怨嗟の誓約

シノヤン

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1章:狼煙

第4話 修羅

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 陥落したパージット王国にて、突然〈聖地〉と呼ばれる地点に起きた異変から数時間が経過していた。原因を突き止めるべく、戦場と化した浜辺でリミグロン側の隊長として指揮にあたっていたオニマは動ける者達を再編成し、捉えていた兵士と共に〈聖地〉へと目指すことを決定する。既にこの国において脅威になりそうな戦力はあらかた削いだ後である。思わぬ事態が起こっているとはいえ、〈聖地〉の破壊さえ行えばあとは撤退するのみであった。

 共に向かう事になった兵士達も、異変について不安視はしていたがどこか和気藹々としている。せっかくなら先程の地震や崩落によって〈聖地〉も破壊されていればなどと冗談で場を賑わせる者さえいた。そんな部下達を連れてオニマは出発し、既に崩れ落ちている洞窟の前へとようやく到達したが、やはり生存者の気配は無い。それどころか、敵味方を問わず死体が入り混じっていた。

「その他の地域に異常は?」

 オニマが隣に連れていた側近へ聞くと、即座に彼は装置で連絡を取る。

「ここから南方にある城下町から緊急連絡。一人の残党が侵入し、暴れ回っているそうです…被害が拡大していると」
「たかが一人にか…付近で活動している者達を差し向けろ。全く、へたれ共め…」

 オニマはそんな事かと呆れ果て、軽く指示を出してから不機嫌そうに洞窟の入り口へ近づく。報告ではレーダーに示されていた筈の魔力が完全に消え失せており、もぬけの殻となっているらしかった。まさか本当に破壊できたのかと少々信じられない様子だったが、何かの気配を感じて振り返る。そのオニマの形相に引き気味だった兵士達も、視線を追う様にして林の奥深くへと目を凝らした。

 岩の上で退屈そうに座っている一人の女性がいた。非常に高値が付きそうな黄金色の硬貨を指で弄り、寂しげな雰囲気で足を組んでいる。黒い頑丈そうな生地で作られた装束は彼女の口元まで覆い隠していた。

「…おい貴様!」

 オニマが叫ぶと、女性は手遊びをやめて振り向く。岩から立ち上がって近づくその姿を見ている内に、兵士達はなぜか逃げ出したくなるような気持に駆られていた。

「パージット王国の人間ではなさそうだな。何者だ」
「まずはそちらから名乗るのが礼儀ではなくて?…なんてね、冗談。サラザールでいい」

 オニマが不信感を隠さずに威厳を醸し出しながら問いかけるが、わざとらしく揶揄いながら女性は答える。とは言っても笑っているような仕草は一切なく、良くも悪くも自分達に対して無関心な風であった。

「サラザールか…私はオニマだ。ここで何をしていた?」
「暇潰し。あなた達はさしずめ、〈聖地〉の破壊と〈幻神〉の討伐に来た。違う?残念だけど手遅れよ」

 部下に銃を構えさせながら問い詰めてくるオニマに対し、調子を崩すことなくサラザールは事情を説明する。ふざけているとしか思えない返答の後に、彼女はオニマ達の目的を言い当てる。その上で無意味な行動だと彼らを一笑した。

「…何が言いたい?」

 明らかに不機嫌そうな態度へ豹変しながらオニマは答える。側近はいつでも攻撃できるとでも言いたげなのか首を縦に小さく振った。

「言葉の通りよ。あなた達も考えたわね。この国で代々王族が行っている<依代>の継承が行われる前を狙った…確かに、幻神の加護を民に受けさせるための人柱である〈依代〉が不在の間に攻め込めば余裕でしょうね。加護が無ければ使える魔法にも大きく支障が出てくる。そして戦力の弱体化にも繋がる…理屈は分かるけど、ここまでするのに随分と苦労したんじゃないかしら?」

 余裕を見せる彼女の姿は勿論、その発言さえも不気味だとオニマは怪しんだ。パージット王国を始めとした〈聖地〉の保有国へ何年にもわたって諜報員を送り込み、ようやく入手した自分達の情報をなぜ彼女が知っているのだろうか。〈聖地〉の関係者として考える事も出来たが、だとするならこんな場所へ出向いて敵である筈の自分達と接触する理由が分からない。

「随分と詳しいようだが、一体何者だ?」
「自分達の心配をした方が良いわよ。〈幻神〉はもう…ここにはいない」

 サラザールはオニマの問いかけに応じず、背を向けて歩き出しながら忠告をした。鼻で一度だけ笑ってから草むらを歩いていく彼女の後姿から、兵士達は何か不穏な気配を感じ取る。この洞窟に来るまでの間、決して楽な道のりではない事を彼らは良く味わっていた。しかし、彼女にはこれといった疲れどころか、足元にさえも目立った汚れが見受けられない。一体どうやってここまで来たのだろうか。

「撃て」

 オニマが声を押し殺しながら命じた。構えていた兵士達が引き金を引くと、銃が唸る。そして無数の光を発射した。木々を薙ぎ倒し、岩を炸裂させていくその攻撃は鉛の弾丸などよりも速く、何より強力だった。

「…いないぞ⁉」

 一人が気づいたように叫ぶ。先程までは確かにあったサラザールの姿が一切の痕跡を残す事なく消失していた。数人の兵士が恐る恐る確認に向かうが、血や死体どころか草を足で踏んだ後すらない。彼女は攻撃で死んだわけでも無く、逃げたわけでも無い。文字通りの消滅であった。

「隊長、緊急連絡が再び入っています。先程報告されていた残党によって被害が急速に拡大していると報告が入っています」

 装置によって報告を聞いた側近は、不吉な前触れを感じて沈黙しているオニマへすぐさま報せた。冷静を装っていた彼の喋りにも段々と陰りが見え始めている。

「間抜けどもめ…くたばり損ない一人に何を手間取っている⁉」

 オニマは憤った。色々と整理しなければならない情報が多すぎるだけでなく、洞窟の崩落によって〈聖地〉への侵入が困難な状態にあるという点についても解決を急がなければならない。残党への追い討ち如きで俺に頼らないで欲しいという本音が、声に一層の苛立ちを含ませていた。

「それについてですが…て、敵は…魔法を使っているそうです。恐ろしく強力な」

 側近はさらに続けた。彼が装置によって報告を聞いている間中、爆発音や悲鳴が途切れることなく響き渡っていた。明らかに何か異常が発生している。それも自身達にとって悪い方向に。

「クソ…場所はどこだ?」
「連絡があった最後の地点は、先程と同じ宮殿及び城下町付近からです…強力な魔力も検出されています」
「向かうぞ。ワイバーンの準備をしろ」

 オニマが指示を出すと、兵士達もすぐに準備へ取り掛かる。腰に携えていた信号弾を打ち上げ、続いてどこかに連絡を入れた。間もなく頭上には巨大な飛行船が現れ、機体の側面に設置されていたハッチが鈍重な音を立てて開いた。

「さあ行け!」

 兵士達が笛で合図を鳴らして促すと、中で待機をしていたワイバーンと称される翼竜が唸りながら飛び降りた。そのまま翼をはためかせてオニマ達の元へ飛来する。器用に岩や樹木を掻い潜りながら自身の元へ降り立ったワイバーンへとオニマは近づき、牙の生えたトカゲの様な顔を撫でる。

「先に向かう。各自、準備が出来次第こちらへ来い」
「了解‼」

 鞍に跨ったオニマは残りのワイバーン達の到着を待つ側近たちへ命令した。彼らがすぐさま返事をしている内にも残りの個体達が降り立ってくる。中には上手く着陸できずに木々へぶつかったワイバーンもいたが、すぐに立ち直ってから駆け寄り、騎乗しやすいように兵士達の前へ伏せた。

 オニマはそれらを尻目にしてワイバーンで飛び立ち、方向を確認してから島の南方へと向かう。空には所々で飛行船が飛び交っており、いずれも自身が所属しているリミグロンの物であった。島の各地にある関所や町は焼かれ、海や海岸には無数の上陸用舟艇が粒ほどの大きさで見える。このパージット王国と自らが率いるリミグロンの軍勢、どちらが有利かは一目瞭然だった。しかし、何かが変わり始めている。サラザールと名乗る怪しい女性や、現在起きている緊急事態が勝利の余韻に浸らせることを許さなかった。

 気が付けば太陽は西へと沈み始めようとしている。宮殿に近い城下町は、リミグロンによって放たれた火に飲み込まれていた。報告が途絶えた最後の地点へと降り立つため、オニマはワイバーンを城下町へと降りる様に手綱で操作する。火の粉が飛び散り、煙や炎の熱に息が詰まりかけるが何とか降り立つことに成功した。

「…これは…⁉」

 オニマは絶句した。最初こそパージット王国の民や兵士達の屍が目立っていたが、宮殿へ進むにつれて増えていくのはリミグロン兵達の変わり果てた姿だった。矢で串刺しにされ、首や四肢を切断されて地べたへと転がる彼らの顔は、死ぬ間際まで怯えていたかの様に歪んでいた。そして血の跡や死体の具合はかなり新しい。

 宮殿の占拠及び近隣の町の破壊を行うために仕向けていた兵士達である事は間違いない。問題は誰がこれをやったのかという点であった。この宮殿と城下町への侵攻は、自身が戦っていた浜辺での全面衝突と同時進行で行っていた。成功したという報告も確かにあった事から油断しきっていたのだろうか、しかし、決して少なくはない戦力を投入していたにも拘らず、なぜ部下達の死体があるのだろうか。

「まさか…たった一人で…⁉」

 オニマは報告を思い出して慄いた。その暴れていたという王国の兵士が全ての元凶だとするのであれば、間違いなくリミグロンにとって脅威になりかねない。一般兵とはいえ、短時間の間にこれだけの虐殺を行える戦士を見過ごすわけにはいかなかった。

 もしかすれば逃げるべきだったかと思い始めていたオニマだったが、宮殿へと連なる大通りの悲惨さに息をのむ。至る所にリミグロンの兵士達が惨い姿となって死体の山を築いていた。部下達は確かにこの場所への侵攻を行っていた。しかし、間もなく殺されたのである。

 飛んでくる火の粉を払いのけながら、オニマはようやく宮殿へと辿り着いた。門は完全に開いており、火の手はまだ回っていない。堅牢な造り故か素材も民家や城下町に使われている物とは大きく異なっていたのだろう。敵はここにいた部下達を皆殺しにしながらこの宮殿へと向かったのだろうかと、必然的にオニマの警戒心は膨れ上がっていく。強い、それも想像以上に。

「…ああ…た、助けて…」

 声が聞こえた。門へ向かって来る影を見たオニマは、背負っている得物へ手を伸ばそうとする。しかし、姿がハッキリとしていくにつれて思い留まった。宮殿への侵攻を任せていたはずの部下である。片腕がなく、必死に溢れ出る血を止めようと手で抑えていた。血が道に滴り、鎧さえも赤く染めている。足を引き摺り、破壊された兜から泣きそうな顔をしている部下を保護しようとオニマは駆け出す。その時、部下の背後に広がる光景を見たオニマは身の毛がよだつのを感じた。

 後方に広がる庭園が破壊しつくされ、その中から剣を片手にこちらへ向かって来る青年の姿がある。物悲し気な雰囲気を晒していたが、露になっている上半身には無数の新しい傷が出来ていた。少なくとも彼自身の出血だけではない夥しい量の血で濡れており、虚ろな瞳を持つ顔は邪悪な感情によって歪んでいた。眉間に出来た皺や、一度も逸らす事なくこちらへ向けて来る視線、そしてなぜだか分からないが黒く染まっている剣を力強く握りしめている。

 こいつだ。オニマは手が震えそうになるのを感じながら理解する。しかし必死に助けを求めながら駆け寄ろうとする部下を見て、すぐに優先すべき事柄を整理し直した。まずは彼の安全を保障せねば。

来たれカ・トゥーレ

 その時、青年が手をかざしてから何かを唱えた。たちまち腕が黒く染まっていき、遂には炭化した様に闇に覆われる。

「あ…そんな…やだ!…待ってくれ!助けて!うわあああああ!」

 かざされた腕の先にいたオニマの部下は、次第に自分の足取りや体の動きが重くなっていくのを感じ取る。そして、背後から強烈な勢いで引っ張られているかのような引力が襲い掛かった。必死に地面に縋り、視界に捉えたオニマへ助けを乞うが、気が付けばあっという間に引き寄せられ、青年によって首を掴まれていた。

「待ってくれ!悪かった!見逃してくれ!」
「…その言葉を、お前に殺された人々が聞いたらどう思うだろうな」

 オニマの部下の命乞いは結果として逆鱗に触れたらしい。青年は静かに、しかし震えながら憤怒を露にする。そして剣を使って鎧ごと体を刺し、血を噴き出しながら寄りかかって来る死体を蹴り倒した。仰向けに倒れて動かなくなったオニマの部下には、胸部に剣が突き立てられている。それを引き抜いた青年は、オ二マが硬直したままこちらを凝視している事に気づき、獲物を睨む獣の様な目つきでゆっくりと視線を向けた。

「貴様は一体…?」

 オニマは精一杯に取り繕いながら尋ねる。不意打ちをする気にはならなかった。この国にまだ魔法の使い手が残っていた事に驚きを隠せず、先程から見て来た惨状の影響から、隠し種を仕込んでいるのではないかと警戒をしていた。

「…」

 青年は黙ったまま一歩、また一歩とオニマへ向かう。その顔は憎悪に満ち溢れた修羅へと変貌していた。
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