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第一章 蓼科で生活環境をつくる魔女
第29話 故郷の酒は美味い
しおりを挟む――窓から、朝日が差し込んでいる。
目覚めたら、昔の家のベッドで寝ていた。
そしてなぜか、ロープでぐるぐる巻きにされている。
一体何があった。
エスティには、昨日の朝にお酒を飲んだ時からの記憶が消えていた。
……そういえばおかしい。
今も朝だ。
時間を跳躍している。
「これは、時空の魔女の力……!」
「違うぞエス」
「うわっ!」
ロゼが隣に座っていた。
起きていたようだ。
「お前は……本当に何をしていたんだ?」
「それは私が聞きたいですよ」
「我の方が聞きたい」
「飲んだ後の記憶が無いんです」
その言葉を聞いて、ロゼは深い溜息を吐いた。
エスティは思い出す。
確か自分は、ドラゴンを狩りに行くと言って意気揚々と酒場に出かけたはず。それからミア達に出合い、一杯ひっかけて……。
「思い出した。飲んでいたんですよ、ミア達と」
「ミアというと、ラクス救助隊のか?」
「えぇ。確か、王子様はミラールで結婚の準備らしくて。悲しさのあまり彼女達が全裸で号泣して飲んでいた所に鉢合わせしました。ロゼの方はどうでした?」
「全裸でか、気の毒に……」
ロゼはそう問われると、窓辺の棚から飛び降りてエスティの膝の上に座った。巻き付けられたロープを爪で切り始める。
「こちらの情報は粗方バックスに伝えた。だが、時空魔法や称号『種』についての文献は、王家の書庫にも他に存在しないそうだ」
バックス曰く、この国にはこれ以上の情報が無い。そうなると、ラクス王国よりも古い国家や大きな国家を探さなければならない。
そんな伝手は、エスティには無い。
「ふふ、行き詰まりましたか?」
「あぁ。だが、エスは不安そうでは無いな」
「楽観的なんですよ、私」
「よく知っている」
ロープが取れて自由になったエスティは、一度大きく伸びをした。
そしてロゼを撫で、辺りを見回す。
棚の上にある小さな鏡に写った自分が見える。
いつもと同じ自分。
フードは被ったままだ。
兄弟子に会った時は大丈夫だったのに、酒場では駄目だった。この身に何が起きたのか、誰に聞けばいいかも分からない。
でも、酒場のあの様子では、今まで通りネクロマリアで普通に生活できるとは思えない。
――帰るべきなのかもしれない。
「私にはドラゴンよりも温泉が似合いますよ。帰ってお風呂に行きましょうか」
「ん、討伐はいいのか?」
「ドラゴンのいる渓谷まで10日以上かかるんです。知っていましたよ」
「おいエス……」
「ふふ、私は法螺エスティですからね。ロゼが帰りたそうだったから付き合っただけです」
自分がここにいても、迷惑をかける未来しか見えない。それよりも、蓼科で対魔族の道具を作ったりする方が有益だ。
そんな真面目な事をエスティは考えたが、何だかんだで結局楽しむ方向に流れる気がしていた。とりあえず、ネットが繋がったら戦隊ヒーローシリーズを全部見よう。そう考えると、早く帰りたくなってきた。
「さて。買い物だけ済ませましょうかね」
「分かった」
エスティは身支度を整え、家を出た。
まず素材屋にて、インクや皮を大量に購入する。本屋では応用魔術教本を片っ端から買い漁り、更に王室御用達のお土産屋で高いお酒をアホほど購入して店員を驚かせた。
時空魔法で錬金も出来ないか検証するため、武器や防具、それにアクセサリーの型も購入した。蓼科で魔法装備を作るのだ。
資金が尽きそうになったので、鍛冶屋のおじさんには代金の代わりに【弁当箱】を複数個渡した。そしたら、大喜びされた。重い鉱石を運ぶのに楽だからだそうだ。
「あ、もしかして【弁当箱】って便利かもしれませんね」
「おい、気付くのが遅い」
そしてバックスにお礼を言い、帰宅した時は夜。
時計の針は8時を回っていた。
◆ ◆ ◆
「ふぅ。この木の匂い、家に帰って来たって感じがしますね」
エスティはリビングのソファに腰かける。
「お風呂が先か、夕飯が先か」
「――おい待てエス……硫黄の匂いがしないか。それにこの波音は何だ?」
ロゼにそう言われて、エスティは耳を澄ました。
……確かに、波が何かに当たるような音が聞こえる。
「【貯水用弁当箱】が割れましたか?」
「怖いな、見てくる」
ロゼは玄関のロゼ用のドアを抜けた。
夜風と共に、硫黄の香りが漂う。
「んんっ!?」
屋根の上に上ろうとした時だ。
「どうしました……か!?」
エスティにも見えた。
地面から、白濁とした温泉がごっぽごっぽと噴き出ている。
「おい、この量は不味いのでは」
「……どうやらお風呂が先でしたね。ロゼ、一緒に浸かりますか?」
「本気か」
エスティは早速服を脱ぎ捨て、すっぽんぽんのまま外に飛び出した。
「さっぶ!!」
そして閉めた。
思った以上に寒かった。
「エス……まだ酔っているのか」
「な、何ですかその残念そうな目は! 手軽に入れる温泉が目の前にあったら、普通入るでしょう!」
「水面の高さは庵の床よりも下で、20cm程度だろう。しかも土やら雑草が生えたままだ。そんな場所に横になるよりも、配管で湯を内風呂に引いた方がいい」
「お、名案ですね」
エスティは急いで浴室に向かい、繋げておいたバルブを開いた。その瞬間、どばばばーっと温泉が浴槽に流れ込んできた。
このバルブは、温泉が湧き出ている場所に上手く勾配を付けて配管を接続したものだ。高低差だけで温泉が流れ出て来る。ある程度溜まったので、エスティはバルブを再び閉めた。
60度もある源泉が外気によってほどよく冷やされ、丁度良い温度になっている。エスティは入れそうなのを確認し、入浴した。
「おあぁ……何という贅沢。泥とか草っぽいのも混じっていますが、まぁご愛敬ですね」
「エス、温泉は勝手に使用するとまずかったのではないか?」
「ロゼは考えすぎですよ。私はたまたま開いていたバルブから流れ込んできた、白濁の雨水に浸っているだけです」
「むぅ。それならば我も」
冒険者時代、エスティは自由だった。
だが、今はそれ以上に自由を感じる。
「――動機なんてのは大体が不純なんです。お金が欲しいとか、一生だらけたいとか。そうじゃなきゃ聖人ですよ。そんな煩悩を取り繕って、いかにもまともっぽい理由で自分を形成するんです」
蓼科貴族に憧れて自堕落な生活をするつもりだったが、いつの間にか魔道具で生計を立てている。だが何かに縛られたような感覚は無く、むしろ楽しい。
「……急にどうした?」
「私が庵を作ったのは、こうして自由な生活をするためだったんだなぁと改めて認識したんですよ」
「ふ。まぁ悪い生活では無いな」
ロゼは湯舟にぷかぷかと浮いていた。
冒険者時代に比べれば雲泥の差だ。
「まぁ、庵が完成するのはもう少し先です。露店風呂を整備しないと」
「そうだな。それに排水も追い付かぬ」
「そうですね。何か考えなければ……ぐびぐび……」
エスティは話しながら、いつの間にかお酒を飲んでいた。湯舟にお盆を浮かべて、おつまみにパンをかじっている。
「お風呂が先でしたが、お腹も空きました」
「エス、行儀が悪いぞ」
「まぁまぁ。ほら、ロゼにも良い物をあげますよ」
「いや我は別にあー! マタタビにゃー!」
「ふふ」
ネクロマリアで見聞きした状況や、自分の身に降りかかっている何か。分からない事は沢山あるけど、考えるのは後回しにした。面倒な記憶はお酒で上書きだ。
これから毎日温泉に浸かり、魔道具を作りながらロゼと適当な話をし、使い慣れた布団で寝る。今はそんな生活が続けば十分だ。
「しかし、故郷の酒は美味いですねぇ」
味は蓼科に劣るも、口に馴染む。
エスティは再び、ぐびぐびと飲み始めた。
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