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3章:忘れられし犠牲
第64話 権力の使い方
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膝を突き、ただ無言で項垂れたルーファンはジモエ・ホーレンの行進が過ぎるのを待つ。目を動かせる範囲で周囲を観察するが、やはり誰一人して敬意や羨望を孕む様な態度は見せていない。寧ろ馬車が通り過ぎるや否や小さく息をつき、微かに口元を緩めて安堵の表情を浮かべるのが大半である。
王族との婚約をそれほどまでに恐れるのはなぜなのだろうか。庶民と比べて様々な制約はありそうだが、それほど悪い待遇ではないだろうに。参考にもならない故郷の人々の姿と照らし合わせて不思議がっていたルーファンだが、突然隊列が動きを止めた事に少し緊張感を持つ。自分か、それとも別の誰かが原因か。心当たりがありそうな記憶を思い返しながら注視を続ける他なかった。
「そこのお前 !」
ジモエ・ホーレンから何か耳打ちをされたらしく、付き人らしい一人の兵士が馬車から降りて怒鳴った。彼の先には、一人の若い男が跪いている。中々聡明そうな顔立ちをした青年だが、この時ばかりは目も合わせずに俯いていた。
「光栄に思え。ホーレン様が貴殿を婿候補としてお目付けになられた」
その宣告に対して祝福の声や拍手を出す者はおらず、ただただ一刻も早く終わってくれという代弁にも近い沈黙が続く。やがて青年は恐る恐る顔を上げた。怯えた表情を浮かべていたものの、すぐに気圧されたのか両手の指を絡めて祈るように目を閉じる。
「偉大なるジモエ・ホーレン様と共に、我らを見守る神…< ネプチューン >の支柱となれる事を心より誇らしく思います。伴侶としての立場に恥じぬよう、ジモエ・ホーレン様をお支えしていく大任―――」
「お待ちください !」
青年が欠片も思ってなさそうな決意表明を震えながら口にしていた時、隣にいた母親らしき老婆が叫ぶ。周囲は僅かばかりどよめき、ルーファンも老婆の方を見る。
「申してみよ」
兵士が老婆に手を貸し、立ち上がらせながら言った。思っていたよりは情けがあるのかとルーファンは落ち着きかけたが、不意に目に入ったジモエ・ホーレンが機嫌の悪そうな表情を浮かべているの見た途端に再び体が強張る。
「この子は私の一人息子でして…我が家の商いの大事な人手でございます。あまりにも尊大で不躾であると心得てはいますが…この子が連れて行かれてしまっては、力仕事をしてくれる者が誰もいなくなってしまうのです」
「だから見逃してくれと。そう言いたいのだな」
そんな風に繰り広げられる老婆と兵士の会話を聞いていたルーファンだが、兵士の両腕が濡れている事に気付く。指先から水が滴り、小さな水溜まりが出来そうであった。不自然である。
「気持ちは分かるが…ダメだ」
老婆が危ないと感じたルーファンがすぐにでも剣を抜けるよう手を動かしかけた時、隣にいたジョナサンがそう言って止めた。落ち着いて宥めている様に振舞ってはいるが、既に目線を下に向けて老婆達の方を見ない様にしている。分かっているのだ。これから何が起こるか。
「は、はい… ! どうか――」
「切り裂け」
自分の話に耳を傾けてくれた事で調子乗ってしまった老婆が懇願をした瞬間、兵士は掌に溜めていた僅かな水を彼女に見せ、眉一つ動かす事なく呪文を唱えた。水が球状になって浮遊し、薄い膜の様に広がって円盤の形になっていく。そして声を上げる間もなく老婆の喉へ向かって飛来し、彼女の首を切り落とした。
青年は悲鳴を上げ、駆け寄ろうとするがすぐに他の兵士たちに取り押さえられる。そして兵士達は抵抗する彼を幾らか殴ってから、枷を付けて引きずるようにして連行していった。その後も何人か、若そうな男を指名して彼らにもまた枷を付けさせて連行していく。人々は逃げ出すわけでもなく、泣き喚いて絶望するわけでもない。目を閉じて祈り、耐え忍ぶしかなかった。
「…教えてくれ」
ジモエ・ホーレンの隊列が見えない所まで歩き去った頃、ルーファンがジョナサンに尋ねる。
「奴らは…王という立場を何だと思っているんだ ?」
地面に付けていた手を握り締め、血を噴いたまま崩れ落ちている老婆の死体を見たルーファンが、殺意と侮蔑を押し殺した様な低い声で言った。
「リガウェールへようこそ」
そんな彼を否定する事無く、ジョナサンは今見た光景がこの国の現実であるとして皮肉めいた出迎えの言葉を放る。結局、ルーファン達以外に老婆の死体を片付けようとする者は誰一人としていなかった。
――――リガウェール王国の国務長官であるルプト・マディルはこの日、首都アリフにて自らが管理をしているリガウェール国立図書館へと赴いていた。大理石で造られた建物内部の床には固めの絨毯が敷き詰められており、首が痛くなるほどに見上げてしまう高さの本棚が列を成して並べられていた。その間を行き来するのは、政府の高官やルプトの関係者ばかりであるが、時折ルプトに会釈をする平民らしき者もいる。言葉を選ばずに言うなら場違いな姿であった。
「本日は勉強を教えるのですか ?」
彼の車椅子を押している若い半魚人が言った。彼の秘書であり、心優しそうな笑顔を浮かべている。
「ああ、週に一度しか開けない大事な催しだ。市民の方々も熱心に来てくれる以上は、休むわけにもいかない。一応言っておくが――」
「分かっていますとも、他の王家には内密にしておきます。どの道彼らがこの図書館に近づく事も無いでしょうし」
「だろうな。英知と歴史を疎かにして踏みつけ、自覚も無しにその上で胡坐をかく…何とも嘆かわしい事だ。それはそうと、今日の鱈のソテーは中々私好みの味付けだったな。もしかして料理人が変わったのかね ?」
あまり公にはできない愚痴を零しつつ、他愛も無い日常に関する雑話を馴れ馴れしい雰囲気と共に楽しむ。ルプトは図書館にいる間だけ手に入るこの時間が何よりも好きだった。
「やはりここにいましたか」
そんな折に、後ろから声が聞こえる。ルプトにとっては良く聞き慣れたものだった。少々加齢と体格の成長によって声が太くなってはいたが。
「ジョナサン・カロルス。大事な教え子がこうして戻って来てくれたか」
車椅子を後ろに向けてからルプトは手を振っていたジョナサンを見た。そして彼の後ろにいたルーファン達を見るとすぐに会釈をする。ルーファンもお辞儀をし返すが、なぜか思うように愛想を振りまけなかった。自分はこの男とは打ち解けられないかもしれない。何かを心待ちにしているかのようにこちらを見つめる胡散臭い視線が、どうしてか分からないがルーファンをそんな気にさせた。
王族との婚約をそれほどまでに恐れるのはなぜなのだろうか。庶民と比べて様々な制約はありそうだが、それほど悪い待遇ではないだろうに。参考にもならない故郷の人々の姿と照らし合わせて不思議がっていたルーファンだが、突然隊列が動きを止めた事に少し緊張感を持つ。自分か、それとも別の誰かが原因か。心当たりがありそうな記憶を思い返しながら注視を続ける他なかった。
「そこのお前 !」
ジモエ・ホーレンから何か耳打ちをされたらしく、付き人らしい一人の兵士が馬車から降りて怒鳴った。彼の先には、一人の若い男が跪いている。中々聡明そうな顔立ちをした青年だが、この時ばかりは目も合わせずに俯いていた。
「光栄に思え。ホーレン様が貴殿を婿候補としてお目付けになられた」
その宣告に対して祝福の声や拍手を出す者はおらず、ただただ一刻も早く終わってくれという代弁にも近い沈黙が続く。やがて青年は恐る恐る顔を上げた。怯えた表情を浮かべていたものの、すぐに気圧されたのか両手の指を絡めて祈るように目を閉じる。
「偉大なるジモエ・ホーレン様と共に、我らを見守る神…< ネプチューン >の支柱となれる事を心より誇らしく思います。伴侶としての立場に恥じぬよう、ジモエ・ホーレン様をお支えしていく大任―――」
「お待ちください !」
青年が欠片も思ってなさそうな決意表明を震えながら口にしていた時、隣にいた母親らしき老婆が叫ぶ。周囲は僅かばかりどよめき、ルーファンも老婆の方を見る。
「申してみよ」
兵士が老婆に手を貸し、立ち上がらせながら言った。思っていたよりは情けがあるのかとルーファンは落ち着きかけたが、不意に目に入ったジモエ・ホーレンが機嫌の悪そうな表情を浮かべているの見た途端に再び体が強張る。
「この子は私の一人息子でして…我が家の商いの大事な人手でございます。あまりにも尊大で不躾であると心得てはいますが…この子が連れて行かれてしまっては、力仕事をしてくれる者が誰もいなくなってしまうのです」
「だから見逃してくれと。そう言いたいのだな」
そんな風に繰り広げられる老婆と兵士の会話を聞いていたルーファンだが、兵士の両腕が濡れている事に気付く。指先から水が滴り、小さな水溜まりが出来そうであった。不自然である。
「気持ちは分かるが…ダメだ」
老婆が危ないと感じたルーファンがすぐにでも剣を抜けるよう手を動かしかけた時、隣にいたジョナサンがそう言って止めた。落ち着いて宥めている様に振舞ってはいるが、既に目線を下に向けて老婆達の方を見ない様にしている。分かっているのだ。これから何が起こるか。
「は、はい… ! どうか――」
「切り裂け」
自分の話に耳を傾けてくれた事で調子乗ってしまった老婆が懇願をした瞬間、兵士は掌に溜めていた僅かな水を彼女に見せ、眉一つ動かす事なく呪文を唱えた。水が球状になって浮遊し、薄い膜の様に広がって円盤の形になっていく。そして声を上げる間もなく老婆の喉へ向かって飛来し、彼女の首を切り落とした。
青年は悲鳴を上げ、駆け寄ろうとするがすぐに他の兵士たちに取り押さえられる。そして兵士達は抵抗する彼を幾らか殴ってから、枷を付けて引きずるようにして連行していった。その後も何人か、若そうな男を指名して彼らにもまた枷を付けさせて連行していく。人々は逃げ出すわけでもなく、泣き喚いて絶望するわけでもない。目を閉じて祈り、耐え忍ぶしかなかった。
「…教えてくれ」
ジモエ・ホーレンの隊列が見えない所まで歩き去った頃、ルーファンがジョナサンに尋ねる。
「奴らは…王という立場を何だと思っているんだ ?」
地面に付けていた手を握り締め、血を噴いたまま崩れ落ちている老婆の死体を見たルーファンが、殺意と侮蔑を押し殺した様な低い声で言った。
「リガウェールへようこそ」
そんな彼を否定する事無く、ジョナサンは今見た光景がこの国の現実であるとして皮肉めいた出迎えの言葉を放る。結局、ルーファン達以外に老婆の死体を片付けようとする者は誰一人としていなかった。
――――リガウェール王国の国務長官であるルプト・マディルはこの日、首都アリフにて自らが管理をしているリガウェール国立図書館へと赴いていた。大理石で造られた建物内部の床には固めの絨毯が敷き詰められており、首が痛くなるほどに見上げてしまう高さの本棚が列を成して並べられていた。その間を行き来するのは、政府の高官やルプトの関係者ばかりであるが、時折ルプトに会釈をする平民らしき者もいる。言葉を選ばずに言うなら場違いな姿であった。
「本日は勉強を教えるのですか ?」
彼の車椅子を押している若い半魚人が言った。彼の秘書であり、心優しそうな笑顔を浮かべている。
「ああ、週に一度しか開けない大事な催しだ。市民の方々も熱心に来てくれる以上は、休むわけにもいかない。一応言っておくが――」
「分かっていますとも、他の王家には内密にしておきます。どの道彼らがこの図書館に近づく事も無いでしょうし」
「だろうな。英知と歴史を疎かにして踏みつけ、自覚も無しにその上で胡坐をかく…何とも嘆かわしい事だ。それはそうと、今日の鱈のソテーは中々私好みの味付けだったな。もしかして料理人が変わったのかね ?」
あまり公にはできない愚痴を零しつつ、他愛も無い日常に関する雑話を馴れ馴れしい雰囲気と共に楽しむ。ルプトは図書館にいる間だけ手に入るこの時間が何よりも好きだった。
「やはりここにいましたか」
そんな折に、後ろから声が聞こえる。ルプトにとっては良く聞き慣れたものだった。少々加齢と体格の成長によって声が太くなってはいたが。
「ジョナサン・カロルス。大事な教え子がこうして戻って来てくれたか」
車椅子を後ろに向けてからルプトは手を振っていたジョナサンを見た。そして彼の後ろにいたルーファン達を見るとすぐに会釈をする。ルーファンもお辞儀をし返すが、なぜか思うように愛想を振りまけなかった。自分はこの男とは打ち解けられないかもしれない。何かを心待ちにしているかのようにこちらを見つめる胡散臭い視線が、どうしてか分からないがルーファンをそんな気にさせた。
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