怨嗟の誓約

シノヤン

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3章:忘れられし犠牲

第67話 無視するな

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「美味しい !」

 日が当たるお陰で少々蒸し暑さを感じるテラスでは、フォルトが目を輝かせて魚に嚙り付いていた。鱗を取り除かれるなどして仕込みが施された鱈を丸ごと塩焼きにしているだけの、料理としての最低限の尊厳は保たれている程度の品。だが魚に馴染みの無い彼女にとっては堪能するのに十分だったのだろう。串に刺さった少々塩辛い鱈を無邪気に齧っていた。これぐらい無知でいた方が人は幸せなものである。

 そんな彼女の真正面に座っていたルーファンは料理には目もくれず、道行く通行人や周囲の建物、そして見える範囲で分かる地形を注視し続けていた。本来ならば少女を連れ歩いて観光をしている年長者という立場である筈だが、そんな穏やかさを微塵にも感じさせない。明らかに周囲に敵意をまき散らし、自分の縄張りに入ってくるなら切り伏せてやると言わんばかりの気迫があった。

「ねえねえ、食べないの ?」

 全然自分の声に反応してくれないのが不満だったのか、フォルトがルーファンの分の食事を指さしてきた。周囲の観察に明け暮れたおかげで、すっかり鱈も冷え切っていた。

「ああ、そうだな…すまない」

 自分のやりたい事に没頭していたせいで、同伴者への気遣いを怠った事をルーファンは恥じる。そして詫びを入れてから鱈を齧った。冷え切った皮と仄かに温い肉、そして十分すぎる塩気が口内で混ざり、非常に喉が渇きそうな味である。だが食えないよりはマシだろう。黙々と感情を見せずに無心で食物を口に運ぶ姿は、さながら何かの修業でもしてるかのように見えてしまう。文字通り生命を維持するために仕方なく行っている手段の一つ。そんな印象をフォルトは抱いた。

「もしかして人と喋ったりするのって嫌い ?」
「え ?」

 フォルトからの問いにルーファンは目を丸くしていた。

「いやほら、あんまり雑談とかしてるの見た事ないから…周りの事凄く見張ってるし」
「いや、そういうわけじゃないが…昔の癖が抜けなくてな」
「癖 ?」
「ああ。どうしても街の地形や住人の服装や行動の方ばかりが気になってしまう。敵がどんな場所からなら攻撃を仕掛けやすいか、怪しい行動を取っている奴はいないか…そんな事を考えてばかりで、とにかく気を緩めるのが怖い」

 このルーファンの考え方は、客観的に見れば異常という他ないだろう。だが彼は真剣であった。いつどこから襲い掛かってくるか分からない以上、警戒をしておくに越した事は無い。”やられる前にやれ”。それが生き残るために体に叩き込んでおいた絶対のルールであった。

「ね、ねえ。周りを見てる時ってさ、どんな事に気を付けてたりするの ? この街で例えたらどういう所が怪しい ?」

 そんな彼相手だろうと、どうしてもフォルトは距離を詰めたいのか積極的に絡み続ける。もしかしたら自分のせいで退屈させてしまっているかもしれないという、彼女自身に生じた申し訳なさ故に彼の顔を立てたくなっただけの事である。

「そうだな…あそこの切り開かれた丘陵地が見えるか ?  崖の上にあるせいで高所な上に、果樹園へと続く道を切り開いたせいで坂が出来ているだろ。ああいう場所には弓や銃を持った兵士を配置しやすい。建物の屋根もそう。敵を遠距離から攻撃するには高所から撃ちおろす方が難易度も低い。高所を制する者が戦を制するとも言われてるほどだ」

 そんな相手の心など露知らず、急勾配な坂道の上に出来ている丘陵地を指さした後に、周辺の建物へもついでに目を向けながらルーファンは解説をした。

「それだけじゃない。比較的栄えている都市だから建物が多いのも当然だが、これは全て攪乱に使える。身を守る遮蔽物にしても良し、行って良い路地と行ってはいけない路地、そして抜け道を念入りに把握して敵を欺くための避難経路に使うもよし…とにかく自分がいる場所の環境を頭に叩き込んでおくのは、必ず戦で有利に働く」

 穏やかな態度ではあるが和やかさは微塵も無い。さながら教師によるご高説を聞いているような退屈さと、そんな物を覚えたからって何になるんだというどうでも良さを感じてしまうだろう。少なくとも無関係な人間にとっては。

「へぇ~… ! 他には他には⁉」

 フォルトはその類の人間に当てはまらなかったらしい。自分が知らない知識に出会えたことに目を輝かせ、さらに寄越せと図々しくせがんでくる。

「食事も終わったのに居座っては店にも迷惑だ。見物がてら歩いて話そう」

 ルーファンはそう返し、やがて二人は会計を終えて店を出る。日差しは強く、ルーファンは少しの間だけ日光を遮るようにして目の上に手をかざした。フォルトはウキウキと軽い足取りで海が見える場所はないかと辺りを見回している。そんな彼女の後を追う際、忘れ物をしてなければいいがと思ったルーファンは、自分達が出た店の方を少しだけ見る。そして大丈夫だろうと気を取り直し、再びフォルトの方を振り返った時、突然彼は足を止めた。

「あれ、ルーファン ?」

 自分の話し掛けにルーファンが乗ってこなくなったのを変に感じたフォルトが振り返る。店を出てすぐ、石畳の街路端に立ち止まったままの彼は、少し離れた場所にいるフォルトの方を真顔で見ていた。やがて静かに弓を持ってから矢を弦にあてがう。こちらに狙いを向けていた。

「ルーファン、ねえ何やって――」
宿れドウェマ・ネト

 困惑した彼女の問いかけにさえ答えようとはしない。そのまま呪文を唱えて矢じりに闇を纏わせた。周囲もざわつき、異常者が武器を構えているとしてたまらず距離を取ってから手近にある物を陰に身を隠そうとする。ギリギリと弓を引き絞り、そのまま矢を放つ瞬間にルーファンは弓の方向を咄嗟に変える。放たれた矢は壁や通行人に当たる事なく、フォルトの横を掠めて彼女の左側の斜め後ろ方向で突然静止した。文字通り空中で動きを止めたのだ。

「ぐぅっ…!!」

 間髪入れずに呻き声が聞こえる。空中で静止していた筈の矢から赤い血がしたたり落ち、やがてそれを境に首を矢で刺されたリミグロン兵が姿を現す。魔法で姿を隠していたのだ。

「嘘…」
「一瞬だが、明らかに通行人や周りの建物と違う姿をした影が見えた。姿は隠せても影だけはどうしようもないらしい」

 苦しみのあまり時に這いつくばって藻掻いているリミグロン兵に近づき、ルーファンは隣で呆然としているフォルトに語る。丁度そのタイミングでガロステルも地中から現れた。

「おいルーファン…ってマジか」
「どうかしたか ?」
「こっちもリミグロンの連中を見かけた。魔法で姿を眩ませて潜伏していたとはな」

 ガロステルからの情報でリミグロンが何かしら企んでいるとルーファンは勘づくが、どうしても目的が見えない。自分を殺したいのならばさっさと襲い掛かればいいはずである。少し考える時間が欲しかったのだが、そういう時に限って猶予を与えてもらえない。間もなく遠くで爆発と悲鳴が聞こえだす。

「攻撃⁉」

 やはりまだ慣れないのか、一度だけ大きく身震いをしてフォルトが驚く。

「かもしれない。だが妙だ…隠密活動も出来るのにわざわざ暴れ出すなんてな」
「どういう事 ?」
「わざわざ目立つマネをするっていうのは、周りの連中が自分に注目してもらわないと困るからだ。つまり…」
「リミグロンには目的が別にある… ?」

 ルーファンは自分が抱いた疑念を共有すると、すぐにフォルトもそれを察知する。何か嫌な予感がした。
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