怨嗟の誓約

シノヤン

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2章:砂上の安寧

第35話 直進あるのみ

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 移動手段を失ってから四日が経過しようとしていた。岩場やオアシスはおろか、動物の死骸さえも見当たらない砂漠をルーファン達は黙々と歩き続ける。物資を積んでいたガヨレルが丸飲みにされてしまったせいで、手持ちの荷物以外には何も残っていなかった。途中でサラザールに頼んで、空を飛んでもらった上で物資やガヨレルを運んできてもらうべきではないかと提案をしたが、ジョナサンによって却下される。予算の都合というやつらしい。

 このまま進むしかなかった一同は、直射日光によって皮膚が焼かれるのを防ぐためにガヨレルの皮膚を頭から被り、血生臭さに耐えながら遥か遠方にある巨大な砂塵を目指す。地平線一帯を覆いつくしているそれは、さながら砂の壁の様であった。

「あそこを越えれば…」

 喉がカラカラなのか、口数が少なくなっていたジョナサンが手短に言った。

「障壁か…パージット以外の物を見たのは初めてかもしれない」

 ルーファンも呟いた。<聖地>を保有する地域は、巨大な魔力で辺りが満たされると同時に環境に合わせた防壁が展開されるという。パージット王国の場合では、一日中暗闇に覆われ、方位磁針を狂わせる上に幻覚まで見えるという異常を発生させる海域が島の周辺を取り囲んでいた。そういった事例の様に、どのような防壁が生まれるかは魔法の流派によって大きく異なる。通るには同じ流派の魔法を使える者が同行するか、対応している魔力を宿した特殊な通行手形を持っておく必要があった。

「生憎、関係が悪化してるせいで通行手形も手に入らない。つまり…」
「強行突破 ?」

 安全に通る方法は最早無く、薄々気づいていたサラザールも力づくで行くしか無いのかと言った。ジョナサンはただ一言「その通り」とだけ返し、おもむろに空っぽの水筒を取り出す。

「水はもう無いんじゃないのか ?」

 ルーファンが尋ねた。

「だから…こうするしかないんだ」

 非常に険しい顔をしてからジョナサンは言うと、おもむろにズボンを少しずらして陰茎を露出させる。そして水筒にチョロチョロと液体を注ぐような音を立て始めた。自分達に背を向けているせいでルーファン達には詳細こそ見えないが、何をしているかは容易に想像できた。

 そして少量の何かが入っているその水筒を、少しの間だけジョナサンは躊躇いがちに眺めてから一気に飲んだ。仄かに香るアンモニア臭の後、口の中に強烈なしょっぱさと僅かな苦みが広がる。生温いそれを必死の思いで飲み込み、口に蔓延る残り香や不快感を消すために何度も深く呼吸をした。塩分が強いため、何度も行えば臓器に悪影響も出て来る手段だが、一度や二度程度ならば応急処置として効果がある。

「生きて辿り着けたら真水が飲みたい…」

 しょぼくれた顔でジョナサンは言った。

「ひとまず私には近づかないでね」
「ったく…君は良いよな。飲まず食わずでも生きられるんだから」

 サラザールが汚らしい物を見るかのように冷め切った態度を取り、ジョナサンはそんな彼女の体を心の底からうらやましがる。そうこうしている内に砂塵が目と鼻の先まで迫っており、流石に躊躇しているのかルーファンは一度だけ立ち止まった。

「この中をどれぐらい歩けば着くんだ ?」
「さあね。何しろ、これに関しては初めてなもんだから」

 ルーファンは不安を露にするが、当のジョナサンも未体験の領域故か億劫な気持ちになっていた。だがこんな所で屯していたとして、干からびて死んで行くだけだと判断した後にルーファンが突っ込んでいく。ジョナサンとサラザールも後に続くが、想像を絶する程の過酷さであった。

 一寸先も見えない程に嵐が吹き荒れ、顔や体中に砂や小石が叩きつけられる、踏み出した傍から足跡は掻き消され、自分達がどこからどのように来たのかさえも把握できない。うっかり立ち止まるか、こけたりでもしようものなら進むべき方向さえ分からなくなってしまうだろう。砂に脚が埋もれ、その中を無理やり歩かなければならないせいで体力も大きく消耗する。

 サラザールとしても空を飛んで場所を確認したい所だったが、こんな状況では方向感覚が狂ってしまいかねない。そうなれば飛び立つ事さえ出来ない上に、二人とはぐれてしまう恐れがある。関係を悪化させたスアリウスを恨みつつ、三人はひたすら前に進む。最早それしか道が無かった。

 そうして暫く歩き続けていた矢先に突然ルーファンが立ち止まり、困惑するジョナサンには目もくれず剣に手を掛けようとする。ほんの僅かではあるが、彼は何者かの気配を感じ取っていた。

「どうしたんだ⁉」
「やっぱりだ。何かがいる」
「まさか、魔物がこんな砂塵の中に ?」
「いや違う。これは――」

 事態が飲み込めていない背後のジョナサンに対し、ルーファンが後ろを振り向きながら説明をしようとしたその時だった。足元の砂が爆発したかのように舞い上がり、三人は思わず顔を覆う。そして視界が塞がれた直後、ルーファンが砂の中へ引き摺り込まれた。

「ルーファン⁉おい――」

 パニックになったジョナサンが思わず叫ぶが、間もなく彼も何者かに足を掴まれて砂の中へと消えていく。サラザールは身構えていたが、そんな彼女の前に二つの人影がポツンと現れ、ゆっくりと自分の方へ向かって来た。二人の内それぞれがネコ科とイヌ科の動物を思い起こさせる見た目をしている。それが獣人であり、ジョナサンの言っていたリゴトの守護者であるとサラザールは直感で悟り、同時にルーファンや自分が感じていた違和感の正体が彼らによるものだと理解した。



 ――――砂まみれになった顔のまま、ルーファンは目を覚ました。どこかで強く打ったせいか、頭が非常に痛む。どうにか顔の砂を払いのけようとした時、誰かが代わりに彼の顔を拭ってくれた。非常に大きな手であり、毛があるせいで少々くすぐったい。

「驚いたぞ。まさかとは思っていたが障壁に生身で突っ込むとは」
「仕方ないでしょ。他に方法無くて」

 サラザールが何者かと話している声が聞こえた。何が起きたのか、そして今どうなっているか状況を把握したい。そんな一心でルーファンは目を開けると、自分の顔を獣人の女性が覗き込んでいる。すぐに剣を抜こうと思ったが、それより先に獣人が馬乗りになって、彼の首と腕を抑えてきた。恐ろしい力である。

「武器は預からせてもらってる。悪く思わないで」

 ゆっくりと顔をこちらに近づけてから彼女は話しかけて来た。何とか目を動かして辺りを見ると、ジョナサンも拘束されている。岩で出来た手枷を嵌められたままルーファンに手を振っていた。

「成程、ずっと見張ってたわけか」
「ええ。まさかあんなに早く気づくとは思わなかった」

 ルーファンが腑に落ちた様に言うと、獣人も笑いながら讃えてくる。そして体の上から退いた上で、起き上がろうとする彼に手を貸した。

「そこの男に事情は聴いた。安心しろ。殺すつもりは無い…だが、ひとまずは共に来て貰うぞ」

 サラザールと話していたリーダーらしき黒毛の獣人がルーファンに呼びかける。サラザールとジョナサンが拘束されている点から拒否権がなさそうだとルーファンは判断し、大人しく従う他なかった。
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