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三章:蠢く影

第18話 飲み込まれた悲鳴

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 一寸先さえも凝らさなければ分からない暗闇の中を、クリスは小さな発炎筒や聴覚を頼りに進み続けていた。洞穴かと思われたこの場所は深い通路の様にどこかへと繋がっていたらしく、周囲には何か大きな生物が動いていた形跡もある。

「ん?」

 前方から何者かがか弱い足取りと共にずっこけながらこちらへ向かって来る。裂けた服やあちこちに出来た擦り傷、乱れた髪と恐怖に引きつった顔をよく見れば、間違いなく以前に口論を繰り広げた青年であった。

「落ち着くんだ。よし、何があった?話してくれ」
「あ…あんなやつが…いたなんて聞いてない…」

 クリスは事情を聞き出そうとして見るが、うわ言を繰り返すばかりで大した情報を喋ってはくれず、仕方なく元来た道を戻って他の者達と合流するように伝える。青年は助かったと思ったのか、礼を言うのも忘れて出口へと走って行った。

「クソ…!」

 しばらくして開けた場所に出ると、舌打ちをしながらクリスがそう呟く。彼の視線の先には二人の女性の死体があった。横たわっている者と、その少し先にも項垂れたまま動く気配の無い女性であり、どちらもあの青年の取り巻きである。地面に横たわる女性の体を触ってみると、あばら骨が折れているようだった。顔などの骨にも損傷が見られ、十分な質量を持った何かに押しつぶされた事が分かる。もう一人に関しては抵抗をしたらしく剣を持っていたが、大して役に立たなかったのだろう。そのまま叩きつけられた拍子に尖った岩肌に頭を強く打ったらしかった。

「…後でちゃんと運び出してやる」

 死体の目を閉じさせながらクリスは言った。そして立ち上がってから再び奥の方を見ると、崩れ落ちた穴から日が差し込む場所となっており、雨水や地下水が溜まって出来上がったと思われる池が日に反射して煌めいていた。それを囲むように大量の岩場が存在し、苔やツタがあちこちに纏わりついている。呑気に言っている場合では無かったが、一休みしたくなるような景色であった。

「…しまった」

 比較的歩きやすい平坦な岩の上に、もう一つの死体があった。下半身から腹にかけて何かに噛みつかれており、溢れ出た血が扇状になって岩場に滲み広がっている。左手は握りしめられたまま硬直していた。よく見れば何かを握っていたらしく、体つきからして大きな得物を持つとは思えない事から短剣ではないかとクリスは考える。

「死因は内臓の損傷と失血死か…最期の抵抗に短剣を突き刺したみたいだが、手からすっぽ抜けたと…相手はどこへ?」

 疑問を感じたクリスではあったが、相手が生物であるなら手に負えない相手ではないと意気込み、銃を抜いてわざと頭上へ向けて二発程撃った。すぐに二発分を補充し直していると、蛇の鳴き声が聞こえる。と言っても、音の大きさは並みの個体の比では無かった。

「サーペントか」

 自分が来た道とは違う場所にあった穴から這い出てくる大蛇を見てクリスは言った。全身を尖っている強固な鱗に覆われたその大蛇はクリスを見るや否や、辺りを囲むように動きまわり、逃がすまいとこちらを睨み続ける。サーペントの片目に短剣が突き刺さっている事に気づいたクリスは、横たわっている女性の度胸と勇気を心の中で称賛した。そしてサーペントの腹が膨れている事から、最後の一人は丸のみにされてしまい、すぐに救出しなければならないという現在の状況を把握し終える。

 最初に動いたのはサーペントであった。大口を開けて飛び掛かってきた瞬間、クリスは上顎と下顎を抑えながら踏ん張り、暴れ出そうとするサーペントの動きを止めようとする。当然ではあるが、引き下がるつもりの無いサーペントも尻尾を使ってクリスの足に巻き付いた。そのまま引き摺られるように持ち上げられ、片っ端からあちこちへと叩きつけられる。このまま衰弱させて食ってしまおうという算段なのか、その苛烈ぶりは留まるところを知らなかった。

 あちこちにぶつけられ、尖った岩が体に刺さり、血だらけになりながらもクリスは尻尾に狙いを定めて銃を撃った。弾丸が肉体を貫通した事で痛みを感じたサーペントに放られると、クリスはそのまま岩を壊しつつ洞窟の壁に叩きつけられる。起き上がった直後を見計らってサーペントが突撃し、体当たりをかまされた。そのまま避ける間もなく幾度も叩きつけられた後に、銃に危機感を抱いていたらしいサーペントが勢いよく銃を持っている右腕に齧りついてくる。食い千切られることを悟ったクリスは、咄嗟に銃を口内でデタラメに撃ち、サーペントの内部を傷つけた。

 サーペントが悶えた隙を見てから手を引っこ抜き、距離を取るために別の場所まで移動しようとするがサーペントも後を追いかけてくる。何とか動きやすい場所まで辿り着いた直後、再び体を叩きつけてこようとしたサーペントに対して、銃を構える暇がないとクリスは判断し、迎え撃つべく拳を握った。

 こちらへ向かって来るサーペントにカウンターを決めると、衝撃のあまりサーペントが怯む。好機とみたクリスが体に飛び乗ってそのまま頭を掴むと、サーペントが狂ったように抵抗を始める。クリスは何度も殴りながらサーペントを怯ませると、無理やり口をこじ開け、そのまま力ずくで顎の骨を破壊した。

 激痛にのたうち回っている内に離れると、血まみれになった口をだらしなく開いたサーペントが唸っていた。クリスは再びこちらへ向かって来たサーペントを殴り返し、頭を掴んでは幾度となく岩の壁に叩きつけ、膝蹴りまでいれた。壁が陥没する程に滅多打ちにされたサーペントが横たわった瞬間、トドメと言わんばかりに頭部を全力で踏みつけた。それによって残っていた片方の目玉も飛び出てしまい、動く事も出来ずにいたサーペントに銃弾を数発撃ちこんで完全に死亡させた後、クリスは急いでナイフを取り出す。

 腹を掻っ捌くと、胃液や体液にまみれた一人の女性が血と共に流れ出て来る。少しすると、意識を取り戻したようで咳き込みながら目を開いた。

「目が覚めたか」

 クリスが話しかけた瞬間、女性はハッとした様に起き上って怯えながら辺りを見回す。もう大丈夫だという事をクリスが教えると、ようやく落ち着いたらしい彼女は他の者達の安否を尋ねて来た。申し訳なさそうに俯きながら首を横に振ってクリスは既に手遅れであった事を報せ、一人はそこに倒れていると伝える。

「嘘よ…アンナ…!」

 倒れている女性の名前なのだろうか、冷たくなった体を抱きしめながら女性は泣き崩れていた。サーペントの片目に刺さっている短剣を抜き取り、クリスは彼女のもとへ持って行った。

「見覚えは?」
「…アンナの物よ。間違いない…!」

 尋ねて来たクリスから短剣を受け取り、女性は死体に目をやりながらそう言った。

「私の妹なの…こんな事って…」
「ハーピィの巣を駆除したのはお前達だろ。そこから何があったかを教えてくれないか?」
「一通り終わった後、私達のリーダー…ああいや、もうどうでも良いわ。ミラーの奴がここも探索すべきだなんて提案したの。ハーピィが生き残ってるかもしれないって言うから、皆で向かったら…」
「サーペントが寝床にしていたと。恐らくハーピィがあんな場所に巣を作っていたのもそれが原因だな」

 事情を聞いたことで騒動の原因が掴めたクリスはさらに質問を続ける。

「もしかしてあの男は、お前達が逃がしたのか?」
「逃がした?そんな訳ない…!あいつ、勝てないと分かった途端に見捨てたのよ!私達を!その後は良く分からない。丸飲みにされて、苦しくなったせいで意識が無かったから…」

 思いがけない事実を語られたことでクリスは目を丸くした。女性がどうすれば良いのか分からないように泣き崩れているのを気の毒に思いつつも、とにかく行動をしなければならなかった。

「その短剣は、サーペントの目に突き立てられていたんだ。他の者達の死体も近くにある。君の仲間は仇を取るつもりだったのか…君が生き残っている事を信じたのか分からないが、最期まで立ち向かい続けていた。今は心の底から…敬意を表している」

 クリスの言葉に感極まったのか、女性はさらに大声を出して泣き出した。あの男との関係はどうであれ、少なくとも彼女たちの間には確かに繋がりがあったのだという事だけは十分に分かった。
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