怨嗟の誓約

シノヤン

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3章:忘れられし犠牲

第63話 仕来り

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 貧しき民達の追い剥ぎに加担をした日から四日が経過した。無事に障壁を抜けたルーファン達は、湿気のある木々の間を歩き、木漏れ日の眩しさや前方から吹き抜けてくる生暖かい風を浴びて少し心を落ち着ける。やはり天気というものは晴れているに限るのだ。

「何か、風に混じってる…?」

 深く呼吸をしていたフォルトが、空気の匂いの変化に気付く。濡れた草や土の香りに加え、仄かに異臭があった。前方からである。

「ああ~…海が近いからな。さしずめ磯の香りってやつだろう。もしかして海に行った事は ?」
「ううん」
「成程、色々学ぶことが多いと思うぞ。だが、その前に仕事だ。まず首都に入る前にいくつか忠告しておかないと。みんな集まってくれ」

 やがてフォルトとの会話を境に、ジョナサンの仕切りたがりな性格が出始める。彼は全員に手招きをして、面倒くさそうに全員が集まったところで早速荷物を広げ出した。

「リガウェール王国の首都では色々と規則が厳しい。厳しいって言うか何というか…まあ、とにかくルールが多い。だから僕が良しっていうまでは必ず離れないで僕の傍にいる事。いいね ?」

 勝手が知らない以上、好き勝手に行動をして問題事を起こしてしまう確率は決して低くない。誰一人として異論は唱えなかった。

「そして、今から皆には服を着替えてもらう。ルーファンとサラザールは…まあ別にいいか。鎧や外套が真っ黒だし」
「なぜだ ?」
「このリガウェール王国は、五つの王族によって統治されている。議会、役人、官僚…全員が王族による贔屓で成り立っている世襲制だ。そして特に大きなルールとして、それ以外の平民に分類される者達は原則として衣服や装飾品に規制がかかっている。赤、青、黄色、緑、そして紫は絶対に避けるべきなタブー。それぞれが王族達を象徴する証であるから、使うのは彼らへの侮辱であり、この国の人々が信仰する神への背信行為だとされている」
「白や他の色に関しては ?」
「なるべく派手な色や柄は控えた方がいいだろうな。どこで因縁を付けられるか分かったもんじゃない。白もダメだ。潔白と自己犠牲の象徴と古くから言い伝えられている。大なり小なり人間ってのは罪を抱えているものだから、白色の物を平民が身に着けるというのは絶対にあってはいけないんだそうだ。だから無難なのは茶色か黒」

 ジョナサンの話を質問を挟みながら聞いていたルーファンは、自分の国における文化のおかげで余計な手間が省けた事に運の良さを感じた。パージット王国ではむしろ黒は王族や兵士にのみ許されていたものであり、それ以外の者達が着用するのは殺されこそしないが御法度とされていたのである。

 そして言われたとおりにフォルト達が服を着替え終わるのを待ってから、再び一行は歩き出す。やがて雑木林から街道に出て来ると、目の前にはなだらかな下り坂が待ち構えていた。その先には石造りの古ぼけた街並みと港、そして太陽に照らされた水面によって輝いているように見える海原が広がっている。

「これが首都か」
「ああ。アリフと呼ばれてる街だ。この大陸でも有数の巨大な港が有名でね。水産業においてこの地を知らない奴なんかいないくらいさ。問題を抱えていないわけじゃないが、景色と魚の美味さだけは保証する。数少ない癒しだ。今はどうなってるが知らんが」

 関門をくぐり、街に入るとジョナサンは誇らしげに語った。まるで故郷を懐かしんでいる様に。一方でルーファンは流し見ではあるが、街の住人の姿や建物の古さ、舗装された地面とそうではない場所の歩き心地などに注意を払う。万が一にも有事になった場合に備えておきたかったのだ。建物を見るのは遮蔽物として利用できそうな頑丈な建物がどれだけあるかの確認、人々の姿を見るのはこちらに対して敵意もしくは怪しげな動きをしていないかを確認するためである。足元の滑りやすさと柔らかさは勿論、周りの音にも気を配る。

「しかし、なんだか周りが騒がしいな」

 妙に慌ただしい住人の動きを見たガロステルが言った。だが人々の動きは決して活気にあふれた物ではない。すすり泣く声や、小声で愚痴を漏らし合う井戸端会議など、これから起きるであろう事態を見越して絶望に打ちひしがれているように見える。

「あ~、これはもしかしてアレか。王族の行列がこの辺りを通るのかもな。相変わらず抜き打ちでやってんのかよ…ったく」
「王族って事は…行進やパレードの様なものだろう ? 本心はともかく、普通はもっと祭りのように体裁を整えるんじゃないのか」
「普通はね。この国では少し意味合いが違う。彼らが外出するのは大体―――」

 ルーファンとジョナサンがその様に周囲の状況について怪しんでいた時だった。周囲の薄汚れた街並みに比べて明らかに手入れが行き届いている石畳の街道に二人の兵士が現れた。どちらも魚人であり、赤色の軍服を身に纏っている。

「間もなくこの街道にホーレン家二十三代目当主、ジモエ・ホーレン様がお見えになられる ! 民間人はただちに街道の両端に並び、膝を地に付けて出迎えの準備に入れ ! 建物の中に隠れている場合は故意であろうと無かろうと粛清の対象となる ! 以上 !」

 その声を聴くや否や、人々は大急ぎで街道の両脇に並び始めた。よく見ればあまり目立ちたくないのか、人の後ろに隠れようとしている住人もいる。それらの大半が若者だった。

「僕たちも同じようにしよう」
「何が起きているんだ ?」
「恋人探しってやつだ。こうやって市民の中から自分の結婚相手を探すっていうのを王族連中は良くやってる…ルーファン、それに皆もだが頼みがある」

 先程まで街の魅力を語っていた時とは打って変わって、急に険しい表情を浮かべうつつジョナサンは眉間に皺を寄せていた。そんな彼からの頼みとは何だろうか、一同は不安と訝しさを露にしながら彼の話に耳を傾ける。

「君たちの事だから礼儀は弁えてくれると信じてるが、改めて言っておく。本来なら僕たちの立場って言うのは別の国から来た余所者。でもリガウェールの国務長官のお墨付きを貰えたんだ。通行手形が手に入ったのもそのお陰。つまりスアリウスからやって来た使節団のような扱いになっている」
「その割には出迎えも無しだったが」
「ルーファン、そこについてはまあ割り切ってくれ。とにかく、こちらが下手な事をしなければ向こうも邪険には扱わないだろう。だから、今から何が起きても・・・・・・・・・感情に任せて動くっていうのはしないでくれ。問題が起きれば、スアリウス政府どころか僕たちを迎え入れたこの国の関係者の顔にも泥を塗る事になる。こちら側に落ち度がない多少の事態なら僕がどうにかするし、リガウェールの国務長官に掛け合う事も出来る。だから頼むぞ。本当に」

 長い忠告だったが、切迫した様子を見るに何かあった場合に笑って許してくれるような素振りは一切ない。それ程までに失態を恐れているのか。だが、そこまで言うならひとまずは従っておくのが吉なのだろう。ひとまずは。そう思いながらルーファンは片膝を地に着け、まるで忠誠を誓うかのように項垂れて時が過ぎるのを待つ。

 やがて街道の奥から赤い軍服の隊列が歩いてきた。全員が半魚人であり、表情筋をまともに動かせるのかどうか気になってしまう程度には無愛想な面である。そして隊列の中央には巨大な馬車が配置されており、重厚且つ豪華な赤色の宝石や紅の織物で彩られた座席が高々と開けっぴろげな状態で配置されている。屋根や仕切りというものは一切ない。まるで神輿や出し物のようであった。

 そこに座っている人物を見た時、ルーファンは一瞬ではあるが動揺する。下々の人間の事をどうとも思っていない、道端にへばりついている汚物でも見てるかのような蔑んだ眼差しを持つ頭髪の短い女性が座っていた。だが、ルーファンが反応に困ったのはそこではない。

 彼女には、両腕と両脚が無かったのだ。
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