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3章:忘れられし犠牲
第110話 泥沼からの脱出
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尋問があった次の日の朝まで、ルーファンは宿泊用に貸し出された自室のベッドで横になっていた。気だるげに起き上がり、殴った感触がまだ残っている手を擦る。いつもならすぐに忘れるというのに、なぜか今回ばかりは鮮明に記憶されていた。
「化け物…疫病神…か」
ツジモ少将の罵倒を復唱する。世論ではそういった声も少なくないとは聞いていたが、面と向かって言われた際に堪えられなくなった。なぜかは分からないが体が熱くなり、とにかく動き、暴れ、自分を睨むあの女を否定したくなった。どんな手段を使ってでも。
あの女が敵だったからだろうか。ぬけぬけと被害者を演じる侵略者どもの性根を正したかったのか。いや、そんなわけはない。自分はそんな歪んだ正義感で動いてなどいない筈だ。もっと別の苛立ちに似た感情が自分を動かしていた。
それとも、自覚がないだけだろうか。過剰な反応と攻撃は論理を以て相手を諭す事が出来ない弱者とバカのやる事だと、少年時代に師事していた教官に教わった事がある。言葉の全てがこの世の摂理に当てはまるとは思いたくないが、今になってそんな言葉が脳裏に蘇ってしまったのが、尚の事ルーファンを不快な気分にさせた。
自分の行いを正当化しているつもりはない。だが賛同者がいると分かり、そのせいで心のどこかで「自分のしている事は正しい行いである」と思うようになっていたのかもしれない。集団の中で立場と支持を持つ事の怖さを、ここに来て思い知らされた。
「恥を知れ」
つけ上がるな。賛同されようとされなかろうが関係はない。自分がやらなければならないと決めた当初の目的を忘れるな。元凶を見つけ出して報いを受けさせる。正義や悪といった概念さえ邪魔だと切り捨てろ。そんな改めた決意を基にして出た言葉だった。
丁度その時、扉が叩かれる音がした。重い足取りで向かい、扉を開けるとフォルトが立っていた。遠慮がちが態度でこちらを見ている。
「あ、あのさ ! 食事…とり忘れてるかなって思って」
「ああ…そういえばまだだ」
話の切り出し方に困っていた様だが、すぐに気を取り直して紙袋をこちらへ渡してきた。中には少しばかり見てくれの悪い黒パンや果物が入っていた。
「他にも欲しいのあったら食堂に行けばいっぱいあるからね !」
「あ、ああ…」
気丈な様子を見せてくれるが、どこか距離を置かれている様だった。無理もないだろう。彼女は恐れていたのだから。頼れる仲間であり、自分を導いてくれる先輩だと思っていた青年の本性が僅かに垣間見えた瞬間、自分の心が彼と離れたがっているのを彼女は感じていた。彼の生い立ちやここに至るまでの背景を知らないわけでは無い。同情もしている。しかし、怯えていたツジモ少将の表情が忘れられない。どこまで、彼を信頼してついて行けばいいのか分からなくなり始めていたのだ。
「ありがとう、後で食べるよ…国務長官の所に行って来る」
紙袋を携えたルーファンは彼女に背を向け、廊下を歩いて曲がり角で姿を消す。やはり自分の本心が透けて見えたのかとフォルトが落胆していた時、様子を見に来たらしいアトゥーイが彼女の肩を叩いた。
「今は…そっとしてあげるべきです。頭を冷ます時間が必要だ」
アトゥーイは人気の無くなった廊下を眺めつつ言った。
「あの時、なんであんなに怒ったんだろう…」
「取り乱すという事は、相手の言い分に対して感情を揺り動かされたからに他ならない。言い換えれば、思い当たる節があったといった所でしょう。恐らく彼は…自分の在り方に悩んでいる。一方からは憎まれ、一方からは崇められ、自分の立ち位置と理想を見失いつつあるのかもしれない。危ない状況ですよ。若さ故と言えばそれまででしょうが」
アトゥーイは心配をしていた。己を律そうともせず、ましてや冷静な視点を持たずに激情と理想論を盲信すれば必ず手痛い目に遭う。嫌というほどわかっていた。そして、既に亡くなった自分の子と変わらない歳の男が、全く同じ過ちを繰り返しそうになっている。破滅へと進む道筋を止めてあげなければならない。ある種の母性本能に近い衝動があった。
――――ルプトの下へ行ったルーファンは、彼の机の前で立ったまま待機をしていた。ルプトは書類の整理を行い、ひと段落した段階で眼鏡をはずしてルーファンを見る。
「ジョナサンから聞いているとは思うが、この襲撃について私の関与があったのは紛れもない事実だ」
物悲しげな顔だった。この男にそんな顔をする権利があるのか尋ねたかったが、ルーファンはただ黙っていた。
「よって私は国務長官の任を降りる。王族としてこの国の統治をする事も拒否をするつもりだ。営倉行きか、島流しかもしれんな」
「後任はどうするつもりで ? 行政を指揮する者がいなければ、国が混乱に陥る」
「軍の最高司令にひとまず任せようと思う。彼はウォーラン族の半魚人ではあるが、この国を支えてきた大事な存在であり民からの信頼も厚い。ひとまずは彼らに権力を預け、反差別と平等を重視した統治を行うように託すよ。負の歴史を終わらせなければならない以上、私の出る幕はない」
「本当に上手く行くと ? 人間の心はそんなに単純じゃない」
ルプトの考えに対してルーファンは酷く懐疑的だった。権力を持つ者が変わった程度で平和が訪れるなら誰も苦労はしない。下手をすればさらなる悪化を招く恐れだってある。
「やってみないとどうにもならないさ。だからまずは壊すんだ。アトゥーイ殿にも頼んだのだが、本人はこの国を出て行くと言って聞かなくてな…安心したまえ、軍部の者達には君の事を伝えておくよ。彼にとって必要ならばいつでも手助けをしてやって欲しいとね。現に、兵士たちの中で君に対して恩義を感じている者は少なくない」
ルプトの話を聞いたルーファンは複雑な心境であった。手助けをしてくれるのならば有難いが、今後彼らが自分にとって気に入らない道へ進む可能性は大いにある。取り決めをして同盟関係を結んでしまえば、彼らに対して口出しや介入をするのにも躊躇いが生まれてしまうだろう。だが、断ってしまって対立をしてしまっては元も子もない。選択肢はなかった。
「…感謝します」
喜ぶ事すらせず、一言だけ謝辞を述べるしかなかった。
「今後はどうする気かね ?」
「少なくともリミグロンは、リゴト砂漠とアリフで二度も侵攻を妨げられた上に多大な損害を負った筈だ。一度に投入する戦力が次第に大きくなっている事からも、動きに焦りが見え始めている。何を急いでいるかは分からないが、戦いの長期化は避けたいと思っている筈だ」
「…何をするつもりだね ?」
「一連の情報からして、リミグロンに関与しているのがシーエンティナ帝国だというのはほぼ確定的だ。よって公の場で彼らと交渉をする。ツジモ少将を含めた人質達を材料にして」
「ま、まさか…」
「…”六霊の集い”に出席をしたい」
それは戦が始まる前から考えていた計画だった。相応の償いをしてくれるならば良し、断るのであればそれでも良し。自分の復讐を果たすためにどう動くべきか。判断をするにあたって元凶を引きずり出し、言い分を聞く必要があった。最悪の場合はその場で刺し違える覚悟さえある。譲歩による贖罪か、徹底的な殺し合いか。それを見極めるための決意であった。
「化け物…疫病神…か」
ツジモ少将の罵倒を復唱する。世論ではそういった声も少なくないとは聞いていたが、面と向かって言われた際に堪えられなくなった。なぜかは分からないが体が熱くなり、とにかく動き、暴れ、自分を睨むあの女を否定したくなった。どんな手段を使ってでも。
あの女が敵だったからだろうか。ぬけぬけと被害者を演じる侵略者どもの性根を正したかったのか。いや、そんなわけはない。自分はそんな歪んだ正義感で動いてなどいない筈だ。もっと別の苛立ちに似た感情が自分を動かしていた。
それとも、自覚がないだけだろうか。過剰な反応と攻撃は論理を以て相手を諭す事が出来ない弱者とバカのやる事だと、少年時代に師事していた教官に教わった事がある。言葉の全てがこの世の摂理に当てはまるとは思いたくないが、今になってそんな言葉が脳裏に蘇ってしまったのが、尚の事ルーファンを不快な気分にさせた。
自分の行いを正当化しているつもりはない。だが賛同者がいると分かり、そのせいで心のどこかで「自分のしている事は正しい行いである」と思うようになっていたのかもしれない。集団の中で立場と支持を持つ事の怖さを、ここに来て思い知らされた。
「恥を知れ」
つけ上がるな。賛同されようとされなかろうが関係はない。自分がやらなければならないと決めた当初の目的を忘れるな。元凶を見つけ出して報いを受けさせる。正義や悪といった概念さえ邪魔だと切り捨てろ。そんな改めた決意を基にして出た言葉だった。
丁度その時、扉が叩かれる音がした。重い足取りで向かい、扉を開けるとフォルトが立っていた。遠慮がちが態度でこちらを見ている。
「あ、あのさ ! 食事…とり忘れてるかなって思って」
「ああ…そういえばまだだ」
話の切り出し方に困っていた様だが、すぐに気を取り直して紙袋をこちらへ渡してきた。中には少しばかり見てくれの悪い黒パンや果物が入っていた。
「他にも欲しいのあったら食堂に行けばいっぱいあるからね !」
「あ、ああ…」
気丈な様子を見せてくれるが、どこか距離を置かれている様だった。無理もないだろう。彼女は恐れていたのだから。頼れる仲間であり、自分を導いてくれる先輩だと思っていた青年の本性が僅かに垣間見えた瞬間、自分の心が彼と離れたがっているのを彼女は感じていた。彼の生い立ちやここに至るまでの背景を知らないわけでは無い。同情もしている。しかし、怯えていたツジモ少将の表情が忘れられない。どこまで、彼を信頼してついて行けばいいのか分からなくなり始めていたのだ。
「ありがとう、後で食べるよ…国務長官の所に行って来る」
紙袋を携えたルーファンは彼女に背を向け、廊下を歩いて曲がり角で姿を消す。やはり自分の本心が透けて見えたのかとフォルトが落胆していた時、様子を見に来たらしいアトゥーイが彼女の肩を叩いた。
「今は…そっとしてあげるべきです。頭を冷ます時間が必要だ」
アトゥーイは人気の無くなった廊下を眺めつつ言った。
「あの時、なんであんなに怒ったんだろう…」
「取り乱すという事は、相手の言い分に対して感情を揺り動かされたからに他ならない。言い換えれば、思い当たる節があったといった所でしょう。恐らく彼は…自分の在り方に悩んでいる。一方からは憎まれ、一方からは崇められ、自分の立ち位置と理想を見失いつつあるのかもしれない。危ない状況ですよ。若さ故と言えばそれまででしょうが」
アトゥーイは心配をしていた。己を律そうともせず、ましてや冷静な視点を持たずに激情と理想論を盲信すれば必ず手痛い目に遭う。嫌というほどわかっていた。そして、既に亡くなった自分の子と変わらない歳の男が、全く同じ過ちを繰り返しそうになっている。破滅へと進む道筋を止めてあげなければならない。ある種の母性本能に近い衝動があった。
――――ルプトの下へ行ったルーファンは、彼の机の前で立ったまま待機をしていた。ルプトは書類の整理を行い、ひと段落した段階で眼鏡をはずしてルーファンを見る。
「ジョナサンから聞いているとは思うが、この襲撃について私の関与があったのは紛れもない事実だ」
物悲しげな顔だった。この男にそんな顔をする権利があるのか尋ねたかったが、ルーファンはただ黙っていた。
「よって私は国務長官の任を降りる。王族としてこの国の統治をする事も拒否をするつもりだ。営倉行きか、島流しかもしれんな」
「後任はどうするつもりで ? 行政を指揮する者がいなければ、国が混乱に陥る」
「軍の最高司令にひとまず任せようと思う。彼はウォーラン族の半魚人ではあるが、この国を支えてきた大事な存在であり民からの信頼も厚い。ひとまずは彼らに権力を預け、反差別と平等を重視した統治を行うように託すよ。負の歴史を終わらせなければならない以上、私の出る幕はない」
「本当に上手く行くと ? 人間の心はそんなに単純じゃない」
ルプトの考えに対してルーファンは酷く懐疑的だった。権力を持つ者が変わった程度で平和が訪れるなら誰も苦労はしない。下手をすればさらなる悪化を招く恐れだってある。
「やってみないとどうにもならないさ。だからまずは壊すんだ。アトゥーイ殿にも頼んだのだが、本人はこの国を出て行くと言って聞かなくてな…安心したまえ、軍部の者達には君の事を伝えておくよ。彼にとって必要ならばいつでも手助けをしてやって欲しいとね。現に、兵士たちの中で君に対して恩義を感じている者は少なくない」
ルプトの話を聞いたルーファンは複雑な心境であった。手助けをしてくれるのならば有難いが、今後彼らが自分にとって気に入らない道へ進む可能性は大いにある。取り決めをして同盟関係を結んでしまえば、彼らに対して口出しや介入をするのにも躊躇いが生まれてしまうだろう。だが、断ってしまって対立をしてしまっては元も子もない。選択肢はなかった。
「…感謝します」
喜ぶ事すらせず、一言だけ謝辞を述べるしかなかった。
「今後はどうする気かね ?」
「少なくともリミグロンは、リゴト砂漠とアリフで二度も侵攻を妨げられた上に多大な損害を負った筈だ。一度に投入する戦力が次第に大きくなっている事からも、動きに焦りが見え始めている。何を急いでいるかは分からないが、戦いの長期化は避けたいと思っている筈だ」
「…何をするつもりだね ?」
「一連の情報からして、リミグロンに関与しているのがシーエンティナ帝国だというのはほぼ確定的だ。よって公の場で彼らと交渉をする。ツジモ少将を含めた人質達を材料にして」
「ま、まさか…」
「…”六霊の集い”に出席をしたい」
それは戦が始まる前から考えていた計画だった。相応の償いをしてくれるならば良し、断るのであればそれでも良し。自分の復讐を果たすためにどう動くべきか。判断をするにあたって元凶を引きずり出し、言い分を聞く必要があった。最悪の場合はその場で刺し違える覚悟さえある。譲歩による贖罪か、徹底的な殺し合いか。それを見極めるための決意であった。
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