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1章:狼煙
第19話 凶刃
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「…魔法だな。〈闇〉とは違う」
「その通り。どういうわけか、お前と違って未だに〈闇の流派〉が使えないもんでね。その代わりってわけだ」
ルーファンに対して槍を軽く振りながらアドラは答える。何の流派かまでは言おうとしなかったが、リミグロン兵が銃から放つ光弾も同質の魔法だろう。ルーファンは感じ取る事の出来た魔力の気配から推測をした。まだまだ調べる必要がありそうだとルーファンが考えている内に、他のリミグロン兵達も銃を構えてこちらを狙っている。
「最後だぜ?俺と来い」
アドラが言った。
「お互い生き永らえた命だろ」
「先に待っているものが破滅だろうと構わないさ。その代わりに全てを終わらせたい」
先手を取られようとしていた事に気づいたルーファンはそう言った後、リミグロン兵達が攻撃を行うより先に跪き、地面に向かって掌を叩きつける。
「呑み込め!」
防御魔法が唱えられると、ルーファンの周りをドーム状の闇が覆った。放たれた光弾の雨を全て吸収し、すかさず魔法を解除してからルーファンは走り出す。屋根へと飛び乗ってからリミグロン兵達を斬り伏せて行き、再び攻撃が来れば建物を遮蔽物にして身を守った。今の彼では魔法の維持を長時間行う事は難しく、下手に体力や気力を消耗したくなかったのである。とにかく走り回り、狙いを付けさせるような事をしてはならない。
「追うぞ。俺がケリを着けてやる」
聞くだけ無駄だったかとアドラは笑い、部下達に命令を下した後に槍を担いで走り出す。裏切り者か。心の内を知っているわけでも無い癖によく言えたものだ。生まれこそ孤児という悲劇的な経緯ではあるが、軍部の権力者に見初められた後に上等な環境を与えられた貴様には分かるわけ無いだろう。あの廃れる以外に道の無かった狭い世界がどれほど退屈だったか。外交に携わっていた父を海外かぶれと蔑み、警告に聞く耳も持たなかった間抜け共の肩なんぞ持ちやがって。アドラは自分には裏切るだけの正当な理由があると記憶を思い返し続ける。
そんな中でリミグロンの諜報員が話を持ち掛けてきた時は飛び上がる様な思いだった。既に家族は死去しており、失う事が惜しいものなど島には何も残っていない。兵士、いや戦士としての使命など知った事か。俺に何かしてくれるわけでも無いノミ共など、死んだ所で話の種にすらならない。つくづくつまらん窮屈な場所だった。あんな国じゃ裏切りかクーデターも時間の問題だったろう。仮に俺がやらなかったとしてもだ。誠実な馬鹿ほど早死にするご時世、どんな手段を使ってでも生きてやる。
アドラは決意を固めながら探し続けていたが、ルーファンが隠れながら一人、また一人とこちら側の頭数を減らし続けている事に不安と苛立ちを見せる。御大層なことを言った癖に、結局はこそこそ隠れ回る事しか出来ないちっぽけな小心者だと罵りたくなった。
「どうした?俺を殺すんじゃないのか?」
大声で叫んでみるが返事はない。その代わり、また別の場所で悲鳴が聞こえた。この辺りから、ルーファンが通信装置を持っている兵士を優先的に狙っている事にアドラは気づく。自分が孤立し始めているのを、周囲の人気のなさから悟り始めていた。
「一対一か…いいぞ、やってやる」
アドラは意を決し、再び関所から連なっている大通りへと戻って行く。実直な気持ちでは言えば、彼はルーファンと戦いたくはなかった。噂を聞いていたせいかもしれない。各地でリミグロンや犯罪を行う賊を処刑する『鴉』の逸話。民に横暴を働く事こそしないが、相手がリミグロンや民衆に仇成す者と分かれば、泣き叫ぼうが無抵抗だろうが始末する。たった一人であるにもかかわらず、彼の手によって壊滅させられた拠点や小隊の話は数えきれない。
自分一人じゃ勝てないと、アドラはこの任務に赴く前から既に理解していた。奴が恐れられているのは単純な戦闘力だけではない。同情といったものが付け入る事すらできない程に強固な目的への執着心。不屈という言葉さえ軟弱に聞こえてしまう。それほどまでに純然過ぎた殺戮への意思があるせいで、彼が現れた地のリミグロンや協力関係にあった者達は皆殺しにされているのだ。アドラはルーファンの原動力の正体を推察し、ようやく自分が引き金となって怪物を生み出してしまった事に気が付いた。
武者震いだと頭の中で言い訳しようとするが、頭の中で思い描いてしまうのは一介の剣士と立ち会う自分の雄姿ではない。実体のない怪物が背後から忍び寄り、お前などいつでも殺せると自身の首筋を舐めてくる。そんな有り様が易々と想像できてしまう程に、彼は恐怖に呑まれつつあった。既に悲鳴すら聞こえなくなっている。もう自分だけしかいない。
風のざわめきと共に、何かがぶつかるような音が関所から聞こえた。動悸が速まるのを感じながら、防衛本能のせいで少しだけ体を低くしながら振り返ってしまう。そこには自分達が殺した死体しかなかった。戦利品として立て掛けていた剣が転がっており、それ以外は何の変哲も無い街へと通ずる入り口でしかない。
アドラがビビらせないでくれと冷静さを取り戻し、街の中央を通っている道へと再び目を向けた時だった。彼はいた。自分から数メートル程度離れている場所に立ってこちらを見ている。剣からは血が滴っており、ゆっくりとその剣の切っ先をアドラへ向けて来た。そのまま腰を落とし、柄を両手で握りしめながら静かに構える。
「一度、その姿を鏡見た方が良いぜ」
人の皮を被った化け物にしか見えないだろうからな。アドラは言葉の続きを心に留めて槍を構える。俺の事を幾ら罵ろうが自分とは別方向でお前もまた外道だと、ルーファンの事を恐れつつ罵倒した。結局はどっちもどっち、お前も大義名分を振りかざして狩りと殺戮に勤しんでいる。集団による風潮や流れに身を任せているわけでも無く、自らの意思でそれを行い続け、仕事を済ませただけだけの様に平然としていられる人間を狂人と言わずして何と言うのか。
長きにわたる沈黙の後、仕掛けたのはアドラだった。ルーファンが手出しをしてこない理由を探っている内に、彼はほんの僅かだがルーファンの肩が小さく上下に揺れているのを目撃する。肩で息をしているのだろうか?つまり、奴は疲弊している。そう考え始めた内に、ズルズルと自分に好意的な解釈が脳髄から引きずり出されていく。そうだ、やはりあいつも人間だ。これだけの兵を相手に単身で戦い続けているのだから、体が万全な状態を保てるわけがない。もしかすればあの冷静そうな顔だって、何か都合の悪いものを隠すために取り繕っているだけかもしれないじゃないか。
自分でも冷静な判断が出来てるかどうか分からなかったが、アドラはそうに違いないと思い込み始めた。窮地に陥った人間は、自分にとって心地いい判断材料が出現してしまうと、根拠をかなぐり捨ててそれを信じてしまう。そしてきっと大丈夫、全てが上手くいくという何に裏付けされているわけでも無い空っぽな自信で精神を満たそうとする。アドラはまさしくそんな状態だった。
走り出した彼が放った槍による突きをルーファンは躱し、足で槍を踏みつける。そのまま器用に柄の上を走り出して、彼の兜へ飛び蹴りをかました。吹き飛ばされながらも態勢を整えて着地をしたアドラは、再び槍を振るいながらルーファンへ襲い掛かる。光を纏った槍が建物の壁や打ち捨てられたガラクタに当たる度、火花を散らしながら切断される。まるで焼き切った様な切り口だった。
「お疲れの様だな!今なら許してやってもいいぞ!」
俺なら勝てると、アドラは調子に乗り始めていた。距離を取って様子を見るルーファンに向かって吠えると、再び駆け出して次々と攻撃を続ける。ルーファンはそれらを躱し、時には剣で防ぎながらただ黙ってアドラの様子を見ていた。魔法を使う素振りすら見せない。
行ける。このまま押し通してしまえと、アドラは連続で槍を振るってルーファンを煉瓦造りになっている建物の壁際まで追い詰め続けた。そしてトドメをくれてやろうと槍による渾身の突きを放とうとした時だった。
「宿れ」
ルーファンが早口で憑依呪文を呟き、さらには壁を足で蹴って一気に距離を詰めた。アドラは一瞬反応が遅れ、突きを放った槍の切っ先をどうにかルーファンの顔へ向けようとしてしまい僅かに手元がブレる。ルーファンの頬へと僅かに槍が突き刺さりかけ、肉が引き裂かれる熱い痛みが一気に押し寄せてきた。しかしルーファンはお構いなしに憑依呪文で魔力が宿っている剣を兜に向かって突き刺した。剣は顔を覆っている兜を突き破り、アドラの鼻骨から後頭部にかけて串刺しにする。そのまま二人して雨が降り始めて濡れ始めた道端へ倒れ込んだ。
震えながらルーファンは立ち上がり、抉られた肉によって凹凸が出来た頬の痛みに顔を引きつらせる。流血が首筋にまで達し、地面にも小さな赤黒い染みを作っていた。そのままアドラを見つめ、痙攣している彼の顔から乱暴に剣を引き抜く。裏切り者とはいえ、同じ地で育った者を殺したという重圧が彼の心臓を押し潰そうとしていた。
自分の信じていた国や、そこに住まう者達を信頼していた事が間違いだったのだろうかと自責の念に駆られかけた直後、小さな頭痛がこめかみを襲った。
(ルーファン、どこにいる?)
聞き覚えのある女性の声が頭の中に響く。サラザールが使うテレパシーだった。
(…少し疲れている。用事が終わった)
(酒場の方。皆が人質にされてる。私も)
(すぐに向かう。状況は?)
(人質は全員酒場の外。周りを敵兵に囲まれてる)
(時間を稼げ)
(分かった。急いで。このままじゃ皆死ぬ)
あまり長い会話は出来ないものの、意志疎通と状況の把握には十分だった。ルーファンは彼女から報せを受け取った後に酒場へ向かおうとするが、不意に関所付近で倒れている死体と、その近くに転がっていた弓に目が行ってしまう。
「囲まれてる…か」
下手な動きをすれば更なる犠牲に繋がってしまう。ルーファンはそう思いつつ弓と矢筒をひったくって酒場へ向かって走り出した。
「その通り。どういうわけか、お前と違って未だに〈闇の流派〉が使えないもんでね。その代わりってわけだ」
ルーファンに対して槍を軽く振りながらアドラは答える。何の流派かまでは言おうとしなかったが、リミグロン兵が銃から放つ光弾も同質の魔法だろう。ルーファンは感じ取る事の出来た魔力の気配から推測をした。まだまだ調べる必要がありそうだとルーファンが考えている内に、他のリミグロン兵達も銃を構えてこちらを狙っている。
「最後だぜ?俺と来い」
アドラが言った。
「お互い生き永らえた命だろ」
「先に待っているものが破滅だろうと構わないさ。その代わりに全てを終わらせたい」
先手を取られようとしていた事に気づいたルーファンはそう言った後、リミグロン兵達が攻撃を行うより先に跪き、地面に向かって掌を叩きつける。
「呑み込め!」
防御魔法が唱えられると、ルーファンの周りをドーム状の闇が覆った。放たれた光弾の雨を全て吸収し、すかさず魔法を解除してからルーファンは走り出す。屋根へと飛び乗ってからリミグロン兵達を斬り伏せて行き、再び攻撃が来れば建物を遮蔽物にして身を守った。今の彼では魔法の維持を長時間行う事は難しく、下手に体力や気力を消耗したくなかったのである。とにかく走り回り、狙いを付けさせるような事をしてはならない。
「追うぞ。俺がケリを着けてやる」
聞くだけ無駄だったかとアドラは笑い、部下達に命令を下した後に槍を担いで走り出す。裏切り者か。心の内を知っているわけでも無い癖によく言えたものだ。生まれこそ孤児という悲劇的な経緯ではあるが、軍部の権力者に見初められた後に上等な環境を与えられた貴様には分かるわけ無いだろう。あの廃れる以外に道の無かった狭い世界がどれほど退屈だったか。外交に携わっていた父を海外かぶれと蔑み、警告に聞く耳も持たなかった間抜け共の肩なんぞ持ちやがって。アドラは自分には裏切るだけの正当な理由があると記憶を思い返し続ける。
そんな中でリミグロンの諜報員が話を持ち掛けてきた時は飛び上がる様な思いだった。既に家族は死去しており、失う事が惜しいものなど島には何も残っていない。兵士、いや戦士としての使命など知った事か。俺に何かしてくれるわけでも無いノミ共など、死んだ所で話の種にすらならない。つくづくつまらん窮屈な場所だった。あんな国じゃ裏切りかクーデターも時間の問題だったろう。仮に俺がやらなかったとしてもだ。誠実な馬鹿ほど早死にするご時世、どんな手段を使ってでも生きてやる。
アドラは決意を固めながら探し続けていたが、ルーファンが隠れながら一人、また一人とこちら側の頭数を減らし続けている事に不安と苛立ちを見せる。御大層なことを言った癖に、結局はこそこそ隠れ回る事しか出来ないちっぽけな小心者だと罵りたくなった。
「どうした?俺を殺すんじゃないのか?」
大声で叫んでみるが返事はない。その代わり、また別の場所で悲鳴が聞こえた。この辺りから、ルーファンが通信装置を持っている兵士を優先的に狙っている事にアドラは気づく。自分が孤立し始めているのを、周囲の人気のなさから悟り始めていた。
「一対一か…いいぞ、やってやる」
アドラは意を決し、再び関所から連なっている大通りへと戻って行く。実直な気持ちでは言えば、彼はルーファンと戦いたくはなかった。噂を聞いていたせいかもしれない。各地でリミグロンや犯罪を行う賊を処刑する『鴉』の逸話。民に横暴を働く事こそしないが、相手がリミグロンや民衆に仇成す者と分かれば、泣き叫ぼうが無抵抗だろうが始末する。たった一人であるにもかかわらず、彼の手によって壊滅させられた拠点や小隊の話は数えきれない。
自分一人じゃ勝てないと、アドラはこの任務に赴く前から既に理解していた。奴が恐れられているのは単純な戦闘力だけではない。同情といったものが付け入る事すらできない程に強固な目的への執着心。不屈という言葉さえ軟弱に聞こえてしまう。それほどまでに純然過ぎた殺戮への意思があるせいで、彼が現れた地のリミグロンや協力関係にあった者達は皆殺しにされているのだ。アドラはルーファンの原動力の正体を推察し、ようやく自分が引き金となって怪物を生み出してしまった事に気が付いた。
武者震いだと頭の中で言い訳しようとするが、頭の中で思い描いてしまうのは一介の剣士と立ち会う自分の雄姿ではない。実体のない怪物が背後から忍び寄り、お前などいつでも殺せると自身の首筋を舐めてくる。そんな有り様が易々と想像できてしまう程に、彼は恐怖に呑まれつつあった。既に悲鳴すら聞こえなくなっている。もう自分だけしかいない。
風のざわめきと共に、何かがぶつかるような音が関所から聞こえた。動悸が速まるのを感じながら、防衛本能のせいで少しだけ体を低くしながら振り返ってしまう。そこには自分達が殺した死体しかなかった。戦利品として立て掛けていた剣が転がっており、それ以外は何の変哲も無い街へと通ずる入り口でしかない。
アドラがビビらせないでくれと冷静さを取り戻し、街の中央を通っている道へと再び目を向けた時だった。彼はいた。自分から数メートル程度離れている場所に立ってこちらを見ている。剣からは血が滴っており、ゆっくりとその剣の切っ先をアドラへ向けて来た。そのまま腰を落とし、柄を両手で握りしめながら静かに構える。
「一度、その姿を鏡見た方が良いぜ」
人の皮を被った化け物にしか見えないだろうからな。アドラは言葉の続きを心に留めて槍を構える。俺の事を幾ら罵ろうが自分とは別方向でお前もまた外道だと、ルーファンの事を恐れつつ罵倒した。結局はどっちもどっち、お前も大義名分を振りかざして狩りと殺戮に勤しんでいる。集団による風潮や流れに身を任せているわけでも無く、自らの意思でそれを行い続け、仕事を済ませただけだけの様に平然としていられる人間を狂人と言わずして何と言うのか。
長きにわたる沈黙の後、仕掛けたのはアドラだった。ルーファンが手出しをしてこない理由を探っている内に、彼はほんの僅かだがルーファンの肩が小さく上下に揺れているのを目撃する。肩で息をしているのだろうか?つまり、奴は疲弊している。そう考え始めた内に、ズルズルと自分に好意的な解釈が脳髄から引きずり出されていく。そうだ、やはりあいつも人間だ。これだけの兵を相手に単身で戦い続けているのだから、体が万全な状態を保てるわけがない。もしかすればあの冷静そうな顔だって、何か都合の悪いものを隠すために取り繕っているだけかもしれないじゃないか。
自分でも冷静な判断が出来てるかどうか分からなかったが、アドラはそうに違いないと思い込み始めた。窮地に陥った人間は、自分にとって心地いい判断材料が出現してしまうと、根拠をかなぐり捨ててそれを信じてしまう。そしてきっと大丈夫、全てが上手くいくという何に裏付けされているわけでも無い空っぽな自信で精神を満たそうとする。アドラはまさしくそんな状態だった。
走り出した彼が放った槍による突きをルーファンは躱し、足で槍を踏みつける。そのまま器用に柄の上を走り出して、彼の兜へ飛び蹴りをかました。吹き飛ばされながらも態勢を整えて着地をしたアドラは、再び槍を振るいながらルーファンへ襲い掛かる。光を纏った槍が建物の壁や打ち捨てられたガラクタに当たる度、火花を散らしながら切断される。まるで焼き切った様な切り口だった。
「お疲れの様だな!今なら許してやってもいいぞ!」
俺なら勝てると、アドラは調子に乗り始めていた。距離を取って様子を見るルーファンに向かって吠えると、再び駆け出して次々と攻撃を続ける。ルーファンはそれらを躱し、時には剣で防ぎながらただ黙ってアドラの様子を見ていた。魔法を使う素振りすら見せない。
行ける。このまま押し通してしまえと、アドラは連続で槍を振るってルーファンを煉瓦造りになっている建物の壁際まで追い詰め続けた。そしてトドメをくれてやろうと槍による渾身の突きを放とうとした時だった。
「宿れ」
ルーファンが早口で憑依呪文を呟き、さらには壁を足で蹴って一気に距離を詰めた。アドラは一瞬反応が遅れ、突きを放った槍の切っ先をどうにかルーファンの顔へ向けようとしてしまい僅かに手元がブレる。ルーファンの頬へと僅かに槍が突き刺さりかけ、肉が引き裂かれる熱い痛みが一気に押し寄せてきた。しかしルーファンはお構いなしに憑依呪文で魔力が宿っている剣を兜に向かって突き刺した。剣は顔を覆っている兜を突き破り、アドラの鼻骨から後頭部にかけて串刺しにする。そのまま二人して雨が降り始めて濡れ始めた道端へ倒れ込んだ。
震えながらルーファンは立ち上がり、抉られた肉によって凹凸が出来た頬の痛みに顔を引きつらせる。流血が首筋にまで達し、地面にも小さな赤黒い染みを作っていた。そのままアドラを見つめ、痙攣している彼の顔から乱暴に剣を引き抜く。裏切り者とはいえ、同じ地で育った者を殺したという重圧が彼の心臓を押し潰そうとしていた。
自分の信じていた国や、そこに住まう者達を信頼していた事が間違いだったのだろうかと自責の念に駆られかけた直後、小さな頭痛がこめかみを襲った。
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聞き覚えのある女性の声が頭の中に響く。サラザールが使うテレパシーだった。
(…少し疲れている。用事が終わった)
(酒場の方。皆が人質にされてる。私も)
(すぐに向かう。状況は?)
(人質は全員酒場の外。周りを敵兵に囲まれてる)
(時間を稼げ)
(分かった。急いで。このままじゃ皆死ぬ)
あまり長い会話は出来ないものの、意志疎通と状況の把握には十分だった。ルーファンは彼女から報せを受け取った後に酒場へ向かおうとするが、不意に関所付近で倒れている死体と、その近くに転がっていた弓に目が行ってしまう。
「囲まれてる…か」
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