怨嗟の誓約

シノヤン

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3章:忘れられし犠牲

第72話 疑問符

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「おい、うちの軍は戻ってくると思うか ? 出払ってるって言っても流石に情報が行ってそうなもんだが」

 図書館で市民への対応に追われていたルプトの私兵が、食糧の貯蔵庫にて同僚へ話しかけた。

「さあな。まあ俺が死ななきゃ何でもいいよ。おら、さっさと食料を運べ」

 だが同僚は対して気にも留めていない。そのままニンジンの入ったずだ袋を渡しながら己の命こそが最優先なのだと彼に伝えた。そんな時、入り口からひょっこりと小さい人影が姿を見せる。

「あんたは確か長官お気に入りの新聞屋だな。なぜここに ?」
「いやはや。知ってくれてるようなら何より。自己紹介の手間が省ける…ただの興味本位でね。単純に取材と密着をしたかっただけだよ。こういう状況って滅多に味わえるものじゃないだろ ?」

 自分の事を覚えていてくれたのが嬉しかったらしく、入り口から姿を現したジョナサンは埃が少し付いていたコートをはたいて彼らに近づく。そしておもむろに手帳と万年筆を取り出した。

「少し聞きたい事があるんだが良いかな ? 作業しながらで良いし、ついでに報酬も出す。ほら、ここには今僕たち以外誰もいないし…ね ?」
「……まあ、手短になら…な ?」
「お、おう」

 仕事の邪魔をするなと断っても良かったのだが、所詮彼らも人の子だった。報酬という二文字に釣られてあっさりと了承をしてしまう。

「どうも…それじゃ聞くが、さっき軍が出払ってると言っていたよね ? この辺りで戦や戦力を差し向けて警戒しなければならない様な事態があったのかい ?」
「それがよく分からないんだ。確かに戦が起きそうだからって急に出陣していったんだが、こっちの情報じゃそんな警戒する程差し迫ってる状況なんか聞いてなくてなあ…残ってるのは俺達みたいな各王家を護衛する兵士のみってわけだ。他所の王家がどうなってるかは知らんが…いずれにせよ大多数はそっちの遠征に持ってかれてる」

 妙な話である。軍隊をわざわざ、それも大多数を首都から引き離すなどという愚行がジョナサンは信じられなかった。あの自分達が肥える事以外に何も考えてなさそうな王家の連中ならやりかねないが、ルプトは反対の意を示さなかったのだろうか。

「国務長官はそれには反対したのかな ?」
「一応はしてたみたいだった。まあ結局なし崩し的に受け入れたみたいだが…流石に一人じゃきつかったんだろうな」

 やはりあの人は良心だ。まあ覆せなかったのは多数派による同町圧力みたいなものだろう。仕方がない事である。

「成程…少し質問を変えるけど、ここは随分と貯蔵庫が大きいね。食堂やらに回す分もあるんだろうが、明らかにそれを差し引いても駄々余りしそうなくらいだ」

 辺りを見回しながらジョナサンは次の質問に移った。確かに貯蔵庫は広く、無数にある木造りの棚には食材が敷き詰められ、奥の方には未開封の酒樽や酒瓶も置かれていた。

「ええ。だいぶ前から運び込んでいたんですよ。こんなに必要かとは思ったんですが、備えあれば憂いなしって事で」
「へえ…因みにいつから ? 良ければ誰の指示なのかも教えてくれると嬉しいんだが」
「結構時間を使ったからな。それこそ軍が今回出陣するよりもずっと前だったはずだ。その頃から食料貯蔵庫の増築やら物資の運び込みをさせられていた気が…大体長官の秘書さんに頼まれてやってたが、一応は国務長官からの指示って話になってた」

 一通り聞いてはみたが、やはり何かが変だとジョナサンは首をかしげたくなった。備えあれば憂いなしとは言っても、たかだか飯屋の材料に使う物のためにここまでデカい空間が必要だろうか。それに怪我人の手当てに使っている薬や包帯に関しては説明がつかない。なぜそこまでして蓄えさせておいたのだろうか。だが少なくともわかったのは、この襲撃よりも遥か前の段階で備蓄を始めていたという点である。

 いずれにせよまだまだ調べなければならない事が多い。やはりルプト本人に直接聞くべきだろうか。二人の兵士に報酬として硬貨をたんまりと渡してからジョナサンは足早に去って行った。



 ――――街中では、ルーファン達を取り囲んでいたリミグロン兵達が次々と屠られていった。遠距離攻撃はフォルトが岩の壁を作って防ぎ、その隙にルーファンが切り込んでいく。そんな彼をアトゥーイが<水の流派>による魔法で援護する。本当に初対面なのかと思う程にスムーズな連携であった。斬り殺された死体が辺りに散乱し、それを踏み越えながら迫って来るルーファンの姿は、

「クソッ、一旦退くぞ !」
「言われなくても !」
「何でだ…聞いていた話と違うぞ… !」

 これ以上は流石にマズいと判断したのか、リミグロン兵の一人が叫ぶや否や一斉に逃げ出そうとし出す。

「やった !」

 逃げ出す彼らの姿をみてフォルトは喜び、アトゥーイも三叉槍を杖代わりにして一息ついていた。ところがルーファンは無言のまま彼らの後を追いかけるように歩き、やがて背負っていた弓を取り出した。

宿りし闇よ、万物を覆えドウェマ・ダクル・エヴ・カーム

 そう唱えてルーファンは矢を放つ。矢は逃げ惑う兵士達の傍にあった街路樹に刺さると、暗く深い闇の瘴気を拡散させて彼らの視界を奪ってしまう。何とか逃れていた者達も仲間を救いに戻るという事はせず、振り返る事なく走ってその場から撤退していった。視界を奪われ、苦しんでいるような声が聞こえる瘴気の溜まり場へルーファンは臆する事無く入っていき、間もなく多様な悲鳴が闇の中から上がり出した。

「た……助けて……」

 ルーファンによる突然の追い打ちを呆然と見ていたフォルト達だが、やがて瘴気の中から地べたを這いずりながらリミグロン兵が一人現れ、彼女達に懇願をしつつ手を伸ばす。よく見れば片腕が無い上に足も千切れかかっている。

「あ…待ってくれ ! 頼む…嫌だああああああ !」

 思わず助けようと足が動きかけたフォルトだが、その直後にリミグロン兵は強烈な引力によって再び瘴気の中へと引きずり戻される。少しして魔法の効果が切れて瘴気が晴れたが、そこでフォルト達が目にしたのは四肢や首を刎ね飛ばされ、殴打されたかのように装甲が凹み、涙と血で顔を濡らしたまま息絶えたリミグロン兵達の死体であった。

「すみません…許して…許して…」

 その骸によって作られた血だまりの真ん中で、ルーファンは目や頬を腫らしたリミグロン兵の首根っこを掴んでいる。許しを請う彼の言葉を無視し、そのまま引きずってこちらへ来る様はさながら悪魔と見紛う気迫を纏っていた。
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