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2章:砂上の安寧
第53話 ユー・レイズ・ミー・アップ
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その後、リミグロンへの手がかりに繋がりそうな物は何一つとして出てこなかった。ルーファン達が見たレイモンド達の末路と同様、兵器も含めて溶解し、蒸発してしまったという事が戦場と化した集落の跡片付けに勤しむ者達によって伝えられ、彼らはただ歯がゆさを感じるしかなかった。
「私の責任だ」
手下もいない中、ただ一人頭を抱えながら酋長は言った。目の前にはルーファンとジョナサンが立っている。
「自分を責めるな。全てリミグロンのせいだろう」
「本当にそうか ? 私が不信感を抱かれ、裏切りを許した。それ以外に何がある。遅かれ早かれ、反乱を起こされても文句は言えなかった。節穴な目と、思慮の足りん頭と、さっさと行動に移せない己の恐怖心と…何もかもが憎い」
ルーファンは彼女の自己嫌悪を止めさせようとしたが、それが却って気に障ったらしい。当然である。片や裏切りと敵の侵入を許してしまった間抜けな長という立場であり、今回の功労者とも言うべき相手に慰められるなど当てつけでしかない。
「この後はどうする気だ」
「既に事を伝えるよう命じて、使者をスアリウスへと派遣した。同盟の締結、兵力の共有や地域経済の保護の申し出…頭を下げるしかないらしい」
「そうか…手遅れになるよりはましかもしれん。うちの国はそれをする前に滅びたからな」
そんな酋長とルーファンの会話を、ジョナサンは簡潔な文にして殴り書いていく。まるで書記である。不謹慎な事この上ないが、彼は少々昂っていた。美味しいネタが出来た。さらにこの周囲に立ち込める物悲しい雰囲気、初対面ではあれだけ厳格そうだった酋長の裏の顔が見れるのではないか。そんな下衆の考えである。
「…お前と二人きりで話をしたい」
「ジョナサン、外で手伝いをしててくれないか ?」
不意に酋長が言った。間をおいてからルーファンは一度だけ頷き、ジョナサンを出て行かせようとする。不服そうなジョナサンだったが、何が起きたかは後で話してやると小声で説得をしてからどうにか納得をさせた。
「一応言っておくが礼はいらない。俺は自分の目的のために動いただけだ」
二人きりになった後、今度はルーファンが先に口を開く。
「そう言うと思ったよ。噂通りだな。見返りを求めもせず…本当にただ復讐をしたいだけか ?」
「世の中、打算だけで生きていける者とそれをかなぐり捨てて感情に支配されたまま生かされる者がいる。たぶんだが俺は後者だ」
酋長からの問いにルーファンは答えたが、それを聞いても彼女は何かリアクションをしてくれるわけでもない。だがほんの少しだけ、彼を憐れんでいた。
「…そうか。すぐに発つのか ?」
「いや。スアリウス側からの返答も気になるが、支援や遣いが来るまでの間にリミグロンが再び来るとも限らない。お邪魔でなければもう少し滞在するつもりだ…供養の手伝いもしてやりたい」
「ああ。好きなだけ留まると良い。お前ならば誰も文句は言わんだろう」
「ありがとう…失礼する」
ルーファンは彼女からの許しを得ると、会釈をしてからその場を去ろうとする。だが広間を出る直前、彼はぴたりと足を止めてから振り返った。
「これから先の未来が不安か ?」
あまり見せる事のなかった優しげな声が聞こえ、酋長は意外そうに彼の顔を見た。初対面の時と同様、何を考えているか分からない仏頂面であったが、刺々しさや敵意を一切感じられない。
「ああ。こんな形でこれまでの生活が変わってしまうと思ってなかった…覚悟をしなければならないとは思ってる」
少し考えてから、酋長は取り繕うことなく本音を漏らす。
「だが私は生きてる。そして守るべき者達もいる…全力を尽くすさ。それがせめてもの償いだ」
酋長の言葉を聞いたルーファンはその責任の強さを羨ましがった。復興よりも私情を優先し、大勢を戦いに巻き込んだどこぞの無責任な落ち武者とは大違いである。
「そうか……もし、どうしても手に負えない事態があれば知らせてくれ。必ず助けに来る」
「見返りを求めるのなら、我々と組むのは間違いだと思うぞ」
彼の言葉に対して酋長は少々困っているような様子を見せる。彼女からの返事は皮肉などではなく、純粋な彼への申し訳なさから来るものであった。
「同情と共感と羨望と良心…そして罪悪感に従った結果だ。もし嫌であれば今のは聞かなかった事にしてくれると嬉しい」
だがそれでもルーファンは意思を変えようとはせず、返事を待たないまま会釈をして広間を出て行ってしまう。不思議であった。口八丁に言葉を並べて薄ら笑いを浮かべる商人とは対照的な態度をしている彼だったが、なぜかあの男は決して自分を裏切らない。そんな信頼感を抱いてしまう。人は言葉よりも、言葉を発言した人間の背景や経歴を重要視しがちとはよく言ったものである。
――――その日の夜、人々は集められた死体を並べて火をつけた。死体を焼いていき、その火を囲いながら知人や親族たちで死者についての思い出を語り合うのが習わしであった。最期はせめて平和に和やかに、そして楽しい気持ちで送ってやらなければならないという理由らしい。骨は死のうとも心は共にあり続けるという証明のため、いくらか拝借したうえで齧って腹に収める。そして残りは布に包んだ上で地中の奥深くに埋葬をするのだという。
これが老衰や病による死などであればまだ良かったのかもしれない。抗いようのない運命だったのかもしれないと必死に割り切る事も出来ただろう。だが、今回は違った。望んでも無い中で無意味に命を奪われ、変わり果ててしまった姿の同胞たちを弔わなければならなかったのである。微笑ましい昔話や死者の武勇伝などは聞こえず、ただただ子供の啜り泣きや自分が死ぬべきだったのだという年寄りや生還者達の懺悔のみが響き渡る。
鎧を脱いで軽装になっていたルーファンは、キアの頭部や体を焼いている火の前に座っていた。その周りでは泣きじゃくる子供達や、その保護者らしい者達が見守る姿もある。言葉を交わす事はしなかったが、彼らの表情や声から焼け爛れて骨と化していく目の前の老人が愛され、敬われていた事は否応が無しに伝わって来た。勿論、ほんの僅かではあるが自分も世話になった身である。誰かに恨まれるような人物ではない事は重々承知だった。
「隣、良いかな ?」
聞き覚えのある声だった。後ろを見るとフォルトが立っており、無理に取り繕っているのであろう微笑みを見せて来る。
「ああ」
「ありがと。さっきまで、ガルフの篝火の前に行ってた。カッコいい人だし、凄く優秀で慕われてた人だけど…やっぱり色々喋る気にならないよね。今日は」
少し疲れているかのように一度深く息を吐いてからフォルトは喋る。何かを隠したいかのように無理やり言葉をひり出しているように見えた。
「キアお婆ちゃんはね。あんな優しそうだったけど、意外と昔は怖かったらしいよ ?」
「…意外だな」
「ああ見えて狩りのリーダーや村の女の人達を取りまとめてた人だったってさ。私が知ってるのはすっかり牙の抜けた子供に優しい頃だったけど…でも、ちょっとだけ頑固」
「年を取ると人はそんなものだ」
「だ、だよね~。これだけ長生きできたんだから、自分の価値観が間違ってるわけないみたいな事考えちゃうもんだよね。もし…い、一歩間違えてたらキアお婆ちゃんもさ…や、やっぱりキタマみたいになってのかな…あ、ああ侮辱とかじゃないよホントに」
饒舌に語るフォルトだったが、ルーファンはただ相槌を打つだけだった。とにかく彼女は気を紛らわせたいのだろう。それに水を差すような真似をするほど野暮ではなかった。
「慕っていたんだな」
「そりゃあもう…ね。子供の頃から…め、面倒見てもらってたし。いや、だから…分かんなくてさ。こんないきなり、し、死んじゃうなんて…何でだろうね…だって…」
次第にフォルトが言葉に詰まっていく。手を動かしてソワソワしていた彼女だったが、やがてそれも収まってキアを焼く火をじっと見つめ始めた。
「…何もしてないのに」
声が暗くなった。空元気すら消え失せ、喪失感に心も思考も押しつぶされていく。
「それが戦争だ」
そんな彼女にルーファンも答えた。
「恥も根拠もかなぐり捨てた無茶苦茶な因縁をつけられ、攻め入られた上で何もかも奪われていく。戦いを放棄すれば殺されないなんて嘘っぱちだよ。全てを焼かれ、心の拠り所を持つ事すら許してもらえない。隷属をさせられ、自分を育ててきた歴史も人生も文化も…何もかもを否定されて、全てを失った惨めな奴隷として一生外せない鎖と枷に囚われて生きていく。その先何百年、当事者ですらない子孫も含めてな。だから抗うんだ」
きっと少し前の自分なら間違いなく躊躇っていた言葉だろう。普通であればこんな戯言など、戦場とは無縁の場所でぬくぬくと暮らす戦狂いの思想家が吐く演説。それにすら劣る暴論である。だが目の前で見てきたから分かった。綺麗事だけでやっていける世界でないというなら、もはやそれに拘る理由も無い。
「…怖くないの ? 悲しいとか虚しいとか、思った事は ?」
フォルトが尋ねてきた。
「……怖いよ。泣きたくなる時もある。そうする事で全てが救われるなら喜んでやるさ。だけどならない。だから傷を舐めて歩き出すしかない。戦場ではな」
ルーファンはそこまで語った後にフォルトを見る。不安と堪え切れそうにない感情によるせめぎ合いが続いているのか、少し震えていた。
「でもここは戦場じゃない。誰も止めたりなんかしない。感情を…押し殺す必要もない」
いたたまれなくなったルーファンは少し目を逸らし、軽く肩を叩いて励ますように言った。それを最後にフォルトは発しなくなり、やがて静かな啜り泣きが始まった。それを皮切りにもらい泣きの連鎖が子供や保護者たちの間でも起こっていく。その声に囲まれたまま、ルーファンはただただリミグロンへの憎しみを募らせていく。何が何でも代償を払わせてやる。そんな自身の中に改めて沸き起こる怒りを、目の前の炎に重ねて気を引き締め直すしかなかった。
――――スアリウスからの返答や物資、そして増援が現れたのはそれから四日後だった。出稼ぎに出ていた傭兵の獣人達は戦場となった故郷を目にして涙を浮かべ、生き残った者達との再会の喜びを噛みしめる。一方で亡くなった同胞や愛する者達の事を知り、絶望と悲しみに暮れる者もいた。
「まさか、女王陛下がすぐに条約の締結をしたがるなんてな」
「スアリウスからすれば好都合なんだろう。貸しも作れる上にリゴト砂漠側を言いなりに出来るまたとないチャンスだ」
「ルーファン。気持ちはわかるが、少しは女王陛下を信用してくれ。打算的な人だが、義理人情を欠いているわけじゃないんだ」
ジョナサンとルーファンは話をしながら、幾何かの物資を頂戴したうえで集落を出る準備をし続ける。諭してくるジョナサンとは対照的に、ルーファンは一連の行動の早さへ不信感を募らせていた。資本家と政治家の言葉に誠実さを期待するな。義父からの教えの一つである。
「準備は出来た ?」
「ああ…って、おい。何で君も ?」
サラザールの声が聞こえてから、いよいよ出発かと立ち上がって振り向いたルーファンは目を丸くした。サラザール、ガロステル、酋長とその護衛達に交じってフォルトが荷物を抱えて立っていた。
「いやいや。せっかく大地の幻神の力を授かってるってのに、その使い方を知らんのは勿体ないよなとか話してたら、「私が教える !」って言って聞かなくてな。旅に同行したいんだと」
相変わらず人を馬鹿にしたような態度をしていたガロステルが理由を話す。フォルトは少し照れくさそうに俯いていた。
「この集落もスアリウスとの取引が再び行われるようになれば、嫌でも外交や地域の在り方も変わってくる。様々な知識を見聞きしておくに越した事は無いだろう…安心しろ、必ずお前の助けになってくれる筈だ」
酋長も付け加えた。そう言えば前にいつかは自由に生きるだとかどうとか言っていたような気がする。
「本人はどう思ってるんだ ? 危険な旅になるぞ」
ルーファンはフォルトの方を見ながら問いかける。
「わ、私頑張るから ! それに、あんまりこんな事言いたくないけど…やられっぱなしで終わりたくない」
それは復讐心か、それとも負けん気によるものか。つたない言葉ではあったが彼女は既に決心している様だった。
「分かった」
長ったらしい言葉は不要だろう。そう思ったルーファンはそれだけ言って、彼女の前に手を差し伸べた。握手の申し出である。
「よろしく頼む」
「…うん!!」
互いに強く手を握り合うと、フォルトがこちらに笑顔を見せてくれた。ルーファンは真剣な顔で頷き、すぐに出発しようと動き出した。屈託もなく思い切り笑ったのはいつが最後だっただろうか。そんな遠い記憶を思い返しながらスアリウスへの帰路を急ぐ。
「私の責任だ」
手下もいない中、ただ一人頭を抱えながら酋長は言った。目の前にはルーファンとジョナサンが立っている。
「自分を責めるな。全てリミグロンのせいだろう」
「本当にそうか ? 私が不信感を抱かれ、裏切りを許した。それ以外に何がある。遅かれ早かれ、反乱を起こされても文句は言えなかった。節穴な目と、思慮の足りん頭と、さっさと行動に移せない己の恐怖心と…何もかもが憎い」
ルーファンは彼女の自己嫌悪を止めさせようとしたが、それが却って気に障ったらしい。当然である。片や裏切りと敵の侵入を許してしまった間抜けな長という立場であり、今回の功労者とも言うべき相手に慰められるなど当てつけでしかない。
「この後はどうする気だ」
「既に事を伝えるよう命じて、使者をスアリウスへと派遣した。同盟の締結、兵力の共有や地域経済の保護の申し出…頭を下げるしかないらしい」
「そうか…手遅れになるよりはましかもしれん。うちの国はそれをする前に滅びたからな」
そんな酋長とルーファンの会話を、ジョナサンは簡潔な文にして殴り書いていく。まるで書記である。不謹慎な事この上ないが、彼は少々昂っていた。美味しいネタが出来た。さらにこの周囲に立ち込める物悲しい雰囲気、初対面ではあれだけ厳格そうだった酋長の裏の顔が見れるのではないか。そんな下衆の考えである。
「…お前と二人きりで話をしたい」
「ジョナサン、外で手伝いをしててくれないか ?」
不意に酋長が言った。間をおいてからルーファンは一度だけ頷き、ジョナサンを出て行かせようとする。不服そうなジョナサンだったが、何が起きたかは後で話してやると小声で説得をしてからどうにか納得をさせた。
「一応言っておくが礼はいらない。俺は自分の目的のために動いただけだ」
二人きりになった後、今度はルーファンが先に口を開く。
「そう言うと思ったよ。噂通りだな。見返りを求めもせず…本当にただ復讐をしたいだけか ?」
「世の中、打算だけで生きていける者とそれをかなぐり捨てて感情に支配されたまま生かされる者がいる。たぶんだが俺は後者だ」
酋長からの問いにルーファンは答えたが、それを聞いても彼女は何かリアクションをしてくれるわけでもない。だがほんの少しだけ、彼を憐れんでいた。
「…そうか。すぐに発つのか ?」
「いや。スアリウス側からの返答も気になるが、支援や遣いが来るまでの間にリミグロンが再び来るとも限らない。お邪魔でなければもう少し滞在するつもりだ…供養の手伝いもしてやりたい」
「ああ。好きなだけ留まると良い。お前ならば誰も文句は言わんだろう」
「ありがとう…失礼する」
ルーファンは彼女からの許しを得ると、会釈をしてからその場を去ろうとする。だが広間を出る直前、彼はぴたりと足を止めてから振り返った。
「これから先の未来が不安か ?」
あまり見せる事のなかった優しげな声が聞こえ、酋長は意外そうに彼の顔を見た。初対面の時と同様、何を考えているか分からない仏頂面であったが、刺々しさや敵意を一切感じられない。
「ああ。こんな形でこれまでの生活が変わってしまうと思ってなかった…覚悟をしなければならないとは思ってる」
少し考えてから、酋長は取り繕うことなく本音を漏らす。
「だが私は生きてる。そして守るべき者達もいる…全力を尽くすさ。それがせめてもの償いだ」
酋長の言葉を聞いたルーファンはその責任の強さを羨ましがった。復興よりも私情を優先し、大勢を戦いに巻き込んだどこぞの無責任な落ち武者とは大違いである。
「そうか……もし、どうしても手に負えない事態があれば知らせてくれ。必ず助けに来る」
「見返りを求めるのなら、我々と組むのは間違いだと思うぞ」
彼の言葉に対して酋長は少々困っているような様子を見せる。彼女からの返事は皮肉などではなく、純粋な彼への申し訳なさから来るものであった。
「同情と共感と羨望と良心…そして罪悪感に従った結果だ。もし嫌であれば今のは聞かなかった事にしてくれると嬉しい」
だがそれでもルーファンは意思を変えようとはせず、返事を待たないまま会釈をして広間を出て行ってしまう。不思議であった。口八丁に言葉を並べて薄ら笑いを浮かべる商人とは対照的な態度をしている彼だったが、なぜかあの男は決して自分を裏切らない。そんな信頼感を抱いてしまう。人は言葉よりも、言葉を発言した人間の背景や経歴を重要視しがちとはよく言ったものである。
――――その日の夜、人々は集められた死体を並べて火をつけた。死体を焼いていき、その火を囲いながら知人や親族たちで死者についての思い出を語り合うのが習わしであった。最期はせめて平和に和やかに、そして楽しい気持ちで送ってやらなければならないという理由らしい。骨は死のうとも心は共にあり続けるという証明のため、いくらか拝借したうえで齧って腹に収める。そして残りは布に包んだ上で地中の奥深くに埋葬をするのだという。
これが老衰や病による死などであればまだ良かったのかもしれない。抗いようのない運命だったのかもしれないと必死に割り切る事も出来ただろう。だが、今回は違った。望んでも無い中で無意味に命を奪われ、変わり果ててしまった姿の同胞たちを弔わなければならなかったのである。微笑ましい昔話や死者の武勇伝などは聞こえず、ただただ子供の啜り泣きや自分が死ぬべきだったのだという年寄りや生還者達の懺悔のみが響き渡る。
鎧を脱いで軽装になっていたルーファンは、キアの頭部や体を焼いている火の前に座っていた。その周りでは泣きじゃくる子供達や、その保護者らしい者達が見守る姿もある。言葉を交わす事はしなかったが、彼らの表情や声から焼け爛れて骨と化していく目の前の老人が愛され、敬われていた事は否応が無しに伝わって来た。勿論、ほんの僅かではあるが自分も世話になった身である。誰かに恨まれるような人物ではない事は重々承知だった。
「隣、良いかな ?」
聞き覚えのある声だった。後ろを見るとフォルトが立っており、無理に取り繕っているのであろう微笑みを見せて来る。
「ああ」
「ありがと。さっきまで、ガルフの篝火の前に行ってた。カッコいい人だし、凄く優秀で慕われてた人だけど…やっぱり色々喋る気にならないよね。今日は」
少し疲れているかのように一度深く息を吐いてからフォルトは喋る。何かを隠したいかのように無理やり言葉をひり出しているように見えた。
「キアお婆ちゃんはね。あんな優しそうだったけど、意外と昔は怖かったらしいよ ?」
「…意外だな」
「ああ見えて狩りのリーダーや村の女の人達を取りまとめてた人だったってさ。私が知ってるのはすっかり牙の抜けた子供に優しい頃だったけど…でも、ちょっとだけ頑固」
「年を取ると人はそんなものだ」
「だ、だよね~。これだけ長生きできたんだから、自分の価値観が間違ってるわけないみたいな事考えちゃうもんだよね。もし…い、一歩間違えてたらキアお婆ちゃんもさ…や、やっぱりキタマみたいになってのかな…あ、ああ侮辱とかじゃないよホントに」
饒舌に語るフォルトだったが、ルーファンはただ相槌を打つだけだった。とにかく彼女は気を紛らわせたいのだろう。それに水を差すような真似をするほど野暮ではなかった。
「慕っていたんだな」
「そりゃあもう…ね。子供の頃から…め、面倒見てもらってたし。いや、だから…分かんなくてさ。こんないきなり、し、死んじゃうなんて…何でだろうね…だって…」
次第にフォルトが言葉に詰まっていく。手を動かしてソワソワしていた彼女だったが、やがてそれも収まってキアを焼く火をじっと見つめ始めた。
「…何もしてないのに」
声が暗くなった。空元気すら消え失せ、喪失感に心も思考も押しつぶされていく。
「それが戦争だ」
そんな彼女にルーファンも答えた。
「恥も根拠もかなぐり捨てた無茶苦茶な因縁をつけられ、攻め入られた上で何もかも奪われていく。戦いを放棄すれば殺されないなんて嘘っぱちだよ。全てを焼かれ、心の拠り所を持つ事すら許してもらえない。隷属をさせられ、自分を育ててきた歴史も人生も文化も…何もかもを否定されて、全てを失った惨めな奴隷として一生外せない鎖と枷に囚われて生きていく。その先何百年、当事者ですらない子孫も含めてな。だから抗うんだ」
きっと少し前の自分なら間違いなく躊躇っていた言葉だろう。普通であればこんな戯言など、戦場とは無縁の場所でぬくぬくと暮らす戦狂いの思想家が吐く演説。それにすら劣る暴論である。だが目の前で見てきたから分かった。綺麗事だけでやっていける世界でないというなら、もはやそれに拘る理由も無い。
「…怖くないの ? 悲しいとか虚しいとか、思った事は ?」
フォルトが尋ねてきた。
「……怖いよ。泣きたくなる時もある。そうする事で全てが救われるなら喜んでやるさ。だけどならない。だから傷を舐めて歩き出すしかない。戦場ではな」
ルーファンはそこまで語った後にフォルトを見る。不安と堪え切れそうにない感情によるせめぎ合いが続いているのか、少し震えていた。
「でもここは戦場じゃない。誰も止めたりなんかしない。感情を…押し殺す必要もない」
いたたまれなくなったルーファンは少し目を逸らし、軽く肩を叩いて励ますように言った。それを最後にフォルトは発しなくなり、やがて静かな啜り泣きが始まった。それを皮切りにもらい泣きの連鎖が子供や保護者たちの間でも起こっていく。その声に囲まれたまま、ルーファンはただただリミグロンへの憎しみを募らせていく。何が何でも代償を払わせてやる。そんな自身の中に改めて沸き起こる怒りを、目の前の炎に重ねて気を引き締め直すしかなかった。
――――スアリウスからの返答や物資、そして増援が現れたのはそれから四日後だった。出稼ぎに出ていた傭兵の獣人達は戦場となった故郷を目にして涙を浮かべ、生き残った者達との再会の喜びを噛みしめる。一方で亡くなった同胞や愛する者達の事を知り、絶望と悲しみに暮れる者もいた。
「まさか、女王陛下がすぐに条約の締結をしたがるなんてな」
「スアリウスからすれば好都合なんだろう。貸しも作れる上にリゴト砂漠側を言いなりに出来るまたとないチャンスだ」
「ルーファン。気持ちはわかるが、少しは女王陛下を信用してくれ。打算的な人だが、義理人情を欠いているわけじゃないんだ」
ジョナサンとルーファンは話をしながら、幾何かの物資を頂戴したうえで集落を出る準備をし続ける。諭してくるジョナサンとは対照的に、ルーファンは一連の行動の早さへ不信感を募らせていた。資本家と政治家の言葉に誠実さを期待するな。義父からの教えの一つである。
「準備は出来た ?」
「ああ…って、おい。何で君も ?」
サラザールの声が聞こえてから、いよいよ出発かと立ち上がって振り向いたルーファンは目を丸くした。サラザール、ガロステル、酋長とその護衛達に交じってフォルトが荷物を抱えて立っていた。
「いやいや。せっかく大地の幻神の力を授かってるってのに、その使い方を知らんのは勿体ないよなとか話してたら、「私が教える !」って言って聞かなくてな。旅に同行したいんだと」
相変わらず人を馬鹿にしたような態度をしていたガロステルが理由を話す。フォルトは少し照れくさそうに俯いていた。
「この集落もスアリウスとの取引が再び行われるようになれば、嫌でも外交や地域の在り方も変わってくる。様々な知識を見聞きしておくに越した事は無いだろう…安心しろ、必ずお前の助けになってくれる筈だ」
酋長も付け加えた。そう言えば前にいつかは自由に生きるだとかどうとか言っていたような気がする。
「本人はどう思ってるんだ ? 危険な旅になるぞ」
ルーファンはフォルトの方を見ながら問いかける。
「わ、私頑張るから ! それに、あんまりこんな事言いたくないけど…やられっぱなしで終わりたくない」
それは復讐心か、それとも負けん気によるものか。つたない言葉ではあったが彼女は既に決心している様だった。
「分かった」
長ったらしい言葉は不要だろう。そう思ったルーファンはそれだけ言って、彼女の前に手を差し伸べた。握手の申し出である。
「よろしく頼む」
「…うん!!」
互いに強く手を握り合うと、フォルトがこちらに笑顔を見せてくれた。ルーファンは真剣な顔で頷き、すぐに出発しようと動き出した。屈託もなく思い切り笑ったのはいつが最後だっただろうか。そんな遠い記憶を思い返しながらスアリウスへの帰路を急ぐ。
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ファンタジー
シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。
しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。
そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。
一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった!
これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!
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