ドラゴンズ・ヴァイス

シノヤン

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壱ノ章:災いを継ぐ者

第8話 見返り

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「なあ、君――」
「言っとくけど引き受けるつもり無いぜオッサン。老師が帰るまで待ってくれ」
「返事早っ…そう言わないでくれよ~。そこまで気長にしていられるような事情でもないんだ」

 男の幽霊が擦り寄ってくるが、すぐさま龍人にあしらわれてしまう。しかし一刻の猶予も無いのか、ブロイラーの鶏肉を手に取って賞味期限を確認している龍人の隣で必死に食い下がっていた。

「どうにかできないかい ? このままだといたいけで何の罪も無い女の子が――」
「あのなオッサン、アンタも苦労してるんだろうけどこっちもこっちで複雑な立場なんだ。余計な面倒事起こしてこの町にすら住めなくなったら、もう行き場所が無いんだよ」

 嫌だと言っているのに引き返そうとしない幽霊に龍人は苛立ち、切り身のパックを置いて彼に向き直ってから身の上話ついでにキッパリと拒否を示す。流石に嫌悪感を露にされたのが堪えたらしく、幽霊は暫し黙りこくってしまった。

「うぅ…でも…わ、分かった ! じゃあ少しだけだ ! 少し調べてくれるだけで良い ! その後は老師様に頼むから、最初の調査だけ頼めないかな ?」
「しつこいなアンタ…大体調査ってなんだよ」
「探偵みたいな感じでちょっと調べてくれるだけでいいんだ。ウチの従業員なんだけどさ」
「従業員 ?」
「うん。私、こう見えて風俗経営してるんだ」
「…マジか」

 こうなれば龍人の事情にある程度譲歩していくしかない。幽霊はどうにかして引き受けて欲しいのか、少しだけ引き受けてもらう仕事を変えた上で再度頼む。そして自分が経営している店の業種を打ち明けた瞬間、龍人が目を丸くしたのを見て流れが変わって来たのではないかと期待をする。

 短髪の黒髪、決して大柄ではないがそこそこある身長、そして見栄えとしては中々悪くない引き締まった体…この手の輩は大体欲求不満である。自分が風俗を経営しているとチラつかせれば、恩返しにサービスを融通してくれるなどと考えてそうな単細胞の体育会系。見た目の印象で幽霊は勝手に決めつけていた。

「ごめん、パスで」

 だが龍人の警戒心の強さを完全に侮っていた。想定していなかった回答が飛び出たせいで思考が僅かに停止するが、やがて再び龍人に縋り出した。

「な、なぜだい ?」
「その手の仕事で起きる問題って大体ヤバいのが絡んでいるから相手したくないんだよ。大人しく老師が帰ってくるまで――」
「頼む一刻を争うんだ ! ウチの新入りの子がそういうヤバい連中に目を付けられてるかもしれないんだよ !」
「…それってどういう事だ ?…あ、こっからは買い物しながらでいい ?」
「ああ、うん。どうぞどうぞ」

 そろそろ無視してやろうかとも思ったが、あまりの必死さに龍人も反抗する事に疲れを感じていた。しかしだからと言って家で土産を待っているムジナを待たせ続けるわけにもいかない。渋々買い物を続けながら耳を傾けだした。少し態度が軟化したことが嬉しかったのか、風俗店の店長だという幽霊も龍人に気を遣いながら隣に居続ける。

「うちに最近来た夏菜って子なんだけど、その子に彼氏さんがいるらしいんだ。彼氏さんの生活がヤバいから、自分も頑張んなきゃって事でうちで働きたいらしいんだけど、彼氏さんの写真見せてもらった時にちょっと怪しくてね」
「見た目からしてもう堅気じゃなさそうって感じか ?」

 写真を見て怪しんだというから、第一印象からして柄が悪いのだろうと龍人は思っていたが風俗店の店長は首を横に振る。

「いや、そういうわけでもない。なんだけど…その彼氏さん鴉天狗なんだよ。聞いたことは ?」
「デカい鳥人間みたいな奴だろ。見た事ある」
「ああ。その彼氏さんが写ってる友達との集合写真ってのを見せてもらったんだ。だけど、その中の何人かをニュースで見た事があってね…この辺りで活動している”風巡組”って連中を知ってるかい ?」
「いや、知らない。別の地区にいる”苦羅雲”みたいな感じの集団か ?」
「まあ似たようなものだよ。といってもこっちの方がタチが悪い。本人たちは自警団や義賊を気取っているが、実態は色んな連中に言いがかり付けて金を毟り取ったり暴力沙汰で問題ばかり起こしてる…ニュースに出始めた頃はそうでも無かったんだが、今や見る影も無いただの半グレだ。僕の知り合いも連中の美人局に捕まって破産させられたそうだ」

 そう語る風俗店の店長は同情して欲しそうに俯き、龍人から顔を背けていた。正義の味方を自ら名乗る者に碌な奴はいないと分かってはいたが、彼らは想像以上に好き放題している様だ。

「それで、夏菜ちゃんって子がその風巡組って奴らと関わってるのかどうか知りたいって事か」
「ああ。もし彼女が連中の差し金で送り込まれたんだとしたら、間違いなく碌な事にならないし…それに、もし悪い男に引っかかって貢ぐ金のためにウチの店で働く羽目になったとかだったら猶更どうにかしてあげなきゃ。あの手の連中には一度でも関わると一生カモにされる」

 風俗店の店長は自分が抱えている不安が現実になる事を危惧していたが、龍人は黙ったまま魚と肉を買い物カゴに詰めていた。途中グミを買おうと菓子コーナーの陳列棚に寄ったがお目当ての商品がなく、後で受付で聞いてみるしかないと項垂れる。勿論その間に話を無視していたわけじゃなく、自分なりにどう動くべきかを悩んではいた。

 やむを得ない場合は自己責任と佐那は言っていたが、そもそもやむを得ないというのはどの段階の事を指すのか。拒否が出来ずに厄介事へ首を突っ込む以外に選択肢がない場合というなら、この件に関しては「やむを得ない」には該当しないだろう。さっさと断って家に帰ってしまえばいいのだから。

 だが用事を頼まれた場合というなら少々事情が変わって来る。寧ろここで拒否をしてしまえば、間違いなく後で佐那に「なぜ助けてやらなかったのか」とドヤされるだろう。

「う~ん…」
「ど、どうかな… ?」
「念のためにもう一回聞くけど、俺はちょっと調べるだけでいいんだな ? 後は全部アンタと老師に任せていいんだな ?」

 その果てに行きついた結論は、「引き受けるだけ引き受けるが肝心な部分と責任は老師に丸投げする」という何とも言い難い厚かましい物であった。だが自分は悪くない。そもそも明確な線引きも定義も決めず、勝手に一人きりした佐那に責任があるのだから責められる筋合いも無い筈である。

「ああ…ああ ! 全然かまわない ! とにかく夏樹ちゃんが風巡組と関りがあるのかどうかを調べてくれるだけでいい ! 後は事実次第で老師様にどうするべきか相談するから。それにお礼は弾むよ。金一封、終わったら君に十万円あげちゃう !」
「ほ~成程、十万円…へぇ~、そんなもんかね」

 風俗店の店長はここぞとばかりに畳みかけ、報酬も出すと言って龍人へ熱いまなざしを向けるが、龍人は不服そうな態度で金額を復唱した。もしかすれば一筋縄じゃ行かない事態も待っているかもしれない事案へ体を張って赴くというのに、十万円は少なすぎるのではないだろうか。

「まあ待ってよ。実はその子明日出勤なんだけど…情報収集も兼ねて君にも会ってもらうべきだと思ってるんだ。客として会って、色々聞いてみると良いよ。怪しまれない程度に」
「客として ? まさかそんなもんで手打ちにするつもりじゃ――」
「三時間」
「え ?」
「本番あり、費用は全部こっち持ち…どうだい ?」

 ――――その五分後、龍人と連絡先を交換した風俗店の店長は上機嫌で店を去り、彼を見送ってから龍人はレジに買い物かごを置いた。

「フフ…男の子って、本当に下半身で物事を決めるのね」

 商品のバーコードをスキャンしながら女将が笑う。

「女の人は違うの ?」
「ええ。金貰えるか承認欲求満たせるかで物事を決めるの」
「どっちもクソだな」
「世の中そんな物よ」

 女将からそう言われながら商品を詰められたレジ袋を渡され、龍人は自宅であるマンションへと帰宅する。

「ふうん。鳥のもも肉に合い挽きのひき肉、トマト缶、キャラメル二箱とおまけに豆の缶詰…老師様って意外と金無いのかな。マンションなんか住んでんのに」

 龍人の立ち去る姿を店の上にある貯水タンクに座ったまま見物していた若い鴉天狗の男がぼやいた。ズーム機能が付いているゴーグルでうっすらと透けているレジ袋を観察し、随一で手帳に情報を書き連ねる。龍人が町に現れて以降、一通り情報集めていたその鴉天狗は再び白銀の翼をはためかせてどこかへと飛び去って行った。
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