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1章:狼煙
第23話 降臨
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――――三年前
空襲は止み、焼け野原となっていたパージット王国は生物の気配が完全に失せていた。二人の人影が朝靄の中を動き、朽ち果てた木々や住居の形跡を横切っていく。周囲から現れるかもしれない脅威について警戒するサラザールだったが、ルーファンにとってそれは後回しにすべき要素だった。状況を把握し、現実を受け止める事に精一杯だった彼は、確かにあった筈の塔や公園、訓練場を巡っていく。
当然の帰結だが生存者などいる訳が無い。あるのは無機質な瓦礫の山と、数えきれない程の黒く炭化した死体達だった。苦しみに悶え、絶望に溺れて死んだのだろうか。腕をどこかに伸ばしていたり、体がよじれていたりと歪な姿勢を取っている者ばかりである。焼け焦げてない体が横たわっていると思って駆け寄るが、体の何かしらが無くなっていた。少なくとも五体満足で済んだ体は島のどこを探し歩いても存在せず、死体の中に知った顔を見つける度にルーファンは「すまなかった」と詫び続けて彼らを埋葬した。
手や顔、服が土にまみれてもお構いなしにルーファンは穴を掘り続け、辛うじて形を保っている欠損した亡骸を入れていく。彼らの上に土を被せていたルーファンは、なぜ自分だけが生き残ってしまったのかと埋め終わる度に考え、答えが見つからない内に次の死体が残っているからと思考を中断して作業に没頭した。
そのまま考え続ければ、無理矢理な形ではあるが戦いから逃げてしまった自分を恥じたくなるだろう。ここで死んでいればどれだけ楽だったかと思うかもしれない。背後で埋めるのを手伝ってくれているサラザールが阻止してしまうだろうが、腰に携えた剣で命を絶ってしまう事さえ苦ではなかった。とにかく後悔と罪悪感を頭の中から掻き消したい。そのせいで作業を中断する事が出来なかった。他の事に気を取られていれば、自責の念に苛まれる事も自分が置かれた現実を前にして絶望する余裕さえも無くなる。
どこまで行こうが人間もまた生物であり、最後に優先するのは己の生命だ。綺麗事を嫌っているつもりの、皮肉屋を気取った守衛がそんな事を口走っていた気がする。自分はそのつもりはないから精一杯気高く生きてやると笑っていたが、ここに来て彼の言葉が正しかったと受け入れざるを得なかった。
何度も殉死する機会はあったにも拘らず自分は生き延びてしまった。なぜだろうか?問う迄も無い。それが自分の意思だったからだろう。許さんぞと憤りを装っているが、結局お前を突き動かしたのは生に対する醜い執着心に他ならない。サラザールに連れられて脱出した時だってそう。彼女の手を無理やり払ってでも敵を追いかければ良かったというのに。それ以前にしたって、本当に仲間達へ申し訳が立たない思いを抱え、死にたい気持ちに囚われているのであれば大人しく殺されてしまえば良かったのだ。だが、自分はそれをしなかった。それこそが本能に負けた証拠であり、自分自身に対する甘さの表れで――
「手、止まってるよ」
土で汚れた服をはたいているサラザールが背後から言った。仕方なく手伝ってやってるというのに、お前がサボってるとはどういう了見なのかと、ルーファンに対して冷ややかな視線を送っている。一言だけ「悪かった」とルーファンは謝罪し、再び同志達を土の中へ放り込む作業へ戻る。沈黙が続くとすぐにこうなる。ルーファンは辟易しながら土へ鋤を突き立てた。
そこからどれほどの時間、或いは日数が経っただろうか。五里霧中とも言える状態で死体を形だけでも埋葬し続けていたルーファンは、サラザールによって焚き火の前で休ませられた。島中を歩き回っていたせいか、足の皮が所々剥けてヒリヒリと痛む。手に付いた土の汚れは幾層にも渡り、初めの頃には確かにあった土にまみれる事に対する忌避感は無くなっていた。
「良い物見つけた」
浜辺のど真ん中で焚き火をしていた最中、どこかから戻って来たサラザールが何かをルーファンへ放る。干し葡萄、そして若干だが焦げている干し肉だった。
「…どこでこれを?こんなきれいな形で残っているなんて」
ルーファンが尋ねる。
「宮殿、勝手にお邪魔しちゃってごめん。まだ完全には崩れてなかったものだから、何かあるかもと思って見て来た」
サラザールは答え、干し肉を焚き火に近づけて炙り始める。手は熱くないのだろうかと一瞬ルーファンは不安を感じたが、彼女は至って平気そうな様子で干し肉を渡して来た。
「もしかして、猫舌だったりする?」
サラザールは小さく笑い声を出してから言ったが、ルーファンはそんな冗談で笑えるような気分じゃないと無言で目を逸らす。しかし、やはり反応もしないんじゃ彼女に悪いともう一度だけ視線を戻した。案の定、自分の反応に対して少し不満げにしながら干し肉をチラつかせている。
「…君が食べるべきだ」
ルーファンが少し焦って言葉を放つ。
「俺がやるべき仕事だったのに付き合わせてしまった。働いた者は恩恵を受ける権利がある」
「手伝ったのはただの自己満足。報酬目当てにやったわけじゃない。この数日間、何も食べてないでしょう?」
顔の下半分が隠れているせいで全く全貌を掴めないが、穏やかに言い返すサラザールの表情は心なしか少し優しくなったような気がした。爬虫類のような目から迸る視線には慣れないものの、彼女に敵意が無い事は十分証明されたのではないだろうか。
「じゃあ…半分に分けないか?」
ルーファンは恐る恐る手を伸ばすが、やはり誰かに見られながら一人で食事を取るというのは凄まじい気まずさが残ってしまうと、山分けを彼女に提案する。「賛成」とだけ彼女は言ってから何食わぬ顔で干し肉を千切り、小さい方をルーファンに渡して来た。
「…まだ量ならあるから、ね?」
何か言いたげな様子で顔を僅かにルーファンがしかめると、サラザールは舌打ちをしたい気持ちを抑えて残りの食料について言及する。何か納得いかないとは思いつつ、彼女から受け取ったルーファンは静かに干し肉へがっつき始めた。噛むたびに肉の旨味が口に染み出し、ここ最近は味覚をまともに機能させていなかった事を実感する。
干し葡萄もつまみながら。調達した分の残りを二人で均等に分け合いながら食べていると、心にようやくゆとりが持てたような気がした。腹を満たせたという充実感のせいかもしれないが、穴掘りと埋葬をしていた頃に比べて変な気持ちに呑まれる事も無い。つくづく人間とは単純なものだと思いつつ、ルーファンはいよいよ話を切り出そうと向かい側に腰を下ろしている彼女へ顔を向けた。
「なあ、俺を助けてくれた事には感謝している。だからこそ教えて欲しい。なぜそこまでする?」
敵対するつもりはない事を伝えながら、ルーファンは質問を始めた。
「君は何者だ?」
「…やっぱり、気になっちゃう ?」
「怪しい奴だっていう自覚はあるんだな」
「当然。寧ろホッとしてる。そこまで間抜けじゃなさそうって部分について」
サラザールも話に応じていたが、彼女の傍らに置かれている干し肉の量を見たルーファンは彼女が一切手を付けてない事に気づいた。
「君は一体…?」
「まず、人間じゃないって事だけは正直に言っておく。証拠付きで」
ルーファンが違和感を抱えつつ尋ねると、サラザールは身元を打ち明けながら指を鳴らす。口元覆い隠していた服の襟が変形を始め、たちまち消失すると彼女の異形としか形容できない口が露になった。下顎が真っ二つに割れるような形で変形して鋭い牙が見える上に、蛇のような長い舌がチロチロと踊っている。裂けてしまっている口は耳元にまで達していた。突然見せられた秘密を前に、ルーファンは慄いたりする暇も無く呆然としていた。
「随分ビックリしちゃって…キスでもして欲しかったのなら諦める事ね」
再び服の襟元が変形し口を覆い隠し、サラザールは話を続ける。心の整理がついたルーファンが真っ先に思ったのは、こんなものを見せられた自分はどういう反応をすれば良いのかという困惑であった。
「…人間ではないって事だけは理解した。じゃあ教えてくれ。君は何なんだ?」
「信じてくれるか分からない話をするけど良いかしら?」
「それは聞いてから判断する。続けてくれ」
念入りに確認するサラザールへ、ルーファンは食い気味になりながら催促する。あんな物を見せられては、もう何を言われても驚かないだろうと半ば悟りの境地に達しかけていた。
「化身よ。この島に封印されていた闇の幻神、〈バハムート〉…その化身」
そんな彼の心構えを察したサラザールは静かに、しかし凛とした態度で言い切った。
空襲は止み、焼け野原となっていたパージット王国は生物の気配が完全に失せていた。二人の人影が朝靄の中を動き、朽ち果てた木々や住居の形跡を横切っていく。周囲から現れるかもしれない脅威について警戒するサラザールだったが、ルーファンにとってそれは後回しにすべき要素だった。状況を把握し、現実を受け止める事に精一杯だった彼は、確かにあった筈の塔や公園、訓練場を巡っていく。
当然の帰結だが生存者などいる訳が無い。あるのは無機質な瓦礫の山と、数えきれない程の黒く炭化した死体達だった。苦しみに悶え、絶望に溺れて死んだのだろうか。腕をどこかに伸ばしていたり、体がよじれていたりと歪な姿勢を取っている者ばかりである。焼け焦げてない体が横たわっていると思って駆け寄るが、体の何かしらが無くなっていた。少なくとも五体満足で済んだ体は島のどこを探し歩いても存在せず、死体の中に知った顔を見つける度にルーファンは「すまなかった」と詫び続けて彼らを埋葬した。
手や顔、服が土にまみれてもお構いなしにルーファンは穴を掘り続け、辛うじて形を保っている欠損した亡骸を入れていく。彼らの上に土を被せていたルーファンは、なぜ自分だけが生き残ってしまったのかと埋め終わる度に考え、答えが見つからない内に次の死体が残っているからと思考を中断して作業に没頭した。
そのまま考え続ければ、無理矢理な形ではあるが戦いから逃げてしまった自分を恥じたくなるだろう。ここで死んでいればどれだけ楽だったかと思うかもしれない。背後で埋めるのを手伝ってくれているサラザールが阻止してしまうだろうが、腰に携えた剣で命を絶ってしまう事さえ苦ではなかった。とにかく後悔と罪悪感を頭の中から掻き消したい。そのせいで作業を中断する事が出来なかった。他の事に気を取られていれば、自責の念に苛まれる事も自分が置かれた現実を前にして絶望する余裕さえも無くなる。
どこまで行こうが人間もまた生物であり、最後に優先するのは己の生命だ。綺麗事を嫌っているつもりの、皮肉屋を気取った守衛がそんな事を口走っていた気がする。自分はそのつもりはないから精一杯気高く生きてやると笑っていたが、ここに来て彼の言葉が正しかったと受け入れざるを得なかった。
何度も殉死する機会はあったにも拘らず自分は生き延びてしまった。なぜだろうか?問う迄も無い。それが自分の意思だったからだろう。許さんぞと憤りを装っているが、結局お前を突き動かしたのは生に対する醜い執着心に他ならない。サラザールに連れられて脱出した時だってそう。彼女の手を無理やり払ってでも敵を追いかければ良かったというのに。それ以前にしたって、本当に仲間達へ申し訳が立たない思いを抱え、死にたい気持ちに囚われているのであれば大人しく殺されてしまえば良かったのだ。だが、自分はそれをしなかった。それこそが本能に負けた証拠であり、自分自身に対する甘さの表れで――
「手、止まってるよ」
土で汚れた服をはたいているサラザールが背後から言った。仕方なく手伝ってやってるというのに、お前がサボってるとはどういう了見なのかと、ルーファンに対して冷ややかな視線を送っている。一言だけ「悪かった」とルーファンは謝罪し、再び同志達を土の中へ放り込む作業へ戻る。沈黙が続くとすぐにこうなる。ルーファンは辟易しながら土へ鋤を突き立てた。
そこからどれほどの時間、或いは日数が経っただろうか。五里霧中とも言える状態で死体を形だけでも埋葬し続けていたルーファンは、サラザールによって焚き火の前で休ませられた。島中を歩き回っていたせいか、足の皮が所々剥けてヒリヒリと痛む。手に付いた土の汚れは幾層にも渡り、初めの頃には確かにあった土にまみれる事に対する忌避感は無くなっていた。
「良い物見つけた」
浜辺のど真ん中で焚き火をしていた最中、どこかから戻って来たサラザールが何かをルーファンへ放る。干し葡萄、そして若干だが焦げている干し肉だった。
「…どこでこれを?こんなきれいな形で残っているなんて」
ルーファンが尋ねる。
「宮殿、勝手にお邪魔しちゃってごめん。まだ完全には崩れてなかったものだから、何かあるかもと思って見て来た」
サラザールは答え、干し肉を焚き火に近づけて炙り始める。手は熱くないのだろうかと一瞬ルーファンは不安を感じたが、彼女は至って平気そうな様子で干し肉を渡して来た。
「もしかして、猫舌だったりする?」
サラザールは小さく笑い声を出してから言ったが、ルーファンはそんな冗談で笑えるような気分じゃないと無言で目を逸らす。しかし、やはり反応もしないんじゃ彼女に悪いともう一度だけ視線を戻した。案の定、自分の反応に対して少し不満げにしながら干し肉をチラつかせている。
「…君が食べるべきだ」
ルーファンが少し焦って言葉を放つ。
「俺がやるべき仕事だったのに付き合わせてしまった。働いた者は恩恵を受ける権利がある」
「手伝ったのはただの自己満足。報酬目当てにやったわけじゃない。この数日間、何も食べてないでしょう?」
顔の下半分が隠れているせいで全く全貌を掴めないが、穏やかに言い返すサラザールの表情は心なしか少し優しくなったような気がした。爬虫類のような目から迸る視線には慣れないものの、彼女に敵意が無い事は十分証明されたのではないだろうか。
「じゃあ…半分に分けないか?」
ルーファンは恐る恐る手を伸ばすが、やはり誰かに見られながら一人で食事を取るというのは凄まじい気まずさが残ってしまうと、山分けを彼女に提案する。「賛成」とだけ彼女は言ってから何食わぬ顔で干し肉を千切り、小さい方をルーファンに渡して来た。
「…まだ量ならあるから、ね?」
何か言いたげな様子で顔を僅かにルーファンがしかめると、サラザールは舌打ちをしたい気持ちを抑えて残りの食料について言及する。何か納得いかないとは思いつつ、彼女から受け取ったルーファンは静かに干し肉へがっつき始めた。噛むたびに肉の旨味が口に染み出し、ここ最近は味覚をまともに機能させていなかった事を実感する。
干し葡萄もつまみながら。調達した分の残りを二人で均等に分け合いながら食べていると、心にようやくゆとりが持てたような気がした。腹を満たせたという充実感のせいかもしれないが、穴掘りと埋葬をしていた頃に比べて変な気持ちに呑まれる事も無い。つくづく人間とは単純なものだと思いつつ、ルーファンはいよいよ話を切り出そうと向かい側に腰を下ろしている彼女へ顔を向けた。
「なあ、俺を助けてくれた事には感謝している。だからこそ教えて欲しい。なぜそこまでする?」
敵対するつもりはない事を伝えながら、ルーファンは質問を始めた。
「君は何者だ?」
「…やっぱり、気になっちゃう ?」
「怪しい奴だっていう自覚はあるんだな」
「当然。寧ろホッとしてる。そこまで間抜けじゃなさそうって部分について」
サラザールも話に応じていたが、彼女の傍らに置かれている干し肉の量を見たルーファンは彼女が一切手を付けてない事に気づいた。
「君は一体…?」
「まず、人間じゃないって事だけは正直に言っておく。証拠付きで」
ルーファンが違和感を抱えつつ尋ねると、サラザールは身元を打ち明けながら指を鳴らす。口元覆い隠していた服の襟が変形を始め、たちまち消失すると彼女の異形としか形容できない口が露になった。下顎が真っ二つに割れるような形で変形して鋭い牙が見える上に、蛇のような長い舌がチロチロと踊っている。裂けてしまっている口は耳元にまで達していた。突然見せられた秘密を前に、ルーファンは慄いたりする暇も無く呆然としていた。
「随分ビックリしちゃって…キスでもして欲しかったのなら諦める事ね」
再び服の襟元が変形し口を覆い隠し、サラザールは話を続ける。心の整理がついたルーファンが真っ先に思ったのは、こんなものを見せられた自分はどういう反応をすれば良いのかという困惑であった。
「…人間ではないって事だけは理解した。じゃあ教えてくれ。君は何なんだ?」
「信じてくれるか分からない話をするけど良いかしら?」
「それは聞いてから判断する。続けてくれ」
念入りに確認するサラザールへ、ルーファンは食い気味になりながら催促する。あんな物を見せられては、もう何を言われても驚かないだろうと半ば悟りの境地に達しかけていた。
「化身よ。この島に封印されていた闇の幻神、〈バハムート〉…その化身」
そんな彼の心構えを察したサラザールは静かに、しかし凛とした態度で言い切った。
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