怨嗟の誓約

シノヤン

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3章:忘れられし犠牲

第98話 自分に出来る事

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「すまない。どいてくれ」

 ベトイ船長から騒動が起きていると聞かされたルーファンは、すぐに広場へと向かう。バカ騒ぎをしていた民衆の隅で様子を窺っているジョナサン達も見えた。

「鴉…」
「鴉だ…」
「何でここに ?」

 民衆は彼を囲もうとしたが、疲弊しながらも鋭い殺気を纏う彼の姿に近づくのを躊躇い、広場の奥で待っている兵士達の元へ向かう姿を距離を開けながら見送った。歩くたびに服や髪に染み付いた海水が滴り、土を濡らしていく。

「ディルクロ様、良くぞご無事で」
「ああ。かいつまんで状況を話すが、間もなくディマス族がこちらへ来る。集落にいる住民たち全員だ」
「い、一体なぜ ?」
「襲撃があった。確固たる証拠があるわけじゃないが、リミグロンによるものじゃないかと睨んでいる。ディマス族の集落も甚大な被害が出た。故にこちらへ退避させて欲しい。戦士達もいる以上、必要があるなら君たちに助力もしてくれる筈だ」
「分かりました。本部に伝えておきます」

 兵士に深海で起きた出来事の内、特に必要な部分だけをルーファンは報告した。兵士がそれに応じて頭を下げるが、ルーファンの関心はすぐに周囲に群がっている民衆へと向いていた。

「話を変えて申し訳ないが、これは何かあったのか ?」
「住民たちによる抗議が起きていまして…避難指示や我々の要請には応じたくないと」

 兵士達の報告を聞いたルーファンは辺りを見回す。先程まで浮かれたように騒いでいた人々はすっかりとしおらしくなり、ルーファンと目を合わせようともしない。やがて自分の近くにいた一人の小太りな中年の男へとルーファンは近づく。

「今の話は本当か ?」

 凛とした態度だったが、決して責めようとしているわけでは無いというのが語気の弱さで分かる。

「いや…抗議…ってほどじゃないんですが…応じたくないっていうのも…何だか言い方が悪いというか、そこまで強く言ってはないというか…他の奴らの方がもっと酷い事言ってたし…」

 挙動不審になり、もじもじと周りに助けを求めるように狼狽えながら男は答える。人間の醜さがあの男の言動全てに詰まっているようだと、ジョナサンは遠目に見ながら鼻で笑った。周りが自分に同調していくれている間は好き放題に罵り、叫び、自由という名の無秩序を謳歌していたくせにいざ責任を取らされそうな立場になった途端日和出す。何とも社会の歯車どまりな凡人らしい卑怯且つ臆病な振る舞いであった。

「私のせいです」

 ルーファンの耳に比較的若い声が聞こえてきた。親を王族に殺された先程の青年が唇を震わせており、彼が声の正体だと気づくのに苦労はしなかった。

「君が何かしたのか ?」
「…私が皆を焚き付けたのです。私の母を見殺しにしておきながら都合の良い時だけ助けを求めるなと怒鳴ってしまった。彼らは私の味方をしてくれただけです」

 自分に近づいてきたルーファンへ、青年は自分が騒ぎを煽動したのだと正直に告白する。彼は震えていた。当然ながらルーファンに対する恐怖と、これから自分の身に起こるかもしれない災難を危惧しての事である。

 ”鴉”と呼ばれる剣士の噂には、尾ひれがつくばかりか根も葉もない誇大な伝説で溢れ返り始めていた。村を賊の手から救った報酬に村中の若い女を要求しただとか、リミグロンがアジトを構えているらしい森を住民や動物たちごと焼き払っただとか、出回っている僅かな事実を基に、人々は勝手に脚色を加えだしていたのだ。そしてそれらの真偽を確かめる事すらしない、或いは出来ない者達はそれを鵜吞みにして”鴉”を怪物として扱うようになり始めていた。

「もしかして君の母上は、この間ホーレン家の行列で殺されたあの女性か ?」
「……知っているのですか ?」
「ああ。俺もその場にいたからな」

 兵士の手を煩わせ、状況を引っ掻き回そうとした自分を罰するつもりなのだろうか。そう思っていた青年にルーファンが問いかけると、青年は意外そうに目を丸くして彼を見た。

「助けられなくて、すまなかった」

 そして自分に詫びを入れてきた事で猶更青年は困惑した。

「あ、あなたが謝る必要は…」
「助けようと思えば助けられる距離だった。にも拘らず動かなかった以上、俺も同罪だろう。君の怒りは尤もだ。我々の頼みが厚かましいと思われても仕方ない。だが、もし本当に彼らが恩を仇で返す様な連中ならば、今頃君たちを見捨てて逃げてる筈だ。違うか ?」
「…そうですね」
「今日まで国民から恨まれ続けている事は彼らも十分に分かっている。だからこそ王族のためじゃなく、今度こそは本気で君たち国民を守りたいと願っている。それを証明するための機会を与えてやってはくれないか ? 俺も彼らと共に尽力して戦う。だから…頼む」

 そう言ってルーファンは頭を下げる。青年は黙りこくった。先の襲撃で自分達を助けてくれたのは鴉とその一味だという声が呼び起こされる。だとするならこの状況は何だろうか。自分達の恩人が頭を下げ、助けを乞うているというのにただ茫然と眺めている事しかしていない。切羽詰まっている筈というのに、誰かが何とかしろと責任を放り捨てて他人事のように愚痴を垂れてばかりである。

 このまま滅ぼされるか侵略をされれば後世まで語り継がれる程の笑い話になるだろう。目先の感情を優先して苦情を言う事に勤しみ続けた結果、何の準備も出来ずに蹂躙されたなどとあっては死んでも死にきれない。子孫たちも恥ずかしさから首を吊るのではないだろうか。

「な、何をすればいいのですか… ?」

 青年は小さな声を振り絞った。ルーファンもふと顔を上げる。

「僕は剣も持てません。腕力にも自信がありませんし、頭も良くない」
「だが優しさがある。自分の母のために怒る事が出来るくらいに。その優しさを分けてあげて欲しい。自分の家を離れて隠れる以上、心細い思いをする者もいる筈だ。彼らの肩を擦って、きっと大丈夫だと励ましてやってくれないか。他の物にも伝えてくれ。『自分に出来る範囲で構わない、誰かを助けて同時に寄り添ってあげて欲しい』と」
「わ、分かりました」
「信じてるぞ」

 青年の肩を叩き、ルーファンは背を向けて兵士達の元へ向かう。

「ディマス族も間もなく到着する。彼らの中で動ける者達を集め、その数を含んだ上で人員の配置を考える。民間人の避難と安全の保障を最優先にしたい」
「ならば図書館に戻るのがいいでしょう。指揮系統はそちらの方に集中させています」
「分かった…この場の仕切りは任せてもいいか ?」
「はっ、了解しました !」

 ルーファンの話が聞こえていたのか、改めて自分達が折っている責任を再認識した兵士達は少し威勢が良くなり、声に覇気が籠っていた。彼らに頷いてからルーファンは再び民衆を掻き分けて広場を後にする。そんな彼の背中にジョナサン達が追い付いてきた。

「見事な説得だったな。カリスマ性ってやつかい ?」
「そんな物は無い。場を収めるのに必死だった。それだけだ」

 ジョナサンが肘で小突いて褒めるが、ルーファンの顔色は良くなかった。余裕がないのか非常すら変えない。

「ねえ、そういえば深海で何があったの ?」
「詳しい事は図書館で話そう。だが新しい味方が出来た。頼れる子だ」

 フォルトにルーファンが話しかけている時、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえてきた。後ろを向くと、人込みで迷子になっていたらしいタナがようやく自分達に追いつこうと走っていた。

「待ってください~ ! この服走りづらくて…ふべっ!!…うわああああん !」

 スカートを少し手でつまんでたくし上げながら走っていた彼女だが、濡れている舗装路の上で盛大にずっこけ、大泣きし出した。

「あれが頼れる味方って本気 ?」
「え……ああ、うん」
「そこは即答しなさいよ…」

 サラザールは幸先悪そうにボヤき、ルーファンがしっかり返事をしてくれないお陰で尚の事不安を募らせる。だがこのまま泣かせ続けるのも悪いと思い、すぐに全員でタナの方へ駆け寄って行った。
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