怨嗟の誓約

シノヤン

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3章:忘れられし犠牲

第108話 与え過ぎず奪い過ぎず

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 負傷した兵士達を匿う避難所では、タナが一人一人怪我の具合を見て回っていた。傷口に彼女が手をかざすと、掌から水が滲み出て傷を覆う。そしてたちまち塞いでいくのだ。骨折などの重症に関しても水で怪我をした箇所全体を覆うと、不思議な事に治ってしまった。ボキボキと音を立て、元の形に成形されていく姿は不気味だったが、手当てを受けている者達が呆気にとられた様子で見ている辺り、痛みはないらしい。

「どうですか ?」
「ハ…ハハ…凄い、動かせるぞ ! すぐにでも戦えそうだ !」
「け、怪我自体は治しましたけど、ひ、疲労は完全には除去できていませんから ! 今はゆっくり休んでください…戦いもひとまず収まってます」
「そ、そうか…分かった」

 傷が治った事で勇む兵士だったが、タナは彼を宥めてその場に座らせた。負傷による精神や体への負担を完全に回復させられたわけでは無い。そんな摩耗した状態で再び戦場に飛び出た所で、再び自分の世話になるのがオチである。

「食事をすぐに作りますから、待っていてください。お野菜は食べられますか ?」

 回復した患部を擦りながらタナが尋ねた。

「ああ…俺は大丈夫なんだが、他の奴らは好き嫌いが多くてな。特に根菜は―――」
「なら伝えておけ。好き嫌いするなってよ」

 兵士が献立に注文を付けようとした時、太い声でガロステルが遮った。両手にはそれぞれ特大の木箱やずた袋を抱えている。

「タナ、とりあえずありったけ野菜を持ってきた。果物は生憎なかったがな。人参と玉ねぎ、豆、根セロリ…肉は幸いな事に、戦いの時に陸へ打ち上げられた魔物が多かったんでな。そいつらの死体から拝借をさせてもらったぞ…ジョナサン、急げ ! もやしっ子め」

 ガロステルが呼ぶとジョナサンと数名の兵士が必死に他の材料を運び込んでいた。汗だくになりながら何とか避難所まで入れ込み、残りの兵士達に後始末を任せてジョナサンは二人に近づく。

「全く、記事を書く時間も無いぞ」
「そう言うな、ほら御褒美の…ルビーだ」

 愚痴を垂れるジョナサンだが、彼を宥めるためにガロステルは自分の肉体から採取した結晶を彼に渡す。どうも餌付けされているような気がしたジョナサンは少し不服そうに彼を見たが、間もなく受け取ってポケットに突っ込んだ。

「しかし<ネプチューン>の力は凄いな。水と生命を司るとは聞いていたが…骨折まで治してしまうとは」
「既に命の消えた者や、治すべき四肢そのものが無くなっている者についてはどうしようも出来ませんが…これぐらいの怪我であれば」
「救いたい気持ちは分かるが十分じゃないか ? 救えない以上、犠牲になった兵士達についてはただ敬意と感謝の言葉を送る以外に無いだろう。戦が始まった時点で何の犠牲も無しに終わることは出来ない。勝手に代弁するようだが、彼らもそれは分かっていたと思う。自分がその犠牲とやらになってしまう事は…考えてなかっただろうが」

 自分が手当てをする前に亡くなった兵士や、そもそも手の施しようが無い程に欠損していた兵士を目撃していたタナは少し悔しがっていたが、ジョナサンは割り切るように諭した。近くで聞いていた兵士達は複雑な心境を抱いて俯くか、ジョナサンに対してしかめ面を向ける。悪気はないと理解は出来ているが、部外者に言われると腹が立つ。ジャーナリストという職種の人間はこうも他人の反応に無頓着で冷淡な連中の集まりなのかと勝手に偏見を持ちつつあった。

「ま、それはさておき。フォルト達は外の片づけや警戒に当たってるのを見たが、ルーファンはどこだ ?」

 気を取り直してガロステルは尋ねた。

「どうやら見つけた捕虜の中に気になる人物がいたらしくてね。色々と聞き出したいからと連れていった。これから国務長官も含めて三人で話をしたいんだと。僕も後で向かう」

 先程戻ってきたルーファンと交換した情報をジョナサンは思い出した。少将といえば前線に出て来る兵士としてはかなりのエリートである。国を落とすためか、ルーファンの始末をするためか、あるいは両方か。どちらの理由にせよあれだけの規模の戦力を惜しみなく投入してくる辺り、相手方に余裕がなくなってきている可能性は高いが、わざわざ生かすという事は何か考えがあるのだろうか。


 ――――ルプト・マディル国務長官の執務室には重く張り詰めた空気が充満していた。執務用の机に座っているルプトの視線の先には、椅子ごと縄で縛られて座らせられているツジモ少将と、そんな彼女の隣にはルーファンが腕を組んで立っている。だが彼の顔は手柄を欲して喜々としているような間抜けさが一切無い。理由に関して察しはつくが、こちらに対しても明確な敵意が感じられた。

「ルーファン・ディルクロ。感謝するよ。まさか敵部隊の指揮官を――」
「あなたが呼び寄せなければ、ここまでする必要も無かった」

 探りを入れるように会話を切り出したルプトだが、そんな彼に主導権を握らせたくなかったルーファンがすぐに横槍を入れる。最初の出方次第で対応を変えるつもりではあったが、案の定すっとぼけた態度を取って来た事に少し腹を立てていた。

「…ああ、そうだな」
「ツジモ少将、敵兵達はそう呼んでいたが、直接話をした事はあるか ?」
「無いな。彼女の部下とだけ連絡を取り、こちらの動きを伝えていた。そうでしょう ? ヨミ・ツジモ殿」

 ルプトに話を振られたツジモだが、沈黙したまま床を見つめるばかりだった。するとルーファンは無言で彼女の正面に回り、様子を変に思ったツジモが顔を上げたタイミングで頬に拳を叩き込んだ。手甲が頬にめり込み、折れた歯が口の中で転がっている。

「殺しはしない。だが無事に返すと約束をした覚えも無い。それは忘れるな」

 こちらを見下ろすルーファンの顔を見たツジモは不安を隠さなかった。若い筈だというのに生気を感じられず、一切の弱みや感情の起伏を窺えない仏頂面である。だが眼だけは確かに違った。どんな状況であろうと即座に腹が据わって目的のためなら一切の躊躇を捨て去れる人間…つまり殺し合い向きな人間特有の暗く深い瞳孔がこちらを見つめている。少しで藻掻くか罵倒でもすれば次の瞬間にはもう一本歯を折られるだろう。それだけで済まないかもしれない。

「少し手厳しいのではないかね」
「その原因を作ったのは彼女自身だ」

 ルプトが窘めるが、ルーファンは振り向く事なく言い放った。その時、執務室のドアが叩かれ、ルプトが返事をする前にジョナサンが勢いよく扉を開けて現れる。

「ルーファン ! ああ、良かった。間に合ったかな」

 厚かましく部屋に入って来た彼は、そのまま壁際の方へ行って手帳とペンを取り出す。

「失礼、この辺の会話は色々と記録しておくべきだと思ってね。まあ気にせず続けてくれ」

 壁に寄り掛かって日付を書き込むジョナサンはこちらへ目もくれず言った。今頃見出しの文章の候補や、想定される受け答えの予測とそれを素早く書き込むためのリハーサルを脳内でしているのだろう。いずれにせよ勝手にすればいい。ルーファンは少しジョナサンの方を見つめるが。特に彼を追い出す事なく再びツジモ少将へと視線を降ろした。
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