怨嗟の誓約

シノヤン

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1章:狼煙

第17話 風の噂

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 二人と別れたルーファンは、言われたとおりに関所があるとされる方角へ向かって走り続ける。屋根を軽々と飛び越え、魔法による移動も駆使しながら燃え盛る街の中を疾走していた。時折、襲われた人々を手助けしながら、ルーファンは南方に設置された関所が見える建物の屋根へと到着する。

「あれは…」

 ルーファンは少し驚いたように声を漏らす。目を凝らした先には無数の兵や彼らが使役しているのであろうワイバーンが配置されており、涎を垂らして獲物を探していた。周囲の血痕や臓物がその場所で起きた惨劇を物語っている。肉片どころか骨すら残ってない事から、おおよそ食いつくされてしまったのだろう。

「もう一方はどうなってんだろうな」

 リミグロン兵の一人が周辺を警戒しながら話し出した。

「まあ抵抗はされてるんじゃないか?それより通信で聞いたんだが、やっぱりいるらしいぜ、例の剣士。既に結構な数がやられてる」

 隣で地面に散らばった残骸を蹴飛ばしていたもう一人の兵が答える。

「ここに来ない事を祈るしかないな」
「巷じゃ『鴉』って呼ばれてるそうだな。真っ黒い霧みたいなものを操って襲って来るらしい」
「何だそりゃ?黒い霧?」
「俺も詳しくは知らない。何でもパージット王国で使われてた流派の魔法らしい。えーっと、〈闇の流派〉だったかな?」
「〈火〉や〈水〉の使い手なら会ったことあるが、〈闇〉か…正直、ちょっと見てみたいぜ」

 どうやら噂で伝えられていた〈闇の流派〉の魔法について気になっているらしい。二人は他愛もなく会話をしながら、周囲に異変が無いか目を光らせている。お望みとあれば見せてやるとルーファンが静かに鞘から剣を抜いていた時、不意に会話が続けられた。

「あいつなら詳しく知ってるんじゃないか?確かこっちに鞍替えした男がいただろう。アドラって奴が」

 リミグロン兵の言葉を聞いたルーファンは、僅かに思考が止まった。自分が潜んでいる屋根へ体を向ける敵兵を見た事で、ようやく我に返ってから急いで姿勢を低くする。彼の頭の中は敵戦力の把握をそっちのけにして、たった今自分が耳にしてしまった情報を理解しようと必死になっていた。アドラが生きている。それどころか、奴はリミグロンに加わっていた。

 感情を揺さぶられたとはいえ、それは失望や驚きとは違っていた。パズルのピースがハマった瞬間や、カードゲームをしている最中に相手が想定通りの動きをしてきた時によく似ており、震えを起こしそうな程の興奮や緊張を孕んでいる。そうして心の動機が微かに早まり、手が震えそうになったのをルーファンは感じていたが決して喜んではいなかった。出来る事なら期待外れで終わって欲しいという思いの下、一刻も早く忘れるべきだと記憶の彼方に放置していた邪推。それがなぜこんな状況で的中してしまったのだろうか。

 詳しい話を聞き出すしかない。そう決断をするにあたってルーファンに躊躇いは無かった。すぐに立ち上がってから屋根を駆け出し、彼らの頭上めがけて飛び降りる。

宿れドウェマ・ネト

 すぐさま早口で憑依呪文を唱えた次の瞬間には、敵兵の一人は頭を兜ごと剣によって貫かれた。呆気に取られていたもう一人よりも早く、ワイバーン二匹が敵意を感じ取って走り出して来る。ルーファンは横転しながら彼らの攻撃をかわし、素早く駆け寄ってから一匹の背中に跨った。慌てて振り落とそうと藻掻き続けるワイバーンだが、その滑りやすい鱗を纏った首にしがみ付いたルーファンは、短剣を抜き取ってから首に突き刺した。

「ギェエエエエエ!」

 薄汚い雛鳥の鳴き声をデカくしたような悲鳴を上げ、ワイバーンがのたうち回る。リミグロン兵は思う様に狙いが付けられないらしく、銃を構えたまま狼狽えていた。何度かその体に押し潰されかけたり、建物へ叩きつけられもしたが、ルーファンは決して手を緩めない。短剣の柄や、手首から上さえも返り血で赤く染めながら肉の更に奥深くへ短剣を押し込んだ。強烈な出血によってワイバーンは衰弱し始めたのか、千鳥足でよれよれと動いた後に倒れ伏してしまう。

 すかさずもう一匹が襲い掛かって来るのを見たルーファンは、再び剣を掴んでから残っているワイバーンとリミグロン兵を牽制する。そして彼らの背後に見えた樽の積まれている荷車へ引き寄せの呪文を使った。凄まじい勢いで動き出す荷車から、樽がバラけて飛散する。

 それらが背後から叩きつけられた事で、大きな隙が兵士とワイバーンに生まれてしまった。怯んだもう一匹のワイバーンの方へルーファンは駆け出し、顎の下から脳天を剣で串刺しにした。そのまま手元へ引っ張る要領で頭部を縦に切り裂いた後、倒れていたリミグロン兵の下へ近寄っていく。兵士が手を伸ばす先にあった銃を蹴飛ばし、辺りに立ち込める死臭を嗅ぎながら彼の手甲に剣を突き刺した。

「ぐあああああ…!」
「アドラという男について話せ。何者だ?そしてどこにいる?」

 藻掻けば藻掻くほど刺傷が広がるばかりではあったが、兵士は泣き叫んでいた。同情などするわけも無く、暴れた拍子に剣を抜かれないようにルーファンは柄を握っている手に力を込めながら聞いた。

「クソ!あああ…!パージット王国の捕虜だよ!情報を寄越すからっていうんで、仲間になったんだ!ぐぅ…!この戦いにも来ている!」

 どうやら正直に白状すれば苦痛から解放されると思っていたらしく、早口で分かっている限りの情報を吐き出し始めた。ルーファンは何か反応するわけでも無く、剣を引き抜いてやった後に一言だけ「立て」と指示した。兵士は血が溢れ出る手を抑えて立ち上がり、一度だけ睨みつけようと顔を上げるが、ルーファンは底の見えないどす黒さで濁されている瞳を彼に向けていた。人としてのタガが外れている事を直感で感じさせる青年を前に抵抗心が音も無く踏み潰され、兵士は話が通じる相手じゃないとようやく理解した。

「今はどこにいる?」

 先程より強くなり始めた口調でルーファンが再度尋ねた。

「アドラだ。どこで何をしている?」
「こことは別の関所だ。西の方にある…抵抗している自警団か何かを鎮圧しに行ってるって…」

 すっかり畏縮した兵士は機嫌を損ねたくないのか、素直に喋り続けた。

「そうか、分かった」

 ルーファンがそう言った瞬間、兵士はもしかして解放されるかもしれないと淡い期待を抱いた。しかしルーファンが小さく憑依呪文を唱え、剣の刀身が闇に覆われたのを見た事で、またもや絶望のどん底に突き落とされる。命乞いをする間もなくルーファンの手によって斬り伏せられ、湿った土と流れ出た血が混ざった事で出来た泥の中に兵士は沈んだ。

「…西の関所か」

 先程の会話から得た情報をルーファンは呟き、再び足を動かした。以前に比べればだいぶ慣れてはいるが、やはり魔法の使用は想像以上に体を消耗するらしい。息が上がり始めているだけでなく、体が少し重くなり始めているのを感じていた。ふと空を見上げれば次々と地面に向かって突撃してくるワイバーンや、不気味に漂う飛行船の姿が見える。

 サラザールとジョナサンは無事だろうか。不安が心をよぎったが、今は突発的な衝動とそれを引き起こした質の悪い情報の真偽を確かめなければならない。きっと大丈夫だろうという安っぽい信頼感を頼りにしながら、ルーファンは西の関所へと急ぐ。真実であった場合の覚悟は当然しているが、人違いであって欲しいという思いもあった。例え敵になっているとしても、同胞を殺すという行為が何を意味するのかを彼は良く知っていたのである。
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