怨嗟の誓約

シノヤン

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1章:狼煙

第6話 触れるな危険

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 木造りの通路には壁側にドアが並んでいた。反対側に備え付けられている焦げ茶色の手すりから少し乗り出してみれば、店の一階で屯している客達を一望できる。まあ、彼らと関わる事など無いだろう。ルーファンは手すりから離れて奥から二番目の扉を開けた。

 簡素ではあったが十分な大きさのテーブルが用意されている。窓の外に目をやると、だだっ広い広場のあちこちで薄汚い露店が設けられていた。窓枠の隣には紐がぶら下げられており、彼女が言っていたのはこれの事かと理解した。中々使い込まれているようで、変色しているだけでなくほつれも目立っている。

「…これか」

 これ見よがしにテーブルに置かれていたメニューをルーファンは手に取る。最初こそ栄養が取れれば何でも良いと価格で決めかけたが、せっかく迎え入れて貰ったのだからけち臭い頼み方をしては失礼だとすぐに考えを改めた。空腹が耐え難いものになり始めている事も相まって、奮発をしようかと強めに紐を引っ張る。どこかで微かにベルが鳴った様な甲高い金属音が響いた。やがて急いているような勢いで階段を上る足音が聞こえる。

「注文ね ?そうだ…あんな接客させちゃって悪かったわね。ウチの兄貴ったら意外と根に持つの」

 サニーは笑いながら詫びを入れた。八重歯が少し目立つものの狐目が良く似合う美人である。短髪な黄金色の髪も本人の気丈さと明るい雰囲気に良く似合っていた。

「根に持つ…か。死人以外に恨まれるような事をした覚えは無いぞ。少なくとも今日は」
「あら。あなたが番狂わせをしてくれたおかげで、闘技場の常連達は大騒ぎなのよ。貯金を使い果たして泣きじゃくってる様な奴もいたんだから。凄かったわね、何というか…空中を走ってるみたいだった。どうやったの ? やっぱり魔法 ? 歴史の本で読んだことあるから、私もそれなりには知ってるつもりだったけど…あなたが使っていた魔法は全然分からなかった」

 成程、話をするのが目的だったか。やたらとサービス精神にあふれる彼女の行動に対して、ルーファンはようやく納得がいった。魔法を調べるために本を読んでいるのか、それとも本を読んでいる過程で魔法について知ったのかは分からないが、いずれにせよ彼女も闘技場にいたのだろう。それほどの勉強家なら、自分が闘技場で使用した物はさぞかし刺激的だった筈だ。大陸ではほとんど言い伝えられていないであろう〈闇の流派〉…それこそがルーファンの使用した魔法の正体だった。

「他言できるものではないと言ったら ?」
「他の方法で満足させてもらうしかないわね。例えば…メニューに書いてある品物を全て頼んでもらうとか」
「なら良かった。今から全く同じ注文をしようとしていた所だ」

 やんわりと断ったルーファンへ、サニーは引き換えに全品の注文を突き付ける。しかしアッサリと引き受けられてしまった事で少々もどかしさを味わった。「分かった、俺の負けだ」と向こうが折れてくれるかと思っていたが、闘技場での試合で想像以上にルーファンの懐は温まっていたらしい。

「了解。出来た順に片っ端から持ってくるわ」
「ああ、それともう一つ」
「ええ、何かしら?」
「恐らくだが俺を探して女性が店に来るかもしれない。その時は俺の所まで連れて来てくれ。身長がデカくて外套を見に纏っていて…あと口元を隠している」

 魔法について聞き出す事を諦めたサニーが立ち去ろうとした時、ルーファンは尋ね人の特徴を伝えてその人物を迎え入れる様に頼み込んだ。笑って承諾をする彼女だったが、少々寂しげな顔をしたまま階段を降りていく。下の階が何やら騒がしかった。

「人を探している。白髪交じりの長髪で背中に剣を背負っているの。見なかったかしら ?」
「…知らねえよ。まず誰だてめえ」

 ああこいつか。自分の兄を問い詰めるサラザールを見た瞬間、サニーはすぐに気づいた。自分よりも遥かにデカい長身がヒール状のブーツによってさらに底上げされている女性だった。

「上にいるわよ。あなたの事を話してた。奥から二番の部屋に行って」

 サニーは階段の柱によりかかって彼女を呼ぶ。酒場の主人はなぜ余計な事をバラすんだというような目で動揺した様に彼女を見た。彼を無視しながらサニーは階段から降りてカウンターへ向かう。よく見ると何人かの男が呻きながら床に突っ伏しており、腕を抑える者もいた。

「ありがとう」

 サラザールは事情を説明するわけでも無く、ヒールで乾いた音を立てながら歩き去った。

「ナンパしたんだよ。最初はやめろと言われただけで済んでたようだが、酔っぱらってた馬鹿が胸を触ろうとしたらしくてな…そしたら全員ぶちのめされた」

 カウンターのど真ん中に座っていた中年の男が事情を説明する。一人が肩に腕を回して彼女へ触れようとした直後に指を折られ、そのまま腕を掴まれてからあり得ない方向に腕の骨も折られた。さらには怯んだ瞬間に柱へ頭を叩きつけられ、あっという間の出来事に逆上した他の者達も、全員が彼女によって鼻柱を折られるか、歯を砕かれる羽目になったという。

「簡単に店に入れて良い奴じゃない。何であんなマネをした?」

 店主は酷く困り果て、苛つきながらサニーへ問いただした。

「仕方がないでしょ ? あの剣士が頼んだ事なんだもの」
「頼んだ ? お前にか ?」
「ええ。おまけに財布の紐も緩くしてくれた。誰かさんと違って気を許されてるみたい」

 サニーは店主に向かって得意気にしながら厨房へ向かい、せわしく動いている料理人や配膳係たちに上客がいる事を報せる。店主は複雑そうな心持で天井に目をやり、出来る事なら関わりたくないと心の中で祈った。

 そんな周りの反応など気にも留めず、サラザールは階段を昇って言われた通りの部屋へ向かう。ノックもせずに入ると椅子を鳴らしながらルーファンが座っていた。剣は部屋の片隅に立てかけてある。

「意外と早かったな」

 彼女に気づいてからルーファンが言った。

「魔力を探知した。てっきり宿屋で待ってるかと」
「最初はそう考えた。だけど、あそこの宿屋…食事があんまり美味くない」

 最初にこの街を訪れた際、宿屋で仕方なくとった夜食をルーファンは思いだした。何も味付けをして無いのかとさえ思えてしまう薄味の麦粥、嫌気が差すほどに口内の水分を奪うパサパサなパンが一欠けのみ。病人になった様な気分に陥らせると同時に、今は亡き故郷での自分の境遇が比較的恵まれていた事に対して感謝の念を抱かせてくれた。

「まあ、豪遊もたまには悪くない。今後の活動に困らない程度なら」

 そう言ったサラザールは久しぶりに入った飲食店に少々浮かれているのか、料理が来るのを待ちながら辺りを見回していた。やがて初老の禿げた頭をした男がビアマグに注がれたビールを持ってくる。それを受け取ったルーファンは、重ね重ねでの頼みになるが出来ればノックをしてから入って来て欲しいと、他の皆にも伝える事と合わせて彼に頼んだ。

「もう隠さなくても良いんじゃないか ?」

 そんな風に口を隠していたら飲めないだろうと思ったルーファンが言った。

「そうね」

 特に嫌がるわけでも無く、サラザールは口元を覆い隠している服の部位へ念を込める。たちまちその部分が震え、触手の様な形状にほどけてから服の襟に貼りつき、一体化して吸収されてしまった。彼女が纏っている黒ずくめの服には何ら変化はなく、口を隠していた部分のみが消えている。そして露になったのは耳元まで裂けているのではないかという口と、そこに並んでいる夥しい数の牙であった。下顎に関しては左右に真っ二つへと割れて開き、口の奥から蛇のような舌が姿を現す。

 その大口を広く開け、ビアマグに入ったビールをたった一息で全部飲み干した彼女は少し気分が良くなったらしい。椅子に寄りかかりながら鼻歌を歌っていた。時々口から見える先端が枝分かれしている舌が見える度、ルーファンは神妙な心持でそれを眺める。限りなく人間に似た異形の存在と出会ってから、既に数年が経過していた。

「何 ?」

 ルーファンが自分を見ている事に気づいたらしく、サラザールが尋ねた。

「別に。何となくな」

 彼女に対してルーファンが答える。

「…嘘つきね」
「嘘じゃないさ。昔を懐かしんでた」
「懐かしめるような記憶が、今のあなたにあるの ?」

 彼女の言葉を最後にルーファンは押し黙る。考えてみればその通りである。”あの日”の出来事を懐かしめる日など来るわけがない。帰る場所が灰となり、守るべきだった全てが辱めを受けた後に壊された。その惨劇を笑い話に出来る者がいるとすれば、それを引き起こした張本人たち。即ちリミグロン以外にはいないだろう。

「ごめんなさい。言い過ぎた」
「気にしてないさ…これ、代わりに飲んでくれないか ?」

 今のは流石に言い過ぎだったとサラザールが謝罪するが、別に構わないとルーファンは怒る事なく自分のビアマグを渡した。酒が特別好きという訳では無いのも勿論だが、改めて思い出してしまう忌まわしい過去の記憶のせいで興醒めしてしまったのも事実である。

「それより何か分かったか ?」

 気を取り直して彼女が単独で行った調査の結果をルーファンは尋ねる。

「ええ。あの男、やっぱり噂通り連中とグルだった。あそこで集めた資金や情報はきっとリミグロンに渡っている。あなたの事も既に漏らしていたみたい。ここに長居するのは危険よ」
「そうだな。食事が終わり次第、宿に戻って仕度をしよう。狙いが俺だとするなら街を巻き込むわけにはいかない」
「もう一つ問題がある。あのルドルマンとかいう男が情報を渡していた相手だけど――」

 集めてもらった情報からルーファンは今後の計画を立てようとしたが、サラザールはオニマについて付け足そうとしていた。しかしそれよりも先に扉がノックされる。

「失礼、ザワークラウトとシチューをお持ちしました」

 ノックが聞こえるとサラザールは急いで服を変形させて口元を再び覆い隠す。扉が開き、先程とは別の男性が料理を運んできた。そこから立て続けにソーセージや山盛りの焼きエスカルゴ、豆のスープなどが所狭しにテーブルへ置かれる。「次を持ってくるから食べ終わった時はベルを鳴らしてくれ」とだけ言われて二人きりになった後、互いの顔を見合ってから静かに食事へ手を付け始めた。冷めては勿体ない。

 ソーセージを齧っていたルーファンとは対照的に、サラザールは焼きエスカルゴを皿ごと取り、再び恐ろしく広がった口の中へ流し込むようにぶち込んだ。他の食物もそうである。彼女は基本料理の吟味などしない。淡々と口へ入れて全て丸飲みにする姿は、やはりいつ見ても仰天してしまう。

「何度見ても慣れないな」

 いつもの事ではあるが、ルーファンは引き気味に苦言を呈した。

「せめて殻は取ってくれ」
「どうせ腹にはいるから関係ないわよ」
「…いつか体を壊すぞ」
「気遣ってくれてありがとう。でも、この程度でくたばる程ヤワじゃない」

 一応、ルーファンの言葉に耳を傾けていたサラザールだったが、真剣に取り合ってはくれなかった。肉体的な構造もあるのだろうが、基本彼女は食事のとり方に関してはこんな調子である。そんな食べ方をするせいか、味についても特にこだわりが無い。一般でいう所の娯楽としてではなく、もっぱら栄養を確保するための手段として捉えている。とはいえ味覚自体はあるらしい。

「…フフ」

 気に入ったものがあれば、鼻で小さく笑うのが彼女の癖だった。

「妙に騒がしいな」

 そのまま流れ作業の様に酒や食い物を貪る彼女を見ていたルーファンだったが、不意に騒がしい声と足音が聞こえてしまう。それを特に気にする事なくワインの蓋を開け、サラザールが飲み干そうとした時だった。

「ここにいたか ! ルー…」

 ジョナサンが息を切らして突然扉を開けてきた。再びルーファンを見た彼は歓喜の表情で名を呼ぶが、そのすぐ近くでワインをがぶ飲みしている口の裂けた女と目が合い、途端に笑顔が硬直する。飲んでいる姿勢のまま、サラザールも部屋へ入り込んできた礼儀知らずに内心仰天していた。ジョナサンの笑顔がたちまち消え、息を一瞬吸い込んだのを僅かな音でルーファンは察知する。

「ぎゃあああ――‼」
来たれカ・トゥーレ !」

 間もなくジョナサンが叫んだが、咄嗟にルーファンは引き寄せの呪文で彼を手元まで引き寄せると、急いで扉を閉めてから彼の口を塞いだ。
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