怨嗟の誓約

シノヤン

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1章:狼煙

第1話 剣士

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 記録的な降雨によって、霧に包まれた街はどこか陰鬱としていた。事は三年前に発生したパージット王国の陥落に起因する。鎖国状態にあったとはいえ、鍛え抜かれた戦士達を抱えるだけでなく、〈聖地〉による加護のおかげで卓越した魔法を操る事が許されているパージット王国が未知の敵によって滅ぼされたという話は、当時の王国軍によって大陸へと逃げ出すよう命じられた僅かな難民達が瞬く間に広めていった。

 大陸に複数存在する〈聖地〉の保持国は、直ちに警戒態勢に入る事を決定。しかし、そうしている間にも各地で被害が報告され、人々は謎の武装勢力の攻撃に怯える事となる。リミグロン。かつて空より降臨し、星に住む人々を恐怖に陥れたとされる神話の魔物の名を冠したその勢力は、確実に大陸を蝕みつつあった。

 〈聖地〉の破壊とそれによる幻神の呪縛からの解放を謳う彼らの主張は、その加護によって生み出された魔法と、その恩恵を受けて暮らす人々にとって受け入れられるはずも無かった。各国はその世迷い事を耳にして迎撃に動こうとするが、防衛をするにあたっても戦力の問題から経済的に豊かな地域が優先される事は珍しくなかった。まもなく〈聖地〉の保護を名目として、戦力を首都圏へ集中させるといった事態まで現れ始める。

 治安の維持もままならない市町村が現れ、そんな事などお構いなしに〈聖地〉の防衛に力を注ぐ役人達を見た民は、徐々に諦めを見せていた。政治家や兵士は偉そうな偽善をのたまいながら、結局は自分達を犠牲に出来る程の覚悟は無いのだと、彼らをせせら笑った。

 そんな退廃的な雰囲気が漂いつつあった世間だが、娯楽に溺れたいのはいつの世も変わらない。街にある運河や、そこから連なる歓楽街にはいつもよりも人気があった。もっとも、屯する人々はどこか血の気が多そうな者ばかりであり、どんな客であろうと動じない娼婦たちも不思議そうにしている。

「…今日ってもしかして」
「ええ。祭りよ」

 娼婦たちは思いだした様に小声で話した。この街における祭りというのは、伝統行事などといった物とは大きく異なる。知る人ぞ知るといったある種の隠語だった。人々が向かう先は、下水道から奥深く潜った先にある粗末な闘技場である。樫の木で作られた柵に囲まれ、「飛び道具の使用以外は全てが許される」というルールの下で行われる殺し合いが目的だった。

 必要ならば武器の貸し出しさえも行われ、時には戦いにすらなってない公開処刑のような虐殺にさえ歓喜する。ただでさえ治安が悪いせいか、行政さえも迂闊に近づこうとしない魔境と化していた。

「すまない!ちょっとどいてくれ…おっとっと」

 一人の眼鏡をかけた細身な男が柵の周りに群がる群集を掻き分けながら言った。分厚い革製のジャケットを羽織り、眼鏡をかけているその男は出場者にもプロモーターにも見えない。周囲の雰囲気を随一で確認し、何かおもむろに眉をしかめた際に限ってポケットから小振りの手帳と万年筆を取り出す。そして、この闘技場にどのような客がいるのか、そして試合がどの様に進行しているかを記し続けていた。

「まさに修羅が集う狂宴の園。よし…これでいこう」

 男が満足げに手帳閉じた時、ちょうど闘技場の真ん中では決着がついたらしい。顔が砕けるまでモーニングスターを叩きつけられた死体と、その前で雄叫びを上げる頭の弱そうな巨漢の姿があった。

「はあ、見てられないや…っておわっ‼」

 元来、血を見るのが好きではなかった男は休憩でもしたいと動き出す。が、途端に背後にいた誰かとぶつかって手帳を落としてしまった。

「僕の商売道具だってのに!おい、あん…た…」

 少し苛つきながら男は振り返り、ぶつかって来た相手の顔を見て文句でも言ってやろうといきり立つ。しかし、その相手を見てすぐに思い留まった。若い顔立ちをした男性ではあったが、頬には大きな傷を持っている。あまり丁寧に処理をしないのか、はたまた面倒くさいだけなのか、下顎には無精髭が汚らしく残っていた。そして白髪と地毛なのであろう黒髪が入り混じった頭髪を後ろで束ねている。

 体格は中々の物であり、肩幅や佇まいからして鍛錬をして来た事に対する自信を感じる。よっぽど勘の鈍い脳足りん共が相手でもない限りは、外見が原因で嘗められることは無いだろう。どうやら背中には剣も携えている。あまり手入れをする余裕はないのか、柄の部分が少々汚れているだけでなく、巻かれている布もボロボロになっていた。いずれにせよ使い込んでいる事は確かである。

 絡んではいけない類の輩だと、男は舌打ちをしたくなった。元来、腕力に自信が無かった彼は、喧嘩を売って良い相手とそうではない相手を見極める様になった事で程よく優れた観察眼を手にしていた。持ち物で相手の職業や私生活を洞察するだけでない。眼光や佇まい、時には勘も頼りに相手の力量を判断する。そうしなければ殺されかねない事態に何度も直面してきた。そしてその度にやっとの思いで潜り抜けて来た。

 そんな彼にとって、目の前にいた青年はまさしく最悪の事態に位置する相手だったと断言できた。自身と目が合った時、青年の視線が酷く冷たい物だったのを男は覚えている。危害を加えてくる相手には二種類の人間が存在する。一つは感情に身を任せて暴れる者。そういった連中は顔や目つきさえもが歪み、それはそれでおっかない形相である。

 しかし本当に気を付けなければならないのはもう一つの種類、例えば先ほど青年が垣間見せた様な顔が出来る人間であった。他者の事をどうとも思って無さそうな視線、必要とあれば躊躇いなく全力で拳を顔面に叩きこんでくるのではないか。そう錯覚させる程の異常な殺気。経験上、このような者達は人間が踏み越えてはならない一線に対し、酷く無頓着な人種である。特に兵士や殺し屋といった職種に多く見られた。

 この様な雰囲気を作れるのは、大概が命のやり取りを生き延びた者達ばかりである。それも一つや二つではない。常人ならば幾度となく人生をやり直さなければならない様な数を切り抜けていないと到達できないある種の境地であった。男はすぐにでも靴を舐める覚悟をした。変に刺激してはマズい。ここは自分が下手に出る立場なのだと、すぐに理解した。

「…すまない。急に動くと思って無かった」

 後ずさりでもしながら弁解を始めようと思っていた時だった。青年の口から出たのは予想すらして無かったほどに落ち着いた若々しい口調と、申し訳なさの漂う謝罪であった。

「…え…ああ、まあ…こっちこそ、悪かった」

 とりあえず相槌を打ったものの、男は冷や汗を流して困惑した。だが何にせよこちらを攻撃してくる気配はない。やる気のある者ならば、ここからさらに敵意が無い事を徹底的にアピールする。そして不自然なくらいに行った後でタイミングをずらして不意打ちをかます。それが喧嘩における常套手段であった。この青年はそういった装いらしき動作を一切見せようとせず、本当に敵意は無いのかと男は自分の勘を疑った。

「失礼、少し尋ねたい事がある」

 そら来た。と一瞬身構えた男だったが、青年は何かを知りたげな様子だった。

「…は、はあ」
「ずっと手帳に何か書き込んでいたのを見て、この場所には詳しいのかと思った。もしそうであれば、少し教えて欲しい事がある。勘違いだったのなら否定してくれて構わない」
「な、成程…いや…知らないってわけでも無いが…」

 言葉こそ少々粗雑ではあるが、青年は敵対する素振りを見せる事は無かった。このまま呑気に質問に答えて良いものだろうかと、男は返事に淀みを含ませながら考え込んでしまう。やはり考えすぎなだけだろうか。青年の言葉から察するに、慣れない場所に来て警戒していた可能性も高い。何かしら実力行使が必要な仕事に就いているだけで、不必要に暴力を振るう人間ではないのだろう。やはり自分の考えすぎだったか。そうして結論を持って行った男は、少し緊張が解けた様に一息入れた。

「…ああ、申し訳ない。名前がまだだったな。ルーファンだ…ルーファン・ディルクロ」

 青年は名乗りながら男へ手を向ける。やはりそれなりに礼儀は弁えているらしい。

「ジョナサン・カロルスだ、お見知りおきを。さて…何を聞きたい?」

 男もまた握手に応じながら自己紹介をした。ルーファンはそのまま闘技場の方へ目をやる。ちょうど別の試合が行われていた。

「試合に出たいのと、出来る限り大量に稼ぎたい。どうすれば良い?」
「了解…といっても難しい事じゃない。あそこにいるダッサいシルクハットを被ったホームレスもどきが見えるか?奴がこの場を取り仕切っている。あいつに頼むんだ。予定が特に決まってなければ、そのまま次の試合に出させてくれる」

 ジョナサンは闘技場の近くで腕を組みながら眺めている薄汚れた男を指差し、自分が集めた情報から確かな物だけをルーファンへ伝える、特に異論はなかったのか、ルーファンは無言のままシルクハットの男を睨んでいた。

「試合が始まる前に対戦相手を募るか、相手を指名しないと駄目だ。幸い今日はこの闘技場の目玉選手が全員来ている…リスクはデカいが、ジャイアントキリングでも出来ればあっという間にヒーローの仲間入りだよ」
「ルールは?」
「飛び道具は禁止。あと試合を開始するより前に危害を加えるのもダメだ。それ以外ならすべてが許されている…殺人さえもな」

 詳細を伝えるジョナサンだったが、殺しが許可されているという部分に関しては少し躊躇したらしく小声で囁く。もしかしたら殺人教唆に該当するのではないかという不安によるものであった。

「…闘技場で一度に戦えるのは最大で何人だ?」
「え?…闘技場のデカさもあるからな。少なくとも、俺が見た試合の中で一番多かったのは五人って所だ。最後の一人になるまで殺し合うんだぜ?暇人共め、他にする事ないのかね…」

 思い出話を添えて説明をするジョナサンの声には、明らかに侮蔑が込められていた。都市部に比べて治安も悪く、犯罪の温床になっているというのは仕方ないにしても、どのような思考回路を持っていればこの様な催し物を開くという発想に落ち着くのかが理解出来なかった。

「そうか、感謝する」
「あ!…き、気を付けろよ!ちゃんと試合前に賭け金も渡すんだぞ!じゃないと稼げない!」

 一通り聞き終えたルーファンは物思いに黙った後、礼を一言述べてから観衆を掻き分けて歩き出す。稼ぎ方について言い忘れていたジョナサンが慌てて叫んだ追伸を記憶しながら、シルクハットの男の元へと急いだ。そんな彼を見送ったジョナサンは、何をするつもりなのかという不安を感じる一方で、ルーファンが見に纏っている鎧や服装についてどこか見覚えがあったかもしれないと首を傾げた。

 辿り着いたルーファンは、シルクハットの男の背後に立って視線を送る。柵に寄りかかり、不味そうな林檎を齧りつつ笑顔で観戦している男にいつ話し掛けようかと悩んでいた。しかし、そんなルーファンより先に気配に気づいたのか、シルクハットの男はゆっくりと振り返る。

「んー…何か御用かな?」

 ルーファンの見た目からして中々の強者だと判断したのか、シルクハットの男はいやらしく口角を上げながら話しかける。少々気持ち悪かった。

「一試合したい。この金を俺自身に全部賭けた上でだ」
「ほう…自信家だな。よし、この試合が終わったらすぐに始めよう。幸い今日は常連達も来ている…対戦相手を募るか、彼らに挑戦するかどうかを選んでおいてくれ。後で聞くからな。ああ、言い忘れた…私はルドルマン。健闘を祈るよ」

 シルクハットの男はルーファンの頼みを引き受け、酷くくすんでいる指無し手袋に包まれた手で握手を求めた。あまり気は乗らなかったがルーファンはそれに応じて試合が始まるのを待つ。

 間もなく試合が終わり、ルドルマンの配下と思われる浮浪者達が必死に後片付けを行った。一通り終えた彼らになけなしの硬貨をルドルマンが放り投げると、彼らは死に物狂いでそれを奪い合う。その姿をせせら笑い、シルクハットを被り直してルドルマンは柵を飛び越えて闘技場の中央に躍り出た。

「諸君、楽しんでくれているようで何よりだ!だが…物足りないんじゃないか?肉が裂け、血が滴る強者達のぶつかり合いをもっと見たいだろう!なあ!」

 ルドルマンは両腕を広げ、辺り一帯を見回しながら声を張り上げる。人々は彼に応えるかの如く腕を上げて歓声を撒き散らした。

「そんな諸君らに朗報がある!なんと飛び入りで挑戦者が現れたぞ!さあ…入ってきたまえ!」

 ルドルマンが掛け声とともに手招きをする。ルーファンは柵を開けて砂が敷き詰められた闘技場の中へ入ると、血や歯が入り混じった足下の感触を確かめながら彼の元へ向かう。観客席側では彼の体格や装備から経歴を推理する者、顔についている大きな傷に注目する者、そして悪くない顔立ちを褒める者など多様な会話が繰り広げられ、少々ざわついた。

「さて、挑戦者よ。名前を聞こう」
「ルーファン・ディルクロ」
「よし。それではディルクロ…対戦形式と対戦相手について何かご所望は?」

 ルドルマンから希望を尋ねられ、ルーファンは闘技場の端に置かれている掲示板へ目をやる。誰がどの程度稼いでいるか、ここ最近の勝率や過去の戦績などが記されている。無論、敗北すれば無事で済むわけがない場所である。記録されている者達は揃いも揃って驚異的な戦績を叩き出していた。

「あの掲示板に書かれている順位。その上位三人と戦いたい。全員とだ」
「全員…ほほう、つまり三人抜き…!」
「違う。三人同時だ」

 ルーファンの申し立てに目を輝かせたルドルマンだったが、すぐに自分の考えが間違いだと告げられる。決闘形式のもと三人連続で戦うのではなく、三人を同時に相手取るというルーファンの発言に、観客席ではさらに大きなどよめきが起こった。
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