怨嗟の誓約

シノヤン

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1章:狼煙

第16話 騒乱

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 その頃、上空では二機の飛行船と、ハッチを開けて目下に広がる街の様子を見ているオニマの姿があった。武装を整えて万全な準備をしているが、険しい表情のまま腕を組んでいる。あの戦いの後、パージット王国を壊滅に追いやった事が評価をされ、リミグロンの中でも着実に彼の評価は上がって行った。しかし、一年前に現れたという不可解な剣士の噂が、それまで築き上げた評判を崖から突き落とすような勢いで下落させたのである。

 滅びた筈の国の生き残り、それだけならまだしも失われたはずの〈幻神〉が持つ力を使える男だという。間違いない。数年前に自らの手で殺せなかったあの青年が、どういうわけか生き延びている。狙いは自分か、或いはさらに広域に渡る目的があるのかもしれない。彼があの日に失ったであろう物を考えれば、おのずと察しが付く。

 一方でリミグロン内部からオニマは強く非難された。噂が事実であるとするならば、あれだけの兵力を動かした挙句、最優先の目標であった〈幻神〉の始末を行えていないという事になる。このまま噂に聞く剣士に各地で活動をされれば、事態は増々悪化の一途を辿ってしまうだろう。

 しかし、標的であったパージット王国は壊滅しており、流派を継承する民族としては遅かれ早かれ消えゆく運命にあるだろう。〈幻神〉の所在は分かっていないが、少なくとも一介の落ち武者に出来る事など限られている筈であり、まだ間に合うという意見を挙げる者も少なくなかった。そこで上層部によって最後のチャンスを与えられ、次こそ確実に始末せよという指令をオニマは受けていたのである。

「残党一人にこの戦力とは随分用心深いな」

 既に配下による襲撃が始まったであろう街を睨んでいる時、背後からせせら笑う様な声で誰かが話しかけて来た。

「本来なら貴様もその残党として始末されていたんだがな」

 オニマは言いながら体を後ろへ向ける。準備が完全に終わっていないのか、兜を付けていないその兵士はアドラだった。相変わらず他人を見下している様な下卑た笑顔と共にこちらを見ている。

「だけど、オレが渡した情報が無ければあの日の襲撃は不可能だった。気づかぬうちに〈継承〉が行われ、侵略は一筋縄ではいかなかったか…或いは出来なかった筈。違うか?まあ…あのガキが生きていた事は想定外だが、たった一人だ。何とかなる」

 アドラは貸しがある事を伝え、たかが一人の残党など恐れるに足りないと告げる。対してオニマは相槌を打つわけでも無く、この危機感の無さで良く生き残れたものだと軽蔑した。

「何となる、か…マヌケめ」

 オニマは愚痴を漏らしながら引き続き外を見ている。鐘の音が聞こえ、建物についたものだと思われる火がポツポツと薄暗い夜景の中に現れていた。やがて駆け寄って来た側近によって本隊の支度が終わった事を聞かされる。国によって治安の維持がされなくなった地域を支配下に置くのも、リミグロンにとっては非常に重要なものであった。一人の生き残りを狩るために大規模な部隊を動かしていたのも、街への侵攻を同時に行うためでもある。

「貴様は街の出入り口になっている街道を見張れ」

 オニマがアドラへ指示を出す。

「元同胞だろうが関係ない。殺すんだ」
「はいはい」

 返事をしたアドラは、長時間座りっぱなしだったせいで鈍っていた体を軽く動かして準備に戻って行く。ハッキリといってオニマは彼の事を好いていなかった。もし誰かがあの男をこの飛行船から突き落としてくれれば、自分は間違いなく拍手で褒め称えてしまうだろう。それほどまでに彼を見下し、距離を置きたくてたまらなかった。

 リミグロンでの待遇を餌に取引を持ち掛けた諜報員に乗せられ、自分を育ててくれた故郷や仕えていた人々を裏切るだけならばまだいい。彼は一切悪びれもせず、憑き物が落ちた様に喜んでいたのである。どのような環境で育っていれば、ああして平気な顔をしていられるのだろうか。それほどまでに過酷な人生だったのかと最初こそ疑っていたが、今ではすっかり考えを改めていた。この安泰や報酬に対する無様な執着心は紛れもなくあの男自身の欲望に正直な性格が原因だと。

「ワイバーンの準備をしろ。五分後に出撃する」

 オニマは威厳を含ませながら指示を出す。しくじってしまえば今度こそ自分は終わりだろうという切迫感と、街のどこかにいるであろうルーファンに抱える並々ならぬ殺意がそうさせた。自分がかつてそうした様に貴様もまた、多くの者達から恨みを買っているぞとルーファンへ思いを馳せ、ワイバーン達を待機させている格納庫へオニマは歩き出した。



 ――――自身へ向けられた銃口を前にしたルーファンは、一瞬だけジョナサンの方を見た。寝ぼけた様なうっとりした目で辺りを見ていたが、重厚な装備を携えた数名の兵士と剣を抜いているルーファンがハッキリと視界に入った事で、身の危険が迫っている事を理解した。ぼんやりしていた意識が頬を叩かれたように鮮明になり、思わずどこかに隠れようとベッドの陰で四つん這いになった。これでは見つかるのは時間の問題だと分かってはいたが、下手に動いて標的にされたらたまったものではない。

「白髪交じりの髪に黒い刀身の剣…まさかこの男…」
「間違いない。報告にあった剣士だ」

 リミグロンの兵達は何やら口々に話していた。ジョナサンが酒場で話していた通り、どうやら巷に情報が出回っているのは本当らしい。

「なんてこった…ん?」

 恐る恐る陰から顔を出したジョナサンだったが、暗がりでかすかに見える人影から奇妙な点に気づく。サラザールはどこへ行ったのだろうか?

「おい、聞いた話じゃ確か女もいた筈だ。すぐに探――」

 兵士の一人も事前に聞いていた情報からサラザールがいないという事を不審に思い、他の二人へ話しかけていた直後、穴の空いた壁から光が差し込んでおり、それによって出来上がっていた影からサラザールが飛び出した。死角で待ち構えていたというよりは、まるで影の中から飛び出して来たかのように黒い瘴気を纏いながら現れ、一番近くにいた兵士の頭を兜を破壊するような勢いで殴った。殴られた衝撃で床に叩きつけられ、床板を破壊した兵士の兜はひしゃげている。中身の方にまで損傷があったのか、動く事も出来ずに血を床へ垂れ流しながら痙攣していた。

来たれカ・トゥーレ !」

 すかさずルーファンが引き寄せの呪文を叫び、兵士を手元に引き寄せてから甲冑組手で薙ぎ倒す。そのまま喉元へ剣を突き立てて殺した。あっという間に不利になってしまった残る一人は間もなくサラザールによって捕まえられ、そのまま彼女の腕の中で首をへし折られる。鎧をまとった人間相手には、武器による攻撃よりも関節技や柔術を使ってみれば良いとレンテウスは良く言っていたが、彼女の腕力にかかれば体術を使う迄もないだろう。ルーファンはあれを食らうのが自分じゃなくて良かったと安堵していた。

「な、な、なあ…今何が起こってるんだ?」
「すぐに出よう。リミグロンの奴ら、思っていたより手回しが早いな」

 ジョナサンはパニックに陥ってたが、ルーファンは彼に近寄って肩を掴みながら諭す。外では人々の悲鳴が聞こえ、その度に爆発や馬の嘶き、何か木製の物やガラスが砕けるような音が響き渡っている。

「リミグロンね、成程…この辺りは最近、国防軍が手を引いたばかりの領地だ。あんた達を始末するついでに、ここを縄張りにしちまうって魂胆に違いない」

 ルーファンの言葉から次第に状況を掴んだジョナサンが勝手に話し始める。先程の怯えていた面影はなく、さながらどこぞの参謀といった風の顔付きと喋り方だった。指を顎に当てながら考える彼の話に興味が湧いたルーファンだったが、階下が騒がしい事から場所を移動する必要に迫られていると判断する。

「いずれにせよ動こう。幸い、出口も作ってもらえたしな」

 壁の穴を見ながらルーファンは言った。サラザールは軽く頷き、我先にと飛び降りて周囲の状況を確認した。逃げ惑う人々やそれを追いかけまわすリミグロン兵によって辺りは阿鼻叫喚の混沌と化していた。陰鬱さがある種の特徴となっていた街並みはすっかりそれが掻き消されており、あちこちで火が燃え盛り、空には灰色の煙が立ち込めようとしている。自分達だけではない。この地域自体を滅ぼしかねない勢いだった。

「さっさと逃げるか、元凶を見つけ出して倒すかだな」

 後を追う様に地面へ飛び下りたルーファンが言った。ジョナサンも同様に飛び降りたが、上手く着地出来ずにずっこけ、手やズボンの尻を泥で汚してしまう。慌てて立ち上がりながら壁などに手を擦りつけて拭い取り、気まずい思いで残りの汚れをハンカチで拭き取った。

「まさかとは思うんだが、逃げるのかい?」

 ジョナサンは拭き終わったハンカチを気持ち悪がりながらポケットに仕舞い直し、失望させないでくれと勝手に願いながら尋ねた。

「そんなつもりはない。それに奴らの事だ。逃げ道になりそうな場所はとっくに封鎖してるかもしれない」

 ルーファンはすぐに否定した。

「俺は奴らと戦い、親玉を探し出して倒す。サラザールは民間人の手助けを頼む。カロルス、あんたはどこかに隠れた方が良い」

「そうさせてもらうよ。そうだ、サラザール…ちゃん ? それともサラザール殿… ? まあいいか。さっきの酒場を覚えているか?記憶が正しければ自警団が拠点にしているんだ。もしかしたら助けを必要としているかも…そこなら安全そうだし、出来れば行ってみた方が良いんじゃないか ?」

 ジョナサンは勿論戦うつもりはないと両手を小さく上げてから応じた。そしてサラザールに酒場へ向かうべきだと提案をする。本当は自分が着くまで護衛をして欲しいだけだろうとサラザールは呆れたが、面識がある相手を野垂れ死なせるのも後味が悪いと仕方なく首を縦に振る。

「足手纏いになるなら置いていくわ。それで良ければ」
「ど、努力はするよ」

 相変わらず素っ気ない様子でサラザールは釘を刺す。ジョナサンは少し気を引き締めてから彼女に返事をした。

「決まりだな。俺はもう行かせてもらう」

 二人のやり取りを見たルーファンが言った。

「そうだ!もし行くのなら先に街の出入り口の様子を確認した方が良いかもしれない。ここから南と西、それぞれ進んだ先に関所があるだろう。どっちも街道に通じている筈だから、もしリミグロンが待ち構えるならきっとそこだ」

 建物をよじ登ろうとしたルーファンへジョナサンが急いで忠告をした。それは良い事を聞いたとルーファン驚き、後ろへ振り向いてジョナサンに笑みを投げかける。

「すぐに向かって確認してみよう。ありがとう」

 そのまま礼を言ってからルーファンは屋根へと昇り、赤い瓦屋根に足音を響かせて走り去る。伊達に情報で飯を食ってるわけじゃないと得意気にしていたジョナサンだったが、サラザールがそそくさと歩き出しているのを見るや否や、大急ぎで彼女を追いかけて行った。
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