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九章:瓦解

第67話 ダブルタップ

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 態勢を整え直そうとしたクリスに対して、余裕を与える間もなく追撃が入る。それを防ぎながら様子を窺っていたクリスだったが、その威力に息を呑む。咄嗟に上体を反らして躱した爪による攻撃は、背後の柱に命中すると引っ掻いた箇所が大きく抉れた。

「…レプタリアンの手足か」

 レプタリアン。この世界に生息していると言われる爬虫類の亜種であり、人型へと変化を遂げた種を総じてこの様に呼んでいた。鋭利な爪による手足での攻撃や、柔軟な関節を活かした隠密行動を得意としている彼らの肉体を、リュドミーラは復讐のためだけに移植していたのである。

「接近した状態で貴様と戦える武器を私は手にした…怖気づいたか ?」
「いや、動物愛護団体がどんな顔するだろうかと思ってな。来いよ」
「…減らず口を!!」

 一瞬驚いて見せたクリスだったが、リュドミーラに強がりながら再びかかって来いと挑発をする。腕による刺突や、足技を交えながらこちらへ攻めて来る彼女に対して、クリスは払い落しながら隙が出来るのを待つ。

「馬鹿め、貰った!!」

 今だと思ったクリスが、若干大振りな右ストレートを放った瞬間に彼女が叫んだ。手足を使って腕に飛びつき、そのまま腕ひしぎを敢行したのである。自身の優位を確信し、そのまま腕を折るために仰け反ろうとするリュドミーラだったが、大きな誤算があった事を思い知らされる。

「こ…の… !」
「なっ…!?」

 彼は持ち堪えていたのである。クリスの筋力がどれほどの物かを想定していなかった事が原因と言えた。骨を折られまいと力を込めて腕をカールしたクリスは、近くにあった受付用のカウンターに、全力で彼女を叩きつける。真っ二つに割れた机の中央でうずくまっているリュドミーラは、自分の下調べが完全に甘かった事を悔やんだ。思えば、狙撃を行おうとした際に彼の戦闘を目撃した時点で対策を練っておくべきだったのだが、キメラ化による力を過信しすぎていた。

「ガハッ… !ハァ…!」
「終わりか ?」

 何とか起き上がろうとした彼女の髪を掴んで、クリスは無理やり引き上げた。「あぐっ…」という少し情けなさの残る声で彼女は喘ぎながら、必死にクリスの手を掴んでいる。やむを得まいと、彼女は隠し持っていた煙幕を床に叩きつけた。クリスは思わず手を放してから、纏わりつく煙を手で払って視界を開けさせる。彼女の姿がまた消えていた。

 彼が戸惑っている間に、壁をよじ登ってから柱の陰にしがみ付いていたリュドミーラだったが、先程の奇襲において、クリスが自分のいる方向へ振り向いた事が気になっていた。まさかとは思うが、彼には何かしらこちらの居所を探る方法があるのかと疑っていた時、再び柱を弾丸が貫いた。間髪入れずに発砲音が連続して響き渡り、慌てて離れた頃には柱が穴だらけになっていた。

 リュドミーラは自分の中にある知識を片っ端から引っ張り出し、心当たりがないかと探っていると以前に仕事を共にした魔術師の話を思い出した。

「魔術師ってのはよ。肉弾戦も出来る様にって訓練するんだが、そのついでに戦況を把握するための技術も教えるんだぜ。限界まで精神を落ち着かせて視覚や聴覚を鋭敏なものにするっていう特訓をするんだ。俺達はその技を”サイネージ”と呼んでいる…上の奴らともなれば、建物全体や土地一帯にどれほどの数がいるのか、生物の種類まで分かるようになるんだと…まあ弱点も多い。呼吸や音で感知するわけだから、生物じゃない物の把握は難しい。おまけに激しい動きをしている間も使えないしな…ああ !俺が言ってたとか漏らすなよ !一応だが秘伝なんだ」

 口の軽い魔術師が酒に酔った勢いでその様に話してくれた。そんな未知の技術について思い出したリュドミーラは、咄嗟に口を塞いで息を殺す。

「…息を止めたか」

 一方、クリスは彼女の意図に気づいたらしく、死んだにしてはあまりにも気配の消失が早すぎると判断していた。時折どこかしらに反応があるものの、すぐに消えてしまうせいで追跡が難しくなっている。

「どこにいる?」

 拳銃を拾い、すぐに弾を込め直してからクリスは歩き出した。手の内を読まれたとあっては遠距離からの攻撃は難しいかもしれないと考え、近づいてきた時に叩きのめす方針を固めて辺りを探し始める。リュドミーラは息継ぎをしては壁を這い、物陰に隠れるなどして機会を待ち続けた。

「まあいいか…それより問題はもう一つあった気配。まさか――」

 クリスがそう言いながら階段の方へ向かおうとしたその時だった。背後から飛び掛かったリュドミーラは、そのまま鋭く伸びている爪を使って首の肉を一気に抉った。鮮血が迸り、首に関しては切断されていると言っても過言ではない状態に陥っている。喋りかけている途中だったクリスは、皮一枚で繋がっている首が揺れた反動で倒れ伏した。

「やったのか… ?」

 出の悪い蛇口の様に血が溢れ出ている彼の姿を見て、リュドミーラは確認を取る様に呟く。念のためにと、持っていた拳銃で数発ほど体を撃ってみるが反応は無い。

「ハハハ…やった… !」

  膝から崩れ落ちて彼女は笑い、胸元のロケットを握りしめて喜んだ。復讐を果たせたことを喜びたい気分だったが、すぐにでもゲンサイの援護に向かおうと気持ちを切り替える。ケリをつけた後に賞金首を仕留めてやったと言えば、彼もさぞかし驚くだろうと淡い期待を抱いた。報酬の山分けを条件に銀行への襲撃と騎士団の誘導を行い、もしクリス・ガーランドがいれば自分に譲って欲しいと彼に頼み込んだ甲斐があったと、感謝をしてもしきれなかった。

 全てを終わらせて必ず一族の墓標へ戦勝報告をしてやろうと決意を新たに、ゲンサイの元へ向かおうとした時だった。何かが足に絡みついている。ふと下に目をやった時、クリスの手が自分の足元に伸びているのが目に入った。無駄にビビらせやがってと胸を撫で下ろすような気分になった彼女は、妙な視線を感じてクリスの顔に目をやる。虚ろな眼で虚空を見つめている生気の無い顔だった。

 その時、虚ろであった彼の瞳が微かに動くと、リュドミーラの顔へ殺気を添えて睨みつけた。凍り付く様な悪寒が全身を駆け巡り、汗が吹き出し、足が震え始めたのをリュドミーラは感じ取る。何かしなければと動き始めたのは、すさまじい握力で足を掴まれ、引き摺り倒された後の事であった。

「そんなわけない… !あるわけない !」

 何度も自分に言い聞かせながら、リュドミーラは捕まれている足の痛みに耐えて藻掻き続ける。確かに死体の確認はした。引き金も二回引いてそれでも動かなくなっている事も自分の目で見届けた…にも拘らず標的は動き続けている。

 最早戦う気など起こるはずも無かった。彼女は見てしまったのである。自分を掴んでいる方とは反対側のクリスの腕が動き、彼の首を元の位置に戻し始めていた。クリスがそのまま自分の体に這い寄り、立ち上がろうとした時を見計らってリュドミーラはもう一度腕をふるうが、今度は抑えられてしまった挙句に腹へ拳を叩きつけられた。

「がはぁ…!!」

 血が喉元までこみ上げ、むせ返る様に咳き込みながら吐き出してしまった。内臓に損傷があったのか、まともに体を起こす事も出来ない。一方で、クリスは静かに立ち上がって彼女を見下ろしていた。裂かれたはずの首は平然とくっついている。

 クリスは何を言うわけでも無く、冷めきった面持ちでこちらを見てから二階へと通ずる階段へ歩みを進めようとする。だが、すぐにクリスは立ち止まってから拳銃を取り出し、彼女の胴に目掛けて一発だけ放った。

「…」

 武器を仕舞い直してからクリスは、一度だけ死んでいるかどうか確認する。結果は言うまでも無かった。すぐにメリッサ達がどこにいるかをサイネージで探ってから、クリスは二階へと急いでいく。一方で死体となったリュドミーラの手からは小さな薄汚れたロケットが零れ落ち、開かれた家族の写真が雷に照らされて輝いていた。
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