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十一章:戦火の飛び火

第79話 昨日の敵は今日の友

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 一夜の間に発生した暴動の主犯として、ギャッツ・ニコール・ドラグノフの死亡が報じられると急激に暴徒達の活動は縮小していった。考えられる要因としては、自分達に報酬を払ってくれる者がいないという事を暴徒達が理解した点も勿論だが、裏社会における最大勢力であったシャドウ・スローンが大幅に弱体化した事を知り、がら空きになっているシノギを奪った方が早い事に気づいた者達も少なくなかったのである。

 結果として騎士団による暴動の鎮圧は成功したものの、ギャッツの殺害によって新しい火種が生み出される事となった。国内各地でギャングたちによるものとされる抗争や事件が報告され、治安の悪化が問題視されるようになったのは暴動の終焉から間もなくの事である。

 騎士団にとっての災難はそれだけではない。暴動に気を取られている間にブラザーフッドが動き出し、地方における農地や工業地帯への襲撃が発生。騎士団の対応も遅れたのがトドメとなり、魔術師による地域の占領や犯罪が相次いでいた。

 駐屯地にいる兵士達だけでは足りないという要請を受け、本部もすぐに動き出したが人材や資源の流入が滞っている現状に頭を抱える状態が続く事態に陥っていたのである。かくして緊迫した睨み合いが続く中で、騎士団はどうにか対策を打つ必要に迫られていた。

「二百九十九…三百…三百一…」

 クリスは一面が灰色の壁に覆われ、鉄格子付きの小窓から朝日が差し込む部屋でひたすらに腕立て伏せを行っていた。彼は懲罰房にいたのである。犯罪者の手によって隠蔽されてアジトとして利用されていたとはいえ、歴史的にも貴重な建築物を倒壊させてしまった責任を学者たちから問題視されてしまった事が原因であった。

 アルフレッドや法務部も出来る限り手を尽くしてくれたおかげで解雇や刑罰は免れたものの、お咎めなしでは他の者達に示しが付かないという配慮もあった事で一ヵ月間に渡る懲罰房での謹慎を命じられたのである。そんな中でもクリスは出来る限りのことをしたいと、ひたすら体を鍛え続けていた。初めて見た本気と思われるネロの力や、彼が自分と同じ不死身の体を持っている事を知り、いつしか漠然とした不安に襲われるようになっていた。

「おーい、いるかー ?」

 入り口をふさぐ鉄の扉の向こうから声が聞こえる。野太くも活気のある呼びかけの後に扉が開かれると、クリスの外套を持ったデルシンが入って来た。

「ほらよ。さ、久しぶりの娑婆といこうぜ」

 ようやく懲罰房から出たクリスは、背伸びをしながら本部へと続く通路を歩き始める。デルシンも彼の後に続いていた。

「しっかし、お前も災難だったなあ」
「非が無いわけじゃなかったからな…あんな城がそこまで大事な物とは思わなかったが」
「あの古城に関わる役人やら学者連中の中にも金を掴まされてた奴がいるってのに…おまえまで割を食うとは、世の中不平等だぜ」

 処罰に苦言を呈するデルシンと、仕方がなかったと考えるクリスは話をしながら本部の食堂へと向かって行った。昼下がりという事もあってか人もまばらになっている。

「ところで話は変わるんだがよ。最近、新人が入る事になったらしい。俺が教育していた奴とは別らしくてな…なんでも押しかけて騎士にして欲しいって頼み込まれたんだと。それも団長の自宅に」
「ほお、威勢が良くて結構じゃないか」
「それでなんだが…クリス、団長がその新人について話をしたいから、後で会いに来るように言ってたぜ。とりあえず伝えたからな !俺はこの辺で失礼するよ」

 デルシンは時計を見ながら急ぐようにクリスに伝えて、そそくさと立ち去ってしまう。一人寂しく昼食を取らなければならないのかと、少し残念そうにしながらクリスは食堂を歩き、ビュッフェ形式で設置されている料理の前へ向かった。

「クリス !良かったら一緒に食べないかい ?」
「グレッグ…ああ、いいぞ」

 背後からグレッグが嬉しそうにクリスの元へ近づいて来る。どうやら受け持っていた座学がちょうど終わった所だったらしく、二人はそのまま皿に食事をよそい始めた。

「…肉は無いのか ?」
「配給される食料に制限が出てるんだよ。果物や野菜もそうみたいなんだ…ブラザーフッドに農耕地を滅茶苦茶にされたのが効いたんだろうね。ホワイトレイヴンが協力してくれたおかげで、ウェイブロッドを始めとした港町は無事だったらしいから魚で代用するってさ」
「そんなに魚は好きじゃないが…まあ良いか」

 マッシュポテトや青魚のソテーを適当に盛ってから、二人は空いているテーブルに腰かけて騎士団が置かれている現状について語り合い続ける。

「魔術師や魔物用に使っている装備の原料であるクリナ鋼や銀を生産している地域まで攻め込まれているんだ。すぐにでも奪還する必要があるけど、治安の回復や農耕地の奪取まで…」
「人手が絶望的に足りないな…それに資源も」
「今はどれを最優先の目標にするか決めかねているよ。暴動で負傷した兵士達も少なくない。外部からの手助けも必要なんじゃないかな」

 騎士団がしなければならない仕事が次々と舞い込んで来ている状況を説明するグレッグに、クリスは相槌を打ちながらポテトを貪る。魚に関しては相変わらずの骨の多さと口に残るパサパサした食感に辟易してあまり手を付けようとはしなかった。

「ホワイトレイヴンに頼んで他の魔術師の勢力へ協力を要請するしかないか…」
「でも猶予はそれほど無さそうですね。すぐに協力してくれるような方々とは思えません」
「ああ確かにな…って…え ?」

 レグルが率いるホワイトレイヴンの力を借りたいものの、長々と時間は掛けられないとクリスが悩んでいた時だった。割り込んできた物腰の柔らかく若々しさのある声が、自分やグレッグの物ではない事に気づいたクリスは嫌な予感が頭をよぎる。恐る恐る声がした自分の右側を見ると、記憶に新しい人物が隣に座っていた。

「お久しぶりですね、クリス」
「…そういう事か」

 さわやかな笑顔でアンディは挨拶をすると、クリスは彼の纏っている袖の捲られた外套や胸元の紋章から大方の事情を溜息交じりに察した。二人の間柄について知る由もないグレッグは、キョトンとした顔でコーヒーを啜っている。

「き、君が話に聞いていた新人さん ?」
「アンディ・マルガレータ・コーマックと申します。グレッグ・ピーター・オールドマンさんで宜しかったですか ?」
「ああ。よ、よろしくね」
「噂は耳にしております。兵士達の間でも座学の評判が大変良いと」

 初対面の相手に少しドギマギしながらグレッグが尋ね、アンディは快く握手を求めながら自己紹介と他愛もない話をする。その後、団長が呼んでいると二人に伝えてから道中を案内して欲しいと頼んできた。勿論だと承諾するグレッグとは対照的に、何でこんな事になってしまったんだとクリスは複雑そうな心境と共に、食堂を出ていく二人の後を追いかけた。
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