怨嗟の誓約

シノヤン

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3章:忘れられし犠牲

第65話 偽りの偶像

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「さあさあ、どうぞ遠慮なくお掛けになってください」

 ルプトの書斎に案内された一同は、ルプトに言われるがまま用意された椅子へと腰掛ける。固めの木で作られているものの、見た目に反して座り心地は悪くない。

「断られても仕方ないと割り切って頼んでみたのですが、まさかこうして”鴉”と直接お会いできるだなんて思いませんでしたよ。ルーファン・ディルクロ様」
「ルプト・マディル国務長官、敢えて光栄です」

 互いが握手を交わしながら挨拶を述べる。ルーファンに関してはただの社交辞令であり、そこに彼への敬意や遠慮という物は込められていない。不快さの漂う街の光景と、イマイチ本心の見えないルプトの薄ら笑いが気を許させてくれなかった。

「ジョナサンはずいぶん馴れ馴れしく話しかけていましたが、何か関係が御ありですか ?」
「留学というものですよ。国から遣わされて産業や文化研究のため、私が運営する学校で生徒として活動していた過去があるのです。とても勉強熱心で、本心を言うなら助手にしたいくらいでした」

 ジョナサンの事について切り出すと、ルプトもしみじみと懐かしんでいる様子だった。隣に座っているジョナサンも誇らしげに頷いている。だからこそすぐに話を通せたのかと、通行手形やお墨付きの件で融通してもらえた理由がひとまず分かった。しかし必ずしも恩義ばかり感じているわけでは無い。

「先程、街の通りで人が殺されました。ジョナサン曰く王族による催しとの事でしたが、なぜあのような催しが ? まさかとは思いますが常日頃行われているわけではないでしょう ?」

 そんなルーファンの問いにもルプトは少し俯く。小さく首を横に振り、「またか…」というホーレンに対するものだと思われる言葉を漏らした。

「気分の悪い物を見せてしまい申し訳ない。そちらの皆様方にもご苦労を掛けてしまいましたな」
「い、いえ…えっと…お心、じゃなかった…」
「お気遣いなく、って言いたいの ?」
「うん、それ…」

 ルプトから謝罪を受けたフォルトは何か寛大に聞こえそうな返事でもしようかと張り切ったが上手くいかない。結局サラザールが横で教えてくれた事で少し恥ずかしそうに悶えた。ルプトはそんな様子を見ても嘲笑ったりせず、ただ微笑ましそうに見つめるだけである。己の無知を恥じ、自覚する事が出来るだけでも十分に立派な物だと分かっていた。そうして人は学んでいくのだ。

「恐らく知りたいのは、なぜあのような蛮行が平然と認められるような国になってしまったか…という所でしょう。それはこの国に文化形成において、遥か昔の民話が根本的な原因として深く根差しているせいだと考えています」

 ルプトはルーファン達が抱いている疑問の根源を察し、ある一つのおとぎ話を語り始めた。



 ――――遥か昔、掘っ立て小屋に住むとある貧民の夫婦の間に一人の子が生まれ落ちた。人一倍優しい心を持つ少女だったが、彼女には生まれついて手足が無く、仕事も家事も碌に出来ない。そんな少女を人々は忌み子として恐れ、ついには父と母も苦悩の末に匙を投げてしまう。人目を避けさせるために小屋に引きこもらされた少女は、なぜ外を走り回る子供達と違う姿で自分は生まれてしまったのかと自問自答を繰り返し続けるしかなかった。

 ある夜、嵐が吹き荒れた。夜の闇に染まった黒い波が港に叩きつけられ、空からは歩く事さえままならない滝のような雨が降り注ぐ。天災に人々が怯える中、海から山の様に巨大な人魚が姿を現す。水と生命を司りし神、< ネプチューン >が降臨したのだと人々は恐れおののくしかなった。

「お前たち人間は幾多もの種から奪う事しかせず、恩恵を享受するばかりで分け与えようともしない。今まで見てきたどんな生き物よりも傲慢で浅ましく、そして醜悪だ。貴様らによって滅ぼされた命に代わり、この私が裁きを下してやる。裁きが嫌だというなら、他者のために己の命を捧げんとせん気高き慈愛の魂を持つ人間を連れて来てみよ。その者の犠牲を対価に引き下がってやろうではないか」

 まるで雷の様に響き渡る怒号を前に民衆は大慌て。品行方正を謳う好青年や、頼れる指導者とされた長老でさえ死ぬのは御免だとほざき、誰一人として贄になろうとはしなかった。そんな中、あの忌み子を匿う掘っ立て小屋から声が聞こえる。

「私が贄となりましょう」

 少女の申し出に人々は大喜び。ごく潰しと言えど、せめて死装束くらいはいいものをくれてやる。そうして白い絹の衣に身を包ませて< ネプチューン >が待ち構えている海の近く、港の波止場へと置き去りにした。

「これから起こる貴様の死に対し、手を叩いて喜ぶ者がいると分かるだろう。死を悲しむどころか、誰一人として同情も別れの言葉も投げかけてくれない。そうまでして身を捧げるのは何故か ? それは本当に汝の意思か ?」

 まさか人間が自ら生贄になるとは思わなかったのか、< ネプチューン >は偽りと真を見極めるために少女へ問いかける。

「私は生まれついてこのような姿で生まれました。この体故に両親やそのご友人たちにも苦労を掛けさせてしまい、申し訳なさで心が一杯なのです。それでも彼らは足手まといとして私を殺そうとはしませんでした。それはせめてもの優しさなのだと私は信じております。そんな彼らへのせめてもの恩返しがしたい。その思いだけはこの身を切り裂かれ、骨まで食い尽くされようと不変であると誓わせていただきます」

 少女の言葉に< ネプチューン >は胸を痛め、同時に人間を信じようとしなかった己の愚かさを恥じた。そして少女の肉体を涙ながらに食らうと、隠れて事が住むのを待っている人々へと怒鳴った。

「人間たちよ、この名もなき少女を讃えるのだ。人間という種のために、誰よりも優しさと勇気を以て我の血肉となったこの気高き勇者を。彼女の犠牲を無駄にせず、他者のために慈愛を見せる心をせいぜい忘れずに生きていけ。もし貴様らがそれを忘れる事があれば、我は必ず戻ってくるだろう」

 < ネプチューン >はそう言い残して去っていく。やがて夜が明けると嵐は止み、犠牲となった少女への手向けともとれる美しい虹が掛かっていた。そして少女がいなくなった波止場には、五人の手足の無い赤ん坊が置かれて、元気よく産声を上げていたのだ。

 人々は犠牲となった少女を忘れないために戒めとして、< ネプチューン >が彼らを遺したのだと語り合い、< ネプチューン >と少女への誓いを果たすために彼らを大事に育てたのでした。



 ――――昔話が終わって暫くは全員が沈黙していたが、やがてガロステルが指で頭を掻く。

「いやまあ…うん…救いが無さすぎる点以外は良く出来たおとぎ話だな」

 どうも腑に落ちない点があるらしく、少々苦い顔をしながら彼は言った。

「この民話を元に、”自分や他人がどのような姿をしていようと、分け隔てなく優しさを見せ、博愛を持って生きることが大事”という教訓を信条として掲げ、当初こそ人々は穏やかに生活をしていたという記録が書物に残っています」
「当初こそ ?」

 ルプトが民話を基にしたリガウェールにおける秩序の始まりについて語るが、話を聞く限りでは今のこの国の王族の振る舞いは想定されていた物ではないという事になる。ルーファンはそこが気になって仕方がなかった。

「道具も教えも全ては扱う人間次第という事です。やがて民話を曲解し、”少女と同じ姿をした…”持たざる者”達は皆、< ネプチューン >より遣わされた少女の生まれ変わりであり、その末裔と言われる王族を敬い崇める事は< ネプチューン >から人間が罪を許される唯一の方法である”と制度を作り変えられてしまった。あくまで残されている記録から見た推測ですがね」
「だれも止められなかったのか ?」
「人を疑うというのは他者を思いやる優しさを捨てるという事、などと考えたのでしょうな。故に民は疑問を呈しさえしなかった。そしていつしか、生活のありとあらゆる側面を王族達に縛られるようになってしまったのです。人間の善性を当てにした制度や信条には限界があるのですよ。悪用する者が現れれば、無抵抗のまま蹂躙されるだけなのですから」
「つまり王族達による独裁政治が続いているという事か」

 ルーファンがリガウェールの状況を飲み込めてきていると分かったルプトは秘書へ目配せする。秘書は頷き、一度だけドアを開けて外の様子を見に行った。やがて誰もここに近づいていない事を確認すると、見張り達にも合図を出してから再びドアを閉めて鍵を掛ける。あまり聞かれたくない会話をここで繰り広げるつもりらしい。

「王族達の意向は絶対。逆らう者や異議を唱える者は悍ましい外道であるとして吊るしあげられて厳しい処罰に課せられます。娯楽についてもそう…演劇や出版物には必ずこの国の王族や彼らが崇拝する”持たざる者”達を称賛する内容をどこかへ入れていなければならない」
「それをしなかった場合どうなる ?」
「少しでも侮辱的な内容があったり、そもそも称賛する内容を記述していなければ、それだけで全財産の没収と市中引き回し。その末に奴隷として最下層に落とされてしまう。所持をしていた者も同様です。それ以外にも服装や税の納付など、生活に関するありとあらゆる事象が王族の繁栄の礎とされるようになっています。おまけに民には馬鹿でいてもらわねば困ると、王族や他国から派遣された使者を除く庶民の大半はまともに学校へ通わせてすらもらえない。亡命も国外への移住も許されず、外の世界に触れる事も出来ない人々が多くいるのです」
「酷い…」

 ルプトから知らされる徹底的な圧政ぶりを聞かされ、フォルトも感情を吐露した。決して裕福とは言えなかった彼女の故郷でさえ、この地に住んでいる人々からすれば自由がある分マシだと思われてしまうのではないか。見下しているわけでは無いがそんな事を考えてしまう。

「だからこそ私は嘆いている。この図書館は治外法権が適用される私有地として私がやっとの思いで設立し、運営している場所です。見聞に触れ、それを基に地域…ひいては己の人生を発展させる機会すら奪おうとしている者が多い。同じ王族として恥ずかしい限りです」

 ルプトは自分の身内の浅はかさを蔑み、自分の両手に目を落とす。インクの汚れが所々にあり、手の甲は老化によって皺が目立ち始めていた。

「王族はそれぞれの家の領主となる際に手足を切断する決まりとなっている。私もいずれはそうでしょう…そうなってしまえば、まともに執務は行えず、ただの偶像として崇められるだけの下らない日々が待つのみです。その前に民を取り巻く環境を少しでも良くするために尽力したい」

 そう語るルプトは非常に物悲しげな表情を作っている。ルーファンはそんな彼の様子を、何を思っているのか分からない仏頂面で見ていた。

「ディルクロ殿。私はあなたが羨ましいと思っている。どんな立場にも権力にも囚われず己の信じる道を進む姿に感銘を受ける者は多い。私もその一人です」

 改めて顔を上げ、ルプトは笑顔を向けながら再びルーファンへ語り掛ける。

「私に出来ないリミグロンとの戦い、それにはこの国で手に入る情報が必要だとジョナサンからは聞いております。街を散策してこの国について知るも良し、この図書館を利用するも良し。御自分の庭の様に使っていただいて構いません。もしあなたに噛みつく不届き者がいる時は私の名前をお出しください。必ずや力になりましょう」

 このルプトの言葉を皮切りにルーファンを除く一同は顔を見合わせながら驚愕し、安堵をしながら喜んでいた。そんな歓喜の雰囲気に溶け合おうとしないルーファンは、頭を下げて静かにルプトへ会釈をする。その顔は一切笑っていなかった。



 ――――その後ルプトと別れ、ジョナサンは図書館の前で胸を撫で下ろして安心していた。

「いや~良かったな ! これで思う存分、誰にも遠慮せずに活動できるぞ ! せっかくだから皆で街の見物でもして来なよ。僕は図書館で調べものがあるからさ。後で合流しよう」

 そう言って返事も待たずに再び屋内へ戻っていく。引き留めようと思っていたルーファンだが、後で考えを整理してからでも遅くないとして他の面子の様子に目を向ける。フォルトは尻尾を振りつつ、通行人や建物を物珍しそうに眺めていた。通行人たちも同様に獣人が珍しいのか、立ち止まったり二度見をして彼女に注目し返す者が後を絶たない。

「サラザール、ガロステル。少し来てくれ」

 近くで雑談をしていた二人をルーファンが手招きをすると、特に反抗的な態度を示す事なく近寄ってくる。そのまま小声で話を始めた。

「二人で手分けをしてジョナサンの護衛とルプトへの探りを入れて欲しい」
「どういう事だ ?」

 突然の、それも先程まで談笑をしていた相手に対して何をする気なのか。流石に変だと思ったのかガロステルも首をかしげる。

「胡散臭さを感じた…単純な善意と興味本位だけで俺達を国に招き入れたとは思えない。どうも話が上手すぎる気がしてな。何も無ければ疑ってて済まなかったと後で詫びをしに行く」
「…分かった」

 ルーファンはルプトから漂う不信感を拭いきれないと告白する。それを聞いたサラザールは少し残念そうにしながら応じると、近くの壁に出来ている影の元まで歩き、その中へと消えていった。ガロステルも「任せとけ」とウインクしてから図書館の中へ入っていく。

「あれ ? 二人は ?」
「少し頼み事を聞いてもらった」
「そうなんだ…まあいっか ! とりあえずお昼にしよう !」

 二人がどこかへ行った事が残念そうだったフォルトだが、すぐに気を取り直して威勢よく歩き出す。表情にこそ出さないがそんな能天気さをルーファンは少し羨ましく、そして愛らしく思いながら彼女の後をついていった。
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