怨嗟の誓約

シノヤン

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1章:狼煙

第8話 発端

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「つまり、今後…君たちについて行き、僕は歴史の目撃者と…なる…」
「それは素晴らしいな。出来れば自分で歩きながら言ってくれれば尚良いが」

 完全に酔いつぶれたジョナサンに肩を貸し、ルーファンは毒づきながら酒場を出た。少しすると代わりに会計を済ませてくれたサラザールも現れ、店の出入り口からサニーも手を振っている。彼女に会釈をしてからジョナサンを引き摺り、湿り気のある土臭い路地を進む。そしてルーファン達が利用していた宿屋へと辿り着いた。

「そいつはどうするの?」
「ベッドに置いてくれ。明日にでもなればきっと酔いも醒めてるさ。慌てふためかれても困るな…宿番に事情を説明してくれるか?すぐに発たないと」

 部屋に付いた後にルーファンがすぐさま指示をする。サラザールは頷き、言われたとおりにするため部屋を出て行った。残された薄暗い部屋で、いびきを立てているジョナサンを尻目になけなし金をルーファンは置く。一泊分の駄賃になる程度の硬貨を机に積むと、そのまま部屋を出てサラザールの元へ行くべきかどうか暫し迷うが、彼女の私物である本や羅針盤などがそのままにしている事からすぐに戻ってくると判断し、ジョナサンが寝ているベッドとは反対側の方向にあるオンボロな椅子へ座った。

 ジョナサンには悪いが、やはり自分達に同行するのは良い考えとは言えない。ルーファンはそう思いながらだらしなく寝返りを打った彼を見る。一度だけ近づき、眼鏡が壊れるかもしれないためコッソリ外してやると、そのまま椅子に戻って再び彼の要求について考えを巡らせる。確かにそのやる気だけは見事だ。情報を頼りに自分の居場所や素性を探り当てられるだけあって、恐らく頭が回らないというわけでも無い。

 新聞がどういう物かは詳しく知らないし、それを作っている会社についても良くは分からない。だが自慢げに語っていた経歴からして各国ともパイプを持っているのだろう。もしかすれば税関に怯えることなく他の領土へ立ち入れるように手筈を整えてくれるかもしれない。国境を跨いで旅をするのであれば彼のような人材は寧ろ頭を下げて頼んでも良いくらいだ。

 しかし、どこまで行こうが彼は民間人である。自分がこうして右も左も分からない大陸へ訪れた動機や、これまでの行いを考えれば殴ってでも止めるべきだ。血に濡れた自分の過去と、それによって引き起こされ始めたのであろう因縁。その途方も無い渦中へ不必要に巻き込み、危険に晒させてしまうという事は何よりも避けたかった。酔っぱらいの戯言である以上は誇張されてるのかもしれないが、自分が少なくとも彼の考えている戦士像とは程遠い醜悪な存在である事は承知している。そんな本性を見られて失望されたくないという臆病さの表れでもあった。



 ――――三年前

 早朝、部屋の外から聞こえる騒がしさによって目を覚ましたルーファンは外敵の襲来を世話係から知らされた。先代の〈依代〉である王が死去した次の日の事である。新しい〈依代〉としての役目を果たさなければならない次の王には、娘であるソリス・マティアが任命されていた。

 まだ日も昇っていない中、ルーファンは服を着こんでパージット王国の伝統的な戦闘用の装束を身に着けていた。肩や胸部を剣と同じ鋼で覆い、黒みがかった藍色が美しい一品である。

「ルーファン!」

 部屋の隅でブーツの留め金をとめている時、背後から呼ぶ声にルーファンは振り向く。顎に髭を蓄えた壮年の男性が立っていた。丸坊主になった頭と強面を向けながら腰の鞘に手を当てている。

「父上!」

 切羽詰まった周囲の環境にたじろいでいたルーファンは思わず反応し、安堵の表情を見せる。彼の名はレンテウス・ディルクロ。ルーファンの父親である。といっても直接的な血の繋がりを持ってはいない。赤子だった頃に島へ流れ着いたルーファンは孤児院によって引き取られ、その後にこの男の養子となっていた。

「ついて来い。歩きながら話そう」

 レンテウスはそう言ってルーファンの準備が終わるのを待ち、仕度を整えた事を彼が知らせると二人で邸宅の外へ出る。親子とはいえ兵士として働く以上は同僚であり、厳しい上下関係にある。そのため、人目に付く場所では、常に威厳たっぷりな野太い声でルーファンへ話しかけて来た。王の側近であり、治安の維持や王族の盾となる役目を持つ防衛部隊の隊長というレンテウスの立場もあってか、彼らの邸宅は非常に豪華な物であった。〈聖地〉を祀る山脈と城下町の間に位置する中継基地としての役割も受け持っており、納屋へ向かう途中も多くの使用人や部下達が彼らへ挨拶をする。

「異変が起きたのは深夜だ。沿岸のパトロールに当たっていた警備部隊が不審な影を目撃したと早馬で報せてきた。そこから間もなく、不審な影の正体が国籍不明の軍艦…と思われる船舶だと分かり、間もなく評議会から戦闘に備えろという命令が下った」
「そして島の各地で鐘を鳴らし、非常事態を人々に報せているというわけですか」

 遠くから聞こえる鐘の音に耳を澄ましてルーファンは言った。いつもであれば時刻を伝えるために鳴らすのどかな音色も、この時ばかりは不穏な呻き声に聞こえる。

「間違いなくこちらが不利でしょう…〈継承〉が終わっていないというのに」

 ルーファンが不満げに言った。

「先程少し試してみましたが、やはり無駄でした。簡単な呪文さえも発動できない」
「使えた所で不利なのは変わらんだろう」

 レンテウスがすぐさま焼け石に水だと切り捨てた。

「どうしてそんな弱音を?父上らしくも無い」
「城下町の報告を聞きに行くついでに高台から海を見た…沖に現れた軍艦の群れをな。どうしてあれほどの規模を持つ軍勢の接近に気が付かなかったのか分からない」
「それほど大きい戦力であるというなら、尚更タイミングも不自然です。〈継承〉の儀が済んでいない状況で攻めてくるなんて…昨日までは海に異常もなかった。偵察のためだけに大量の戦力を投入するとも思えない。まさかとは思いますが内通者がいるのでは?そいつが何らかの手段で、敵に〈依代〉が死んだ事を伝えたのかも」
「可能性としてはある。だが、今の状況で真に考えるべきは事態をどう好転させるかだ」

 レンテウスが現状を伝えると、ルーファンは奇妙な点が多すぎると指摘した。そんな憶測に対しても即座に否定する事なく聞いていたレンテウスだったが、ひとまずは後回しにしなければならないと伝えて目の前の課題に集中するよう言い聞かせる。仮にルーファンの読みが当たっていたとしても、危機が去っていない段階から同胞達を疑うような真似はしたくなかった。不信感がもたらす連携への悪影響を不安視していたのである。

 やがて納屋に辿り着いたレンテウスは、準備が整っている自分の馬へと飛び乗った。鞍に跨り、鐙に足を掛けると馬の首を優しく撫でる。

「私はこれから防衛隊を引き連れて宮殿に向かう。ソリス様を迎えにな」

 馬の準備をしているルーファンに向かってレンテウスが言った。ルーファンはどういう事なのだろうかと、少し驚いたように彼を見た。

「なぜ?」
「沿岸警備隊と戦闘部隊が一足先に迎撃の準備を行っているが、いずれにせよ魔法が使えなければ太刀打ちできまい。大人しく開国し、外来の技術や条約を受け入れていればこんな事には…まあいい。とにかく〈継承〉を一刻も早く行い、兵士達が魔法を使えるようにせねばならん。よって次期〈依代〉であるソリス様が〈聖地〉へ向かう道中、その護衛を我ら防衛部隊が行う」
「私も同行します!」

 ルーファンは食い気味に名乗り出たが、レンテウスは首を横に振る。

「それについては私の部下が既に手筈を整えている。私は城下町と宮殿の防衛を行わなければならない。そしてルーファン、お前には別の任務を用意してある」

 別の任務とは何か。ルーファンが再度尋ねようした時、開けっぴろげにしている門から三名の兵士達が馬で駈け込んで来た。そのまますぐに降りて、レンテウスの元へ走ると彼の前へ跪く。

「遅れて申し訳ありません。準備が整いました」
「よくやった。ルーファン…こやつらは私の直属の部下であり、それぞれが小隊を引き連れている。彼らと協力し、ソリス様がご到着するまで〈聖地〉周辺の警戒に当たれ。邪魔者がいれば排除するんだ」

 仕事を任せてくれるという事は信頼されている証でもある。理解はしているが、出来る事ならば義父と共に戦いたい。ソリス・マティアの護衛に同行させてもらえないのも、道中で襲い掛かるかもしれない危険へ自分を放り込みたくないが故の判断だろう。こういう時こそ、贔屓などせずに鉄砲玉にして欲しかった。

「しかし…」

 ルーファンは不服そうに言い返そうとするが、レンテウスはすぐに彼の肩を強く掴んだ。

「〈依代〉が無事であったとしても、〈聖地〉が失われれば意味を成さない…頼む」

 心なしか、レンテウスの声は震えている様な気がした。今しがた言った言葉は建前だろう。手塩にかけ、愛を以て育て上げた自分の子を失いたくないのだ

「…分かりました。どうかご無事で、父上」
「フッ、言われるまでもない」

 ルーファンに対してレンテウスは微笑みかける。そして馬を駆って出て行った。もう二度と会えないかもしれないと、物寂し気に見つめていたルーファンだったが、やがて自身も馬に跨る。そして一度だけ大きく馬を嘶かせてからレンテウスの部下と共に〈聖地〉へと走り出した。

「〈聖地〉周辺の状況はどうなっている?」

 ルーファンは後方へ叫んだ。

「先程到着した時点での話ですが、少なくとも麓に関しては異常なしです!既に兵士達も到着をしているでしょう!」

 自身の左手を走っていた細身の中年女性が答えた。キーシャという名であり、普段は教官として訓練生に指示をしている立場である。面識はあった事から、ルーファンの中にある疑念が生じた。

「三つの小隊といっていたが、それぞれ戦力はどの程度だ?弓兵の数は?」
「弓兵はすべて合わせてザっと三十人程度。問題は白兵戦や斥候を担える者ですが…全てを合わせておおよそ六十、しかもその内の三割は訓練兵です」

 次にルーファンの問いに答えたのは、ふくよかな体型をしたマヌケそうな声を持つ男である。ロベルトという名で、普段は城下町での警備や体術の指導を専門にしている。

「訓練兵だと…彼らは子供だぞ!」

 ルーファンは憤怒した。殺し合いどころか、碌な武力行使の経験さえ彼らは無いだろう。その上まだ成人にも達していない者達が多い。ほんの二年ほど前まではそうだった自分が言えた義理ではないが、新人ですらない者達に任せるにはあまりにも過酷な仕事である。

「どうしようもない事です。警備隊や戦闘部隊が全戦力を以て迎撃を行う以上、どう足掻いても数が足りない。そのため島民の避難やこの任務の様に、戦闘を行う可能性が低い仕事には訓練兵を動員するようにと指令が来ています。この任務が終わるまで内地への侵攻を食い止めてくれるように祈るしかありません」

 すかさず右手から追い上げて来た中年の兵士が現状を報せる。彼の名はアドラ。元は沿岸警備隊に所属していたらしいが、ここ数年の間に防衛隊へと転属し、父の側で仕えている男だった。

「何を呑気な…敵がどんな方法で攻めてくるかさえ分かってないというのに」
「文句であれば最悪の事態すら想定せず、今のこの国の現状を作り上げた評議会と王族達にお願いしますよ…おっと、侮辱罪になっちゃうかな」

 ルーファンに対して皮肉っぽく笑いながらアドラが口を挟む。

「生きて帰れた際には、さっき言った事は内密にお願いします…生きて帰れると良いですが」
「趣味の悪い冗談を言っている場合では無いだろう!」

 すかさずキーシャが怒鳴った。

「彼女の言う通り、今は持てる力の全てで任務を全うしなければならない」

 続けざまにロベルトも言い放つ。少なくともアドラの態度が気に入らない事以外に関しては信用しても良さそうだとルーファンは思った。そのまま朝露が垂れている草原を横断し、靄の掛かっている湿地帯を抜けて四人は最大速度と最短距離を維持しつつ合流地点へ向かって行った。
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