怨嗟の誓約

シノヤン

文字の大きさ
上 下
65 / 174
3章:忘れられし犠牲

第64話 権力の使い方

しおりを挟む
 膝を突き、ただ無言で項垂れたルーファンはジモエ・ホーレンの行進が過ぎるのを待つ。目を動かせる範囲で周囲を観察するが、やはり誰一人して敬意や羨望を孕む様な態度は見せていない。寧ろ馬車が通り過ぎるや否や小さく息をつき、微かに口元を緩めて安堵の表情を浮かべるのが大半である。

 王族との婚約をそれほどまでに恐れるのはなぜなのだろうか。庶民と比べて様々な制約はありそうだが、それほど悪い待遇ではないだろうに。参考にもならない故郷の人々の姿と照らし合わせて不思議がっていたルーファンだが、突然隊列が動きを止めた事に少し緊張感を持つ。自分か、それとも別の誰かが原因か。心当たりがありそうな記憶を思い返しながら注視を続ける他なかった。

「そこのお前 !」

 ジモエ・ホーレンから何か耳打ちをされたらしく、付き人らしい一人の兵士が馬車から降りて怒鳴った。彼の先には、一人の若い男が跪いている。中々聡明そうな顔立ちをした青年だが、この時ばかりは目も合わせずに俯いていた。

「光栄に思え。ホーレン様が貴殿を婿候補としてお目付けになられた」

 その宣告に対して祝福の声や拍手を出す者はおらず、ただただ一刻も早く終わってくれという代弁にも近い沈黙が続く。やがて青年は恐る恐る顔を上げた。怯えた表情を浮かべていたものの、すぐに気圧されたのか両手の指を絡めて祈るように目を閉じる。

「偉大なるジモエ・ホーレン様と共に、我らを見守る神…< ネプチューン >の支柱となれる事を心より誇らしく思います。伴侶としての立場に恥じぬよう、ジモエ・ホーレン様をお支えしていく大任―――」
「お待ちください !」

 青年が欠片も思ってなさそうな決意表明を震えながら口にしていた時、隣にいた母親らしき老婆が叫ぶ。周囲は僅かばかりどよめき、ルーファンも老婆の方を見る。

「申してみよ」

 兵士が老婆に手を貸し、立ち上がらせながら言った。思っていたよりは情けがあるのかとルーファンは落ち着きかけたが、不意に目に入ったジモエ・ホーレンが機嫌の悪そうな表情を浮かべているの見た途端に再び体が強張る。

「この子は私の一人息子でして…我が家の商いの大事な人手でございます。あまりにも尊大で不躾であると心得てはいますが…この子が連れて行かれてしまっては、力仕事をしてくれる者が誰もいなくなってしまうのです」
「だから見逃してくれと。そう言いたいのだな」

 そんな風に繰り広げられる老婆と兵士の会話を聞いていたルーファンだが、兵士の両腕が濡れている事に気付く。指先から水が滴り、小さな水溜まりが出来そうであった。不自然である。

「気持ちは分かるが…ダメだ」

 老婆が危ないと感じたルーファンがすぐにでも剣を抜けるよう手を動かしかけた時、隣にいたジョナサンがそう言って止めた。落ち着いて宥めている様に振舞ってはいるが、既に目線を下に向けて老婆達の方を見ない様にしている。分かっているのだ。これから何が起こるか。

「は、はい… ! どうか――」
切り裂けカーリ・ウォパ

 自分の話に耳を傾けてくれた事で調子乗ってしまった老婆が懇願をした瞬間、兵士は掌に溜めていた僅かな水を彼女に見せ、眉一つ動かす事なく呪文を唱えた。水が球状になって浮遊し、薄い膜の様に広がって円盤の形になっていく。そして声を上げる間もなく老婆の喉へ向かって飛来し、彼女の首を切り落とした。

 青年は悲鳴を上げ、駆け寄ろうとするがすぐに他の兵士たちに取り押さえられる。そして兵士達は抵抗する彼を幾らか殴ってから、枷を付けて引きずるようにして連行していった。その後も何人か、若そうな男を指名して彼らにもまた枷を付けさせて連行していく。人々は逃げ出すわけでもなく、泣き喚いて絶望するわけでもない。目を閉じて祈り、耐え忍ぶしかなかった。

「…教えてくれ」

 ジモエ・ホーレンの隊列が見えない所まで歩き去った頃、ルーファンがジョナサンに尋ねる。

「奴らは…王という立場を何だと思っているんだ ?」

 地面に付けていた手を握り締め、血を噴いたまま崩れ落ちている老婆の死体を見たルーファンが、殺意と侮蔑を押し殺した様な低い声で言った。

「リガウェールへようこそ」

 そんな彼を否定する事無く、ジョナサンは今見た光景がこの国の現実であるとして皮肉めいた出迎えの言葉を放る。結局、ルーファン達以外に老婆の死体を片付けようとする者は誰一人としていなかった。



 ――――リガウェール王国の国務長官であるルプト・マディルはこの日、首都アリフにて自らが管理をしているリガウェール国立図書館へと赴いていた。大理石で造られた建物内部の床には固めの絨毯が敷き詰められており、首が痛くなるほどに見上げてしまう高さの本棚が列を成して並べられていた。その間を行き来するのは、政府の高官やルプトの関係者ばかりであるが、時折ルプトに会釈をする平民らしき者もいる。言葉を選ばずに言うなら場違いな姿であった。

「本日は勉強を教えるのですか ?」

 彼の車椅子を押している若い半魚人が言った。彼の秘書であり、心優しそうな笑顔を浮かべている。

「ああ、週に一度しか開けない大事な催しだ。市民の方々も熱心に来てくれる以上は、休むわけにもいかない。一応言っておくが――」
「分かっていますとも、他の王家には内密にしておきます。どの道彼らがこの図書館に近づく事も無いでしょうし」
「だろうな。英知と歴史を疎かにして踏みつけ、自覚も無しにその上で胡坐をかく…何とも嘆かわしい事だ。それはそうと、今日の鱈のソテーは中々私好みの味付けだったな。もしかして料理人が変わったのかね ?」

 あまり公にはできない愚痴を零しつつ、他愛も無い日常に関する雑話を馴れ馴れしい雰囲気と共に楽しむ。ルプトは図書館にいる間だけ手に入るこの時間が何よりも好きだった。

「やはりここにいましたか」

 そんな折に、後ろから声が聞こえる。ルプトにとっては良く聞き慣れたものだった。少々加齢と体格の成長によって声が太くなってはいたが。

「ジョナサン・カロルス。大事な教え子がこうして戻って来てくれたか」

 車椅子を後ろに向けてからルプトは手を振っていたジョナサンを見た。そして彼の後ろにいたルーファン達を見るとすぐに会釈をする。ルーファンもお辞儀をし返すが、なぜか思うように愛想を振りまけなかった。自分はこの男とは打ち解けられないかもしれない。何かを心待ちにしているかのようにこちらを見つめる胡散臭い視線が、どうしてか分からないがルーファンをそんな気にさせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

30年待たされた異世界転移

明之 想
ファンタジー
 気づけば異世界にいた10歳のぼく。 「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」  こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。  右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。  でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。  あの日見た夢の続きを信じて。  ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!  くじけそうになっても努力を続け。  そうして、30年が経過。  ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。  しかも、20歳も若返った姿で。  異世界と日本の2つの世界で、  20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

おっさんの神器はハズレではない

兎屋亀吉
ファンタジー
今日も元気に満員電車で通勤途中のおっさんは、突然異世界から召喚されてしまう。一緒に召喚された大勢の人々と共に、女神様から一人3つの神器をいただけることになったおっさん。はたしておっさんは何を選ぶのか。おっさんの選んだ神器の能力とは。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~

いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。 他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。 「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。 しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。 1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化! 自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働! 「転移者が世界を良くする?」 「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」 追放された少年の第2の人生が、始まる――! ※本作品は他サイト様でも掲載中です。

処理中です...