怨嗟の誓約

シノヤン

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3章:忘れられし犠牲

第105話 はじめまして

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 <ネプチューン>は、その異変にすぐ勘づいた。ほぼ壊滅した遊撃用の飛行船の無数の残骸が海を漂い、残っている飛行船が撤退を始めたものの何かが腑に落ちない。やがて風の動きが変わり、その風に乗って何かが空気を切り裂いて動く音を微かに聞く。背後へ振り返り、やがて空を見た時に正体が分かった。

 複数の飛行船が首都へ直行している。様子を見ようとするわけでもなく、攻撃を行うために待機をするわけでもない。猪突猛進と言って差し支えない程の全速力ぶりであった。落下にも近いような角度から、轟音を響かせながら加速をしていく飛行船たちの目的が水の壁の突破にある事は疑うまでもない。

 <ネプチューン>は海水を操り、やがて数本の三叉槍を生成する。そして飛行船たちへ向けて射出した。小型の飛行船は幾らか撃墜できたが、旗艦と思わしき大型の飛行船だけは損傷をものともせずに向かって来る。

 玉砕を覚悟した捨て身の攻撃によって街に生じる被害は想像を絶するものになることは分かっている。よって<ネプチューン>は別の手段を取る事に決めた。ありったけの海水を集めて操り、それを使って水の壁をより分厚い物へと補強する。そして両手をかざし、たちまち凍てつかせたのだ。頑強で、分厚く、そして巨大な氷の壁で街は覆われた。

 大型の飛行船は激突し、氷の壁を多少損壊させて見せるがそれだけであった。ぶつかった直後に船首や船体そのものが歪み、やがて力なく墜落する。氷の壁の内部では突然の出来事と直後に訪れた強烈な寒波によって兵士達が狼狽えていた。

 <ネプチューン>は再び漁港の方に向かって倒れ落ち、やがてルーファンとタナの姿に分離する。長時間体力と精神を酷使し続けた影響か、息が上がったルーファンは仰向けになって必死に呼吸を整えていた。心なしか白髪が以前より増えている。

「う、器よ。御無事ですか⁉」

 慌てて駆け寄ってきたタナが体を揺する。今はそっとしておいてほしかったが、間もなく大きな影が日光を遮って来た。サラザールである。

「嫌な予感がしたから街の外に出てたけど正解だったかも。お疲れ」

 そう言うと彼女は鎧の肩の部分を足で軽く小突いてきた。

「状況は ?」
「敵にしてみれば、あんな氷に守られたら内部に侵攻するのはもう難しいかもしれない。一応穴が開いた部分もあるみたいだけど、その突破口を切り開いた飛行船もぶっ壊れて墜落してる。まともな戦力は残ってないけど…まだ生存者はいるかも」

 ゆっくりと起き上がったルーファンへサラザールが状況を伝える。もう一押しで戦いに区切りを付けられるかもしれない。そう感じたルーファンの目に再び殺意が宿った。

「…タナ、君は十分に頑張った。どこかに隠れててくれ。それとサラザール…少し手を貸してくれるか ?」
「いつもの ?」
「ああ」

 ルーファンはタナを肩を叩いてねぎらい、サラザールへ協力を仰ぐ。彼が何をしたいのか察知した彼女は背後に回り、ルーファンと腕を絡ませる。そして呪文を唱えだしたタイミングを見計らい、首筋へ噛みついた。



 ――――頭から血を流し、ツジモ少将は艦橋で倒れ込んでいた。船内の装置は大半が破損し、既に灯りも消えている。あちこちに体を打ち付けられたせいでまともに動けなくなっているか、打ち所が悪く死体となってしまった兵士達の体が横たわっていた。

「うっ…」

 ツジモ少将は起き上がった。割れるような痛さが頭全体に残っており、目に血が入ったせいか視界が赤みが勝っている。必死に目をこすり、瞬きをしながら視界を確保しようとしていた時、ようやく最優先にしなければならない事項を思い出した。水の壁は突破できたのだろうか。

 いや、水ではない。気を失う直前にオペレーターの一人が水が変化し、凍りついてしまったといった趣旨の報告を叫んでいた気がする。つまり自分達は氷塊と化した壁にぶち当たり、こうして莫大な予算を掛けた兵器をスクラップにしてしまったのだ。

「生き残った者は…どこだ…」

 サーベルが鞘に収まっている事を確認した後、彼女は床に転がっていた一般兵用の銃を拾い上げる。そしてそれを怠そうに構えながらその場を後にした。力づくで扉をこじ開け、横向きになって不安定な足場だらけの飛行船の中を進んでいく。大型なだけあって、どの場所も立って歩けるだけの広さはあった。だが暗いせいで視認性は最悪だった。一歩一歩、障害が無いかを確認しながら進むしかない。

 時々小さな物音が立つ度、背筋が凍り付くような恐怖に苛まれる。普段の強気さは見る影も無くなっていた。態度、自信、プライド、その全てが豊富な資源と替えの利く部下達という後ろ盾のお陰だった事を嫌でも痛感させられる。全てが無い今、所詮は一人のか弱い人間なのだ。

「うわああああああああ!!」

 悲鳴が聞こえた。銃を構える手に力がこもる。やがてバタバタと沢山の足音が聞こえてきた。それが兵士達だと分かったのは、距離にして残り三メートル程までに近づいた時である。全員が漏れなく血まみれだった。

「少将 !」

 二、三人の兵士が敬礼をする。奥では必死に通路の扉を閉めている者達もいた。怯えている。

「何があった ?」
「とにかく来た道を戻ってください!!別の脱出方法を探すしかありません !」
「何があったと聞いているんだ !」
「そんなこと話してる場合じゃないと分からないんですか⁉いいから早く――」

 くだらない口論が繰り広げられたが、それがあまりにも無駄な時間だったと悟ったのは直後だった。会話を遮るかのように重い打撃音が鳴り響いた。まるで鉄で作られた通路の扉に何かがぶつかっている。その場にいた者達全員が固まり、少しして震えだした。

 彼らが恐れている物は何か、気になってしまったツジモ少将は奥の扉の方に目をやる。船内の機械に張り巡らされた回路がショートしたのか火花が散っており、そのせいで視界全体が点滅していた。

 その絶え間なく移ろう視界が暗闇と扉を交互に見せてくれるが、遂にツジモ少将は目撃してしまった。暗闇の中でさえ分かるほどに濃い漆黒の何かの腕が、鉄で出来ている筈の扉を突き破っている。やがて紙でも破くかのように扉を引き裂き、咆哮しながら姿を現したのは闇に覆われた異形の怪人だった。
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