上 下
7 / 115
一章:魔術師だった男

第7話 エゴイスト

しおりを挟む
「ほら、モタモタするな!」

 数日後、村には再建のために取り寄せられた多くの材料を運ぶ騎士団の兵士達と、彼らに指示を飛ばすデルシンの姿があった。木造の建物が焼け崩れ、それ以外の施設も火によって変わり果てた姿となっていた村を復興させようと急ピッチで仕事に取り掛かっていたのである。

 一方でクリスは、村人たちと今後の防衛体制や村への支援について話し合った後に、キャシーがいるという一際大きい建物へと足を運ぶ。ガタつく床や所々に埃が残っている棚を横目に廊下を進んでいると、近くの部屋から騒がしくも甲高い声が聞こえる。どうやら子供達らしかった。

「皆、今日はもう帰る時間よ!宿題を忘れないでね!」
「はーい!」
「また明日ねキャシーさん!」

 本や紙を持った子供達は挨拶を済ませてから、一斉に部屋を飛び出してクリスのいる廊下へと雪崩れ込んできた。

「あ!騎士団のおじさんだ!」
「ねえねえ!銃ってどうやって撃つの?教えてよ!」

 何人かの好奇心旺盛な少年たちが腰に携えた得物を羨ましそうに見ながら、周囲に集まってくる。

「やめておけ、子供にはまだ早い」
「え~!いいじゃんかケチ!」
「…外にいるデカい方のお兄さんなら教えてくれるかもな」

 そうやってクリスが外で作業をしているデルシンに擦り付けると、少年たちは非常に興奮した様子で我先にと建物を飛び出していった。部屋に入ってみると、子供たちが散らかしたのであろう床を片付けているキャシーの姿がそこにはあった。そこに魔術師としての姿は無く、くたびれながらも楽しそうに過ごしている一人の女性であった。

「…ああ、ごめんなさい。わざわざ呼びつけておいて」
「いいんだ。随分と慕われているんだな」

 一人でさせるのも悪いと、気が付けばクリスも彼女を手伝っていた。一通り掃除が終わってから、窓辺にクリスがもたれ掛かっているとキャシーもその近くによって窓の外を眺めていた。外では兵士達と村の若い人間が協力して資材を搬入し、工事に取り掛かっている。その傍らでは子供達に言い寄られて慌てふためいているデルシンの姿もあった。

「すまなかった。もう少し早く到着出来ていれば被害も——」
「全員殺されるよりはマシだった…本当にありがとう。だけど、聞きたい事があるの。私がブラザーフッドを抜け出した頃、あなたはまだ戦士として戦っていたはずよね?どうして騎士団に?それに、魔法を使わなかったのはなぜ?」

 外の雑多とした風景が同じ世界での出来事とは思えない程に、辺りは静まり返っていた。クリスは彼女を躊躇いがちに見た後、目を合わせたくないのか床へと視線を動かした。

「…言い訳みたいになってしまうかもしれんが聞きたいか?」
「ええ」



 ――――過去に起きたリチャード・フランクリンの暗殺は、当初こそ彼に恨みを持つ他の政治家や財閥によるものではないかとされていたが、生存者である彼の娘が保護され、犯行の一部始終について証言をした事で一気に覆されてしまった。世論は過激派の魔術師によるものだと断定し、やがて新聞屋による愉快犯紛いの歪曲的な報道もそれに加勢した。その結果、あたかも魔術師の界隈全体が彼を嫌っていたという誤った認識が広まり、魔術師への迫害は苛烈化した。

 それによって引き起こされた事件こそが、後に『ブラッディ・バレー事件』と呼ばれる惨劇であった。一部の熱烈なリチャード・フランクリン支持者たちが「魔術師達に報いを受けさせるべき」と民衆を扇動した事がキッカケであった。厄介だったのは扇動をした者達の中には芸能やスポーツといった分野において強い影響力と知名度を持つ者達であった事が、民衆の行動を一層大きくしてしまった要因である。尚、扇動を煽った本人達は事件が起きていた当時、現場にはおらず自宅で優雅に過ごしていたという。

 焚きつけられた民衆は、奥地で慎ましく暮らしていた穏健派を狙って行動を開始した。たちまち各地で魔術師への襲撃が報じられたが、その中でもブラッディ・バレー事件の凄惨さは群を抜いていた。魔術師達を人里離れた渓谷へと連れて行き、逃げ場を無くした状態から惨たらしく殺したのである。当時はギルドとしての活動に過ぎなかったエイジス騎士団が、捕まる直前に逃げて来た魔術師から依頼を受けた後に、目的地で見た物は文字通り地獄絵図であった。

 紅に染まった川や滝つぼ、そこに浮いている夥しい数の死体は水底が見えない程のものであった。付近には飽きて捨てられたのであろう原型を留めてない魔術師の肉体が散乱し、辛うじて息がある者達は付近の木などに釘で手を打ち付けられ、簡単に逃げられないように固定されていた。中には木を探すのが面倒だったのか、アキレス腱に釘を打ち付けられている者さえいた。

 そのような凶行を魔術師達が見逃さない筈も無かった。復讐を望む者の数は日に日に膨れ上がっていたが、ブラザーフッドをはじめとした同盟の上位に位置する者達にとって重要だったのは、その事態を利用して権力を手に入れられるかどうかであった。そんな彼らにとって真っ先に蹴落とす事が出来る存在だったのが、多くの功績を残し、同胞からも高い尊敬を集めているクリス・ガーランドであった。何より、彼には責任を追及される十分な理由もあった。

 国のどこかに存在する森林の奥深く、大勢の魔術師が見守る中でクリスは二本の柱の間に跪かされていた。柱に取り付けられた鎖によって両腕を伸ばされていた彼は、疲れ切った様子で俯いている。鎖は腕に巻き付いているどころか、肩や二の腕にも繋がれていた。自分と共に任務に赴いていた同僚は、既に度重なる拷問によって命を落としていた。残されたのは自分だけであり、これからも残ることが確定していた。

「この男は、不公平な言動で我々を苦しめていたフランクリンとその家族を暗殺するという重大な任務を放棄したのだ!あの娘を逃がしていなければ、魔術師によるものだとはバレなかったというのに!」

 彼の目の前で高らかに罪状を告げる男は、クラーク家の当主であるヨハネス・クラークであった。

「失望したぞ…クリス・ガーランド。なぜだ?お前程の男が子供一匹始末出来なかったのには理由があるだろう。日和ったわけでもあるまい…どうか教えてくれ。返答次第ではお前への判決に酌量の余地を与えてやる」

 彼の隣にいた老人がしわがれた声で尋ねて来た。ブラザーフッドの首領であり、魔術師の頂点に立っていると言われているギルガルド・ルプティウスである。当然だが言えるわけが無かった。血は繋がってないものの、共に育ってきた義理の妹に子供が出来た。それまでは子供嫌いを拗らせていた自分が、その子の面倒を見ていく内に子供に対する愛着心が芽生えたのである。そして、それによって今までは何とも思っていなかった子供の殺害にあたって奇妙な情が湧いたなどと、その引き換えに大勢の魔術師が殺された事に比べればなんと馬鹿馬鹿しく独善的なんだろうかと今になってクリスは悔やんだ。

「…見逃していました」
「そうか…」

 精一杯の嘘に対してのギルガルドの返事は、誰が聞いても落胆だと分かるほどに落ち込んでいた。

「ヨハネスよ、手筈通りに頼む」

 背を向けて去る瞬間、ギルガルドはヨハネスの近くでそう言った。

「ネロ!連れてこい!」

 ヨハネスが大声である人物を呼ぶと、飄々とした風貌の男性がクリスの義両親と義妹、さらには彼の婚約者や子供まで連れてこちらへ向かった。全員が手錠を掛けられている。

「罪もない魔術師達の命が奪われる原因を作ったこの男には、肉体的な制裁だけでは生温い!このような不届きな輩を生み出した家族にも責任があると言えるだろう!よって、一族の処刑を行った後に同じ責め苦を味合わせ、クリス・ガーランドをブラザーフッドから追放する!」

 ヨハネスから判決が言い渡されると、辺りからは怒号にも近い歓声が湧き起こり、口々にやってしまえという野次が飛び交った。

「…オイ、ふざけるな!!家族は関係無いだろ!止めろ!今すぐに止めろ!俺一人で十分のはずだ!」
「死刑にしたいというのに死なない貴様が悪いのだ。そうだ、悪魔から授かったという不死身の肉体で何とかしてみたらどうだ?」

 明らかにおちょくっていた。自分の肉が引き裂かれようが構わないと、クリスは鎖を引っ張ったが、大地の属性を操る魔術師達によって岩を体中に纏わされて動きを封じられてしまう。

「たとえ貴様であろうと、魔法が使えなければこうも簡単に見下せるとはな!癖になりそうな快感だ」

 ヨハネスがそんな事を言っていると、クリスの目の前に家族を連れて来たネロが「後はよろしく」とヨハネスに伝え、どこかへ行ってしまう。

 その後、彼が目の前で見せられたのは生きたまま焼かれる義父や義母、水の魔法によって溺死させられる義妹夫婦、そして首を絞められて殺される赤子であった。全てが終わった瞬間、頭の中が真っ白になった。そして胸の内側には、憎しみや激情を掻き消すような巨大な穴が開き、そこから溢れた闇が心と脳を無に染め上げた。走馬灯に思い浸る余裕さえ与えられず、涙すら出なかった。

「あ、ああ…あああ、あ…」

 か細く、振り絞った声で自分の誤った選択を責めたて、現実を嘆く事しか今のクリスには出来なかった。そこにホグドラムの怪物と呼ばれた英雄の面影などありはしなかった。
しおりを挟む

処理中です...