
「そう言うと思って近い内に特集を組むつもりだ。捉えている捕虜たちの待遇や環境を知りたいって客が割といてね…さっきまでその取材のための段取りをしていた。アトゥーイと一緒に。尤も、リガウェール王国は暫く荒れるだろうから中々思う様には進まないだろう。ジェトワ皇国への出発までに間に合うと良いが」
「情勢の問題か。軍部の…それもウォーラン族の半魚人なら、過去の歴史からして弾圧や圧政を嫌うと思っていたんだがな」

 感想を聞こうと目を輝かせるジョナサンとは対照的に、ようやく新聞を置いたルーファンの顔は少し険しかった。此度の戦によってリガウェール王国が混乱に陥っている点を喜ぶわけでは無いが、あの王家による独裁が終わるのならば少しはいい方向へ向かうかもしれない。そう思っていた自分の浅はかさが恥ずかしくなっていた。ガロステルの隣に座って林檎を食べていたアトゥーイも、憂鬱そうな目でルーファンの方を見る。

「ふむ…今年の葡萄酒は渋味が強いな。まあ僕好みだ」

 話を聞きながらジョナサンは気を紛らわすように一口葡萄酒を飲んで評論をする。そしてコップを置いてから一息入れてルーファンに向き直った。

「かつてスアリウス共和国で活動をしていた社会学者、ネスタル・カロスヴェルティは自身の著書である『潜伏する連鎖論』の中でこんな言葉を残している…”構造は変わらず、支配者が変わるのみである”」
「どういう意味だ ?」
「人という生物が絶滅しない限り、ありとあらゆる形で闘争を繰り返す現代の社会構造は永遠に終わらないって事さ。因みにさっきの言葉の続きはこうだ…”弾圧と迫害に抗う者達の大半が原動力にしているのは、行為そのものへの嫌悪感ではない。自分がする・・側になれないという不満からである”。残酷な事ではあるが、それが現実だ。平等や公平を唱える連中の理想論ってのは、どこまで行こうが自分が上層の立場に居続けられる事を前提にしてるんだよ。だから嫌気が差した。だろ ? アトゥーイ」

 かつて読んだ書物を引用して皮肉を言ったジョナサンがアトゥーイを呼ぶ。自分に話を振って来た事がいささか迷惑ではあったが、国に残らず彼らに同行を申し出てきた理由をしっかり述べておく必要があったと感じたのか、アトゥーイは食べかけの林檎を置いた。

「ディマス族も、この一連の法案と新しい指導者のやり方に賛同していると耳にした…揃いも揃って私の亡き家族を引き合いに出して、真の公平には必要な行いなのだと声高らかに宣言をしていましたよ。過剰な保護と優遇は必ず反動を生むからやめてくれと言いましたが、彼らは聞いてくれませんでした。酷く…失望した」
「それが嫌で国を出てきたの ?」
「視線が痛いんです。どこへ行っても悲劇の被害者として哀れまれるような目で見られるか、被害者であることを盾にふんぞり返ってる愚か者といった侮蔑的な視線を送られるか、あの国ではそのどちらかしかない。この件で、少しだけ残っていた未練さえも無くなったんです」

 重苦しい声で語るアトゥーイをフォルトは心配していた。同じく故郷から離れた身ではあるが、拠り所として家族と居場所が残っている自分とは違う。彼にとっての家族は当に失われ、居場所さえも無くなりつつあったのだ。

「自分が何のために、何をして生きるべきなのかを考える時間と機会が欲しいのです。その間、旅に同行させてはもらえないでしょうか。私に出来る事であれば力をお貸ししましょう」
「構わないさ。だが、苦労する事になるぞ」
「承知の上です」

 何よりあなたが心配ですから。続けてそう言いかけたがアトゥーイは寸前で口を噤んだ。そんな押しつけがましい感情を向けられては、彼も良い気持ちがしないだろうという配慮から来るものであった。そんな心情を知る由も無いその他の面々はアトゥーイへ歓迎の祝辞を述べ始め、場の空気も少し朗らかになった。

「苦労する事になるのは確かだな。それも今まで以上に」

 二杯目の葡萄酒を注ぎながらジョナサンが言った。

「ジェトワ皇国からの伝達は、リミグロンと行われている戦への参戦との事だ。助っ人としてね」
「俺達だけでか ? もっと他の国々に呼びかけた方がいい気もするが」
「どこも自分の国の事で手一杯だからな。差し詰め断られたんだろう。結果、一番靡いてくれそうで尚且つ戦力として申し分ない君に声がかかったわけだ。流石は鴉様だねえ。貢献をしてくれれば”六霊の集いセス・コミグレ”の件について、ジェトワ側も口添えをしてくれるそうだ。スアリウス、リガウェール、ジェトワの三国。つまり加盟国の過半数が君の参加を許可するとなれば残る国々も認めざるをえまい。残りの国に関しては、直接交渉するのは難しいからな」

 ジョナサンの話を聞いたルーファンは、少し気を引き締めてからようやく食事に手を付けだした。戦への参加という中々過酷な依頼ではあるが、上手く行けば帝国に近づけるまたとない好機である。何が何でも手柄を上げなければならない。

「問題点は戦況が芳しくない上にジェトワ皇国にとってはあまりに悠長にしていられない状況だという点、そしてこの国が位置するのは南南西…つまり火山地帯のど真ん中っていう部分だ。文字通り地獄を巡る様な旅路になる」

 そう語るジョナサンは過去の思い出が蘇って来たのか、酷く苦々しい顔だった。
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