怨嗟の誓約

シノヤン

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1章:狼煙

第22話 負の具現化

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 一瞬だけ怯み、苦痛に顔を歪めたルーファンだが、すぐに一呼吸を置いて落ち着きを取り戻す。不気味な程に冷静な表情を浮かべる傍らで、サラザールは自身の腕をルーファンに巻き付けた。少しづつ彼の体がどす黒い靄に覆われ、やがて顔まで浸食していく。

闇を司りし精霊とまぐわう者ダケル・ディクド・スピル・フュジィ・ソナ
「万物の魂を呑み込む恐怖と絶望を呼び起こさんエヴ・ソニマ・スウォル・スティ・ド・デスティ・スーライ


 体が闇に包まれ、防御するように自身の周りを包んでいく中でルーファンは非常に長い呪文を詠唱し続ける。その言葉を最後にサラザールの肉体に飲み込まれ、やがてサラザールも闇に包み込まれていった。黒い球体状になった闇の瘴気を前に、ミノタウロス達はただ立ち尽くしている。

 やがて強烈な衝撃波が発生し、周辺に充満していた瘴気を吹き飛ばす。そして現れたのは、ほんの先程までは確かに人であった筈の何かであった。黒い靄が体の至る所から吹き出し、非常に粘り気があるかのように地面へと滴る。そうして辺りに闇の瘴気を発生させていくその生物は全身を黒い鱗で覆っており、巨大な尻尾と翼を持っていた。

 やがてその怪人は静かに両目を開く。人とは思えない爬虫類の様な異形の瞳をぎょろつかせ、間もなく目の前にいる二体のミノタウロスと視線が合った。

「ギャアアアアアアアアア‼」

 次の瞬間、牙の生えた巨大な口を開けてから耳をつんざく様な強烈な雄たけびを怪人は上げる。あまりの声量に窓が割れ、立て籠もっていた者達も思わず怯んでしまう。しかし彼らはそれ以上に慄いていた。目の前に背を向けて立ちはだかっている異形の存在は果たして敵なのか味方なのか、最早誰一人としてリミグロンの事など脅威とすら認識していなかった。

 どよめきが止まない中、怪人は飛翔した。委縮してしまっていたミノタウロスの一体も慌てて迎撃をするが、怪人は呆気なく斧による攻撃を掻い潜ってからミノタウロスへ飛び掛かる。爪による攻撃でたちまち膝から下を切断され、ミノタウロスが跪くと次に顔へと飛び掛かる。そして再び咆哮を轟かせながら顔面に噛みついた。

「ブオオオオ‼ブオオオオ‼」

 痛みに苦しみ喘ぐミノタウロスの叫びがこだまするが、誰一人として止めようとはしない。傍らにいたもう一体のミノタウロスでさえ固まったまま、肉体をズタボロにされながら貪られる自分の仲間を眺める他なかった。下手に介入すれば自分が標的にされるかもしれない。そんな報復に対する恐怖が、生物としての本能を刺激してその場にいた者達を縛り付けていた。

 執拗に殴り、肉を引き千切り、そして内臓を抉り出すその光景はまさしく地獄絵図である。激しい憎悪、復讐心、執着、怒り…ありとあらゆる負の感情が人型を成して襲い掛かってる様にも見えた。怪人の勢いは止むことなく、ミノタウロスを痛めつけながらも吠え続けている。何を言っているかは分からないが、何かに対して尋常ではない激情を抱いている事は容易に想像が出来た。

 やがて肉塊と化してしまったミノタウロスを踏みつけ、怪人はもう一体を睨む。残る一体はというと、ヤケクソ気味に斧を握りしめて震えたまま怪人の前に立ちはだかっている。逃げたいのは山々だが、リミグロンによるロボトミー手術を始めとした様々な拘束用の措置によってそれは叶わなかった。戦うしかない。逃げれば確実に殺されるが、立ち向かえば可能性こそ低いが生存への希望はある。

 怪人が手をかざした瞬間、尻尾が大きくなったかと思えば八本程に分裂して蠢き始める。ミノタウロスはそんな相手側の小細工の事など気にも留めず、唸りながら走り出そうとする。だが、突然目の前が真っ暗になった。気絶したわけではない。確かに意識はハッキリとしているが、どれだけ瞬きをして見ても見渡す限りの暗黒が広がっていた。

 体が動かない。どれだけ藻掻こうと試みても、何かに縛り付けられた様に固まってしまっていた。辛うじて目を動かす事は出来るが、自分に何が起きているのかは勿論の事、その原因さえ分からずにいた。そうして困惑していた矢先、どこかで物音が聞こえる。小さな足音であった。

 なぜだか分からないが、ミノタウロスは自分の体が震えている事に気づく。不安と、そこから湧き起こる恐怖がそうさせていた。生物が暗闇を恐れる理由というのは一種の本能である。暗闇に待ち受ける多くの危険、言うなれば敵や障害物といった要因によって傷つき、大事な物を奪われ、命を落とす事を防ぐために恐怖を感じるよう本能に刷り込まれているのである。視覚という要となる情報源が断たれている以上、可能な限り慎重に動くように生物は作られているのだ。

 目が現れた。強烈な赤い光を迸らせている目が自分の方を遠くから睨んでいる。そして、こちらへ迫って来ている足音に合わせて目との距離も近づきつつあった。先程の同胞の姿を思い返したミノタウロスは、一気に血の気が引く様な感覚を覚える。自分が殺されると悟ったのだ。何をどのようにして奪われるのか、そしてどうやって殺されるのか。不安と恐怖に押しつぶされたミノタウロスは、とうとう悲鳴を上げ出した。

「何が起きているんだ… ?」

 割れた窓から慎重に観察しながらジョナサンは呟いた。怪人の持っている八本に分裂した尻尾がミノタウロスに巻き付き、その内の二本は首元に刺さっている。幻覚を見せられ、そして動きを封じられている敵に向けて怪人は歩き出していた。黒い靄と共に剣を召喚すると、闇の瘴気を剣に纏わせる。そして空に向けてかざすや否や、闇の瘴気によって構成された巨大な刃が現れた。

「ブオオオオ…‼ブオオオオ ! ブオオオオ… !」

 ミノタウロスは次第に体を揺すりながら許しを乞う様に泣き叫び始める。しかしそんな悲鳴に耳を傾ける事も無く、怪人は刃を振り下ろした。真っ二つに割れたミノタウロスの死体から血と臓物が溢れ出し、地面を更に赤く染め上げていく。一方で体力の限界が来たのか、跪いた怪人は再び闇の瘴気に包まれる。そして間もなくしてルーファンとサラザールが正気の中から現れた。少々疲弊しているらしく、ルーファンは肩で息をしている。

「ば、化け物だ‼」
「撤退だ ! い、今すぐに撤退しろ !」

 遠くから叫んで逃げて行ったリミグロン兵達を静かに見つめ、まだ戦いが終わらない事をルーファンは理解する。オニマがどの程度の地位にいるかは知らないが、任務に出向いた兵士が返り討ちに遭って殺されたとあれば、きっと彼の仲間達は黙ってるわけにはいかないだろう。

 とことん引き戻せない場所まで来てしまったと、ルーファンはオニマの死体を見ながら思った。ようやく悲願を達成したというにも拘らず晴れない気持ちと、これから自分に待っているであろう人生に対する不安を抱えながら、サラザールと共にルーファンは振り返る事も無くその場を立ち去る。雨は止み、聞こえるのは寂しげな二人の足音のみであった。
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