ドラゴンズ・ヴァイス

シノヤン

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弐ノ章:生きる意味

第45話 油断禁止

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 蹴り倒された拍子に、龍人は頭を軽く打った。椅子に固定された状態ではまともに受け身も取れないからだ。目の前に白い火花がチカチカと瞬き、ただでさえ痛みの残っていた後頭部が更に疼く。今の内に手錠を外せないかと藻掻くが無理だった。パイプ椅子であり、どうやっても手錠が椅子の足から離れない様になっている。

「あ~…痛って…」

 下手に弱みを見せては相手のペースに呑まれる。それを分かっていたのか、龍人の攻撃に対する反応はえらく淡白だった。

「こういう時ってあんまり激しい事しない方がいいぞ。椅子壊れて手が使える様になったら、困るのあんたらだろ」

 美穂音が近づき、椅子をもう一度立たせるが、龍人はいけしゃあしゃあとせせら笑った。そのにやけ面が癇に障ったのか、今度は顔に拳が飛ぶ。暫く味わっていなかった、開醒を使用していない肉体への攻撃。どうやら口の中が切れたらしく、血の鉄臭さが口内を満たす。

「アンタのせいでなァ。ウチ鼻折れとんねん」

 ガーゼを当てている鼻を軽く撫でて、綾三が龍人を睨む。中々に凄みのある声調と気迫だが、そのせいで猶更ガーゼを当てている顔の滑稽さが際立つ。だから何だと言わんばかりに胸を張って彼女を見つめる龍人だが、髪の毛を掴まれて後ろへ仰け反らされる。天井を見上げさせられた彼の顔を、美穂音がのぞき込んでいた。

「鼻と、後どこ折られたいか言うてみいや。選ばせたる」

 そのまま頭皮ごと千切られてしまいそうな力で、彼女は髪の毛を引っ張っていた。だが龍人は答えない。代わりに、口に含んでいた血を目に吐きかけてやった。

「だあっ、このガキ… !」
「血で良かったなあ。これが毒だったら今死んでたぞ」

 驚いた美穂音が必死に目を拭っている姿を尻目に、龍人は迂闊に近づいた彼女の甘さを愚弄する。実際の所、口内に傷がある時点で…それどころか、そもそも毒を含むなどもってのほかである。だが、万が一を想定できない者は早死にする確率も格段に上がる。

「…ムカつくわお前ホンマ」

 毒気を抜かれたように綾三が呟いた。

「いやいや。俺も最初は焦ったんだが…思っていたより待遇いいんで、リラックスさせてもらっちゃって」
「自分の姿を客観視できてないんかい、アンタ」
「客観視してるから言ってる。さては捕まえたはいいが、どうすればいいのか分かってないってヤツだろ。五体満足で、それも頭以外には特に外傷も無いままわざわざ閉じ込めてるだけだろ ? 普通なら逃げ出さない様に足の腱を切るか、骨を折っとくか、足の爪を全部剝がしとく。特に爪は死ぬ危険性が比較的少ない割に、かなり痛いから効果が凄いぞ。歩くのにも苦労するしな」
「何かヤケに詳しいなアンタ…」
「まあそれなりには。この町来るまでは色々あったし俺の人生。八歳の時に詐欺でカモられて、デブのブサ男にケツ掘られた話してやろうか ? あの時はマジで怖かった」

 龍人の減らず口が、何やら気になる内容を語り掛けた直後だった。部屋の左側の壁、その上部に備え付けられていた鉄格子が音を立てる。四角形のステンレス製、排気口に使われていたそれに、何かがぶつかる音が小さく反響する。小さく引っ掻くような音も聞こえた。

”援軍のご到着か”

 どうしてか分からないが本能が声となって、脳内で囁く。理屈も何もあった物ではないが、龍人には確信があった。少なくとも、自分にとっては悪い事にならないものであると。やがて鉄格子が外れた。かなりの力があると見た綾三と美穂音は、その排気口の前に立って環首刀を召喚して構える。だが、すぐに拍子抜けしてしまった。

 龍人にとっては見慣れた狸…ムジナが現れたのだ。もぞもぞと排気口に詰まらせた自分の体をよじり、鉄格子の無くなった穴から這い出て来る。尻が詰まって苦労しているのか、激しく体を揺らしながら出てきた頃には落下し、ぼてぼてとした体を地面に叩きつけてしまう。しかし勢いよく起き上がって辺りを見回し、綾三と美穂音を見上げて首を傾げた。

「なんやコイツ…」
「おい、これアンタん仲間か ?」

 困惑するような顔で見ていた綾三を余所に、ムジナは部屋の奥で拘束されている龍人を見てぎょっとする。だが美穂音に首の後ろの肉をつままれ、持ち上げられてしまった。

「あ~…知らんな」

 少し間を開けてとぼける龍人だが、美穂音が彼の返答に意識を向けている隙を見て、ムジナはすぐさま首輪に着けていた巾着を器用に開けていた。中から小さい手でドーピング薬を取り出し、こっそりと口に放り込んで噛み砕く。

「ん…おい、なんか変やでコイツ⁉」

 たちまちもがき苦しみだしたムジナの異変に気付き、美穂音が急いで放り投げる。苦しみ出すように床で痙攣する姿を暫し見ていたが、どうも違和感があった。自分が掴んでいた時より、心なしか図体が大きい。いや、そう思っている間にも更に体積が増していく。やがて部屋の天井まで届き、出入口を完全に塞いでしまう様な体躯へと変貌を遂げていた。二本足で立つと天井に頭をぶつけてしまうせいか、四本足で立って綾三と美穂音へ唸っている。

「面倒な事になるから殺すなよ。後、これもどうにかしてくれ。お~い、こら、聞こえてるか~ ?」

 指示を出しながら、龍人は手錠を椅子にぶつけて音を出す。だがその頃には、ムジナが師岡姉妹二人を相手に、暴力の限りを尽くしていた。あれは次会う時には鼻のガーゼでは済まなそうである。ムジナに踏みつけられ、腹や顔に殴打を受け続ける二人を見ながら龍人は思った。

 暫くして気が済んだのか、ムジナは地面に倒れている二人に背を向けて龍人へ駆け寄る。顔を舐めて気を遣ってくれているのは分かるのだが、今はじゃれ合っている状況ではない。

「分かった、分かった…後で遊んでやるから、椅子を壊せ。おいおい舐めるな、ああ、おい ! 服に涎を付けるなバカ !」

 龍人から怒られたムジナはようやく指示を聞き入れ、椅子を無理やり壊す。何とか両手が使えるようになった龍人は、すぐに印を結んで開醒を発動した上で手錠を自身の手首から引きちぎった。

「ふぅ、早く印結び無しで開醒使えるようになりてーな…ありがとムジナ、俺の匂い辿ってここまで来たんだろ」

 きつく拘束されていたせいでまだ痛む手首を、ストレッチ代わりに捻ってから龍人は礼を言う。出かける前にムジナに声をかけ、自分を尾行するように頼んでおいて正解だった。途中で功影派と揉めた時はどうなるか不安だったが、こうして来てくれた事にはただ感謝するしかない。褒められたと分かったのか、ムジナも再び顔を彼の胸元に擦り付けてきた。

「よし、ここから出られたら腹いっぱいハリボーを食わせてやるぞ。行けーっ!」

 調子に乗った龍人の掛け声に合わせてムジナが吠え、出入口を壊しながら突撃していく。

「ポ〇モントレーナーってこんな気分なのかね」

 遠くでかすかに聞こえ出した悲鳴に耳を澄ませながら、龍人は呑気に後を追いかけて行った。
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