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第三章 運命のカウントダウン
第72話 蓼科高原の植物図鑑
しおりを挟む翌朝の10時。
要求されていた分の【弁当箱】を急いで作り終えたエスティは、新たな魔道具作りに着手していた。
魔道具を開発している時にいつも注意してくるムラカは、『ちょっと冬の八ヶ岳を一周してくる』と言って出て行った。夕方まで帰って来ないため、今日は数少ない危険物製造のチャンスなのだ。
庵に膨大な魔力が集積し、それが更にエスティの手元へと集積していく。
その先にあるのは短剣。
それも刃の付いていない、柄の部分だけ。
これは、以前ネクロマリアに戻った時に、時空魔法で錬金が出来ないかを検証するために購入した素材だ。魔法装備を作ろうと持ってはいたが、色々あって寝かせたままとなっていた。
「うへへ……楽しい……はぁはぁ……」
呼吸が荒くなってきた。
にやけが止まらない。
爆発効果もつけてやろう。
「……まるで玩具で遊ぶ子供ね」
「ミア、お前も一緒に遊んでやれ」
「いいの? 多分死んじゃうわよ、私が」
魔力が濃すぎて、ミアからは工房の空間が歪んで見えていた。あんな場所に飛び込んだら自分までぐねぐねと歪みそうだ。
「エスティは漫画なら、地下施設で研究する悪役か味方のマッドな博士タイプね」
「お前は何のタイプなんだ?」
「画面に見切れる一般人よ。しかも、何が起きても地味に逃げ切るタイプ」
ミアはそう言って、再びタブレットに目をやった。今日は漫画ではなく、サンドボックス系のゲームで家を作って遊んでいる。
「――はぁ。ストレスが発散できました」
エスティもリビングの炬燵にやって来た。
「定期的にああして開発しないと、モヤモヤして頭がおかしくなりますよ」
「エスティ、何を作ってたの?」
「最強の剣です。相手を切ったら剣が爆発するんです。自分も吹き飛びますけど」
「不良品じゃない!」
ミアの言葉を無視し、エスティは空間から一冊の本を取り出した。『蓼科高原の植物』と書かれた、草花に関する分厚い図鑑だ。どんと炬燵の上に置いた。
「さてと……ミア、これは読めますか?」
「ん、もちろん読めるわよ。何これ?」
「八ヶ岳から蓼科、そして霧ヶ峰にかけての植物図鑑です。日向に借りました」
『蓼科高原の植物図鑑』と表題の書かれたその本。
ここ蓼科周辺は、様々な植物が生育している。特に八ヶ岳は高山植物の宝庫で、北八ヶ岳の縞枯山は花の百名山にも選定されていた。低地から稜線近くまで、数多くの植物を観察する事が出来るのだ。
『八ヶ岳』の名を冠した高山植物や、固有種もいくつか存在する。この草花を見るために毎年訪れる登山客も多く、日向の母親、陽子もその一人だ。
「へぇ。写真だと分かり易いわねぇ。ネクロマリアの図鑑もこうなればいいのに」
「ミアのタブレットを持って帰って辞典にしますか?」
「これは漫画専用だから無理」
ミアはパラパラと図鑑を捲る。
「あ、これ可愛い。『ツクモグサ』絶滅危惧種ですって。へぇ……」
「字が読めるのはいいですよねぇ?」
「ウッ! そ、そろそろ作るわよ……」
図鑑は、霧ヶ峰のページに辿り着いた。
霧ヶ峰も八ヶ岳同様、希少な動植物の宝庫だ。霧ヶ峰の中にある三つの湿原は国の天然記念物に指定されており、その中の一つ、八島ヶ原湿原は日本の高層湿原の南限にあたる。
八島ヶ原湿原は特殊な環境だ。植物が腐敗せずに毎年1mmずつ堆積し続けている層は、約8mにも達する。それに至るまでにかかった年月は1万2千年。元は溶岩のくぼみの池だった場所が、ミズゴケの群生地と化している。
「凄いわねぇ……ここは太古の世界よ」
「そこの魔力が凄いと思うんです。ミズゴケって採取してもいいんでしょうか?」
「駄目だろう。山の植物は山のものだと、陽子が言っていたではないか」
「ミアはうちの木を引っこ抜きましたが」
「あれは災害だ」
「失礼ね!!」
ロゼはミアの手をサッと避け、エスティの傍に寄った。
ミアは流し見をしながら最後までページを捲り、図鑑を閉じた。そのまま仰向けにごろんと寝転び、続いてエスティも仰向けに寝転んだ。
ロゼがエスティの胸に乗っかり、丸まる。
「それでエス、図鑑がどうしたのだ?」
「……種の話があったじゃないですか。植物から魔力が生まれるのであれば、歴史の古い山や湿原を持つ蓼科の植物を調べてみたいと思いまして。魔力の強い植物を育てて、ネクロマリアの地面に植える実験です」
「しかし、採取はできないぞ?」
「そうなんですよねぇ……」
エスティは空間から枕を取り出し、寝る体制に入った。どこでも寝れるように枕と布団は常に空間に収納してある。
「その実験って、確かネクロマリアでも失敗続きなんじゃなかったっけ?」
「えぇ。ずっと失敗です」
魔力は人為的に生み出す事は出来ない。長い年月をかけて、自然に回復するのを待つしかない。ネクロマリアではそう結論付けられていた。
長い年月。
日向にその話を相談したら、蓼科には1万年が積み重なった植物の群生地があると教えてくれた。それが八島ヶ原湿原だ。見に行けば分かる事があるかもしれないが、八島ヶ原湿原の冬の植物は雪の下で眠っている。
「見に行くのは後回しにして、ひとまずは、種が採取できる植物を育ててみます」
「あぁ、畑を作るって話だっけ?」
「えぇ、雪融けの時期にはなりますけどね。ムラカも時間が掛かるでしょうし」
明日の朝、ムラカは再びネクロマリアに戻る。骨の砂水という、謎の素材をトレジャーハントしてもらうのだ。今朝八ヶ岳に遊びに行ったのは、しばらく山に登れないからだろう。
「ミアも手伝ってくださいね。ちゃんとミア用に便利な農具を作りましたから」
「へぇ、どんなの?」
「最強の桑ですよ。地面に刺さったら爆発するんです。自分も吹き飛びますけど」
「不良品じゃない……」
◆ ◆ ◆
「――それは投擲用のナイフです。刺さった場所が爆発します。これは自分の足元に投げる煙幕ですが、4つあるうちの一つは爆発します」
「おい、そこは混ぜるな」
エスティの開発した魔道具を、ムラカは受け取っていく。【弁当箱】に入れると狂ってしまう魔道具ばかりのため、買ったばかりのサイドポシェットがどんどんと嵩張っていく。
ムラカは陽子に勧められて登山道具を買い揃えていた。24リットルの日帰りザックに、サイドポシェットと丈夫な衣類。その風貌は、トレジャーハンターというよりも登山家だ。鞘に収まった『飛剣』の剣はただの杖に見える。
「何かそんなに爆弾持っていると、一体どこに自爆しに行くのって感じよね」
「持たされてるんだ、お前にもやろうか?」
「遠慮するわ、私も爆発する桑を持ってるから安心してよ」
「安心って何だ、安心って」
全員で転移門の部屋へと移動する。
「では行ってくる」
「ムラカ、ヴェンはどこだ?」
「さぁな。この庵のどこかにはいる」
相変わらず、ムラカの使い魔ヴェンは見かけない。だがムラカはそんな事を気にする様子もなく、むしろニコニコだ。早くネクロマリアに戻りたがっている。
「――待ってムラカ、私は理解したわ。貴女、マチコデ様に手を出す気ね?」
「おいおい誤解はよせ。仕事だから、手が滑って脱いで抱きつく事もある」
「無いわよ!!」
「既婚者ですから、駄目ですよムラカ」
エスティが転移門を開く。
ムラカは軽く手を振り、転移門の中へと入って行った。
「――エスティ、ちょっと賭けをしない? ムラカは山を目指すと思うわ」
「同意見です。賭けが成立しませんね」
「我はちゃんと仕事をすると思う」
「「お?」」
二人はニヤリと笑い、ロゼを見た。
「いいんですかロゼ、私達は誰に対してもゲスいですよ?」
「そうよそうよ。交尾を配信させるわよ」
「……賭けは成立せんな」
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