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3章:忘れられし犠牲
第83話 水底の集落
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「そろそろ着きますよ…いつまで項垂れてるんですか」
時折激しく揺れたり傾いたりするオルシゴンの口内にて、バランスを取りながらアトゥーイが呼びかける。だがルーファンは声に応じず、再びやってくるであろう吐き気の波に備えていた。
「…うっ」
案の定やって来た。腹の底がほんのりと温かくなり、そのまま胃や食道を圧迫しながらこみ上げてくる。微かに漏れ出てしまう息は非常に酸っぱい臭いであり、それを感じた頃には吐しゃ物で口の中が満たされ、間もなく吐き出された。これで七回目である。
「大丈夫 ?」
「これが大丈夫に見えるか ?」
「いいや」
隣にいたサラザールは社交辞令の如く軽い労わり方をしてくる。ルーファンに万が一のことがあった場合、自分にもどのような影響があるか分かったものではないというのに酷く淡白な態度であった。
そうこうしている内にオルシゴンの動きが止まり、やがて静かに口を開けだす。開けた口から新鮮な空気が突風として雪崩れ込み、その清涼さと清々しさをルーファンは存分に堪能する。ようやく解放されたのだ。外には積み上げられた岩石によって足場が作られており、奥には別の場所へと続く洞穴と橋が用意されている。上を見上げれば薄暗い岩石で覆われ、鍾乳石が垂れ下がっていた。
「本当に深海か ?」
ルーファンは少し信じられなかった。外がどのような状態になっているかが分からないせいでもあるが、こうして平然と立って歩けるような場所だったのは想定外だったのだ。
「ええ。行きましょう」
アトゥーイは狼狽えるルーファン達を連れ、そのまま石で出来た橋を渡っていく。石は濁った青色をしており、素手で触ってみると思っていた以上に滑らかな手触りだった。どのような素材なのかを聞いておきたかったが、ルーファンを置いて他の者達はどんどん歩いていく。仕方なく立ち上がって後追いかけて行った。
洞穴に入ると、更に狭い通路が待ち構えている。自分より体躯の大きいサラザールは少し屈んで尚且つ体を横に向けながら歩いていた。おまけに先程いた場所よりも暗いため、時折出っ張った石につまづいてしまう。
「普段は灯りも用意しているんですがね。今回は急な用事でしたので」
案内人のディマス族が言った。嫌味ではなさそうだったが、やはり自分達のせいで彼らに余計な手間をかけさせているのだろう。正直な話、嫌味の一つや二つ言われても仕方ないのかもしれない。そんな風に思っている内に通路の先から光が見えて来る。意味が分からない。深海だというのにまるで日が差し込んでいるかのような白く、暖かそうな光であった。
「……たまげたな」
そして通路を抜けた先でルーファンは感嘆する。陸地で目にする物と大して変わらない広大な集落が待ち構えていたのだ。岩を積んで出来ているのであろう小屋の数々や、そこを出入りするディマス族の人々がそれぞれの日常を送っている。
そして見上げると、海水によってできた透明な壁が屋根の如く覆いかぶさっており、その上から日差しが入り込んできていた。更に周囲は壁の如くそびえ立っている海が海流を作っており、集落の周りを轟音と共に動いている。竜巻の中に入っているような気分さえした。
「ここは第二の障壁となっている渦の中央に位置する最果て…ディマス族の集落です。厳密に言えば、我々がこうして海を押しのけて住む土地を確保しようとしているせいで渦を発生させているのです」
隣に来たアトゥーイが自分たちのいる場所を説明してくれる。その傍ら、ルーファンは周囲の視線が気になって仕方がなかった。今に始まった事ではないがやはり土地に馴染みの無さそうな者というのは好奇心の対象になるのだろうか。全裸で過ごしているディマス族の大人や子供が皆自分の方を見ている。
「さて、長に会いに行きましょう」
「ああ…質問だが、服を着ていないのはそういう習慣だからか ?」
「外来の人間に会う者達以外は皆そうです。それに水中で作業をする事も多いので、服を着ていると邪魔になる」
アトゥーイから裸の理由聞いたルーファンは、改めて周囲の人々に目を向けた。腹や掌、股間以外には固そうな鱗がまとわりついており、服が無くても生活に支障がなさそうと思えるくらいには平気そうな様子である。股間を隠さないのはどうかと思ったが。
「…長」
ルーファンが歩きながら手帳に集落に関する簡易的な感想を記録していた時、アトゥーイが足を止めた。ルーファンも同じく立ち止まり、手帳をしまって顔を前に向ける。目の前にはルーファンより頭一つ分は小さい小柄なディマス族が立っており、暖かそうな毛皮で出来た上着を羽織っていた。
「頭を出してください」
やがて長がゆっくりとした足取りで近づいてきた時、アトゥーイがルーファンへ指示をした。言われるがままに少しだけ頭を下げると、長は優しく両手で側頭部を掴む。そしてルーファンの額に自分の額をそっと当てた。やがて彼から離れると次はサラザールの方へと向かう。彼女もまた同じように頭を下げてルーファンと同じように額を当ててもらった。ディマス族なりの挨拶みたいなものらしい。
「ようこそ御出でくださいました。さあ、長旅でご苦労だったでしょう。食事も用意しています…こちらへ」
長が手招きをし、再び一行は歩き出す。
「今までに比べると割と歓迎してくれるわね」
距離を取ってついて行く中で、サラザールは小声で言った。
「ああ。事情があるんだろう」
ルーファンもそれは分かっているようだが、打算目的の可能性が無いとは言い切れなかった。何の説明も無しに飛び込んで来た者を招き入れるなど、よっぽどのお人好しでも無ければしないだろう。少なくとも自分と関わって彼らにメリットがあるとは思えないせいか、不思議と裏があるのではないかと疑いつつあった。
「長、食事の前に少し伺いたいのですが…不躾な質問だとは十分心得ています」
「ほう、何でしょうか ?」
流石に気になったのか、ルーファンは少し前に出てから長へ話しかける。
「想像していたより快く迎え入れてくれたので驚いたのですが…何か理由があっての事ですか ? それとも単純な好意から ? 」
「ふむ…」
ルーファンの問いに長は少し押し黙った。機嫌を損ねたわけではなさそうだがルーファンは少々緊張してしまう。相手の施しを疑うなど、時と場合によっては不敬扱いされかねない愚行であるからだ。だが暫くしてから長は少し微笑んでみせる。
「双方…ですかな」
その返答はルーファンの頭を混乱させるには十分だった。
時折激しく揺れたり傾いたりするオルシゴンの口内にて、バランスを取りながらアトゥーイが呼びかける。だがルーファンは声に応じず、再びやってくるであろう吐き気の波に備えていた。
「…うっ」
案の定やって来た。腹の底がほんのりと温かくなり、そのまま胃や食道を圧迫しながらこみ上げてくる。微かに漏れ出てしまう息は非常に酸っぱい臭いであり、それを感じた頃には吐しゃ物で口の中が満たされ、間もなく吐き出された。これで七回目である。
「大丈夫 ?」
「これが大丈夫に見えるか ?」
「いいや」
隣にいたサラザールは社交辞令の如く軽い労わり方をしてくる。ルーファンに万が一のことがあった場合、自分にもどのような影響があるか分かったものではないというのに酷く淡白な態度であった。
そうこうしている内にオルシゴンの動きが止まり、やがて静かに口を開けだす。開けた口から新鮮な空気が突風として雪崩れ込み、その清涼さと清々しさをルーファンは存分に堪能する。ようやく解放されたのだ。外には積み上げられた岩石によって足場が作られており、奥には別の場所へと続く洞穴と橋が用意されている。上を見上げれば薄暗い岩石で覆われ、鍾乳石が垂れ下がっていた。
「本当に深海か ?」
ルーファンは少し信じられなかった。外がどのような状態になっているかが分からないせいでもあるが、こうして平然と立って歩けるような場所だったのは想定外だったのだ。
「ええ。行きましょう」
アトゥーイは狼狽えるルーファン達を連れ、そのまま石で出来た橋を渡っていく。石は濁った青色をしており、素手で触ってみると思っていた以上に滑らかな手触りだった。どのような素材なのかを聞いておきたかったが、ルーファンを置いて他の者達はどんどん歩いていく。仕方なく立ち上がって後追いかけて行った。
洞穴に入ると、更に狭い通路が待ち構えている。自分より体躯の大きいサラザールは少し屈んで尚且つ体を横に向けながら歩いていた。おまけに先程いた場所よりも暗いため、時折出っ張った石につまづいてしまう。
「普段は灯りも用意しているんですがね。今回は急な用事でしたので」
案内人のディマス族が言った。嫌味ではなさそうだったが、やはり自分達のせいで彼らに余計な手間をかけさせているのだろう。正直な話、嫌味の一つや二つ言われても仕方ないのかもしれない。そんな風に思っている内に通路の先から光が見えて来る。意味が分からない。深海だというのにまるで日が差し込んでいるかのような白く、暖かそうな光であった。
「……たまげたな」
そして通路を抜けた先でルーファンは感嘆する。陸地で目にする物と大して変わらない広大な集落が待ち構えていたのだ。岩を積んで出来ているのであろう小屋の数々や、そこを出入りするディマス族の人々がそれぞれの日常を送っている。
そして見上げると、海水によってできた透明な壁が屋根の如く覆いかぶさっており、その上から日差しが入り込んできていた。更に周囲は壁の如くそびえ立っている海が海流を作っており、集落の周りを轟音と共に動いている。竜巻の中に入っているような気分さえした。
「ここは第二の障壁となっている渦の中央に位置する最果て…ディマス族の集落です。厳密に言えば、我々がこうして海を押しのけて住む土地を確保しようとしているせいで渦を発生させているのです」
隣に来たアトゥーイが自分たちのいる場所を説明してくれる。その傍ら、ルーファンは周囲の視線が気になって仕方がなかった。今に始まった事ではないがやはり土地に馴染みの無さそうな者というのは好奇心の対象になるのだろうか。全裸で過ごしているディマス族の大人や子供が皆自分の方を見ている。
「さて、長に会いに行きましょう」
「ああ…質問だが、服を着ていないのはそういう習慣だからか ?」
「外来の人間に会う者達以外は皆そうです。それに水中で作業をする事も多いので、服を着ていると邪魔になる」
アトゥーイから裸の理由聞いたルーファンは、改めて周囲の人々に目を向けた。腹や掌、股間以外には固そうな鱗がまとわりついており、服が無くても生活に支障がなさそうと思えるくらいには平気そうな様子である。股間を隠さないのはどうかと思ったが。
「…長」
ルーファンが歩きながら手帳に集落に関する簡易的な感想を記録していた時、アトゥーイが足を止めた。ルーファンも同じく立ち止まり、手帳をしまって顔を前に向ける。目の前にはルーファンより頭一つ分は小さい小柄なディマス族が立っており、暖かそうな毛皮で出来た上着を羽織っていた。
「頭を出してください」
やがて長がゆっくりとした足取りで近づいてきた時、アトゥーイがルーファンへ指示をした。言われるがままに少しだけ頭を下げると、長は優しく両手で側頭部を掴む。そしてルーファンの額に自分の額をそっと当てた。やがて彼から離れると次はサラザールの方へと向かう。彼女もまた同じように頭を下げてルーファンと同じように額を当ててもらった。ディマス族なりの挨拶みたいなものらしい。
「ようこそ御出でくださいました。さあ、長旅でご苦労だったでしょう。食事も用意しています…こちらへ」
長が手招きをし、再び一行は歩き出す。
「今までに比べると割と歓迎してくれるわね」
距離を取ってついて行く中で、サラザールは小声で言った。
「ああ。事情があるんだろう」
ルーファンもそれは分かっているようだが、打算目的の可能性が無いとは言い切れなかった。何の説明も無しに飛び込んで来た者を招き入れるなど、よっぽどのお人好しでも無ければしないだろう。少なくとも自分と関わって彼らにメリットがあるとは思えないせいか、不思議と裏があるのではないかと疑いつつあった。
「長、食事の前に少し伺いたいのですが…不躾な質問だとは十分心得ています」
「ほう、何でしょうか ?」
流石に気になったのか、ルーファンは少し前に出てから長へ話しかける。
「想像していたより快く迎え入れてくれたので驚いたのですが…何か理由があっての事ですか ? それとも単純な好意から ? 」
「ふむ…」
ルーファンの問いに長は少し押し黙った。機嫌を損ねたわけではなさそうだがルーファンは少々緊張してしまう。相手の施しを疑うなど、時と場合によっては不敬扱いされかねない愚行であるからだ。だが暫くしてから長は少し微笑んでみせる。
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