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3章:忘れられし犠牲
第84話 揺れ動く感情
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食事は非常に独特であった。長の住居に用意されていた柔らかい敷物に全員が胡坐をかき、目の前には石の皿が置かれている。そして皿には海藻が盛りに盛られていた。塩ゆでした海藻を冷ました物らしく、これに漬け込んで食べろと言わんばかりに茶色い液体で満たされた椀がそれぞれに用意されている。
移動中の吐き気が残っているせいで食欲が湧かないのが功を奏していた。腹ペコの状態でこれを出されれば間違いなく不満が表情に現れていただろう。寧ろ変に胃腸を刺激しないで済みそうだから願ったり叶ったりな食卓である。
「つまらぬ物しかご用意できませんが、どうかご容赦ください」
集落の長はルーファンの目の前に座ってから一礼して詫びた。
「人間と違い、我々は肉と魚を食べる習慣がほとんどない。せいぜい月に一度…客人のためならば例外的に魚と貝を出す事もありますが、どうも今日は近くに魚群もおらず何も獲れなかったようで」
「押しかけたのはこちらだ。邪険に扱われても仕方がないのにもてなしてくれた。それだけで十分だ」
ルーファンは自分は特に気にしていないように振舞い、長に対して柔らかい物腰で接した。少なくとも出会ってすぐに手枷をはめてきた連中に比べれば幾分かマシだったからである。それにこちらの目的に関しては相手側へ負担を強いる事になるのが明らかであり、向こうが勝手を承諾してくれるかどうかが分からない以上は敵対的な姿勢は避けるべきだろう。
「…早速伺いたい。先程の質問に対する回答。その真意を教えてくれませんか。双方という事は好意と謀略の二つを、あなたは私に対して抱えていると?」
ルーファンからの問いを聞いた長は少し笑い、指で海藻をつまんでから茶色い液体に少し漬け、液体を零さぬように椀を抱えたまま口へ運んだ。首を上に向け、長い海藻を口の中へ垂らすようにして入れると、特に汚らしい音を立てることなく顎を動かして咀嚼をする。そしてようやくこちらと目を合わせてくれた。
質問に答えて欲しいならまずは洗礼を受けてもらえないだろうかという懇願の現れとも言える態度だが、確かに今の自分は信用されるに値しないのだろう。口先では感謝をしていると言っておきながら、結局食事に手を付けないというのはあまりにも失礼である。郷に入っては郷に従え、ふと誰かが言っていた事を思い出した。
ならば有難く頂くべきだ。そう思ってサラザールを見ると、既に皿と椀が空になっていた。無機物以外何でも食う悪食ぶりが遺憾なく発揮されている。負けじと海藻を手に取って食べてみると、思いのほか悪くはない。塩ゆでされた海藻の塩気と、椀に入れられた液体の旨味が合わさり、互いの主張を押し殺す事なく口内で混ざり合っている。そして海藻の茎と葉の心地いい弾力を噛むたびに味わえた。そんなルーファンの姿を見ていた長も心なしか満足げである。
「別に謀があるわけではありません。ただ、こちらが勝手に期待を抱いているだけとでも言うべきですかな」
「期待?」
「ええ。あなた様がいつか訪れるのではないかと、我々は少し前から予期していた…創世録に記された絵を見たお陰で。よろしければこの後ご案内しても?」
ルーファンにとって長の誘いを断る理由は無かった。出来れば急ぎたいのは山々だが、リゴト砂漠の件といい創世録について調べを進めておくのも損にはならないだろう。特に記憶に残っているジョナサンの興奮具合からして、この集落にある創世録の情報は間違いなく欲しい筈である。
「…私は少し外を歩いてきます」
だがアトゥーイは乗り気では無さそうだった。そのまま立ち上がって長の住居から出て行こうとする。
「アトゥーイよ、たまにはゆっくりしなさい。久々に帰ってきたのだから――」
「彼の道案内のためだけです」
長に対してアトゥーイは辛辣に言い返し、ドアもついていない出入口をくぐって行く。彼の皿にはまだ海藻が残っていた。
「感じ悪っ…これ貰ってもいい?」
「やめろ、意地汚いぞ」
サラザールはアトゥーイに対する不快感と食い意地の両方を垣間見せ、ルーファンはその下品さを嗜める。長は少し俯いて悲しげな表情をしていた。
「無理も無い。やはり我々を憎み続けているのでしょうな」
長がぼやいた。
「憎んでいるが故に、あれほど冷たい態度を取っていると ?」
「ええ。昔は穏やかでよく笑い、気高さもあり、この集落に住む者達全員が彼を愛していた。勿論アトゥーイも我々を愛してくれていた」
「過去に何があったのです ?」
「…見捨て、見殺しにしてしまったのですよ。彼と彼の愛する者達を」
ルーファンと長が語り合っている頃、外に出たアトゥーイは周囲からの視線に耐えきれないかの如く俯き、人気の無い場所を求めて彷徨い続けていた。
「もしかしてあれってアトゥーイ様…!?」
「うん、間違いないよマスター・アトゥーイだよ ! おーい !」
子供たちの声が聞こえる。無視して歩きたいというのになぜか足が動かない。そして見たくも無いのに声のする方へ首を剥けてしまう。やはりいた。屈託のない明るい笑顔を浮かべてこちらを見ている子供達が。小さく手を上げて振ると、子供達は気を良くしてはしゃぎ出す。
そこからようやく歩き出せたが、動悸が止まらなくなっていた。憎くて憎くて仕方がない筈の故郷だと言うのに、どうしてか安堵している自分がいる。そんな矛盾した感情が心の中でせめぎ合い、彼の体を蝕んでいたのだ。
移動中の吐き気が残っているせいで食欲が湧かないのが功を奏していた。腹ペコの状態でこれを出されれば間違いなく不満が表情に現れていただろう。寧ろ変に胃腸を刺激しないで済みそうだから願ったり叶ったりな食卓である。
「つまらぬ物しかご用意できませんが、どうかご容赦ください」
集落の長はルーファンの目の前に座ってから一礼して詫びた。
「人間と違い、我々は肉と魚を食べる習慣がほとんどない。せいぜい月に一度…客人のためならば例外的に魚と貝を出す事もありますが、どうも今日は近くに魚群もおらず何も獲れなかったようで」
「押しかけたのはこちらだ。邪険に扱われても仕方がないのにもてなしてくれた。それだけで十分だ」
ルーファンは自分は特に気にしていないように振舞い、長に対して柔らかい物腰で接した。少なくとも出会ってすぐに手枷をはめてきた連中に比べれば幾分かマシだったからである。それにこちらの目的に関しては相手側へ負担を強いる事になるのが明らかであり、向こうが勝手を承諾してくれるかどうかが分からない以上は敵対的な姿勢は避けるべきだろう。
「…早速伺いたい。先程の質問に対する回答。その真意を教えてくれませんか。双方という事は好意と謀略の二つを、あなたは私に対して抱えていると?」
ルーファンからの問いを聞いた長は少し笑い、指で海藻をつまんでから茶色い液体に少し漬け、液体を零さぬように椀を抱えたまま口へ運んだ。首を上に向け、長い海藻を口の中へ垂らすようにして入れると、特に汚らしい音を立てることなく顎を動かして咀嚼をする。そしてようやくこちらと目を合わせてくれた。
質問に答えて欲しいならまずは洗礼を受けてもらえないだろうかという懇願の現れとも言える態度だが、確かに今の自分は信用されるに値しないのだろう。口先では感謝をしていると言っておきながら、結局食事に手を付けないというのはあまりにも失礼である。郷に入っては郷に従え、ふと誰かが言っていた事を思い出した。
ならば有難く頂くべきだ。そう思ってサラザールを見ると、既に皿と椀が空になっていた。無機物以外何でも食う悪食ぶりが遺憾なく発揮されている。負けじと海藻を手に取って食べてみると、思いのほか悪くはない。塩ゆでされた海藻の塩気と、椀に入れられた液体の旨味が合わさり、互いの主張を押し殺す事なく口内で混ざり合っている。そして海藻の茎と葉の心地いい弾力を噛むたびに味わえた。そんなルーファンの姿を見ていた長も心なしか満足げである。
「別に謀があるわけではありません。ただ、こちらが勝手に期待を抱いているだけとでも言うべきですかな」
「期待?」
「ええ。あなた様がいつか訪れるのではないかと、我々は少し前から予期していた…創世録に記された絵を見たお陰で。よろしければこの後ご案内しても?」
ルーファンにとって長の誘いを断る理由は無かった。出来れば急ぎたいのは山々だが、リゴト砂漠の件といい創世録について調べを進めておくのも損にはならないだろう。特に記憶に残っているジョナサンの興奮具合からして、この集落にある創世録の情報は間違いなく欲しい筈である。
「…私は少し外を歩いてきます」
だがアトゥーイは乗り気では無さそうだった。そのまま立ち上がって長の住居から出て行こうとする。
「アトゥーイよ、たまにはゆっくりしなさい。久々に帰ってきたのだから――」
「彼の道案内のためだけです」
長に対してアトゥーイは辛辣に言い返し、ドアもついていない出入口をくぐって行く。彼の皿にはまだ海藻が残っていた。
「感じ悪っ…これ貰ってもいい?」
「やめろ、意地汚いぞ」
サラザールはアトゥーイに対する不快感と食い意地の両方を垣間見せ、ルーファンはその下品さを嗜める。長は少し俯いて悲しげな表情をしていた。
「無理も無い。やはり我々を憎み続けているのでしょうな」
長がぼやいた。
「憎んでいるが故に、あれほど冷たい態度を取っていると ?」
「ええ。昔は穏やかでよく笑い、気高さもあり、この集落に住む者達全員が彼を愛していた。勿論アトゥーイも我々を愛してくれていた」
「過去に何があったのです ?」
「…見捨て、見殺しにしてしまったのですよ。彼と彼の愛する者達を」
ルーファンと長が語り合っている頃、外に出たアトゥーイは周囲からの視線に耐えきれないかの如く俯き、人気の無い場所を求めて彷徨い続けていた。
「もしかしてあれってアトゥーイ様…!?」
「うん、間違いないよマスター・アトゥーイだよ ! おーい !」
子供たちの声が聞こえる。無視して歩きたいというのになぜか足が動かない。そして見たくも無いのに声のする方へ首を剥けてしまう。やはりいた。屈託のない明るい笑顔を浮かべてこちらを見ている子供達が。小さく手を上げて振ると、子供達は気を良くしてはしゃぎ出す。
そこからようやく歩き出せたが、動悸が止まらなくなっていた。憎くて憎くて仕方がない筈の故郷だと言うのに、どうしてか安堵している自分がいる。そんな矛盾した感情が心の中でせめぎ合い、彼の体を蝕んでいたのだ。
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