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第三章 運命のカウントダウン
第83話 海洋都市トルロス 夜市に紛れた権力者
しおりを挟む時刻は深夜2時。
『港の夜市』と呼ばれている一帯は、トルロスでも一風変わった地域だ。
石造りの堤防が海沿いに長い道を作り、そこに屋台が軒を連ねていた。酔っ払い達が何かを喋りながら、気さくな笑い声をあげている。そのまま海にドボンと落ちる者も少なくない。
夜市の中心には、港に面した2階建ての施設があった。色とりどりのランタンで彩られた派手な施設で、夜仕事を終えた人々が朝まで飲み食いし、早朝から漁に出る人間も朝食を食べる。
市場としても開放されており、夜から早朝にかけての競りも行われている。住人の食堂でも職場でも観光地でもあるという、定義の難しい混沌とした場所だ。
「酒飲みの血が騒ぎますね」
「私は電気のありがたみを感じるわ」
「確かに。私達が発明した事にして、ネクロマリアの歴史に名を残しましょうか」
「エス、こっちだ」
エスティはフードを被って姿を隠したまま、夜市を歩いていた。人混みというほど人はおらず、歩行者は少ない。飲み食いの時間帯なのか、逆に屋台の中は人がいっぱいだ。
ロゼに付いていくと、大きな酒場に辿り着いた。屋台が並ぶ場所では珍しく、しっかりとした2階建ての建物だ。
「我は喋らぬ。エス、代わりに頼む」
「なるほど、了解です」
エスティ達は扉を開いた。
「いらっしゃいませぇ!」
「すみません。このお店に、うちの白猫が飛び込んできませんでしたか?」
「え……あぁ、いますよ! 飼い主さんだったんですね。てっきり野良猫かと思って、うちの店主が裏で餌付けしています。ご案内いたします」
◆ ◆ ◆
シロミィはお魚を咥え、ロゼは嬉しそうにそれを眺ながらミルクを舐めている。
「優しい店主さんだったわね」
「そうですね。飲んでお返ししましょうか」
「そうしましょう、エスティは天才ね」
「えへへ……」
両手にジョッキを握ったエスティは、ポワンと赤くなっていた。既にほろ酔いの状態だ。
「エス、程々にな」
ロゼは周囲に聞こえないよう、小声で話す。酒場はほぼ満席だ。
「平気ですよ。酒は水ですから」
「……ミア、いざという時は頼む」
「うふふ、海の男ってムキムキで素敵ね……ちょっと自分を自慢してくるわね」
「おいミア待て」
完全に酔っ払った状態のミアが席を立ち、海の男達の喧噪に突っ込んで行った。美人でグラマラスな酔っ払いがやって来た事に、男達は大きな歓声を上げた。
ミアも気分が良くなったのか、手に持っていた酒を一気飲みし、【弁当箱】から何かを取り出し始めた。湿布やハサミ、ボールペンに紙……蓼科の文房具や便利道具を、自分の発明だと言い始めた。
「あっ! 蓼科の道具で自分を自慢し始めましたよ! いやぁ酷い! 酷いですけど、酒の肴には丁度良い酷さですね……ぐびぐび」
「お前も飲み過ぎるなよ」
「大丈夫ですよ。とりあえず、ミアのお小遣いは減らしてやりましょう」
ぼーっとミアを眺めていると、給仕から食事が運ばれて来た。トルロス名物、トルロス貝の酒蒸しだ。塩味があってお酒が進む。
エスティがもぐもぐと食べていると、ミアの方から今度は『バツ! バツ! マル!』という声が聞こえてきた。
「お……ミアがエロ目を使って男を餞別しています。酔ってて気づいてないのか、口に出てますね。あんな直球な選別ありますか普通……」
「ろくでもない女だ」
「悪ですよ、悪」
そして、ミアが一人の男を連れてエスティの元へと戻って来た。
唯一マルを貰った、ミア好みの筋肉質なイケメンだ。歳は30台から40台、海の男らしく日焼けしており、長い黒髪を後ろで一つに結っている。しかし、服装は漁師のそれではなく、執事のように整った正装だ。
「ただいまエスティ。これがモテ期よ」
「皆、酔っぱらってますからね」
「甘いわね。酔うと真実が見えてくるの。その真実の先にいるのが……この私よ」
「ロゼ、帰りましょう」
「待ってエスティ!! 紹介するわ、トルロス漁業組合の長ベヘェバァさんよ」
イケメンは背筋を伸ばし、まるで貴族のようなお辞儀で挨拶をした。そして、そのままの勢いですっ転んだ。
「アヘヘェ~ベバァ~!」
「完全に酔ってんじゃないですか!!」
呂律が回っていない。
「通りで変な名前だと思いました」
「お、エスティ。あんた今、世界中のベヘェバァさんを侮辱したわね?」
「そろそろ帰りますよ、夜が明けます」
エスティはミアを無視して、給仕に支払いを済ませた。大人しくしていたシロミィを抱え、帰ろうとした瞬間……何者かに足を掴まれた。
「ま、待ってくれ……」
「うわっ!」
倒れたままのベヘェバァだ。
「手を離して……お名前は何でしたっけ?」
「ハルシウルです」
「全然違うじゃないですか!」
「おかしいわね。私の耳は腐ってるのかしら? 最近は目と口も腐ってるし……」
「まるでグールですね」
ミアもかなり酔っているようだ。
目が虚ろになっている。
「失礼しました」
ハルシウルはそう言ってエスティの足から手を離し、起き上がった。ほんの数分前とは表情がまったく違い、今は酔っていないように見える。
そして、その立ち姿は騎士のように迫力があった。身長が高いわけでは無いが、何だか怖い。エスティは、ハルシウルから圧力を感じていた。
ハルシウルは、再びお辞儀をした。
今度は倒れない。
「――少しだけお時間を頂戴したい。時空の女神、エスティ様」
エスティは、目を見開いた。
◆ ◆ ◆
トルロスの主産業でもある漁業の組合というのは、それなりの権力を持つ。トルロスの胃袋と商業の両翼を担っているためだ。そのため、トルロス政府とも太いパイプで結ばれていた。
そこの長に、若くして着任した秀才。
それが、ハルシウルだった。
「――聖女ミア、騎士ムラカ、喋る灰猫ロゼ。加えて人助けの勇者マチコデ、背中の魔術師バックス。女神様を辿る為にはこの者達を探れと、もっぱらの噂ですよ」
「もう犯罪を起こせないわぁ……うふふ」
ミアは先程からハルシウルにメロメロだ。酔っ払って何か仕出かさないかと不安になったロゼが、ミアにべしべしとパンチをし続けている。
「それで、なぜこのトルロスへ?」
「……」
ハルシウルの質問に、エスティは答える事を躊躇った。信用できる人物かどうかが分からないのだ。
「ミア」
「大丈夫よ、安心しなさい」
「――分かりました。実はラクリマスという人物を追っていまして」
「…………ラクリマス?」
その名を聞いたハルシウルは、首を傾げて何かを考え始めた。頭の中で言葉を選んでいるのか、眉間に皺を寄せている。
そして、ポケットから1枚の地図を取り出した。
「深い理由は聞きませんが……差し上げましょう。ちょっと見にくいですが、この場所がラクリマスの家だった所です。今は何もありません。それと、町の資料館にラクリマスの記録紙がいくつか残っていますよ。かなり古いですがね」
「あ、ありがとうございます、ハルシウルさん!」
エスティが地図を受け取ると、ハルシウルは優しく微笑んだ。
「……失礼ながら、女神とはもっと恐ろしいものを想像しておりました。我らがこういう立場ですから」
「いえ、私は周りに持ち上げられているだけの普通の魔女ですよ。……それにしても、群島って自然が豊かですね。移住のための開発が進んでいないのは、何か理由……が……」
エスティは会話を止めた。
嬉しくなって、この美しい島がどうなるのかと軽く話題を振ったつもりだった。
――ハルシウルの目の色が、変わった。
怒りだ。
強い怒りでエスティを睨んでいた。
今にもエスティにつかみかかりそうだ。
ハルシウルの魔力が歪んでいる。
「何も……知らない?」
怒りと疑問の入り混じった質問に、エスティは返事が出来なかった。ハルシウルはふぅと溜息を吐き、冷静を取り戻す。
「――なるほど。何となく見えましたよ、女神様の立ち位置が」
ハルシウルは一人納得したように頷いた。
「……我々は長きにわたり、この美しいトルロス島で生きてきました。滅びの前も後も、ずっとです。確かに人道的支援を考えれば、助けるのが正しいのでしょう」
俯きがちに、話を続ける。
「ですが、大陸中の魔力を食い漁ったのは人族です。なぜ資源を食って魔法を使い、魔族と争うのですか? なぜ2度目3度目の滅びから、魔力を使わない生活を目指さなかったのですか?」
まるで訴えるかのように、ハルシウルはエスティに問いかける。言葉に魔法がかかっているのかのように、エスティの頭の中にハルシウルの言葉が刻まれていく。
「ベヘェバァさん。私達は、襲い来る魔族に対抗しなければならなかったの。そのための有効な手段が魔法しかないのよ」
「ハルシウルです。聖女ミア、貴女が先程見せてくれたあの道具は、何の魔力も使っていなかった。貴女がそれを違う世界で発明したのなら、その世界には魔力を使わない武器があるのでは?」
ミアは返す言葉が無かった。
実際にあるのだ。
「……ネクロマリアの人族がこの島に来ると、美しい自然が消えていきます。緑は失われ、珊瑚も死ぬ。すると魚も寄り付かなくなる。滅びの島の出来上がりです。彼らが魔族に侵攻されるのと同じように、我らにとっては彼らが侵攻してくるという感覚なのです。では、どうするか」
ハルシウルの顔から表情が消えた。
「――我々は、戦争も辞さない覚悟です」
エスティは息を呑んだ。
「我々は、魔力を使おうとしない魔族の統率者の方を歓迎します」
「そ、そんな!?」
ハルシウルは眼光鋭くエスティを見た。
「貴女は誰の味方ですか、時空の女神様?」
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